第27話「逃げの小五郎」

 じょ……冗談じゃない!!


 なんだって、そんなヒゲメガネのおじいさんみたいな異名で呼ばれなきゃいけないんだ。


 ていうか、足利さん、長井雅楽ながいうたは知らないくせに、中江兆民なかえちょうみんのことは知ってんのかよ!!


 中江兆民も大概マニアックだと思うけどねっ!!


「いいね、それー!」


「いよっ! 東洋のルソー!!」


「なんでだよ!? おかしいだろ!!」


 奇妙なあだ名をつけられそうになった僕は、ついに大きな声でツッコミを入れてしまった。


「あら、お気に召しませんの」


「召すも、召さないも何も、僕はフランス文学は好きだけど、残念ながらフランス語は読めないし、漢文の素養もないから『社会契約論』を漢文調で翻訳したことはないんだよ、『民約約解みんやくやくかい』を書いたのは僕じゃないんだ!! ついでに言えば、3人の酔っ払いが政治やら対外政策について語る本を書いた記憶もないし!! がんで余命1年半だって宣告されたこともないっ!! 衆議院議員総選挙に出馬したことも当選したこともなければ、土佐派の裏切りにブチギレて辞職したこもないんだよぉぉぉぉぉっ!!」


「ああ、赤井様、本当になんでも知っているその博識ぶり、まったくもって素晴らしいですわー!」


「そんなことはない、僕の知識なんて上っ面だけ、まだまだ知らないことだらけだよ!」


「ああ! ソクラテスの『無知の知』までご存知だなんて、本当に素晴らしすぎますわ、赤井様!」


「そういうんじゃなくてっ!!」


「ああ、赤井様の低音イケボ、わたくし、聞く度にゾクゾクしてしまいますわー! あああああっ!!」


 足利さんはなぜか体をクネクネさせながら、身悶えていた。


 なんなんだ、このお嬢様、何言っても誉めてくるじゃないか。


 ていうか、この学園、学力レベル低いはずなのに、このお嬢様はルソーだの、木戸孝允きどたかよしだの、中江兆民だの、ソクラテスだのを知っていて、学力高いじゃないかよ。


 なんで、この学園に進学したのか?


 って、そんなことは別にどうでもいいんだよ。


 いったい何をどうしたら、僕はここから解放されるんだ?


 早く家に帰りたいのに……


「おうおう、イケメンくーん、そんなわけのわからないお嬢様のことはほっといて、うちらと遊ばなーい」


 そんな全肯定お嬢様の足利さんの次に話しかけてきたのは、白ギャルの大庭おおばさんだった。


「あそばな……」


「まあ、わけがわからないとはなんですの? この無礼なギャルどもが!」


 大庭さんのこともちゃんと相手にしてあげようと思った僕だったが、僕の返事よりも足利さんの返事の方が早かった。


「せっかくのイケメンくんに、東洋のなんちゃらとかいう変なあだ名つけたら可哀想だしー」


 あ、意外とまともなこと言うな、このギャル。


「『イケメンくん』ってあだ名も大概ですわ!」


「なんでよー、イケメンって言われて悪い気がする男子がいるわけないじゃーん、ねぇ、イケメンくーん!」


「ああ……」


「『東洋のルソー』の方がいいに決まってますわよね、赤井様!」


「ああ……」


「まあ、なんにせよイケメンくーん、せっかくイケメンなんだから、本なんか読んでないで、うちと遊ぼー」


 大庭さんは僕の手から『孤独な散歩者の夢想』を奪い取った。


「ちょっと……」


「まあ、博識な赤井様から本を取り上げるなんて、なんと野蛮な! これだからギャルは!」


「えー、だってー、昔の偉い人がこう言ったんでしょー? 『若者よ、書を捨てよ、女を抱こう』って」


「な……な……な……なんと下品なギャルですの!?」


「『書を捨てよ、町へ出よう』だよ! 返せっ!!」


 僕は大庭さんから『孤独な散歩者の夢想』を奪い返す。


 ていうか、なんで、このギャルはギャルのくせに、そんな大昔の本のタイトルを知っているんだ?


 いや、間違って覚えているんだけれども……


「あれー、イケメンくん、怒っちゃったー?」


「怒った顔もまた素敵ですわねー」


 ああ、もういいや……もうどうなっても構わない!


 ていうか、さすがに気づいた!


 こいつらが相手だったら、僕は何をしても、絶対カースト最下位にはならない!!


 ようやく真実を看破かんぱした僕は、自分の心に正直に生きることにした。


「ああ、もう! うるせえ、うるせえ、うるせえわ!! 僕はもう帰る!! 皆さん、ご機嫌よう、また明日!!」


「あんっ」


「いやーん」


「ちょっ……」


 自分に素直になった僕は、お得意の逃走をはかることにした。


 そのために女子たちの輪の中を強引にくぐり抜けて、教室から脱出し、廊下を脱兎のごとく駆け出した。


「あ、赤井様! 廊下を走ってはいけませんわよー!!」


「うるせぇぇぇぇぇぇっ!!」


 足利さんの忠告など無視して、僕は下駄箱へ向けて全力で走った。


「まあ赤井様、逃げ足の速さまで木戸孝允にそっくりだなんて、まさに『逃げの小五郎』ならぬ『逃げの赤井様』ですわねー!!」


「だから、そんな異名つけられても、嬉しくもなんともないわぁぁぁぁぁっ!」


「『眠りの小五郎』の方がよかったですかー!?」


「そういう問題じゃねぇぇぇぇぇっ!! それと『逃げの小五郎』って、司馬遼太郎しばりょうたろうの小説のタイトルで、同時代人どうじだいじんは誰もそう呼んでねぇからなぁぁぁぁぁっ!!」


「まあ! 本当に赤井様はなんでもご存知でいらっしゃる! 尊敬いたしますわぁぁぁぁぁぁっ!!」


 1年C組の教室からだいぶ離れても足利さんの声は聞こえてきた。


 どんだけ声がでかいんだ、あのお嬢様……ていうか、最後の方は声が裏返ってたぞ、ロックバンドのボーカルのシャウトかよ……


 でも、お嬢様もギャルもモブJKたちも、誰も僕のことを追いかけてまでは来なかったので、僕はようやく帰路につくことができた。

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