第20話「青ヶ島」

 入学式は退屈だった。


 というか、この学校に男子が僕ひとりだけという衝撃の事実を知ってしまったことにより、心ここにあらずだった。


 まだ何もしていないのに、真っ白に燃え尽きてしまっていて、おじさんおばさんたちの話はまったく頭に入ってこなかった。


 そんな長無駄話を聞くことよりも、どうやって自分の身の安全を守るかの方が、僕にとってはよっぽど大事なことだった。


 入学式が終わったあと、僕は自分のクラスである1年C組の教室に入った。


 校舎と同じように無個性な教室、日本全国どこの学校にもある、あの机と椅子が並んでいる。


 最初の席は50音の出席番号順だったので、僕の席はアズミの後ろだった、なんたってアズミは『葵』 僕は『赤井』だからね。


「皆さん、私がこのクラスの担任の上杉英美里うえすぎえみりです。これから1年間、よろしくお願いします」


 上杉先生の挨拶はよくある美辞麗句を並べたもので、特筆したくなるようなことは何もなかった。


「それじゃあ、みんなに自己紹介してもらおうかな、出席番号順だと、えーと……葵さんからね」


「はい!」


 突然始まった自己紹介タイムだが、コミュ強のアズミがおくするわけもなく、速やかに教壇まで歩いていって、元気に自己紹介を始めた。


「はじめまして、葵アズミです。好きなものは料理とお菓子作り、あとはかわいい女の子がいっぱいいるアイドルグループとか、アイドルのアニメとかが好きです、よろしくお願いします」


「ねえ、あのコかわいくない?」


「ていうか、おっぱいおっきいよねー」


「触ってみたーい」


「何食べたらあんなおっきくなるのかなー?」


「うらやましーい」


 まったくもって、耳がよすぎるのは僕の欠点である。


 なぜかモブJKたちのひそひそ話を完璧に聞き取ることができてしまう。


 あの日、押し入れの向こうの『あの声』が聞こえてきたのも、この聴力のせいなのかもしれない。


 いらない能力だよ、無意味な能力だ……


 それにしても、自己紹介で「かわいい女の子が好き」とか言っちゃうのな、アズミよ。


 ……って、別に今時「かわいい女の子が大好き」と言っている女性はSNSにうようよいるし、言っても何も問題はないのか。


 現にモブJKたちも、アズミのかわいさとおっぱいの話しかしてなかったもんな、「かわいい女の子が好きとか変わってる」とか、そう言ったたぐいのひそひそ話はまったく聞こえてこなかったよ。


 よもや、モブJKたち、アズミが実は『恋愛的な意味でかわいい女の子が好き』と思っているとは夢にも思うまいぞ、ついでに言えば、君たちご注目のアズミの胸はFカップ! そして乳首は陥没しているらしいぞ!!


 知るまい、知るまい、君らは知るまい、アズミのことをなんにも知るまい……


 って、何、心の中でマウントを取っているんだろうか、僕は。


 バカバカしい……


「はい、ありがとうございます。じゃあ、次は赤井くんね」


「ああ、あれがうわさの……」


「たったひとりの男……」


 もし自己紹介の順番が一番手だったら、僕はひよって何も言えなかったかもしれないが、アズミが『名前と好きなものを言えばいい』という道筋を作ってくれたので、腹をくくって、教壇の前に立った。


 もちろんクラスメートは全員女子、目に入るのは女子ばかり、ここでしくじれば、僕の高校生活は、闇に包まれることになる。


 我が身の安全を守る第一歩、この自己紹介、絶対にしくじるわけにはいかん!!


「赤井優です。好きなものは日本史、フランス文学、戦前の日本文学、クラシック音楽。それと、あお……」


 あああああおああああああああおああっ!!


 何、自己紹介でサラッと「葵アズミが好きです」と言おうとしてるんだっ!!


 そんなこと言ったら、その瞬間、いろいろなものが終わる、終わってしまう。


 き、軌道修正しないと……


「あお……あお……あお……」


「ど、どうしたの? 赤井くん、大丈夫?」


「あおがどうしたのかしら?」


「なんか怖いんですけどー」


 まずい……上杉先生もモブJKたちも、僕のことを不審に思い始めている。


 なんとかごまかさないと……思いつけ、赤井優。


 何か、普通の男子高校生が好きそうな『あお』で始まる言葉はないのか!?


「あお……あお……青ヶ島です!! よろしくお願いします!!」


 切羽詰まった僕が唯一思いついた『あお』から始まる言葉は青ヶ島だった。


 そんな太平洋に浮かぶ孤島を好きな高校生がいるわけないだろう、と思いつつも、もう言ってしまったものは取り消せないので諦めるしかなかった。


「あおがしまって何?」


「桃太郎が行ったとこじゃね?」


「それは鬼ヶ島でしょ」


「あの人、変わってるのかなー?」


「見た目は悪くないのにねー」


 案の定、モブJKたちには変わり者扱いされてしまっているが、もうどうしようもない。


 しかし、卑屈になってはいけない、堂々としていなくては!


 カースト最下位の奴隷に転落しないためにも、卑屈になってはいけない!!


 僕は奴隷にならないために、背筋を伸ばして立ち、すました顔をしていた。


「えー、みんな知ってると思うけど、赤井くんは新入生……いや、この学園で唯一の男子生徒です。みんな間違ってもいじめたり、仲間外れにしたりせず、仲良くしてあげましょうね」


「はーい!」


「絶対、パシリとかにしないように!」


「はーい!」


 上杉先生は助け船を出したつもりなのかもしれないが、その言葉は僕の胸をえぐるのに充分だった。


 やっぱり、黙って手をこまねいていると、いじめられたり、仲間外れにされたり、パシリにされたりするのかな?


 いやだなぁ……それだけは絶対に避けなければ……


 僕は、モブJKたちになめられないように、背筋を伸ばし、まるで行進でもしているかのように堂々と、自分の席に帰っていった。

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