第3話「赤井の退(の)き口(ぐち)」

 そう、窮地だ。


 アズミに告白するつもりで呼び出したのに、先に「カノジョができた」などと言われてしまった。


『勝ち確』だと思っていたのに、今や猿でもわかる『死亡フラグ』が立っている。


 今、この状態で告白しても玉砕するだけ、それは無駄死に以外の何ものでもない、告白だけはしてはいけない。


 だからと言って、告白以外になんの話をすれば、わざわざ呼び出したことをアズミに納得してもらえるというのか?


 わからない。


 思いつくわけない、こんな短時間で。


 僕は将棋棋士もまっ青の猛スピードであれこれ考えてみたが、どうしても最適解を見いだすことができなかった。


「優くん? どうしたの? 今日の優くん、なんか変だよ?」


 だからと言って、このまま黙っていると、アズミに不審がられてしまう、ていうかすでに不審に思われている、アズミがそういう表情をしている。


 ことここに至れば、仕方がない。


 今の僕にできることはただひとつ。


 強行突破して、逃げるしかない。


 そう、関ヶ原の戦いの島津義弘しまづよしひろ隊のようにね。


 敵陣中央突破するしかないんだっ!!


 やるしかない!


『赤井の退ぐち』を!!


「いやぁ……忘れちゃったー!」


 僕は極力、滑稽な声でそう言った。


「え? 忘れた?」


「うん、アズミの告白が衝撃的すぎて、伝えたいこと全部忘れちゃった! だからごめん、また今度にしてもらってもいいかな!」


 僕は意図的に早口でまくし立てた。


「え? うん、それはいいけど……」


「それじゃあ、今日は他に寄るとこあるんで、ごめんね、サヨナラ!!」


 僕はそう言って、文字通り、脱兎の如く駆け出した。


「えっ!? ちょっと!! 優くーん!!」


 戸惑うアズミの声は無視して、校舎の外へ逃げ出した。


 なんとまあ……情けない。


 ふられるのが嫌で、告白せずに逃げ出すとか、それでも男か。


 男だからなんだってんだよ。


 男だから、アズミにふられるんじゃないか。


 てやんでい!!


 コンチクショー!!


 僕は島津義弘隊のように、多大な犠牲を払うこともなく、逃走に成功した。


 もちろん、井伊直政いいなおまさを狙撃して、瀕死の重傷を負わせたりもしていない。


 ひとりになった僕はアズミに会いたくなくて、あちらこちらを、あてどもなくさ迷った。


 なんたって、アズミは同じアパートの隣の部屋に住んでいる。


 すぐに自宅に逃げ帰ったら、アズミと鉢合わせるかもしれない。


 それはいつもはとても嬉しいことだけど、今日はものすごく困る。


 今日だけは、もうアズミには会いたくない。


 今日の僕は、混乱している。


 この状態でアズミと話せば、アズミを傷つけるようなことを言ってしまうかもしれない、それだけは避けたい。


 一晩経てば、一晩ぐっすり眠りさえすれば冷静になれるはず。


 明日になれば、今まで通り、アズミと接することができるはず。


 今日だけはダメよ、今日だけは……


 そう思って、アズミと別れてから、もとい、アズミから逃げ出してから、1時間ぐらいのちに、家に帰った。


 さすがにこれだけ時間が経っていれば、アズミと鉢合わせることなど絶対にないと思っていた。


 のに……


「あ、優くん……」


 なぜか鉢合わせる、アパートの階段を上がったところで、葵アズミと鉢合わせる。


 アズミもちょうど帰ってきたところだったのか、鍵を使ってドアを開けようとしていた。


 そして、アズミの隣に見知らぬ女がいる。


 髪が長くて、顔が小さい、「キレイナヒト」だ、「スゴクビジン」だ。


「アズミちゃん、どうしたの?」


「いや、優くんが……」


「優くん?」


 髪の長い美人は一瞬だけ僕のことを見た。


 その目は氷のように冷たかった……ように僕には見えた。


「そんなことより、早く中に入ろうよ」


「う、うん……」


 アズミは、その髪の長い美人とともに、自宅の中に入っていった。


 バカじゃないから、さすがにわかる。


 あの髪の長い美人が、アズミの言う『カノジョ』なんだろう。


 急に逃げ出した僕のことなんか、これっぽっちも心配せずに、カノジョとどこかで落ち合って、これから自宅デートってか。


 チクショー!!


 僕は心の中で悔しさを噛み殺しながら、アズミが入っていった葵家あおいけ202号室の隣、201号室の赤井家あかいけに、鍵を開けて入った。


 出かける前と何も変わらない、いつも通りの自宅だ。


 変わったのは僕の心持ち。


 出かける前は、アズミと絶対付き合えると信じて高揚していた気持ちが、今はもう暗く、暗く沈んでいる。


 何もやる気が起きない。


 僕は自分の部屋に入ると、カバンをベッドの上に投げ捨てて、押し入れの中に入った。


 押し入れの中には夏用の布団が入っていて、僕は何かイヤなことがあると、押し入れの中で横になって、とことん落ち込むのが常だった。


 南向きで明るすぎる部屋よりも、真っ暗な押し入れの中の方が心が休まるからだ。


 いつもだったら、ここに何時間かこもっていれば、なんだかバカバカしくなって、元気を取り戻すことができる。


「ハァ……」


 でも、いろいろな意味で大きなショックを受けた、今の僕にできるのはため息をつくことだけだった。


 何もしたくない。


 何も考えたくない。


 いいや、このまま寝てしまおう。


 アズミにふられたショックをどうにかするために、僕はふて寝を試みたし、実際ウトウトした。


 したけれども……


「アズミちゃん、本当にいいのね?」


「うん、アズミの初めて、もらってください。るみさん」


 隣の部屋からそんな声が聞こえてきては、一瞬で目が覚めるに決まってるじゃないかぁっ!!

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