第2話「窮地」
「なんだって?」
理解できなかったから即座に聞き返した。
「だからー、カノジョができたんだよ、カ・ノ・ジョ!! やだ! もう!! 恥ずかしい!!」
アズミはなぜか満面の笑顔で、ボタンが一個も取れていない学ランを着た僕の肩をバシバシ叩いてくる。
叩かれた僕は多分、無表情。
アズミの発言から何秒経ったのかわからないが、未だに理解が追いつかない。
「優くん? どうしたの? おーい!?」
動きが止まった僕の目の前で、アズミが手を振り始めた、まるで意識があるかどうか確認するみたいに。
アズミがそうしてくれなければ、僕は本当に意識を失っていたかもね。
「カノジョが……できたの?」
アズミのおかげで、正気を取り戻した僕は、絞り出すような声でそう言った。
自分でも『かすれ声だな』と思った。
「うん、そうだよ!!」
アズミの笑顔は崩れない、声も大きい。
僕と違って、明瞭だ。
「アズミに……カノジョが? カレシじゃなくて?」
「うん、優くんにだけは知っておいてほしいんだけどね、アズミね、女の子のことが好きなんだー」
すごく大切なことをあっけらかんと伝えてくるアズミ。
なぜこのタイミングで伝えてくるのか?
まったくもって理解できない……
理解できないけれども、このまま黙りこくるわけにもいかないので、平静を装って、会話を続けることにする。
「うん、そりゃ知ってるよ、アズミはアイドルとか、アニメキャラとか、かわいい女の子のことが好きだったよね、子供の頃から」
「違うよ。そういうオタク的な意味の『好き』じゃなくて、恋愛的な意味で『女の子が好き』なんだよ」
この時、僕の時間がはっきり止まった。
時間と一緒に心臓も止まりそうだったが、さすがにそんなことはなかった。
それに、おかしいな、時間が止まったはずなのに、僕の口は勝手に動いていた。
「それはつまり……アズミは同性愛者ってこと?」
「まあ、そういうことになるよねー……あっ、ナイショだよ、絶対他の人には言わないでね、お母さんにもまだ言ってないからナイショだよ、ねっ」
そう言ってアズミは、唇の前に人差し指を立てた。
『シー』のポーズを取るアズミはすごくかわいかったけれども、僕の頭は依然として混乱していた。
だけど、それを気取られたくなくて、会話を続けることにした。
「なんで、そんな大事なことを僕にだけ教えてくれたの?」
「だって優くんとは子供の頃からずっと一緒だからわかるんだよ。優くんは絶対秘密を守ってくれる、誰かに言いふらしたりしないって」
「そりゃあ言うなと言われれば、決して誰にも言わないけれども……」
「それにね」
「それに?」
「生まれて初めてカノジョができたんだよ! こんなに嬉しいこと、誰かに伝えたくてしょうがなかったんだよ!! だから優くんにだけは教えちゃったー!! アハハハハー!!」
アズミは相変わらず笑っていた。
その笑顔は、空に輝く春の太陽よりも眩しくて、僕は直視することができず、つい目をそらしてしまった。
直視すると、泣いてしまいそうだったからだ。
「そのカノジョってのは同級生のコなの?」
「ううん、年上の
「トシウエ……」
「すごくね、綺麗な人なんだよ」
「キレイナヒト……」
「うん、すごく美人なんだ」
「スゴクビジン……ユキノビジン……」
沈黙が怖くてつい、アズミに『カノジョ』のことを聞いてしまったが、いざアズミの『カノジョ』の情報を得た僕にできるのは、棒読みオウム返しだけだった。
「ごめんね、急にこんな話して。ビックリした?」
「え?」
アズミに質問されて、やっと我に帰った。
でも、帰ったところで、何を話したらいいのか、全然わからない。
「優くん、大丈夫? やっぱアズミが同性愛者なのイヤだった?」
「そんなことないよ!!」
ショックで脳味噌が回らなくても、それだけは即答した。
「ありがとう、優くんは絶対受け入れてくれるって思ってたよ。やっぱり優くんって、名前通りに優しいね」
「いや、優しいとか優しくないとかじゃないよ、今時、同性愛者だから差別するとか時代錯誤も甚だしいし、そもそも同性愛者を嫌悪するというのは西洋の価値観であって、我が国において同性愛は、少なくとも江戸時代までは特に忌避もされておらず、むしろ身分の高い人や通な人たちにとっては嗜みであって……」
「ホエー、やっぱ優くんはアズミと違って、いろんなこと知ってて頭がいいんだなぁ……ところでさー」
「え?」
僕がなぜか始めてしまった早口スピーチを、アズミが途中でさえぎってくれて助かった。
自分でもなぜ急にこんな話をし出したのか、さっぱり意味がわからなかったから。
「優くんがアズミに伝えたいことってなーに?」
アズミのキラキラ輝く大きな瞳が、僕のことをまっすぐに見つめていて、僕は突然、窮地に立たされた。
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