第4話 ペリアスの娘

「やめろ、黄泉≪よみ≫。そのお譲さんを怖がらせるのはよせ」


 私が彼女の顔を見つめ呆けていると、後ろから声が掛けられた。


 傍らには頭部の砕けた死体がふたつ。制服を着たこの学園の生徒のものと、裂かれた背広のまとわりついた損壊の激しい男性教師のもの。


 この状況で、たとえ両方ともにこの学園の生徒だったとしても、血まみれで軍刀を持った片方が、へたりこんだ泣きっ面のもう一人を睨みつけていれば尋常な状況とは思わないだろう。


 しかしその声の主は平然と、まるで少しイタズラをした後輩を叱るように、その血まみれの彼女を「ヨミ」と呼んだ。


「……奴は、この通りだ。少してこずったが、始末した」


 彼女――黄泉よみは、私から視線を外すとその人に向き直る。

 そして苛立つようにそう吐き捨てると、その人の脇を通ってその場から立ち去ろうとした。


「待て」


 短く言葉で命令し、その人は呼び止める。黄泉もそれに従った。


 呼び止めたその人、彼女もこの学園の生徒らしく制服を着ている。そしてその襟を止めるタイは、色の付いていない白地に黒のラインが入ったもので、この学園の"夜間部"のものだとわかった。


 私の籍を置く全日制の普通科のほうでは色で学年を分けられているが、夜間部のそれを見ても私には彼女の学年は分からなかった。そう言えば、黄泉のタイもその夜間部のものだ。呼び止めた彼女の後ろにも、数名の夜間部の生徒が立っていた。


「少してこずった? 奴にか……?」


 その人は黄泉の前に立ち、彼女の頬に手を伸ばす。


「っ……!」


 黄泉は触れられるとピクりと少し震え、でもその人の手の促すよう従った。

 右の頬に触れられ左の頬を差し出し、左の頬に触れられ右の頬を差し出す。その顔についた傷や汚れを確認すると、その人は彼女の頭をぽんと撫で、軽く背を押して送り出す。


「その格好で授業に出るんじゃないぞ? 寮で着替えて、シャワーを浴びてこい。以降、報告は不要だ……」


 黄泉よみはその人に不機嫌そうな態度を隠しもしなかったが、頷いてそのまま去って行った。


「さてと。君は――大丈夫かな?」


 ツカツカと、その人は私の前まで来て手を差し出す。

 黄泉に接する態度からたぶん彼女の上級生で、少なくとも一年の私よりは先輩だろうと思われた。短く髪を切りそろえ、顔も整っていて表情も柔らかい。冗談抜きで、この女子校という環境ならファンクラブの一つでも在りそうな人だった。


「あっ……ありが……ざい、ます」


 わたしが彼女の差し出した手に自分の手を載せると、ゆっくりとだが力強く引かれその場に立たされる。彼女は黄泉と並んだときと同じく、私より頭一つ背が高い。

 そしてその端正な顔のまま微笑みかけ、握った私の手にもう片方の手を載せる。


 たぶん彼女も、人間では無い。

 私へと向けるその瞳は輝く金の色で、そして瞳孔は猫のよう縦に裂けていた。


 闇夜に浮かんだ蝋燭の火の、その背景と焔の色を逆転させたような彼女の瞳。目を離すことが出来ず見つめていると、ゆらゆらと風に揺れるようにその瞳孔がゆっくりと閉じたり開いたり。ぼんやりと後頭部が温かくなって、平衡感覚を失う。そのまま何故だが、私はその瞳の中に落ちて行ってしまいそうな気がしていた。


 そしていつの間に彼女に握られた私の手から温かさを感じなくなり、指先の感覚が曖昧になっていく。


「今日あった事は気にしないで、早く忘れることだ。今夜はもう寮に帰って、明日は授業も休んだほうがいい」


 そう言うと彼女は踵を返し、いつの間にかその場を片づけていた他の生徒たちの方へ歩いていく。彼女達はドラマで警察の使うような黒いバッグに遺体を納め、そのチャックを閉じている所だった。


「でっ……でもっ! 気にしないでって言うのは、流石に……」


 でもそこで、何故だか私は彼女を呼び止めてしまう。


 異常な事態に巻き込まれているのは分かっていたし、確かにこのまま忘れた方がいいのかもしれない。しかし私によく似たあの黄泉という人の事、彼女が学園の病原だと言っていたあの寄生虫の事。あまりに衝撃的な事が多すぎて、とてもではないがそのまま気にしないで休める気がしなかった。


 私の呼びかけにその人はピタリと足を止め、そして右手で後頭部を掻く。やれやれと言ったふうに手で他の夜間部の生徒たちに指示を出すと、私に向き直って再び近づいてきた。


「まあ、そりゃそうだ……ゴメンね。こんな事があったのに、”気にしないで”なんて無神経だったかな?」


 ハハハと、先ほどよりも柔らかく笑う。


「ただ一応、今すぐに何でもは説明できないよ? 私達も忙しいし、君はすぐにでも身体を洗ってゆっくりと休むべきだ」

「そう……ですよね」


 地べたに座り込んでいて、私の制服は泥だらけだった。

 それにポツポツと飛んできた血飛沫も制服に染みを作っていたし、気付くと私は立っているのも辛いくらいに全身がだるく、節々も痛い。たぶん今、彼女に向けている顔も目元が腫れて酷い事になっているんだろう。


「さしあたって、答えられる事を言っておくと……まず、あんな化け物はこの学園でもそうそう暴れたりしない。それにちょっと触られたくらいで、あいつ等の仲間になったりもしない」


 彼女はあの、三島だったものが入っている黒い袋に目をやった。


「一応私たちは、こう言った問題を取り締まってる立場なんだけど……その、生徒自治の一環としてね? だから、もう君が襲われる事はないし、そこは安心してくれていい。あの子の事とか、あの化け物とか……色々気にはなるだろうけど、詳しい話は後日にして、それまでは寮にもどって休んでいた方がいいかな。すぐに寮母さんや先生にも伝えておくけど、明日か明後日まで授業も休んで寮からは出ないほうがいい」


 それなりに真剣な口調だが、いかにも胡散臭い話しだった。いろいろとちぐはぐな気がするし、隠している事なども多そうだった。しかしだからこそ、私は丸めこむようなその指示に従った方がいいとも考えた。


「ちょっと、美和みわ

「ハッ」


 彼女が呼ぶと、作業をしていた生徒の一人がサッと傍へ来た。


 私のように髪をショートに纏めた子で女の子らしいと言えばらしいのだが、中性的なこの人に雰囲気はすこし似ているかもしれない。その子は私に目もくれず、呼んだ彼女の横に立つと無言で指示が来るのを待った。


「今からこの子を普通科の寮へ送ってやってくれないか?」

「はっ……分かりました」


 その子は私をちらりと見ると一瞬表情を崩してこちらを睨むが、すぐに澄ました顔になり彼女の言葉に了承する。


「えっと、君……」

よる、です。笠原夜かさはらよる

「そう、夜さんね――私は、鼎≪かなえ≫。一応、夜間部の三年で。こちらは、君と同じ一年の美和みわだ」


 仲良くしてあげて、と爽やかな笑顔を双方に向けるが、そんな状況でも雰囲気でもなかった。美和みわという生徒は、「夜さん」と彼女に呼ばれる私を睨みつけ、明らかに気にいらないというふうである。これから彼女に送られていくというのは、むしろ彼女に何かされないか心配なくらいだった。


「それじゃあ、私は行くから。また、いずれ」


 互いに無言の私達を残し、他の作業をしている生徒たちの方へと行ってしまう。

 彼女達はスラリと背の高いかなえさん以外さほど大柄という訳でもなく、ましてがっちりした体格でもなかった。しかし、その中の二人がそれぞれ遺体の入った袋を肩に担いでおり、他の人達と肩を並べてゆうゆうと運んでいく。


 気付くともう辺りは暗く、彼女達の輪郭もぼんやりとしていた。


「それで、貴女の部屋はどこなの?」


 ボーっと鼎さんの後姿を見つめていると、美和さんが声を掛けてきた。

 私も大概、話す時抑揚を付けないが、彼女の声はさらに掃き捨てるような語尾だった。あの鼎さんに返事をする時とは、まるで違っている。


「あの……やっぱり。その、同じ学園の敷地内だし……」

「貴女。その学園の敷地内でこうして襲われたのを、忘れたの?」


 口調こそ丁寧だが、私にそう接しようという態度は感じられない。


 明らかに何も考えず口にしてしまった私を馬鹿にして、それどころか何故その言葉を鼎さんに直接言わなかったのかという非難の色まで浮かんでいる。あの人に直接そんな事を言って困らせてしまっても、やはりこうして彼女に睨まれる事になりそうだったけど。


 私は仕方なく彼女に部屋の場所を教え、一緒に寮の自分の部屋へ戻る事にした。美和さんは一応鼎さんの命令には忠実なようで、黙って私を送ってくれた。そんな所まではいいと言ったのだが、昼間部の寮まで一緒に来て、私が部屋に入るまでキッチリと。


 私は彼女に見守られながら部屋の扉を閉め、一人になってようやく一息つく事ができた。


 ドアの向こうの気配が消えるとフラフラとベッドに近づき、そして倒れ込む。

 泥を軽く払っただけで、制服は未だ汚れていて血も付いている。鼎さんには身体も洗った方がいいと言われていたが、最早起き上がって何かをしようという気力も残ってはいなかった。


 耳を枕に伏せることで響いてくる心音が、次第に強くなっていく。手足の冷たくなった関節に血が通って行くのがわかった。心臓はドクンドクンと締め上げるように脈を打っているのだが、安心しきって自分の部屋で感じるそれは何処か、スポーツのような淡い快感を伴っていた。


 私はその感覚をずっと感じていたくて、そのままベッドに沈んで行く。


 目を閉じると、黄泉よみという人のあの瞳孔の大きな眼が瞼の裏に浮かんでくる。彼女は何故か私に似ていて、彼女は恐ろしいくらいに強く、そして彼女は残虐だった。黄泉が目の前で戦っていた間ずっと、私は恐怖に打ち震えていたが、それは容赦も無く、その場から逃げることも、無視することも私に赦さなかった。


 ただ結果的に彼女によって私は助かり、あの恐怖の代償によって、ジワリジワリと私の日常を犯していくあの男性教諭は死んだ。私を犯していく日常は消えてしまった。もうあの教師に悩まされる事も無く、同級生達に言いがかりを付けられることも――少なくとも、あの教師のファンはしばらくは大人しくなるだろう。


 恐ろしいような、でも都合のいいような。

 もしかしたら先ほどまでの事は全部夢で、私は自分の暗い願望を夢に見ていただけなのかもしれない。実際には三島みしまは生きていて、明日も私の身体をいい訳をしながら触ってきて、クラスメイトたちはまた昼休みの続きをまたするのかも。


 でもあんな事があったから、きっと私は以前よりも大丈夫だろう。きっと、そんな気がする。


 明日同級生達にリンチをされて箒の柄をアソコに突っ込まれたって、夢の中で黄泉に血を吸われて無残に死んだ三島みしまよりはましだろう。明日また三島のシンパに呼び出されて嫉妬した彼女に切り刻まれたって、夢の中で三島に殴り殺されたあの先輩よりはマシだ。もしも明日三島に呼び出され良いように身体を弄ばれたって、夢の中で遺体をボロボロにされて、気持悪い寄生虫に脳を犯されていた彼よりも、ずっとマシなはずだった。


 私はクスクスと心の中で笑い、眠りに落ちていく。


 明日への不安も、衣服の肌に腰擦れる感触も、もう何も気にならない。

 まぶたの裏にはあの子の顔。暗い瞳の彼女が、私によく似た彼女が、醜い寄生虫になった三島をぺろりと食べてしまうのを、眠りに落ちるまで思い浮かべていた。

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the Throne of the Blood ――女王殺しの吸血鬼―― 黄呼静 @koyobishizuka

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