第2話 クレーシス

「なあ、よる。ちょっといいか? 少し、話をしようと思ってな」


 この教師が私をこんな風に頻繁に呼び出すのは、どういう意図があるのだろう。


 私が三島みしま先生の方へ進んでいくと、彼もまた私と気安い仲のように肩を抱いて、廊下の奥、階段の踊り場まで連れて行く。先ほどはあんな事があったばかりなのに、私はこの教師にそうされると、身がすくみ自分の意志で動く事が出来なくなる。


「まったく、あいつらも……なあ夜、大丈夫か? 本当は何か酷い事をされてたんじゃないか?」


 気遣うように私の肩を抱き寄せ、耳や頭に吐息をかけるように話す。

 手のひらで肩をもみながら、指先ではイヤらしく鎖骨を撫でる。


 この教師に抵抗せず身を任せている事が、彼への好意に思われているのかもしれない。こうしてされるがままにこの教師の胸に収まっている事が、ヘンに色目を使っているのだと、他の生徒に見られているのかもしれなかった。


 だけどこんなことは、私の意志では決してないし、まして望んでいるわけでもないのだ。


 もしかすると、この教師がこんな風に私を扱うから、クラスメイト達は私を目の敵にしているのだし、彼女たちがそうだから、この教師は私にこんなことを言ってくるのかもしれない。だけど、たとえその中心に私という存在があるとして、私自身にはどうしようもないことだ。


「心配なんだよ、俺は。夜があいつらに良いようにされて、夜が嫌な思いをしてるんじゃないかって……」


 彼は自分のものだと確かめるように、何度も私の名前を呼ぶ。声のトーンを落として、彼は生温い息を吐きかけてくる。右手で私の首やうなじを撫で、髪の毛を持ち上げて息をそこに含ませてくる。

 ハアハアと、今日はいやにその男の息が熱い。


 私はただ何も考えず、何も感じないように、身をすくませて踊り場の窓の外を見つめる。歴史だけは古い、木造洋風の校舎は、外から見れば随分と綺麗に見えるだろう。校舎裏には尖がり屋根の時計塔の影がのび、奥の森には誰か髪の長い生徒が佇んでいた。


 彼女は肌が浮き上がるように白い、綺麗な人だった。


「だから、何かあったらいつでも言ってくれよ、夜。俺が、お前のヤりたい事をやってやる。お前のシたい事をしてやるからさ……」


 私がそれに頷きもせずされるがまま黙ってていると、やがて満足したのか肩をポンポンと叩いて彼は去って行った。


 彼のいた場所、その手の触れていた箇所が急に涼しくなり、同時に彼のその場に残した匂いが漂ってくる。溜まった埃のような、古い油のような。とにかく気持ち悪くて嫌なニオイ。


 こうしてその残り香を嗅ぐだけでも不快なのに、先ほどまで居た彼の喉の奥や、彼の皮膚の皺の間には、その発生源がこびり付いているのだろうと想像してしまう。


 私は彼に息を吐きかけられた髪や触られた肌を、手で払うのも拭うのも嫌で泣きたくなる。フーフーと、全力疾走をした直後のように息が荒くなり、こめかみが痛くなっていた。


 いつも私は、怒りも悲しみもそれが去ってしまった後に気付く。

 気付いて、どうしようもなくなる。


 私を本当に助けてくれるつもりなら、何かあったと思った時にそう行動してくれればいい。教室に来た時に、クラスメイト達に何があったのかを問い詰めてくれればよかったのに。結局は彼もあの古典の教師と同じで、大勢の生徒たちの敵にまで回るつもりはないのだ。


 どうやらあの三島という教師は、他の生徒達には人気があるらしかった。

 私がこんな風に評するのはおこがましいのかもしれないが、確かに彼は容姿は悪くないのだろう。とてもそんな歳には見えないが、聞くところによると、私たちが生まれる前からこの学園にいて、女子ばかりの環境になれているようでもあった。生徒たちの冗談にもよく応え、彼女たちの相談にもよく乗っている。


 ただし、良くない噂もささやかれていて、教え子に手を出していたとか、過去にはそれで何か事件があったとか。もしそれが本当ならば、なぜこうした教職にいまも彼が就いているのかわからない。もしかするとそうした怪しい噂や危うさが、思春期の彼女達の好奇心を引くのかもしれなかった。


 そしてどうやら不本意な事に、どうやら私は彼のターゲットにされているようだった。


 どうして私のような相手を選んだのだろうか。

 大人しくて、無力で、反抗できない相手を選んで、自分の言う事を気かせるのが好みなのだろうか。きっと私に自分から従うように仕向けさせたくて、あの嫌がらせの数々も、それに耐えるだけの私も、彼にとって都合がいいのだろう。


 だからいつか私があの教師に助けを乞えば、見返りに求められるのは……


 私はまた、窓の外に目を向ける。

 森に佇むあの綺麗な長い髪の生徒は、いつの間にか立ち去っていた。



***



 あの三島という教師に呼びだされた後。

 トイレの掃除用具入れにモップをもどし私が教室へ帰ると、皆の視線が突き刺さる。


 ただし先ほどの様なクスクスと小馬鹿にするような笑い声は聞こえず、殺伐とした無言の中で、明らかな敵意の眼が向けられていた。彼女達に反応しまいと平素な表情を作る私の態度は、今の彼女達には優越感を持って人を見下しているようにでも見えるのだろうか。


 しかし先ほどとは打って変わって彼女達は鋭い視線を向けるのみで、特に私に何かしようとはしてこなかった。あの続きをするのにも時間が足りないのかもしれないし、彼女達もいくぶんか冷静になったのかもしれなかった。


 あまり楽観視はできないが、彼女達が何もしてこないと言うのに憂いていても仕方がない。私は席に戻って、何かイタズラをしかけられていないかと注意深く机の周囲を調べた。


 鞄も椅子も、机の上もその中も、いつもの通り。

 教科書やノートに新しい落書きが追加され、いたるところにゴミが突っ込まれ、わざわざどこかのゴミ箱から拾ってきた使用済みの生理用品が、椅子の上に置かれていた。


 私はゴミに混ざって入っていた購買の袋を裏返し、手袋のようにそのゴミを掴んでその中におさめるていく。他のゴミも、新たに後ろから背に投げつけられたゴミも、その上から押し入れる。普段ならもっと苛々とさせられるところだが、今日はもう疲れ果てていて、ルーティーンの様なそのやり取りに、何故だかすこし安堵していた。


 ゴミを片づけ教科書がそろっているか確認していると、机の上の次の授業である英語の教科書に、何か見覚えのない紙が挟まっているのを見つけた。普段同級生たちが悪口を書いてよこす物とは明らかに違い、ルーズリーフに書かれ几帳面に二つ折りにしてあった。


 何だろうと思い、教科書のページごと開いて中をみると"放課後、校舎の裏に来い"と黒のボールペンで無機質な文字。どうにも普段のクラスメイトたちの手口とは明らかに違っていたが、それを言うなら現在の彼女達の態度も普段とは違っていた。


 どうやら私が三島先生と話している間に、この紙はしこまれたようだった。

 しかしその間にも他の同級生たちは、態々ゴミ箱の中から生乾きの生理用品を持ってきて、購買のパンの袋やその他のゴミを私の机や鞄につめていたはずだ。


 だから彼女達は先ほどまでは普段通りに昼休みを過しており、そして私が教室に帰ってくる直前に、誰かがこの奇妙な紙を挟んで待っていた事になる。


 まあ、彼女達の挙動の原因が、この紙にまつわるものだとしたらの話だが……


 私がそんな事を考えてその紙を見つめていると、ガサガサと何かを荒く擦る様な振動が教科書から手に伝わり、指先を尖った何かで細かく、そして規則正しくチクチクと突かれていく感触がした。


 そしてその振動がバリバリとさらに激しいものになると、ヒョコヒョコと長い触覚を揺らし、教科書の端から大きなムカデが現われる。


「ヒッ……!!」


 私は声にならない声を上げ、その教科書を手から落としてしまった。

 教科書の背が床を打つ音、バサッとページの重なる音がして、足元で閉じる。浮いたページの隙間からカサカサ音がして、その間であのムカデがもがいているのがわかった。


 私はすぐにでもそこから飛び退いて一刻も早くその教科書から離れたいのに、いつもの教室という環境が私を縛る。


 その時私の頭を巡っていた思考は、他の同級生達に動揺を与えてはいけない、玩具にされるような隙を与えてはいけないという一心で、慣れたそれに身体も従ってしまう。しかし、普段見ることのない大きなムカデという存在も、私の神経を酷く興奮させるものだった。


 教科書の端からモゾモゾと這い出したそれは、濃い緑の背にオレンジの頭や足、触覚を持っていて、長さは十五センチメートルはありそうだった。


 波を打つように規則正しく脚は動いているのに、頭から三分の一ほどの部分を左右に不規則に振り、周辺をヒタヒタと触覚で撫でながらゆっくりと進む。先に行くにつれ細くなった脚や触角の末端は、ヘモシアニンの血液が透けて青みがかって見える。ウズウズと無数の脚は素早く動き、しかし長い体からすればジワジワとした速度で、私の足元を這いまわっている。


 もしもこれが、私の方に来たらどうなるのだろう。

 上履きの上を這って、その中に入り込むのか、脚を伝って上るのか。先ほど指の上を這ったように、尖った爪の付いた無数の脚で、怖気そのもののように皮膚を這いまわるのだろうか。そしてもし、私がこのムカデに怖がってる事が同級生達に知られたら……。


 きっと、単に顔に張り付けられるのなら良い方だろう。彼女達は新しい玩具の遊び方を知った子供のように、分別のある人間ならば考えられないような事を私の身体に試すはずである。たぶん、先ほどのように。


 息を整え、しばらくそのまま見つめていると、そのムカデは机の陰に逃げて行き、次第に私も身体の力をとりもどす。どうやら周りの同級生たちは、私が単に落書きにショックをうけて教科書を落したと思ったのか、ムカデの存在にはには気付いていなかった。


 或いは単にムカデを机の中に入れた事が彼女たちのイタズラで、満足し内心ではほくそ笑んでいるのかもしれない。とにかく、それ以上彼女達が私に何らかのアクションを起こすことはなかった。


 結局、私は自分から何か付け入る隙を見せる訳にはいかず、何も無いかのように振舞って教科書を拾った。それからムカデは机の陰から他の何処かへ行ってしまったのだと自分に言い聞かせ、いつものように席についてその後を過した。


 英語の授業もその後の倫理の授業も、ふいに髪や衣服が肌に触れあう感覚に耐え、波のようにぶり返す"何処かにムカデが潜んでいて気付かないうちに私の服の中を這いまわっているのではないか"という不安感と闘いながら、授業を受け続けた。


 奇妙な事に同級生たちはその間私に何もしてくる事はなく、その点については平穏に過ごすことが出来たけど……。



***



 放課後になると、ずっと奇妙な態度を見せ続ける同級生達を尻目に、私はあの紙に書いてあったように校舎の裏へ向かう事にした。


 自分でもなぜそんな指示に従うのかは分からない。結局コレも私をイジメて玩具にしようという誰かの思惑なのだろうし、行って受ける事になる嫌がらせも、行かずに受ける制裁も、どちらも同じような物だろう。本当に今度こそ、人として、ひとりの女として、大切にしなければいけない何かを失うような可能性すらあった。


 ただどうしても、今日私はこの後いつもなら何も考えずに過せるはずの暗く静かな寮の部屋で、あのムカデが今も衣服の下を這っているのでは、という不気味な不安感を抱かずに過す自身が無かった。なんでもいいから意識的に動いて、常に衣服や身体の擦れる感覚をどこかに感じていなければ、実際に指先に触れたあの虫の感覚を、どうしても忘れることが出来なかったのだ。


 はたしてそこで私を待っていたのは、トイレのモップを持った同級生達や、私にあらぬ嫉妬を燃やす三島教諭のシンパたちではなかった。

 いや、彼女がその後者の一人では無いと言えないが、少なくともその集団では無い。


「あんたがカサハラヨル? 普通に、ブスじゃん」


 私をそこで待っていた人はブルーのリボンでカラーを止めており――つまりこの学園の二年生の先輩で、濃い目の茶髪を後ろで縛った勝ち気そうな顔の生徒だった。


「あの、何か……?」


 私はどう表情を作っていいかわからず、普段通りの声のトーンで尋ねる。

 感情を表に出さず、抑揚も付けず。


「なにそれ? アンタ、舐めてんの?」


 私はさしてどんなつもりでもなく、自分の話しやすい通りに話したつもりだ。相手の望みどおり、差し障りのない話し方があるのなら教えてほしいくらいだった。


「アンタさ……最近、克之先生に色目使ってるって、聞いたんだけど?」


 克之……カツユキ……

 そういえば、あの三島という教師は、そんな名前だった憶えがある。

 つまりこの先輩も彼のシンパで、実際にはあの教師に付きまとわれている私が、彼に色目を使っている泥棒猫にでも見るらしい。もしもこの先輩とあの教師が仲良くなって、それで私に付きまとうのを止めてくれるというなら、彼女とは協力し合えるかもしれない。


 しかしきっと彼女にそんな話をしても逆上させてしまうだけだし、今は彼に色目を使われて、傷ついた彼女のプライドを慰めてやらねばまともに話しも出来ないのだろう。他に誰もいないようなので、彼女一人にこの場で何発か殴られるくらいなら、私自身もそれでいいのかもと考えていた。


「――そう言う訳でさ、アンタここで死んでくれる?」


 そう言って、彼女が取りだしたのは一本のナイフだった。

 ステンレスの綺麗な新品のもので、どこから持ってきたのか分からないが、折りたたみ式のバタフライナイフというものである。


 これはいったい、どういう意味なのだろう。


 彼女は私を殺すと言って、実際にナイフを持ち出して、それを私に突き出している。先ほどはクラスメイト達に、モップの柄で犯されそうになって、三島先生には暗に関係を迫られて、今は見ず知らずの先輩に殺されそうになっている。

 私はいま、ドラマか映画の世界に迷い込んでいて、この風景は張りぼてか何かなのだろうか。


「アンタ……やっぱ舐めてるよね? 『そんなナイフ一本見せられたくらいじゃ驚きません~』って? 言っとくけど、本気だよ? アンタ一人くらい殺したって、隠すぐらい私にはカンタンなんだから」


 ニヤニヤと笑いかけながら彼女は私の目の前まで来て、鼻先にそのナイフを突きつける。


 とんでもない誤解だ。

 私は本当にそのナイフに驚いており、ただどうしていいのか分からなかった。


 心臓や手足が冷え、自分のものでないように重く感じる。呼吸は浅くなり、目の前のナイフが肌を切り裂く瞬間を、頭の中ではどれほど痛いのかと想像し、無意識のうちに反芻していた。

 まるで予め覚悟していれば、その苦痛に耐える事が出来るというように。


「なにスカしてんだって、言ってんだよぉ!?」

「ヒッ……っ!!」


 逆上した彼女が、襟の隙間からナイフの先を滑り込ませ、胸の中心を突いた。

 皮膚が押しつぶされ胸骨に当たり、実際にナイフの先は一ミリメートルほども皮膚へ入っていないというのに、胸全体に重くツンとした痛みが走り、苦しくなる。そして痛みを感じた瞬間ビクリと身体が震え、身体の全ての感覚が生々しいものとして感じられた。


 それまで鈍い肉の塊のようだった身体が、突然に自分の意識の下に帰ってきた。


 私は急に自らのものとなった手足を上手くコントロールする事が出来ず、腰が抜けてその場にへたりこんでしまう。


「フッフフッ……なに? もしかして今まで、ビビって固まっての?」


 その先輩は、少しだけ満足したというように私に笑いかける。


「やめっ……た……けて」

「言ったでしょ、コロスって。貴女今から、私に切り刻まれて死ぬのよ? どう、怖い?」


 もちろん、怖いなんてものではない。

 少し突かれただけでこれほど痛いのに、これから彼女の嗜虐心を満たすまで、私は何度も何度も刺され、皮膚を切りつけられるのだ。ちゃんとお昼を食べて空腹でなかったら、今頃は嘔吐して、きっと失禁していたことだろう。


  私がその場にうなだれて膝を着き、先ほど刺された胸を手で押さえていると、彼女に左腕を掴まれ捻り上げられてしまう。小指を手の甲の側へ曲げられて無理やりに腕を伸ばされ、袖をまくられる。


「白い肌ね。でもパックリ開いて覗いたら、中はどんな色なのかしら?」


 彼女の声が耳元で囁かれたように、ぞわぞわと頭の中に響く。

 思わずナイフで腕を裂かれ、その皮膚をミチミチと引き剥がされることを想像してしまう。


 私が眼の焦点を失い、必死にその痛みに耐えようとしていた時だった。


「――おい、何をしている?」


 誰かの声がして、フッと腕が解放される。


「あっ……いえ、これは……」


 先輩の動揺したような声が聞こえ、素早くナイフが何処かに投げられる。


「夜? 夜じゃないか? どうかした、この先輩に何かされたのか?」


 ザッザッと草を踏みしめ、茶色い革靴と灰色のズボンの裾がやってくる。

 その人物は手を伸ばし、そして脇に腕を通して抱きかかえるように私を立たせる。声色とは裏腹に口元を少し緩ませて、立ちあがった私の髪を撫でるその人物は、あの三島という教師だった。


「ホントにどうしたんだ? そんな所に座り込んで。体調が悪いのか? 違うよな? 何かあったかこの場で言ってごらん? 俺に何をして欲しいんだ? えっ?」


 そうして私の顎や頬、耳の裏を手で撫でながら何があったのか顔を近づけて聞いてくる。


「あのっ、先生。その……この一年が何か調子悪かったみたいで。それで私、保健室に……」


 すると私を呼び出した先輩が、それを取り継ぐように答える。媚びるような上目使いで彼を見て、おずおずとだが自分に彼の興味を引きたいという態度が見え隠れしていた。


「おいっ!」


 ゴッ……という鈍い音。


「この一年っ……じゃあ、ないだろっ! 笠原っ……がっ……体調が悪かったってっ!?」


 ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッと鈍い音が連続する。


「下らないっ……ウソをっ、つくんじゃぁっ……ないっ!!」


 そう言いながら、突然三島先生が目の前でその先輩を殴り始める。

 直立した姿勢のままで振り被らず、肘を肩の高さまで上げ、自身の胸ほどの高さの先輩の顔面に拳を打ちつける。怒気を含ませながら、たぶん、この壁を隔てて校内の人には分からないくらいの声で、叱りつけながら。


「なあっ、言ったよなっ? 俺はっ、笠原夜かさはらよるにっ……お前たちは、手を出すなって!」


 彼女は防御するでも逃げるでもなく、フラフラと殴られるたびに頭を揺らし、彼に目を合わせ直立した姿勢のままその拳を受け続けた。そして三島も、激しい怒りをぶつけるふうでなく、何か彼女に指導の名目でするふうでもなく、少し逆上せた頭を単純な作業で落ち着けようとするかのように、ただ淡々と拳を振り続けた。効き手のみを使い、ただ淡々と。


「この子はっ、特別だってっ! お前たちがっ……玩具にして良い相手じゃないってっ!!」


 次第に起き上がり子法師のように、彼の胸の前へ顔を出す先輩の身体が大きくふらつき始め、ハッハッと呼吸が浅くなっていく。


 目を向けるとその先輩の顔の左半面が赤黒く大きく腫れあがり、右の顔の皮膚もそれに引っ張られ能面のようになっている。そして目や鼻、口からは鮮やかな血がタラタラと流れ続け、膨れ上がった痣も潰れて所々切れている。


「全くっ……お前たちはっ! 躾のなっていないっ、犬風情がっ……!! ハァ、フゥ……」


 言い終えたところでその先輩は地面に倒れ込み、三島は気が晴れたというように呼吸を落ち着ける。先輩はその場に倒れ、ヒッヒッと引きつるような呼吸を繰り返し、痙攣している。見るとスカートの股の部分は塗れ、同時に嫌な臭いも立ち上ってきた。


「なっ? 言っただろ。お前がシテほしいように、俺はしてやるって」


 三島はポケットからハンカチを取り出して右手を拭くと、未だ何が起きているのか理解できない私の肩を抱き寄せその手で私の頬を撫で、顎を撫でる。

 首筋ををツツと指で撫で、鎖骨へと伸ばし始める。


「どうした? 意地悪な先輩を叱って貰って、嬉しくないのか? お礼はどうした?」


 肩を抱いた左手を襟から滑りこませ、未だズンと重い胸へと手を伸ばす。


「あっあの……せん……ぱい、は?」

「ああ、吉崎か? こいつは気にしなくていいよ。言う事を聞かないんだから、仕方ないだろ?」


 私が尋ねると事も無げに答え、「夜は優しいなぁ」と、左手を一旦抜いて頭を撫でる。


「どうだ、他にお前に嫌がらせする生徒はいないか? 俺は頼りになるって分かっただろ? お礼もまだちゃんと言われてないし、今から俺の部屋に来なさい。そこで話しもうんと聞いてやるから。どうだ? 嬉しいだろ?」


 ギュッと私の頭を引き寄せ、胸に抱く。

 右手を制服の襟に掛け、そして肌蹴けさせ始める。

 先ほど先輩に刺された胸のあたりをクリクリと指で撫でまわす。

 そして私の顔に生温かい息を拭きかけながらその顔を近づけ、私の唇を……


 ――ボッ、パァン!!


 その瞬間、勢いよく乾いたシーツを広げた時のような音、何かを叩きつける様な音がして、私の横で三島教諭の頭が弾け飛んだ。

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