第5話 ボーカリスト
あのスタジオに行った次の日から、岩垣先輩の付き纏いは無くなった。
校内ですれ違ったり会ったりしたら挨拶をしてくれたり、
「またスタジオ遊びに来いよ」
とは言ってくれるものの、それ以上に何か言われたり誘われたりはない。
約束通りではあった。
「思ってたより下手だったのかな?」
昼休みの時間、教室で昼食を取っているタイミングで思わず若菜に聞いてみた。
「えっ?」
「あんなに熱心に誘って来てたのにさ、何もないから…」
私の話に、若菜は溜め息をついた。
「べた褒めだったじゃん。あの後も3曲リクエストされて歌って、大好評だったよ?」
あの日はそうだった。
ショウから歌って欲しい歌があるとリクエストされて歌った。
「覚えてないの?ボーカリスト引き受けてくれるならまたスタジオに来て欲しいってホダカさん言ってたじゃん」
私の席に椅子を寄せて座る若菜は言った。
「いや、そうだけど…」
褒めてくれたのも、誘ってくれたのも、ショウとホダカさんで、岩垣先輩からはあの後何も言われてない。
「やりたいの?やりたくないの?美空はどうしたいの?」
「それは…ちょっと…」
「ちょっと?」
「まだわからない」
正直な話、感じたことのない爽快感だった。
歌っていてあんなに気持ち良くなったことも初めてだった。
「楽しかったならやればいいのに」
若菜はお弁当を食べながら言う。
私は市販のパンにかぶり付いて、言葉を濁した。
スタジオを訪れて5日くらいしか経っていないけれど、あの感覚は忘れられなかった。
何をしていても、頭の片隅から離れなかった。時間が経てば立つほど、それをリアルに思い出した。
「美空?」
学校の帰りのバス車内で呼ばれて見上げたら、ショウだった。
「えっ!?」
驚いて思わず立ち上がった。
私の反応に笑うショウ。
空いていた隣の席をすすめたら、ショウはありがとうと座った。
「学校の帰り?」
「いや、俺学校行ってないから。今から崇の家に遊びに行く」
崇とは岩垣先輩。
「学校行ってないの?」
「うん。ほら、俺って日本人離れしてるでしょ?イジられちゃうから学校イヤになって」
爽やかに答えてくれる。
「でも勉強はしてるよ。家庭教師付けて貰って。だから大丈夫」
あまりにもにこやかに話してくれるから、普通に納得してしまう。
「…辛かったね」
私の言葉にショウは笑顔を見せてくれた。
「美空は優しいね」
優しいキラキラした笑顔でこちらを見て言うショウ。
美形過ぎて思わず目をそらした。
「ボーカル、引き受けてくれる気になった?」
「…えっと」
「うん」
ショウは独特の雰囲気を持っていた。
懐に入ってきてくれるような、優しい雰囲気。
「私、ショウ達みたいに歌を極めてたわけじゃないし…場違いなような。カラオケしかしたことないし」
バンドに入る資格があるのだろうか。
「俺もドラムはじめたの去年からだよ。崇に声掛けられて」
驚いた。
「本当に?」
「うん。崇の兄貴が俺の家庭教師の先生の1人で、それがきっかけで出会ったんだけど、俺のピアノ演奏聴いて崇にスカウトされたんだ」
岩垣先輩にスカウトされた人が私以外にも居た。
「崇ってさ、結構職人肌なんだよね。納得した相手じゃないとバンドに入れない」
「そうなの?」
「うん。ボーカルなしでこの1年来たからね」
ショウは私の顔を覗き込む。
「美空は選ばれたんだよ。自信持って大丈夫」
優しい笑顔で私の背中を推してくれた。
ショウは出会った時からずっと優しくて、いつも私を助けてくれた。
それははじまりから終わりまでずっと。
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