不浄の女王 (Druj Nasu) vs. 不滅の女王(die Unsterblichkeit)

 風俗街の一角にある古いビルの地下で,祠に願い事をする少女の姿があった。高校生になる前に男に騙され,身に覚えのない借金を背負わされ,薬漬けにされて身体を使って毎日男たちの性処理をさせられて,日々返す当てのない借金を増やさられ続けていた。


 少女は薬さえ与えられていれば機嫌がよく,自らの意志ではなにも判断もできず,薬が切れると誰にも見られることなく地下の祠を訪れては泣き続けた。


 少女は祠の前にいるときは常に死にたい,殺してくれと懇願し,泣き疲れると,意識を失いその場で倒れた。


 毎回,黒法衣が少女を風俗街の裏路地まで連れていき放置すると,顔見知りの男たちが黙って少女を連れて店へと消えていった。


 どんなに若くても薬でぼろぼろになった身体は,ドゥルジ・ナスにとって餌としても材料としても価値がないため何度祠に来ても少女を連れて行くことはせず,ずっと放置していた。



「お前たちの記憶は共有した。復活したサキュバスか,それにしてもどうにもおかしな話だ。本来,低級で能力も低いサキュバスが境界線も行き来していたようだし,問題は誰がそのサキュバスの主人あるじかだ」



「あの状況下では我々四人が同時に攻撃を仕掛けられないことにも気がついていたようで,決して強いわけではないが,なんともやりにくい相手ではあったな」



「どうやら,そいつらの正体と裏にいるやつを炙り出す必要があるな。ちょうど役に立たない店のガキが地下の祠に通ってくる。そいつを餌に使ってみてもいいな」



「ああ……あのガキをどう使う?」



「かつて失敗ばかりで中断した,キメラにするのはどうだろう? すでに薬漬けでさまざまな器官がダメになっているだろう。そこを他の生物に交換してみては」



「なるほど,それならキメラはできそうだ。吊ってる連中で古くなったのを使って掛け合わせてみるのもよいかもな」



「死丸,キメラ製作はお前に任せる。それと,やつら面どもの能力を強制解放してこい。参丸,教団本部でサキュバスの情報を集めてこい。弐丸,お前は教団本部の食糧庫で力を補充だ。壱丸,吊ってる女たちがキメラに使えるか確認をしろ」



 四人は黙って頷くと湿った暗い部屋から順番に姿を消した。足組みをするドゥルジ・ナスの膝の上には重厚な古い聖書が置かれており,赤黒く変色した銀の金具がチリチリと音を立てた。


 ドゥルジ・ナスが聖書に手を置き,静かに瞳を閉じると,瞼の奥深くで黒法衣を纏った集団が瓦礫となった街のなかで足首に鎖を巻きつけられた女たちを次々と犯している光景が浮かんだ、女たちは逃げることも悲鳴をあげることも許されず,男たちが満足するまで何度も殴られ犯され続けた。


 ゆっくりと瞼を開き,魔女裁判で多くの人間と魔術師が焼き殺されたことを思い返した。女も子供も魔女と決めつけられたら最後,誰も生き残ることはできなかった。



「ウン・シュテルプリヒカイトよ。不滅の右眼を連れてお前が現れたということは,またあの時代に戻るのか……」



 聖書に置かれた指が微かに動き,ドゥルジ・ナスは変色したチェーンを指先で撫でながら再び瞳を閉じた。


 一切の灯のない地下通路の一角に誰も使わない小部屋があり,面の三人組が身を潜めていた。既に十日間,誰も来ない真っ暗な部屋のなかで身動き一つ取らずに完全に気配を消した。


 ちょうど二十日ほど前にこの小部屋の近くでホムンクルスとサキュバスが死闘を繰り広げた。壁や天井が砕け,大量の蟲の死骸や穴の空いた床がその戦いがとれだけ熾烈だったかを物語っていた。


 三人は本部の命令でその戦いの調査に来ていたのだが,気がつけば見たこともない大百足に地下通路を占領され小部屋の出入口を完全に塞がれていた。


 三人組が十日間も本部に戻らないことで,なんらかのアクシデントに巻き込まれたのは本部でも予想していたが,三人組を救助に行けるほどの能力者は本部におらず,教団は黙って帰りを待つしかなかった。



「見猿……あれはドゥルジの蟲か……?」



「あんな大きな蟲は見たことがない。恐ろしく攻撃的で毒をもっている。あれだけの大群がどこから湧き出したのかもわからない……」



「ここから出る方法はあるか?」



「いまのところ,ない……」



 三人は気配を消したまま小部屋のなかで身を潜めたが,大百足の這いずり回る音は日に日に大きくなり,数日前と比べても明らかに数が増えていてドアがいつ破壊されても不思議ではなかった。



「本部からの救助は期待できないし,誰かが来たとしても外の蟲を駆除できるとは思えない。そうなると自分たちでなんとかするしかないな……」



「聞猿,お前の聴覚で隙を見つけられるか?」



「ああ……見猿ほどクリアではないが,さっきから面が蟲たちの振動を捉えてる」



「なるほど……見猿と聞猿のタイミングで小部屋を出よう。俺はお前たち二人のような能力はないから,悪いが後ろにつかせてもらう」



 大百足の動きが激しさを増し,地下通路を埋め尽くしているのが小部屋のなかからも感じ取れた。出入口の隙間から異様な臭いが侵入してきたのを三人は瞬時に気づき,それが毒なのかそうでないのかを判断するために五感を研ぎ澄ませた。



「聞猿,言猿……厳密にいえばこれは毒ではないが,頭の奥に……いや,精神に侵入してくる……」



 それぞれの面が臭いに反応し,黒法衣たちの失われた感覚を補っている部分が激しく脈打つと同時に小部屋のなかに大百足が雪崩れ込んだ。


 大百足は三人を無視するように部屋を埋め尽くした。眼のない見猿の面に禍々しい真っ赫な眼球が浮かび上がると,まるで見猿の失った眼を埋めるように面に沈み込んだ。


 そのまま眼球がぐるぐると不規則に廻ると,見猿の身体のなかへと何百,何千もの線維を張り巡らせ新しい眼として身体の一部となった。


 言猿の面は口の部分が大きく開き,焼かれて小さくなった肌を斬り裂き,口から喉の奥までを大量の蟲で埋め尽くした。


 聞猿の面も同様に耳の部分が開かれ,耳から脳へと大量の細く白い蟲で埋め尽くされた。


 三人の面がいままでと形状を変化させ,無くなっていた部位が強調されて完全に身体の一部となった。激しい痛みと苦しみのなかで,黒法衣たちはまだ自分たちの変化に気がついていなかった。



「蟲たちのフェロモンの臭いは気づいても,その色までは見えないか……お前たちとサキュバスとの決定的な違いだな……やはり,お前たちでは歯が立たないのも頷ける」



 三人が傷だらけの顔を上げると,目の前に死丸が小柄な少女を連れて目の前に立っていた。



「強制的にお前たちの面の能力を解放した。だが,これが限界だ。これ以上能力を上げるときは,お前たちの死を意味する。この言葉,忘れるなよ」



 小柄な少女は死丸の手を握りしめて三人を見ていた。その表情は蒼白く,まるで病人のようで,どこか不安を感じさせる少女だった。



「行くぞ」



 銀色に輝く髪の毛が風に吹かれて柔らかくなびいた。木々に囲まれた公園のベンチに並んで座り,時折り散歩で通り過ぎる人たちの視線を集めた。



「なぁ,マスターの淹れるコーヒー最高だったろ? この十年間,あのコーヒーが味わえないのか一番辛かったと言っても過言じゃない」



「はいはい,わかったから。で,峻が言っていたことは本当なの?」



「ああ……あいつが俺に嘘をつく理由はない。あいつも言っていたけど,不明な点は多いけど左眼について教団が調べた資料が本部にあるというのは事実だろう」



「それにしても,あなたの左眼について知ってる者はこの世にはほとんど残っていないのに……やっぱり不浄の女王がかかわってるのね……」



 シュテルは遠くを見ながら,六百年前のあの日,広場で串刺しにされ,なにもできないままゆっくりと目を閉じ,身体が焼かれていくのを受け入れた仁の表情とその姿を思い出していた。


 槍が深く刺さった部分から血が流れ,足元から燃え上がる炎が爪先を焦がし,指が焼け落ちると,ゆっくりと炎が全身を包み込み,焼け焦げた肉が落ちて骨が露出した。


 仁が固く眼を瞑り,炎が直接瞳を焼かないよう抵抗したため眼球が熱で破裂するこを免れたが目の前で起こった地獄のような光景がしっかりと両眼に焼きついた。


 あの時,三人のオリジンの一人と呼ばれたウン・シュテルプリヒカイトは精神的苦痛と怒りに苦しむ仁を見続け,最後は狼に姿を変えて復讐のチャンスを与えた。


 実際にはウン・シュテルプリヒカイトにとって仁の復讐心よりも,想像を絶する苦痛と怒りに呑み込まれ,炎のなかで神を殺すと叫び続けた仁を生かすことで,なにかが変わるのではないかという漠然とした興味本位で助けただけだった。



「なぁ,さっきからやけに真剣な表情してるけど,悩んでてもしょうがないだろ。教団本部に忍び込んで資料をパクってこようぜ。この前のホムンクルスがきたら厄介だから,こっそりな!」



「こっそりねぇ……」



「破滅の左眼と不滅の右眼が揃うとなにかあるんだろ? なにが起こるか知らんけど,さっさと揃えて終わらせようぜ。できるだけ痛いのは避けてさ」



「両眼を揃えて,あなたの復讐心で人類が滅亡したらどうする?」



「マジ……? 俺が両眼を揃えたらそんな能力になるの?」



 シュテルは微笑んで仁を見た。その瞳は淡い緑色に輝き,長い睫毛が陽の光を浴びて透明感を増した。



「神を殺すと誓った男のくせに,人類が滅亡すると聞いてビビったの?」



「なんだろ……神様とかって実感ないから死のうが滅びようが気にならないけど,自分と同じか自分より弱い人間が滅ぶとか言われると抵抗あるな」



「あなたを拷問し,大切な人を惨殺した人間であっても?」



「ああ……人を殺して快楽を得るやつは,もはや人間でも魔術師でもないよ……。そいつらはただの害蟲と同じだよ……殺してもなにも感じないな……」



「そうなんだ……」



「まぁ,色々悩んでてもしかたない。取り敢えず,教団の本部に忍び込んで資料をいただこう。そのためにこの公園に来たんだし。それに峻もそこは反対しなかったし,あいつが反対しないってことは間違えてないってことだから」



「そうね……なにもしないでいたら,いつまで経っても先には進まないものね……」



 風に揺れる葉が音を立て,木漏れ日が公園の芝生を蒼く光らせた。幻想的な光景は二人にとって戦いの場を思い出させた。



「結局,ドゥルジ・ナスを殺らないと終わらないんだろうな……」



「ん……? なんで……?」



「え……? 黒法衣の教団って,ドゥルジ・ナスが立ち上がたんだよ? 知らなかった? 彼女が自身の身を守るためと餌となる人間を集めるために。彼女は六千年ほど前にいまの東欧の大きな街で産まれた,当時は魔女しとして恐れられた一族の一人だったの。そんな彼女を崇拝し,自らの命を捧げる人間が集まったのが教団の始まりかな」



「知らなかった……」



「黒法衣たちは崇拝するドゥルジ・ナスが造り出した悪魔の経典を持って人間や魔術師,場合によっては黒法衣自身の血を吸わせて悪魔の経典を育ててるの。あれが育つことによって,ドゥルジ・ナス自身の能力も増強されるから。ただ,千年ほど前からドゥルジ・ナスが創った教団だって知らないで入ってる人間のほうが多くなってるの」



「マジか……」



「まぁ,この国では二千年くらい前に立ち上げた教団だけど,肝心のドゥルジ・ナスが千年くらい前から暴走しててねぇ……彼女も表に出ることを嫌ってて……本人に会えばわかると思う……」



「ってか……千年単位で話してるけど,なんでみんなそんな長生きなの……?」



「ああ……長生きする一族もいれば,人間とほぼ同じ寿命の一族もいるし,魔術師にも色々いるのよ。一番長寿と言われてるのは,かつて人間たちから吸血鬼ヴァンパイアって呼ばれ恐れられていた一族ね」



「ああ……なるほど……」



「仁,あなたも私も血の濃さは違うけど,その一族の末裔でもあるけどね。それとほんの僅かだけど,峻にもその血は流れているわ」



「やっぱ,そうなんだ……俺の回復力の凄さから,薄々そうじゃないかな? とは思ってたんだよね」



 二人の間を風が通り抜け,公園で遊ぶ子供たちの声を聞きながらシュテルの横顔を見て,この平和な世界がどう崩壊していくのかを想像した。ゆっくりと流れる時間を感じながらシュテルの愛らしい姿を見ると,この平和な時間が永遠に続けばよいのにと思った。



「やっぱり,教団は潰さないといけないんだよな……」



「そうね。でも黒法衣の教団を潰しても,世界には色んな組織があるから,それらとも戦っていかないといけないのよね……アジア圏はドゥルジ・ナスがいるから,よその国から手を出されないのも事実……その均衡が崩れたら世界も動くわ……」



「面倒臭いな。勢力争いは,いつの時代もなくならないな……」



「そうね……」



 陽が陰り芝生が闇に沈んだように暗くなると,公園から少し離れた図書館の裏手に出て,立ち入り禁止の看板が立てられた扉の前へと移動した。


 厳重な鍵がかけられた重たい扉は人を寄せ付けない威圧感があり,前回二人がこの扉を開けたときには感じられなかった嫌なオーラが漂っていた。



「シュテル,準備はいいか?」



 薄暗いなかでも明るい銀髪が輝き,白い肌が透き通って見えた。シュテルが小さく頷くのを見て,仁が扉にそっと手をかけると,力一杯,一気に押した。


 甲高い音とともに扉が開き,薄暗い通路に一歩脚を踏み込んだ瞬間,禍々しいオーラが二人を包み込んだ。



「あなたこそ,準備はいい?」



「ああ……逃げる準備ならいつでもOKだ!」



「そう……じゃあ,行きましょう」



 通路の奥にあるもう一つの扉まで行くと,一息ついてから教団の地下通路へと降りて行ったが,前回来た時とはまったく別の場所に感じるほど別世界になっていた。



「これは,峻が言っていたホムンクルスたちの影響か? 俺たちが知ってるホムンクルスよりも強化された印象だけど,この短期間でそんなに変わるもんか?」



「ドゥルジ・ナスのホムンクルスであれば,常に変化も強化もする。だからあの時,こっちの能力は見せずにあなたの嫌いな肉弾戦で戦ったの。ホムンクルスはまだ私と仁の実際の能力を知らないから」



「なるほどね。シュテルはあいつらのことを知っていたってことか……」



「ホムンクルスっていうより,ドゥルジ・ナスのほうね。私が知っているのは」



「そか……シュテルも三人のうちの一人だったもんな……同じ時代を知ってるって訳だ」



 地下通路は蒸し返すような暑さと湿気で,通路全体がコケで埋め尽くされ,大量の蟲が飛び交っていた。


 一歩脚を踏み出す度に苔が潰れ,柔らかい感触が足の裏から伝わってきた。潰れた苔のなかから蛆蟲が這い出したが,一斉に二人から逃げるかのように離れていった。



「この前とは別世界だな……」



「これは完全にドゥルジ・ナスの管理する空間よ……まさか,こんな入口付近まで……」



「ってことは,既にドゥルジ・ナスにはこっちの動きは筒抜けってこと?」



「そうね……簡単に言えば,私たちはいま彼女の体内にいるのと同じようなものね」



「そか……じゃあ,ちょっと例のやつを試していい?」



 シュテルが一緒驚いた表情を見せたが,まだ敵のいない場所で,なおかつドゥルジ・ナスにはこちらの状況を知られているという状況は仁が試したいということをするには好条件でもあった。



「面白いわね。思いっきり試してみたらいいわ」



「うし! じゃあ,ちょっと結界みたいなの張ってもらえる? 詠唱してるとこを敵に見られたくないんで」



「そうね。じゃあ,二人分,小さな結界を張らせてもらうわ」



 シュテルが眼を閉じ,呪文を囁くと銀色の髪が緩やかになびき,白い肌が薄らと光を発した。スカートが膨らみ,ほんの僅かだが,身体が浮きあがり,小さな薄い紫色の膜が二人を包み込んだ。



「お,さすが! シュテルの結界はいつも心地良いな。ずっとこの中で二人きりで過ごしていたくなるよ」



 仁は峻から渡された薬を呑み,一緒に渡された黒法衣たちが持つ悪魔の経典を三冊,苔まみれの床に置いて,呪文を唱えた。仁の呪文は決まった文言を唱えるのではなく,死者に語りかける独特なもので,神を拒否する仁にとっては異質な能力でもあった。


 呪文とともに仁の右眼には,何千,何万と業火に焼かれ,槍に刺され,手脚を切断され,死ぬまで犯され続けた女たちが絶望のなかで復讐を願う姿が映し出された。やがてその思いが赫い炎となって燃え上がり,忌となり経典の中に激流のごとく流れ込んだ。


 悪魔の経典は自然に開くと,激しくページを行ったり来たりさせながら,仁の忌から逃れようとするかのようにページが音を立てて捲り続けた。


 ページの中に仁の名前が浮き出ては消え,経典から他の経典へと一気に忌をリンクさせた。地下通路内にある他の経典にも仁の名前が浮き出てて消え,経典に書かれた文字が仁によって一部は書き加えられ,一部は消去されていくと,徐々にページを捲る速度が遅くなり,最後はゆっくりと経典を閉じた。


 体力を消耗してすぐには動けないのか,仁は両手を床について肩で呼吸をし,大量の汗をかいていた。右眼に宿った負の感情はすっかり消え,瞼が激しく痙攣していた。



「シュテル,くそ不愉快なのがバッチリ見えたよ。なんだよ,ドゥルジ・ナスって。三人のオリジンとか言いながら,お前たち,ほとんど接点ないじゃねぇか。しかも……二人とも……なんなんだよ……」



「で,成功かしら?」



「ああ……ドゥルジ・ナスの腹の中ってのは正解だった。そいつの一部だっていう悪魔の経典とつながったことで,ドゥルジ・ナス本体にもつながれたし,全部じゃないがやつの……いや,お前たちの過去の一部を知ることもできた」



「まるで厄介なウイルスね。あなたのお友達,峻は恐ろしいことを準備していたのね。こんなことを考える魔術師はいままでいなかったわ」



「ああ……そりゃそうだろう。なんせ,これができるのは俺だけだ。俺のこの右眼だからこそできるのを,あいつもわかっていてここまで準備していたんだよ。あいつを敵にわましたら厄介だってことだ」



 仁が起き上がり,大きく深呼吸をすると背筋を伸ばしてから屈伸運動をした。



「つながったついでに,直接,招待状を叩き付けて来たから,すぐにドゥルジ・ナスが来るぞ」



「ほんと,無茶苦茶ね」



 二人が警戒を強めると,壁の苔が盛り上がり,人型に膨らんだかと思うと四人のホムンクルスが現れた。



「来た……」



 四人のホムンクルスは濡れた髪と肌が艶かしく,ほとんど衣服を着ていないその姿は男だけではなく女を魅了するほどだった。



「相変わらずエロいな。人間社会に出たら,四人ともその容姿で相当稼げるぞ」



 壱丸が仁を無視してシュテルの結界とその中に転がる悪魔の経典を見ながら首を傾げ,目の前の状況を理解できずに困惑した。



「なぜ,その聖書からドゥルジ・ナスを感じない? どういうことだ?」



「ああ,これか。さっき俺が浄化しといたから,これはもう,ただの趣味の悪い分厚いメモ帳だ」



「浄化……だと……?」



 壱丸は警戒しながら一歩下がると,壁に手をつき苔の中に腕を忍ばせた。弐丸と参丸は壱丸を守るように壁になり,死丸は一歩離れて全体を観た。



「仁,来るよ……不浄の女王が……」



「ああ,この異常なデカさのオーラはちょっと洒落にならないな……あっちはヤバイから,こっち行っとく!」



 仁が一瞬で弐丸と参丸の前に移動すると,力任せに弐丸の顔面に拳を入れた。その瞬間,大量の血と蟲が隣に立つ参丸に飛び散ったが,同時に手首が焼けるような熱さを感じた。


 仁は瞬時に後退し,シュテルの前に壁になるように戻り,自分の右手首が綺麗に切断され無くなっているのを視て口笛を吹いた。


 さっきまで離れたところにいた死丸が弐丸の前に立ち,鋭い鎌のように変形させた腕を構えたまま仁を睨みつけた。



「なるほど,そのフォーメーションはそうやって使うのか」



 壱丸がゆっくりと壁から腕を引き抜くと,壁が一緒に盛り上がり,壱丸に手をひかれて中から黒い下着姿の全身をタトゥで覆われた金髪の女が現れた。


 女の手には重厚な古い聖書が握られ、赤黒く変色した銀の金具から禍々しいオーラが溢れ出ていた。


 聖書から出るチェーンの先には全身に縫い針が刺さった全裸の男がつながれ,チェーンを引かれる度に男は悲鳴をあげながら激しく勃起させ,大量の針が刺さった男根が紫色に変色し射精した。



「シュテル……色んな意味でヤバイの来た……」



 仁の右手首が激しく脈打ち,肉が盛り上がり,血管と神経が絡み合い,みるみるうちに右手が復元された。


 金髪の全身タトゥー女は,状況を確認するかのようにあたりを見回すと仁を無視してシュテルに視線を止めた。



「ウン・シュテルプリヒカイト。懐かしいわね。千年振りくらいかしら? 随分と幼い姿になったのね。とっても可愛らしいわ」



「お前がいまのドゥルジ・ナスか? 随分と下品な姿だな。お前で何代目だ?」



「お互い会う度に見た目が違えど,発するオーラで認識するというのもおかしな話ね。私は四十六代目ドゥルジ・ナス,不浄の女王であり,蟲を使役する者。ウン・シュテルプリヒカイト,あなたはその身体で何代目かしら?」



「さぁ,私自身,自分の産まれた姿なんて記憶にないから……」



「そうよね。お互い,そんな感じよね。ここでお互いに殺しあっても,結局どっちも知らないところで復活するんでしょう? それでもこの戦いをする意味ってあるのかしら?」



「ドゥルジ・ナス,あなたは罪のない人間と魔術師も殺しすぎたわ。数十年後か,数百年後に復活するのかも知れないけど,少しでも長く,数千年間,できれば一万年くらい復活できないように徹底的に殺すから,そのつもりでいて」



「残念ね。同じ時代を生きたあなたとだったら,あなたが悔い改めるのなら友達になれるかもって思ったんだけど,また一人,オリジンを殺さないといけないのね……」



 地下通路の空気が一変した瞬間,金髪の長い髪が鞭のようにしなり乾いた音を立てた。不自然な態勢から黒光りするチェーンが地を這うようにシュテルの脚元を掠めると,驚くほどの速さで勃起した全裸の男が歯のない口を大きく開いてシュテルに襲いかかった。


 唸りを挙げるチェーンを避け,同時に横に飛んだが,男の動きはシュテルを読んでいたかのように同じ方向に飛び,穢らわしい手を伸ばした。


 全身に大量の針が刺さった男は身体をしならせ,シュテルの動きに合わせると,針の先から白い液体が糸を引いて垂らした。


 スカートを膨らませながら回転して,シュテルを掴もうとする男の手を避けたが,確実に距離が縮まり生臭い口臭がシュテルの顔近くを漂った。


 小さな身体を低くしながら銀髪が空を斬り,針だらけの脚を払うと男はバランスを崩して手をついて倒れた。



「くくくく……いま俺の身体に触れたな……お前から触れたな……くくくくく……」



 男は倒れたまま,歯のない口を大きく開いて糸を引く笑顔を見せた。全身に刺さった針が倒れた勢いで深く身体に刺さると,射精が止まらず,精液にまみれながら笑顔を見せてシュテルを指刺した。



「捕まえたぁぁぁぁぁぁ」



 シュテルの右脚首には数本の針が刺さっており,針の先には細い白い粘着糸が結ばれて男の脚とつながっていた。



「捕まえたぁぁぁ」



 男は倒れたまま針の刺さった男根を強く握り締めると,悲鳴をあげてシュテルを見ながら激しく手を上下させた。


 手の上下運動にリンクするようにシュテルの脚首に刺さった針から白い汁が滲み出ると,漂白剤のような臭いが立ち込めた。シュテルの肌に白い汁が触れると,真っ白な肌が紫色に変色し肌を焼いた。


 仁がシュテルを助けようと飛び出したが,目の前には死丸の鎌が弧を描き,横からは壱丸の蹴りが飛んできて避けるのに精一杯だった。


 シュテルの脚首にまとわりついた白い汁がまるで蛇のように肌を紫色に焼きながら脛から膝へ,そして内腿を伝わって股の間へと伸びてきた。



「お前の膣を焼き,子宮を焦がし,内側から焼いて灰にしてやるよぉぉぉ」



 仁がシュテルを助けに行こうと,死丸と壱丸から離れると,弐丸と参丸が死角から飛び出し仁を襲った。


 男の汁が太腿を焼き,下着を焼き切ると,シュテルの動きが完全に止まった。下腹部を押さえ,脚を交差して閉じようとしたが,蛇のような紫色の染みは容赦なくシュテルのなかに挿いっていき,粘膜を激しく焼いた。


 仁が弐丸に蹴りを入れ,参丸に拳を打ち込むと,倒れた参丸の後ろから死丸が飛び出し仁の頬を斬り裂いた。


 銀髪が激しく揺れ,歯を食いしばっているのが仁の視界に入った瞬間,仁の右眼が真っ赫に燃え上がり,数百の腕が炎となって地下通路を埋め尽くした。


 無数の腕が射精し続ける男の腕を掴み,身体の穴という穴から体内に入ると,大きな赫い炎をあげて男を焼き,男とつながっている白い糸の先に絡み付いたシュテルの身体まで一気に炎が拡まった。


 ホムンクルスも仁の右眼から出る炎となった腕に掴まれ,全身を焼いたが,焦げて落ちた部位はすぐに蟲たちが群がり復活させた。


 燃え盛る炎のなかで唯一無傷で立っていたドゥルジ・ナスの足元には三人の黒法衣が倒れていた。


 真っ黒に焦げた男がふらふらと立ち上がると,全身の針が熱で溶けているのを淋しそうに眺めて声を出して泣き出した。



「なんだよ,お前……俺の快楽を……どうしてくれるんだよぉぉぉ……ちくしょおぉぉぉ」



 眼を真っ赫に腫らした男は,少し離れたところで膝をつき俯いているシュテルを目掛けて再び飛び掛かった。


 男から視線を逸らすことなく,まっすぐにシュテルを見ている仁の右眼から赫い炎が溢れ出した。炎が再び無数の腕が炎となると,魔女裁判で犠牲になった大勢の者たちの悲鳴を響き渡らせながら,低い姿勢で飛び込む男を拘束した。



「なんなんだよぉぉ!? お前のその能力,なんなんだよぉぉ!?」



 仁の炎に拘束された男はシュテルを見ながら絶叫したが,炎が身体の内側に侵入し,臓器が燃え上がると,身体に残された針を溶かしながら完全に男の身体を炭にした。



「これだろ? お前が言ってた灰にしてやるってやつは」



 仁が男を焼き尽くすのを待ってシュテルがゆっくりと立ち上がると,俯いたまま焼けた脚と膣を再生し,漆黒に変色した眼をドゥルジ・ナスだけに向けた。



「仁,お前はザコどもを始末しろ。私はこの下品で不浄なビッチを嬲り殺す。私はこうゆう下品なのが一番嫌いなんでね!」



 怒りに震えるウン・シュテルプリヒカイトを見てドゥルジ・ナスは嬉しそうに微笑んだ。その眼は獲物を狩る猟師ハンターのようでもあり,無差別に殺人を楽しむ変質者のようでもあった。



「あら? あなた,そんなに怒っちゃって,もしかして処女だったのかしら? 大切な処女をこんな全身針だらけの穢らわしい男に奪われたのね? 可哀想。ふふふ」



 ドゥルジ・ナスの挑発を受けて,銀髪をなびかせながらシュテルが一気に間合いを詰めて,つま先から飛び出た刃でドゥルジ・ナスの手に持つ聖書を狙って蹴り上げた。


 スカートが膨らみ,細い脚が弧を描いた。つま先の鋭い刃が聖書に触れた瞬間,赤黒く変色したチェーンが幾重にも重なり,激しい火花を立てた。


 刃とチェーンが触れ合い黒い火花を散らして不快な金属音を立てると,ドゥルジ・ナスの手刀がシュテルの脚を払うように振り下ろされ,その動きを予測していたようにシュテルの身体が縦回転して勢いをつけたままドゥルジ・ナスの額に踵を落とした。


 短時間に激しい攻防が繰り広げられたが,どちらも致命傷はなくお互いに能力に差がないことを理解した。既に言葉のやり取りはなくなり,シュテルは聖書を,ドゥルジは心臓をピンポイントで狙った。


 度々シュテルの蹴りを正面から受けては,その脚を掴もうとするが,すぐに次の蹴りが飛んでくるので対応できず,チェーンを高速で振り回してシュテルと距離をとっては反撃を狙った。


 少し離れたところでは,仁の右眼から溢れ出す人間の腕の形をした真っ赫な炎があたり一面を焼き続け,逃げ場を失ったホムンクルスは体表が灰になっては再生を繰り返した。



「この炎……なんなんだ……異常な燃え方をする……消すことが,できない……な,なにも……できない……」



「すげぇだろ? この炎は峻からもらった薬でブーストされてるから。おかげで脳みそがパンクしそうな勢いで頭の中で数万人の命が燃えてて,まさに地獄絵図って感じだ。魔術師だろうとお前たちホムンクルスだろうと焼き尽くせないものはない。お前たちの黒い炎も丸呑みする」



 四人は崩れ落ちる腕や脚を復活させる速度が徐々に遅くなっていき,人の形を失いはじめた。


 ドゥルジ・ナスも四人の異変に気づき,シュテルの攻撃を躱していたが,集中力が疎かになりチェーンの攻撃精度が落ちていった。



「ウン・シュテルプリヒカイトよ。破滅の左眼と不滅の右眼を揃えて……復活させてどうするつもりだ!? 神に逆らい,また,あの闇黒な世界に戻るつもりか!?」



 ドゥルジ・ナスがいったん距離を取り,その手にするチェーンから黒い炎を燃え上がらせ,地下通路全体に拡がる真っ赫な炎に絡んでいった。



「ドゥルジ・ナス。お前はなにも理解していない。我々はあの時,この地獄を知るオリジナルに破滅の左眼と不滅の右眼を与えることで人類の……魔術師を含めたすべての将来を託した」



 黒い炎が赫い炎を僅かに弱めた瞬間,ホムンクルスたちは大百足を召喚し,自分たちを囲むように配置した。



「お前がこの国で生きるために教団を立ち上げ,黒法衣という人間を餌にしている間,我らオリジンは滅び,次の世代であるオリジナルが産まれた。そしていま,世界に残るのはサキュバスを代表とするミックスがほとんどだ」



 聖書からも真っ黒な炎が燃えあがると,チェーンが唸り,地下通路を壁や天井を破壊した。



「ドゥルジ・ナス,私を含め,お前は滅びゆく世代なんだ。何百年,何千年,生きようが,この事実は変わらない。既にお前の原型はなくなり,五匹のホムンクルスが僅かに面影を残している程度だ」



 ホムンクルスたちは赫い炎を前にドゥルジ・ナスを守ることができずに,大百足に囲まれ身を守るのが精一杯だった。


 シュテルの銀髪が静電気でも帯びたかのように宙に浮き,スカートが拡がると漆黒に染まった瞳が地下通路の空間を呑み込んだ。



「ドゥルジ・ナスよ,しばらく眠れ」



 シュテルの瞳が空間を歪め,視界に入るものすべてを漆黒の光で覆い尽くした。時間が止まったような空間にシュテルが一人だけ自由に動ける世界は敵味方関係なく,すべてがシュテルの支配下になった。


 ゆっくりとドゥルジ・ナスに近づくと,靴に仕込まれた刃を一直線に蹴り上げ,右腕ごと斬り落とした。斬られたことも気づかないドゥルジ・ナスは,右手に抱えられていた聖書を足元に落とした。



「お前の本体であるこの経典,五匹のホムンクルスを人形のように操り,黒法衣を餌とし,お前は何千年生きたら満足するんだ?」



 シュテルは黙って経典を拾い上げると,重く湿った表紙を手で叩いて汚れを落とした。大きさに似合わない重さの経典は,これまで何千,何万という人間や魔術師の血や体液を吸わせていた証でもあった。


 本を持って仁の側に行くと,漆黒に光る瞳をゆっくりと閉じた。歪んだ世界は時計回りに激しく歪み,元の世界へと戻った。


 何が起こったかわからないホムンクルスたちが,シュテルの手に経典があるのを見てパニックになった。


 反射的に五人が初めて一斉にシュテルに襲いかかったが,すでに経典は高々と掲げられ,シュテルの手から離れて宙を舞った。


 仁は始めからこうなることを予想していたので,シュテルが目の前に立ち,手に経典を持っているのを視た瞬間に右眼の能力を発動させた。



「仁,さっさと燃やして」



 シュテルの言葉が終わる前に真っ赫に燃えた何本もの腕が経典を掴みかかったが,さっきまで倒れていた三人の面が空中で経典を守るかのように壁になった。


 聞猿が仁の炎を全身に受け,言猿と見猿が経典を抱きしめた。



「なっ! どこから!?」



「ドゥルジ・ナス様から肉壁になれと言われた時から,我々はこのタイミングをずっと待っていた。なんのための面であるかも,この戦いでようやく理解した。我々の信仰心のみがドゥルジ・ナス様を御守りする!」



 聞猿の面から黒い炎が激しく燃え上がり,仁の炎と混ざり合って爆発した。見猿と言猿の面が爆破の衝撃に反応し,聖書を守るように黒い炎を身にまとった黒法衣の三人が聖書を取り囲んだ。


 シュテルと仁は爆発から逃れるために瞬時にその場から離れ,距離をとった。黒い炎に包まれた三人の面が形状を変え,やがて炎が当たり前のように三人の眼や口,耳となった。異形の姿になって経典を守る姿はまさに肉壁であり,仁とシュテルの攻撃を防いだ。



「仁,ホムンクルスはもう復活できないはず!本体であるドゥルジ・ナスから手を離した時点でその復活する能力は失われているから,いまはあの燃えてる三人に集中すればいいわ。仁,あなたの薬,あとどれくらい効果ある?」



「もうそんなに効果はないはず。峻の説明だとあと十分くらいかな」



「そう……あと十分ね。あの三人組,随分と異質……もはや人間でない……。私の能力は,あなたの右眼の能力が発動しているときにしか発動しない。あなたの半径二十メートル圏内のすべての生物を十秒間,完全にフリーズさせるけど,仁の能力が薬で増している間は私の能力がさらに五秒ほど増加される!」



「でも,十五秒ってそんなに長くなくない?」



「十秒と十五秒じゃ,雲泥の差よ! この差で結果が全然違うの!」



「そうなんだ……じゃあ,急ぐか!」



 ホムンクルスは自分たちの身体を人の形に保つことができなくなると,指先から蟲となって崩れ落ちた。


 顔や身体が崩れ,五人がそれぞれ見合ったがお互いになにもできず,崩れ落ちていく自分たちの姿を黙って見ていた。


 美しく妖艶だった五人の身体は見る影もなく醜く蟲になって崩れ落ち,大量の死骸として異臭を放ちながら地下通路の隙間に吸い込まれるようにして消えていった。



「我々の役割は壁になること。さあ,ドゥルジ・ナス様,我々が肉壁となっている間に祠へとお戻り下さい」



 前面に出て壁になっている聞猿に隠れて,見猿の真っ黒な面に充血した眼球が浮き出し,ぐりぐりと激しく動いた。もはや人間の眼とは思えないほど赤黒く,瞳が山羊のように変形した。



「連れて行け! 我々は肉壁だ! ドゥルジ・ナス様を守るため,オリジンとオリジナルを通さないための肉壁だ!」



 シュテルが仁の背後に周り,三人に聞こえないように背中に手を当てながら囁いた。



「仁,私の能力は十分以内だと使えてあと一回。薬で能力が増強されているうちにドゥルジ・ナスの本体である経典を奪い取り,焼き尽くす。いける!?」



「いける? じゃなくて,やれ! じゃないかな?」



 シュテルは一瞬呆気に取られたが,すぐに笑顔を見せて仁の肩に手をのせた。



「じゃあ,やって! あなたの主人であり,あなたに能力を与えた私からの命令よ!」



「了解。頭が破裂しそうに激痛だけど,あと一回なら我慢もできる!」



 仁の右眼に魔女狩りで苦しむ人々の姿が映し出されると,悲鳴や叫び声が地下通路に響き渡った。遠い教団本部や医療施設にいた黒法衣たちもその声を聞いた者は,突然,視界が磔台の上からの光景になり,槍を持った男たちの興奮した瞳に宿る狂気を直視した。


 意味もわからず斬れ味の悪い刃がぶちぶちと音を立てながら,皮膚を斬り裂き,身体の中に入るのと,火傷のような痛みと内臓を潰される恐怖に呑み込まれた。


 真っ赫な炎が脚元から燃え盛り,熱で呼吸ができなくなると頭がぼーっとして意識が朦朧とした。


 次の瞬間,汚らしい男に内臓を抉るかのように激しくいきり立った男根を突っ込まれ,男が容赦なく腰を振っていた。男も女も関係なく犯され,抵抗しようにも,腕も脚も神経を切断され,身動き一つでしない身体になっていた。


 地下通路にいる者たちは仁の右眼から溢れ出る同じ光景,同じ苦痛を共有した。そして燃え盛る炎が身を焼くと,ようやく終われるという安心感に包まれ,同じ経験をした者たち全員が涙を流しながら死を受け入れようとした。



「なんとも……本来の右眼の能力を発動させるための条件は,こんなに大勢の悲しみと苦しみが必要なんて……。不滅の女王に破滅の女王,二人とも随分と残酷な条件をこの男につけたものね。神に叛きながら,神の能力に頼る男に永遠の苦しみと悲しみ,そして憎しみから逃れられない残酷な条件をつけるなんて」



 三人組の後ろから小柄な少女がドゥルジ・ナスの経典を片手に姿を現した。どこかあどけなさが残るが,明らかに人間とは違うなにかが混ざり合った不快感の強いオーラを発した。



「な,なに……? もう……復活……だと……?」



「仁,あれはドゥルジ・ナスではあるけど,なにか気持ちの悪い別モノよ。あれはただの器……。あの気持ちの悪い生物をやって!」



 シュテルの絶叫にも似た叫び声と同時に仁の右眼から忌が混じった赫い炎があたり一面を焼き尽くした。


 面の三人組が少女を取り囲み,炎が三人を包み込んだ。炎が三人を焼くと,それぞれが再生と回復を繰り返し,見猿の遥か昔に失われた指も一瞬で再生した。三人はもはや人間の領域を超えた肉壁として,少女の前に立って仁の攻撃を正面から受け続けた。


 赫い炎が拡がっていき地下通路の音をすべて飲み込んだ瞬間,シュテルの能力が発動し視界に入る者たちの空間が反時計回りに大きく歪んだ。


 時間が止まったかのように三人組を包む炎の揺めきが止まり,地下通路が静まり返った。音のない世界でシュテルが一歩踏み出した瞬間,三人組の法衣を突き破り,腹部から赤黒く変色したチェーンが飛び出してきた。


 シュテルは踏み込んでいたため避けるのが一瞬遅れ,蛇のようにくねるチェーンが一瞬で細い両脚を切断した。



「な……なに? なにが起こった……の?」



 シュテルが弾き飛ばされ倒れると,三人組の死角にいた少女が離れたところにいるのが視界に入った。少女の位置は,まるでシュテルの能力をすでに把握しているかのようで,測ったように能力が届かないところに立っていた。


 少女がそっと手を挙げると,頭上に三冊の経典が浮かび上がり,少女が手にする重厚な経典から伸びた赫黒いチェーンが串刺しにするように三冊に刺さった。


 それはまるでぜんしんに血液を送る血管のようで,経典がドゥルジ・ナスの心臓に見えた。


 少女の口元が微かに動くと,三冊から伸びるチェーンがシュテルを襲い,両脚を切断されて動きの取れない身体を目掛けて何度も串刺しにした。


 十五秒が過ぎ,時間が動き出した瞬間,仁の目の前に両脚を失い,穴だらけになって倒れているシュテルの姿があった。



「な…………」



 その瞬間,仁の意識とは関係なく右眼から赫と蒼の二色の炎が絡み合って燃え上がった。一瞬で仁の意識は飛び,次の一瞬で地下通路全体が爆風と二色の炎で覆われ,遠く離れた教団の本部や検問所,医療施設までが炎に包まれ,すべてが真っ白な灰になった。


 暴走した二色の炎は無関係な人間には見ることも感じることもなく,ドゥルジ・ナスの臭いがついた物や蟲,そして関係する人間と魔術師を真っ白に焼き払った。


 唯一焼けなかったのが何重にも結界が張られた祠のある建物と目の前の少女のみで,肉壁の三人組も真っ白な灰となって少女を守るかのように壁になったままの姿で息絶えた。


 両脚を失い,能力のほとんどを使い切ったシュテルは仁の炎を目の当たりにし,暖かい懐かしさと過去の淡い期待を思い出していた。


 蒼い炎と赫い炎がシュテルの身体を労るように包み込むと,優しい光が降り注いだ。暖かい光の中で,シュテルは残された能力を振り絞り両脚の傷が悪化しないようにゆっくりと再生を続けた。


 仁はそんなシュテルを守るように仁王立ちのまま,歪に笑う少女を睨みつけた。



「ふふ……そう構えなくても大丈夫よ。もう,お前たち二人を相手にするような能力はこのキメラの身体には残ってないから……しょせん薬漬けのこの身体じゃ,キメラにしても長くはもたないし」



「キメラだと……」



「ふふ,相変わらず面白い反応ね。あのとき,あなたが神殺しを口にせず,あの二人のオリジンにも魅入られていなかったら,私があなたを側に置いていたかもしれないわね……。でもね,私にとってあなたは敵であり,この六百年間,何度復活しようとも,私にとってあなたは決して許されない不浄な存在なの……」



 仁は力の入らない身体を盾にしてシュテルの前に立ちはだかった。



「ふふ,男の子のそうゆうとこ,嫌いじゃないわ。でもね,ウン・シュテルプリヒカイト。あの時……絶対的な能力をもっていた不滅の女王であるあなたは私を信用しなかった。そして,それはいまも変わらない。不滅の女王は彼に右眼を与え,もう一人のオリジンである破滅の女王さえも彼に左眼を与えた……。二人の能力は,この世界を消滅させられるほどの,一人の人間がもつには過ぎた能力。私は必ず復活して,おまえたちの計画を阻止する……お前たちの希望は私の絶望……この世界を二度と地獄にしないために私は何度でも復活する……」



 少女は経典を抱きしめると,寂しそうに微笑み真っ白な灰に覆われた地下通路の中へと消えていった。



「今回は引き分けね。あなたたちとは,また会うから。それまでウン・シュテルプリヒカイトをちゃんと守ってあげてね。その子を殺すのは私なんだから……それと松本仁,あなたは神に叛く存在のくせに神の能力である浄化ができるとか……本当にふざけたやつだ。私があなたを殺すまで神の逆鱗に触れて殺されないようにね」



 ドゥルジ・ナスの声が地下通路に染み込むように消えていくのと同時に,息苦しいほどの禍々しいオーラも一緒に消えていった。


 気配が完全に消えると,仁の緊張も一気に解けてそのまま大の字になって灰のなかに倒れた。



「ヤバかったな。マジでぎりぎり生き延びたって感じだな……。薬を用意してくれた峻に感謝なんだけど,マジで全然身体が動かない……」



 疲れ切った眼を左右に動かしながら,静まり返った地下通路を見回した。シュテルもほとんど無意識の状態で切断された両脚の断面を修復していたが,穴だらけの身体は呼吸が荒く限界に達しているのがわかった。



「このままだと帰れないぞ……あいつら,早く迎えにこないかな……黒法衣が先にきたら,俺ら終わっちゃうんだけど……」



 地下通路につながる出入口のほとんどが,仁の炎で溶けて溶接されたような状態になり,人の出入りができなくなっていた。


 甲高い金属音がしたかと思うと,その中の一つが破壊され,地下通路に爆音が響き渡った。


 雪が降り積もったような真っ白な灰で覆われた地下通路を防塵マスクをつけた三人組がライトを左右に照らしながら前に進んだ。


 ライトに照らされた灰はガラス細工のようにキラキラと輝き幻想的な光景だったが,灰は人の形であったり,大きな昆虫の形であったりと,三人が近づくまではその形を保っていたが,微かな振動で粉となって形を失った。



「さっきの爆発,なんだったの? 見たこともない二色の炎が混ざり合って空に昇っていったけど,あんなのに巻き込まれたらそりゃ全員灰になるよ……」



 真弓は不安気に峻を見た。峻自身,まさかあれほどの能力を先日一緒にコーヒーを飲んだ銀髪の少女が解放するとは想像もしていなかった。


 イケメンの少年になった仁から凄い人だとは聞いていたが,あの能力が普段から解放できるなら,自分たちが太刀打ちできる相手ではないことを肌で感じた。



「たぶんだけど,仁様が同行している銀髪の少女,伝説級のオリジンの一人,ウン・シュテルプリヒカイト様の能力だと……」



「ウン・シュテ……? なに……?」



「ウン・シュテルプリヒカイト様。伝説級の魔術師であり,かつて不滅の女王と呼ばれた方だよ」



「なんで,仁がそんなのと一瞬にいるの?」



「相変わらず呼び捨て……それにそんなのって……。仁様の主人だよ,ウン・シュテルプリヒカイト様は」



「ってか,仁って実は凄いやつなの? 峻はいつも仁様とかって呼んでるけど」



「凄いよ。仁様が完全体になられたら,さっきよ爆発以上の能力があるよ。だって,伝説の三人のオリジンのうち,二人からその能力を与えられているんだから。真弓も悠依もその人の娘みたいなもんだから,実は凄いんだよ」



 迷路のような地下通路を進むと,灰に埋もれて横たわる仁と,意識をほとんど失いながらもゆっくりと両脚の再生しているシュテルが視界に入った。



「え……誰? あのクソイケメンな少年?」



 峻は気まずそうな笑顔を真弓と悠依に向けた。



「あれがいまの仁様だよ……」



「え……じゃあ,その隣にいるのは……?」



「あっちが,ウン・シュテルプリヒカイト様……」



「ボロボロじゃん……あの子,両脚ないし。ってか,あれ……面の三人組? え? もしかして倒しちゃったの……?」



「ああ……つまり,ドゥルジ・ナスを倒したってことなんだろ……ボロボロだけど,あんな状態で生きて,再生しているってことは……」



「十年振りの再会で,なんか急にイケメン出てきて戸惑ってるんですけど! 悠依,私たちの主人,イケメンになってるけど,どうすんの? あんたショタだったよね?」



「いやいやいやいや,さすがに主人はないわ。真弓,あんた,誰でもいいんじゃないの? 色んな面倒みてあげなよ」



 峻は黙って二人を灰の中から抱き抱えると,持ってきた簡易版ストレッチャーに乗せ,地下通路を後にした。



「悠依,真弓,この二人はママのところに預けるよ。君たち二人に任せたら,なにが起こるかわからないから。二人とも幼く見えても,伝説級だからね」



 仁は久しぶりの再会を喜ぶ余裕もなく,ストレッチャーの上で峻たちの会話を聞いていたが,すぐに意識を失った。


 明るい陽射しが仁の顔を照らすと,眩しさで目を覚ました。見慣れない無機質な天井とやけに寝心地のよいベッドはやや窮屈で,寝返りをうとうにも身体が動かなかった。


 全身に痛みが走り,身体が自由に動かず,ゆっくりと左右を見ると両サイドに悠依と真弓が寝ていた。


 全員が全裸でくっつくように寝ていて,仁の両腕と両脚は二人にしっかりと挟まれていた。



「あら? ようやく目を覚ましたのね? 娘たちとの十年振りの再会は楽しめたのかしら?」



 眩しいほどの銀髪を緩やかに靡かせたシュテルが,窓際のテーブルでコーヒーを飲みながら外の景色を静かに眺めていた。



「あれ? シュテル? どうなってんの? この状況?」



「あら? あなたの娘たちが夜中にベッドに忍び込んできたんじゃない? あなた,気がつかない振りをしてたんじゃないの?」



「いやいやいや,さすがに殺気のない相手は気がつかないって。それに十年振りに主人のベッドに忍び込むとか,普通ないだろ?」



「それはどうかしらね? そもそも私になにもしないくせに娘たちには手を出すのね」



「いや,なにもしてない……は……ず……?」



「随分と自信なさ気ね。あなたの娘たちでしょ。主人に手を出すとか,さすがね」



 シュテルに指摘され,仁はベッドのなかで寝息をたてる二人を見て微笑んだ。



「シュテル,俺はおまえに再び会うまでの約六百年,クソみたいな人生だった。だが,いまもっとも輝いている。敢えて言おう! イケメンは正義だ!!」



「キモ……相変わらず,モテない男の根性が染み付いてるわね」



 仁の真っ赫な燃えるような右眼が,寝返りをうつたびに柔らかく揺れる巨乳と小振りだか張りのある美乳を視て緩んだ。



「この身体を手に入れてからというもの,人生が楽しくてしょうがない。どこに行ってもチヤホヤされ,なにをしても許される。峻は俺がいない間,この子たちと色んな経験をしていたと思うと,それはやっぱり許されない裏切りだ! 峻にはお仕置きが必要だ」



「はいはい。で,どうする気? いまさらながらベッドのなかで感動の再会とかやっちゃうの?」



「いや……それはちょっと。さすがにこの状況は,なんて言うか,気まずいというか……」



「そう……。あなたにもそんな感情あるのね」



 話し声を聞いた峻が部屋に入ってくると,ベッドのなかで困った表情をする仁と横で寝息をたてる二人の姿を見て状況を察した。



「仁様。お目覚めになられましたか。それにしても昨夜は随分と頑張られたみたいですね。この二人がこれぽど熟睡するなど,サキュバスになってから初めてかと」



「いや……俺も爆睡してた……」



「そうですか。シュテル様もおはようございます。昨夜はずっと仁様のお側にいられたのですか?」



 シュテルンが恥ずかしそうに窓の外に視線を逸らした。



「え……? シュテル,もしかして心配してたとか……?」



「まぁ……あれだけの能力を一度に解放して,無事でいられるとは思えなくて……」



 真弓と悠依も話し声で目を覚まし,仁に抱きついてほぼ同時に首筋に歯を立てた。



「あらあら,娘たちは,おはようの挨拶もないまま?」



 シュテルが微笑むと,真弓と悠依がシュテルに反応し,首筋に唇を当てたまま警戒の視線を向けた。



「あまり吸いすぎさないでね。昨夜から何度も吸ってるのを見てるけど,そんなに美味しいの? あれだけの能力を解放した直後ですもの,きっと混じりっけのない純粋な血なのね」



 仁は身体を起こすと,シュテルに手を差し伸べ,ベッドに招いた。



「滅多にないなら,シュテルも味わっていいよ。再生した両脚にもいいんじゃないかな?」



 銀髪のシュテルは愛らしく微笑むと,差し伸べられた仁の手に引かれ,ベッドに飛び乗った。スカートが大きく膨らみ,捲れ上がって細い脚が露わになった。


 小柄で柔らかいシュテルを抱きしめると,仁はきつく目を閉じ歯を食いしばったままなにも言わず,汗ばんだ震える手で三人をしっかり抱きしめた。



「さぁ,イケメンの血を堪能するがよい! 俺に人生最高の瞬間をあじあわせてくれ! 女の子三人とベッドで絡み合うなんて,いままで生きてきて想像もできなかったぜ!!」



 そういうと仁の顔が真っ白になり,そのままベッドに倒れ込んだ。

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破滅の左眼・不滅の右眼〜隻眼の魔術師 Gacy @1598

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