黒法衣+ホムンクルス vs. 魔術師

 蒼く冷たい月明かりの下で,悠依と真弓が距離を保って建物の間を静かに移動した。真弓は先行する悠依の姿を辛うじて確認できる距離を保ち,時折り敢えて見失うほど離れては周囲の気配に気を配ったが,どちらも人に気づかれることはなかった。


 雑木林を抜け住宅街から外れた古い倉庫が建ち並ぶ一角に,戦時中に造られた防空壕跡がいくつか点在していた。小高い丘を利用した防空壕跡は,どこも錆びた鉄格子で入口が塞がれていたが,梯子を利用しないと届かない場所にある防空壕跡の一箇所だけ,押せば人が通れるほどの隙間が開く場所があった。


 悠依にとっては簡単に届く高さの防空壕跡で,走る速度を保ったまま崖を駆け上がると,慣れた手つきで鉄格子掴まり,そのまま姿を消した。


 悠依の行動を確認すると,真弓は地下通路と並行するように走る地上の道路を移動した。悠依と比べたら速度は遅いが,どこにいても先回りができるほど地下通路の地図は頭に入っていた。


 しばらくして昭和中期から残る古い重厚な銀行を改築して,いまでは複数の飲食店が入る建物の前に着くと,その建物の裏手にある小さな黒いマンホールの蓋を開け,滑り込むようにして真弓も地下へと姿を消した。


 悠依と真弓は別々に地下通路を通り,黒法衣がいる検問所を避けて目的地を目指した。


 悠依の細く長い手脚が湿った風を切り,長い黒髪が左右に揺れ,使い慣れた真っ暗な地下通路を躊躇することなく走り続け,脚を取られやすい場所も難なく走り抜けた。


 真弓は走ると大きな胸が邪魔になるため,ゆっくりとショートカットしながら,途中途中に試作品の駆虫薬を撒きながら悠依とは違う速度で黒法衣を避けながら先へと進んだ。


 しばらくして,ほぼ二人同時に古い街灯のような灯りが等間隔に並ぶ地下通路に出ると,暗闇を走っていた速度のままお互いに目的地を目指した。



「大丈夫! まだ見つかってない!」



 悠依が速度を上げて地下通路を走ると,壁に張り付いていた蟲が大袈裟に床に落ちていった。


 真弓は歩く程度の速度を保ち,地下通路に仕掛けられたトラップがないか確認した。定期的に場所の変わるトラップは,殺傷能力は低いが,黒法衣に侵入者がいることを伝えるには十分だった。



「空気が違う……つい最近通ったときと,空気が全然違う……なにかあったのか……?」



 真弓は警戒しながら通路を進んだ。いつもなら人の気配が一切感じられない地下通路だが,いまはあちこちから微かな意識を向けられ,常に監視されているような気がした。



「なにかが違う……? 知っている地下通路じゃない……?」



 悠依も普段とは違う雰囲気を感じていたが,よく知る地下通路ということもあり,行けるところまで行ってみようと速度を落とさず走り続けた。


 走り続ける悠依を監視するかのように蟲たちが騒めき,人間や魔術師には感じ取れないほどの微弱なフェロモンを放出した。


 蟲たちが出すフェロモンは数種類あり,蜂や蟻などの集団行動をする蟲に特有な集合フェロモンや警報ホルモン,ゴキブリなどに特有な性フェロモンがあるが,地下通路の蟲たちが出すフェロモンはより攻撃性が強く,フェロモン自体が麻痺性の毒となった。


 悠依が異変に気づいたのは,よく知る地下通路を真っ直ぐ走っているはずが,僅かに壁に寄って走っている瞬間に自分の感覚にズレが生じたからだった。



「おかしい……酸素が薄いのか,ガスかなにかが地下に溜まってるのか……?」



 走る速度を緩めて警戒しながら周囲に注意を払ったが,視界に入る地下通路にかわったところはなく,視覚と嗅覚では判断できなかった。



「どうする……このまま進むか……いったん止まるか……」



 速度を緩めてもズレが大きくなる一方で,足元を見ていったん止まって状況確認をすることにした。悠依の長い脚がゆっくりと交差しながら速度をさらに緩めていくと,大量の蟲が同じタイミングで痙攣しながら床に落ちていくのが視界に入った。



「蟲……蟲がなにか出してるのか……?」



 悠依のなかで蛾や蝶の鱗粉,毛虫や百足,蜂や蟻の毒が頭に浮かんだ。



「フェロモンか……? こいつらがフェロモンを撒いてるのか?」



 シャツを脱いで下着姿になり,口と鼻を押さえた。視覚に入る蟲の数は数えきれず,隠れたところにもいるであろう蟲に直接攻撃することは不可能だと悟り,一気に駆け抜ける道を選んだ。


 頭のなかでズレを補正しながら速度を上げたが,蟲が直接攻撃してくることはなかったが,地下通路に靄がかかるほどのフェロモンが放出された。



「くそっ……ダメだ。蟲がフェロモンを出してるのかわからないけど,真弓に知らせないと……薬や毒だったら,真弓の能力でなんとかなるかも……」



 視界が遮られると完全に脚を止め,周囲を見回した。相変わらず大量の蟲が通路を埋め尽くし,一斉に身体を小刻みに揺すりながら明らかになにかを噴出している様子だった。


 視界が悪いなかで周囲の気配だけを頼りに一歩脚を踏み出した瞬間,音もなくチェーンが悠依の頬を掠めていった。



「ちっ,黒法衣か!」



 蟲が身体を擦り合わせる音が大きくなり,地下通路の靄が濃くなると,複数のチェーンが悠依を狙って飛んできた。



「くっ……」



 辛うじて避けたが,一本のチェーンが脇腹を貫いた。悠依の脇腹から伸びるチェーンの先にチェーンを握り締める人間の感覚が伝わり,そのチェーンを握り返すと怒りが込み上げるとともに吐き気がした。



「ふざけんな……」



 靄のなかにいる黒法衣が力を込めてチェーンを引くと同時に,悠依の背後から蒼い炎が靄のなかへと伸びていった。


「悠依,おまたせ」



 真弓が指先から細い蒼い炎を出しながら悠依の横に並んだ。



「なに,そのダサいアクセ? お腹からチェーン出すとか,どんだけパンクなの?」



「蟲……蟲がなにか出してる……」



「知ってる。私,こっち系だから」



 真弓には蟲たちの異常行動が手にとるようわかり,放出されているフェロモンですらそれがなにかを感じとることができた。



「もうちょっと我慢してね。いま視界をクリアにするから」



 真弓が両手を重ねるようにしてなにかを包み込むと,僅かな隙間に口をつけて一気に微細な粉を吹き出した。


 粉は軽くいつまでも浮かんでいたが,地下通路の蟲が一斉に床に落ちていくと同時に視界が一気に拡がっていった。



「改良した駆虫薬を限界まで細かくしたやつなんだけど,細かすぎて噴射が難しいのよ。液体にすると重いし,結構この噴射するやつ練習したんだからね」



 視界が開けると同時に,銃声とともに悠依の腹部に刺さったチェーンの持ち主の首が宙を舞った。両手に持った悠依の銃が乾いた音を立てる度に黒法衣たちの額に穴が空き,その場に崩れ落ちた。



「なんなの,こいつら? ガキばっかりなんだけど? こんなレベルのやつらが前線にいるなんて,教団どうなってんの?」



「ごめんねぇ〜ガキばっかりで。この子たち,私たちの餌なのよぉぉぉぉ」



 やけに長身な金髪の女が悠依と真弓の背後から現れると,悠依の背中から垂れ下がるチェーンを握りしめ一気に引っ張った。


 腹部に焼けるような痛みを感じた瞬間に反射的に身体を回転させてチェーンを巻き付けながら女に銃を向けたが,発砲する前に女は姿を消した。


 悠依はそのまま回転してチェーンを撃ち抜き,力任せに腹部から抜きとった。



「あなた,乱暴ねぇ〜。お肌に悪いわよぉぉ」



 再び背後から声がして銃口とともに振り向くと,派手な四人の女が立っていた。声を掛けられる前に銃を乱射し,弾丸たまが切れる瞬間に撃ちながら次の弾丸を補充した。


 すべての弾丸が女たちの眉間に当たったが,四人とも頭を軽く後ろに倒しただけで,倒れることなく悠依を見て微笑んだ。



「マジか! こいつら不死アンデッドか!?」



 チェーンが抜き取られた傷口がみるみる塞がり,真っ白な傷一つない肌へと戻っていた。



「何者だ!? お前ら!?」



「あら? 名前を尋ねるなら,そちらから先に名乗ったらどうかしら?」



 悠依が警戒していると,突然,真弓が横から飛び出し,四人に向かって適当な自己紹介とともに駆虫薬を吹き掛けた。



「はじめまして。グレータ・ルヴィーサ・グスタフソン,巷ではグレタ・ガルボで通ってるわ。よろしくね!」



 粉はあたり一面を白くしたが,四人の前には一瞬にして大量の羽蟲か集まり,駆虫薬が四人に届く前に羽蟲がすべてを舞飛ばし,そのまま床に落ちて死んだ。


 壱丸が首を傾げると,琥珀色の瞳を真っ直ぐ真弓に向けて不愉快そうに歪んだ微笑みを見せた。


「グレタ・ガルボ……さっきの蒼い炎か……お前の話は色々聞いている。なかなか優秀だそうだな。下等なサキュバスごときが随分と黒法衣を殺ってるようね」



「あら? 色々って? サキュバスのなにを知ってるのかしら?」



「お前は最初から蟲たちのフェロモンに気づいていたな。この地域でそんなことができる魔術師といえば,薬学と化学に強い,蒼い炎のサキュバスくらいだと思ってね。グレタ・ガルボとは恐れ入った」



「よくわからないけど,評価されてるのね。それと,すべったギャグを繰り返されるの,結構苦痛だから止めてもらえる?」



 真弓がやり取りをしている間に悠依が駆虫薬を仕込んだ弾丸に入れ替え,黙って四人に撃ち込んだ。


 弾丸が不自然な弾道を描きながら真弓を避けるように四人の身体を捉えた。四人は避けようともせず,自ら弾丸を受け入れたかのようにもみえた。


 弾丸が身体に当たった瞬間,破裂するかのように肉片が飛び散ったが,空中で肉片は蟲へと変わり,身体に空いた穴はすぐに別の蟲で埋められた。



「ふふ……その薬は対策済みだ。ダメージを受けない訳ではないが,その薬では我々を殺すことはできない」



「あら? じゃあ,これはどうかしら?」



 再び悠依が銃を乱射すると同時にすべての弾丸が蒼い炎に包まれ,薄暗い地下通路に蒼い弾道が描かれた。死丸の造った蜘蛛の巣を破壊しながら四人の身体を撃ち抜いた。


 弾丸が肉体を貫通し,蒼い炎が蟲たちを破裂させ,吹き飛んだ肉片と傷口が炎で焼かれた。蟲が湧き出し,身体の穴を塞ごうとしても炎が邪魔をしてすぐには修復できないでいた。



「試作品を混ぜてみたけど,どうかしら?」



「ちっ。下等なサキュバスといえど,やっぱり面倒な魔術師だ! だが,手も脚も出なかったやつらに比べたらお前ら程度,大したことはないな」



「やつら?」



 悠依は銃を乱射しながら,じりじりと距離を詰めていき,そのすぐ後ろで真弓がサポートにまわった。四人の身体は被弾する度に弾け散り,穴だらけになっていった。


 一通り撃ち終わると状況確認をしようと銃を下ろし,目の前の大きな蜘蛛の巣とそこにかかった大量の蟲が悠依の弾をすべて身体で受けて四人を守るように死んでいるのが目に入った。



「なかなか面白い。すべての弾を避けるのは無理だが,やはり致命傷は避けられるな。確かに法衣の連中じゃお前たちの相手にならないのがよくわかった」



「なんなの? この蟲といい,その能力,あんたら四人,もしかして魔術師?」



 悠依は銃を構えたまま足元に散らばる薬莢やっきょうの位置を確認し,四人それぞれの治りの遅い傷口を確かめた。



「ふふ……我らの正体などどうでもよい。お前たちサキュバスは,もうじき我々の餌になる。色々考えないで済むよう,一瞬で終わらせてやる」



「そいつはどうかな。こっちの準備も整った」



「ほう,それはそれは。ならば,こちらも警戒したほうがよさそうだな。弐丸,黒法衣を吸収しておけ。私と参丸がこいつらを殺る。死丸,お前は結界を保て」



 壱丸と参丸が並んで前に出ると,足元に大量の粘液でいくつもの水溜りを造り出した。その後ろでは死丸が両腕を拡げ,目の前にある蜘蛛の巣状のチェーンをあやとりのようにして大きくした。


 銃口が四人を正確に捉え,すべての弾丸が蒼い炎を纏い弾道をなぞるように一斉に眉間に向かって飛んでいった。


 弾丸は蜘蛛の巣に捕まり空中で止まると,蒼い炎が蟲を焼いたが四人のところまでは届かなかった。



「そろそろ,こっちからも攻撃するぞ」



 壱丸と参丸の足元の水溜りから大型の百足ムカデのような蟲が大量に湧き出てきた。黒光りする身体と赤い腹がぶつかり合い,金属音に似た不快な音が響き渡った。



「警告だ。魔術師たちよ,こいつに触れたら死ぬぞ。こいつらの毒は一刺しで象をも殺す。しかも一瞬でだ」



「あんたらマジでなんなの? 警告とか,どんだけ優しいんだか,馬鹿なんだか」



 銃口を左右の壁に向けると目を瞑り,呟くように呪文を唱えた。悠依の言葉に応えるように足元に転がる薬莢が蒼白く光り始め,空になった薬莢のなかに蒼い弾丸が装填された。



「どうよ!? 魔術師っぽいっしよ!」



 銃の向きに合わせるように薬莢が浮かび上がり,地下通路に響き渡る破裂音を立て蒼い炎が悠依を中心とした周りのものすべてを無差別に攻撃した。


 放射状に散弾されコンクリート製の壁や天井が蜂の巣になり,床には大量の百足がバラバラになって散乱した。


 壁が崩れ落ち土煙りと埃が舞い上がるなかで,天井の一部と一緒に死丸の蜘蛛の巣が崩れ落ちた。



「マジか……あんたら,化物でしょ?」



 舞い上がる埃のなかで四人は腕組みをしたまま,目の前の悠依と足元で小さくなって弾丸を避ける真弓を見て微笑んだ。



「その能力は認めてやる。ただ,我々相手にそれは無効だな。お前たちサキュバスはなにも理解していない。そこがオリジンやオリジナルとお前たちの違いだ」



「オリジナルねぇ。私たちの知ってるオリジナルがどれほどの者かはわからないけど,ちょっと納得できない発言なのよね,それ。めっちゃ親切なのと,めっちゃ薄情なのがいるんで」



 再び体液溜まりから大量の百足が現れると,地下通路を埋め尽くした。



「地下通路では蟲は無限だ。お前の銃の弾丸が有限であり,蒼い炎もまた限界がある」



「ほんと,お喋り大好きね。やっぱり女だけだと,ガールズトークに華が咲くってやつ?」



 地下通路を埋め尽くした大百足が高速で動き出すと,天井から壁,そして床までが波打つようにうねり出し四角い通路が歪な楕円形になった。


 真弓が自分たちの周囲をドーム状に炎で包み込み,悠依が四人に向かって銃を乱射した。


 蒼い炎をまとった弾丸は大百足に当たっても弾かれ,完全に囲まれた。辛うじて蒼い炎のドームを喰い破る大百足はいなかったが,その量は増え続け,炎に触れては砕け散る百足で地下通路の空気は汚染されていった。



「真弓! このままじゃ,埒があかない。直接攻撃に切り替える!」



「ちょっ! フォローするから! あいつらのところまで約二十メートル! いま道を造る!」


 

 真弓の言葉を待たずに炎の結界から飛び出すと,真弓の炎がトンネルのようになり,大百足を避けて蜘蛛の巣をすり抜けて一瞬で距離を詰めた。悠依の長い脚が鞭のようにしなり,靴に仕込まれたナイフで壱丸の首筋を舐めるように蹴り上げた。


 長い黒髪が空を打つと,ナイフの軌道が壱丸の首筋から頬へと滑り,そのまま弧を描いて横にいた弐丸の右脚を斬り落とした。


 ナイフが仕込まれた蹴りを受けた壱丸は首が半分ほど斬り落とされ,首の皮で頭がつながっていたが,弐丸はバランスを崩して大百足のなかに姿を消した。


 そのまま至近距離から死丸の肩に乗り,頭頂部に銃を向けると,連射して頭を吹き飛ばし,再び回転しながら着地とともに参丸の左腕を肩から斬り落とした。


 大百足は勢いを失い,その場で動かなくなっていたが,悠依はすぐに死丸の身体を台にして空中へ飛び上がった。


 その様子を不安定な首を手で押さえながら見ていた壱丸が不敵な笑みを見せた。斬り裂かれた首はすでにつながりかけていて,傷口を蟲が塞いでいた。


 壱丸の薄い唇が震えるように微かに動くと,止まっていた大百足が一斉に向きを変えて悠依を目掛けて飛びかかった。


 黒光りする身体と真っ赤な腹がうねりながら悠依に群がると,大きな顎を鳴らしながら細い腕や脚を噛み切ろうとした。



「悠依! 戻ってこい!」



 蒼い炎が再びトンネルのようになり悠依を包み込むと,一気に引っ張りあげた瞬間,悠依の左脚首が鋭い槍のようなもので貫かれた。



「くそ!」



 真弓の身体が前のめりになり,悠依が空中に浮いたまま引っかかるかのように動かなくなった。身体を低くして不自然な位置から伸びた壱丸の腕が,炎のトンネルを下から突き抜け悠依の脚首に刺さっていた。


 宙に浮いた悠依の左脚首が一瞬で黒くなり,皮膚の下で蟲が蠢いた。



「悠依! 蟲の毒が身体にまわる! 脚を落とせ!」



 蒼い炎が激しく燃え上がり壱丸の腕が焼かれると,トンネルの中に大量の死んだ蟲が落ちていった。蟲の死骸が増えるのと同じ速度で壱丸の身体から新たな蟲が補充され,悠依の左脚首に刺さった槍のようになった腕が蟲を送り込む度に脚首が激しく脈打った。



「くそ! ふざけろ!」



 叫び声をあげながら歯を食いしばり自分の膝を銃で撃ち抜くと,そのまま両手に持った銃を連射して壱丸に掴まれている脚を自ら断脚した。


 壱丸から解放された瞬間,炎が激しさを増して悠依を包み込み,そのまま一気に引っ張って真弓のところまで引き戻した。


 壱丸の手元に残った悠依の左脚から大量の蟲が湧き出たが,行き場のなくなった蟲たちは乱暴に断脚された傷口から溢れ出し床に落ちて蠢いた。



「その靴にナイフを仕込むのは流行ってるのか? つい最近,似たような報告を受けてるぞ。それにしてもお前のその蒼い炎,出鱈目だな。それにしてもサキュバスは面白い発想をするな。自らの身体の一部を躊躇なく斬り落とすなど,我々と同じ思考だぞ」



 左膝から下を失った悠依を真弓が抱き寄せ,蟲が入ってこないよう傷口を蒼い炎で包み込んだ。真弓の手から複数の薬がこぼれ落ちると,炎が蒼から紫に変わり悠依の脚が再生を始めた。



「正直,ここまで歯が立たないのは初めてだ。悠依がここまで追い詰められるとは,あの四人,なんなんだ?」



 壱丸がうんざりした表情を真弓に向けたときにには,壱丸の斬られた首が元に戻り,弐丸の脚も再生を済ませていた。真弓の目の前にいる参丸の腕も戻り,死丸もすっかり再生,回復し,腕組みをして立っていた。



「サキュバスよ,不死がお前たちだけの特権だと思うなよ。偉大なるドゥルジ・ナスの分身であり忠実なしもべ,ホムンクルスである我らの前ではお前たちは無力」



「ホムンクルス……? ドゥルジ・ナス……?」



「無知で愚かなサキュバスが我々ホムンクルスを相手になにができる。ドゥルジ・ナスの名さえ知らぬのなら,お前たちに生きる価値はない」



 大百足が壱丸からの指示を待つかのように,恐ろしさすら感じるほど静かにその場で動かなくなっていた。


「撤退……悠依,ここは一度引くよ! このままじゃ消耗されて終わるだけだ……勝てる要素がない……」



 真弓が口元を隠しながら悠依にだけ聞こえるように囁き,悠依もその提案に同意した。しかし,大百足と四人からどう逃げるのかまでは考えつかなかった。



「悠依,弾丸はあとどれくらい具現化よういできる?」



「まだまだいける。真弓,あんたの炎はそろそろ燃料切れなんじゃない?」



「こっちも大丈夫。炎もまだまだ具現化よういできる。試作品の駆虫薬はもうそんなにないけど,駆虫薬の代わりに面白いものを調合した」



「真弓の面白いもの……やっぱ,それに賭けるしかないってことね……」



 壱丸をはじめ,四人は悠依と真弓の様子を見ていたが,参丸が黙って二人を指さした瞬間,地下通路を埋め尽くした大百足が一斉に動き出した。



「たぶんだけど,あいつらにリーダーはいない。あいつらが言ってたホムンクルスってやつだけど,あれ,一人が複数の身体をもってるだけで本体は一つだだし,いまここに本体はいない」



「なんでそんなことが推測できんの?」



「あの先頭がリーダーに見えてたけど,実はさっきから指示を出すやつに規則性がないのと……ホムンクルスっていうのが合ってるのかわからないけど,うちの会社,極秘なんだけど本社の実験室に似たようなやつらが人体実験用にいるのよね」



「マジ? 人体実験とか違法じゃないの?」



「世間に知られたらアウトなやつね。ただ,短期間で結果を出すために……薬の開発には不可欠でもあるのよ……あいつらが同じタイプなら逃げられるの可能性が高くなる」



 大百足が動き出すと,弐丸がその群れのなかに溶け込むようにその姿を消した。黒光する大百足が激しく動くと,一瞬で二十メートルほど離れていた悠依の前に姿を現した。


 視界を塞ぐように大百足か床から盛り上がると,弐丸の刃物のようになった腕が悠依の脚を狙って空気を斬り裂き,異臭とともに鈍い光を放った。


 大百足が弐丸の姿を隠すように不規則に動き刃を悠依の視界から消したが,悠依が刃を避けるよりも先に真弓の炎が大百足と一緒に弐丸に襲いかかった。



「悠依,やるよ! 覚悟決めて!」



 真弓が膝をついて掌を合わせて呪文を唱え始めると,悠依は手が届きそうな至近距離から弐丸に向けて連射した。薬莢が飛び散り,悠依の長い黒髪が激しく揺れた。


 銃を連射し続ける悠依の姿が能力の解放されれととともに,徐々にその容姿が変化し始めた。悠依の切長の瞳は燃えるように赫くなり,先の尖った耳と鋭い牙と爪,山羊のような角が現れた。


 大百足を盾に悠依の攻撃を避けた弐丸は手が届くほどの距離で連射を受け続けたが,悠依の能力にその場で踏み止まった。悠依の長い脚が獣のように変化するのを見て,その眼には戸惑いと困惑が現れ,悪魔のように容姿を変えていく悠依を警戒した。



「お前のその姿! ただのサキュバスではないのか!?」



 真弓の詠唱が終わると,ホムンクルスの足元にある体液溜まりが蒼白い光を放った。



「干渉できた! 悠依,やるよ!」



 弐丸に向けて連射したときに落ちた大量の薬莢が薄い黄色を帯びた炎をまとい,激しい爆音とともに大百足を破壊して,目の前の弐丸の半身を吹き飛ばした。



「「真弓ぃぃ! 次ぃぃぃぃ!!」」



「出たね! もう一人の悠依! 協力お願い!」



 悠依のなかに眠るもう一人の人格が目を覚ますと,真弓の能力の影響を受けた体液溜まりの光が強くなって大百足の動きが止まった。


 悠依の姿を確認した真弓が立ち上がり,動きを止めた大百足を見てそっと弐丸以外のホムンクルスを指さした。大百足は身体の向きを返すと大きな顎を激しく鳴らしながらホムンクルスに一斉に攻撃を加えた。


 真っ黒な身体から金属音を鳴らしながら大百足が真弓の指示に従い,大きな顎と鋭い爪で壁や床を破壊しながらホムンクルスに襲いかかった。


 壱丸はなにが起こったのか理解できずにその場で身構えると,四方から襲いかかる大百足に全身を喰い千切られた。



「本当にサキュバスなのか……あの姿……悪魔そのものじゃないか……」



 悠依の変化に驚いた参丸と死丸も身動きが取れず,目の前で大百足で喰い千切られる壱丸と同様に大百足の襲撃を受けて,大きな顎が二人を噛み千切り一瞬でバラバラになった。



「私の強欲な炎のうりょくは,燃える燃料で色が変わる。そして,私の薬学スキルで蟲を操るホルモンを精製した。サキュバスのホルモンと精製したホルモンの融合によって効果をブーストしてみたんだけど,思った以上にうまくいった!」



 弐丸は失った半身の再生を始めていたが,真弓が指を差した瞬間に大百足に囲まれ,他のホムンクルスと同様全身を喰い千切られた。



「悠依の銃と弾丸のうりょくで私の強欲な炎のうりょくに混ぜたフェロモンを拡散することで,地下通路の蟲を一時的に操ることができた。お前たちホムンクルスの体液溜まりを媒体にしてな」



 大百足か噛みつく度に蟲がこぼれ落ち,毒に侵された蟲は痙攣しながら床に落ちた。弐丸は悠依と真弓を交互に見ながら微かに微笑んだが,その表情も大百足に喰い千切られると,大量の蟲となって崩れていった。


 ホムンクルスが蟲に襲われている光景を見て安心するとともに逃げる体力が残っているか不安になった。


 お互い体力のほとんどを使い果たしており,二人とも能力を発動することはできなかった。それでも最後の気力を振り絞って地下通路から姿を消した。



「あいつらホムンクルスの本体がいたら完全に殺られていたね……指示するやつがいなかったから助かったけど,対策をたてないと次は確実に殺られる。あいつらのこと,ママと峻に報告しないと」



「「真弓……あのフェロモンはどれくらい効果がある?」」



「もって十五分。能力の強いやつなら十分ってとこだろう」



「「そうか……ここから早く逃げよう……」」



「ああ……最後のやつの再生能力からすると,十五分もあれば四人とも再生しているだろうな……」



「「それにしても,ホムンクルスとドゥルジ・ナス……それから教団の法衣を餌だと言ったし,あいつらなんなんだ? ママや峻からも聞いたことがない」」



 酷く湿気の強い地下通路から抜け出すと,小さな錆びた鉄の扉から倉庫の裏へと出た。瓦礫が散乱する広場は,さっきまでの死闘とは無縁な静けさで,見上げると大きな月が闇夜を明るく照らした。


 蒼月の冷たい光が降り注ぐ夜の街を,異形の姿となった悠依が能力を取り戻し,真弓を軽々と抱き抱えて音もなく移動した。


 人間の視界にも意識にも触れない常世と現世の境目を移動しながら,悠依は自分の身体が獣から人間へと戻っていく様を観察した。



「「今まで通りにはいかないな……これからは……」」



「久しぶりに二人の悠依ね……それにその姿。ねぇ,ちょっとそのを力わけて……自分で步くから……」



 悠依は月明かりを浴びて潤んだ瞳で真弓を見ると,自らの牙で唇を噛んで血を垂らし,真弓と唇を重ねた。真弓も悠依の唇が近づくと,垂れた血を舌先で舐め,そのまま唇を重ねて悠依の唇の傷口が塞がらないよう舌を挿れて優しく傷口を拡げた。

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