不滅の女王(die Unsterblichkeit)

 言猿と聞猿が診療所に入ってから既に二日が経過していた。その間,見猿からの連絡はなかったが,お互いに別々の場所で軟禁状態になっているのだろうと疑問にすら思わなかった。


 教団の診療所は地上は一般の総合病院になっていたが,地下三階より下の地下六階までを教団の関係者しか使えない特殊な機材が揃えられた専用の医療機関になっていた。


 当然,関係者しか知らない地下医療施設では人体実験をはじめ,キメラの解析などさまざまな研究が行われていた。


 不浄の女王が管理する地区から戻ってきた二人は駆虫薬を一日三回,食後に飲む以外はすることもなく,カテゴリーⅢの対象となった教団の各施設でも信者たちが一日中,一切の陽が入らない地下施設の一室で聖書を掲げて祈りを捧げた。


 聖書には一頁ずつびっしりと隙間なく文字が書き込まれており,それを繰り返し目で追いながら,これまで聖書に吸わせた人間と魔術師の過去の記録を何度も読み返した。文字からは人々の嘆き苦しむ様子が映像として頭に流れ込み,さまざまな負の感情を自らの心に刻んだ。


 映像となった文字は滑り込むようにして聖書の持ち主の心の奥底に侵入し,やがて負の感情は祈りという名に変えて黒い炎となりゆっくりと心を蝕んでいった。



「西地区の検問所が襲われたそうだ。ああ,定期連絡が途絶えたらしく,薬を届けるついでに確認をしに行った連中から報告があがってる。ああ,そうだ……上位の人間が二人もいたにもかかわらず,全滅らしい……」



「西地区といえば,あの面の二人が来た方角だろ。不浄の女王が管理する……あの三人組のもう一人もそこにいたのか?」



「ああ……あの顔のない面の人は,そこにはいなかったらしい。殺られたのはほとんどが十代の若手だそうだ。大人もいたが,そこを監視するリーダーとサブだったそうだが,二人とも殺られたそうだ」



「あそこのリーダーとサブってどっちも結構有名な人だろ? ほら,由緒ある家の……昔の呪術みたいなのが使えるっていう……。その人まて殺られるとか……こっちにも来る可能性はあるのか?」



「可能性はあるだろうが,おそらくこれだけの騒ぎだし大丈夫だろう。いま本部が蜂の巣を突いたみたいになってるらしいし……」



 診療所の談話室で男たちが小声で雑談をしていたが,離れた部屋にいる言猿と聞猿の面には十分すぎるほどの声量だった。


 二人とも聖書に手を置きながら祈りを捧げていたが,その祈りは消え去り,談話室の会話に集中した。



「魔術師が侵入したというので間違いないんだろうな。ああ……全員の聖書が焼き尽くされていたらしい。そんなことができるのは魔術師のなかでもほんの一部の上級魔術師だけだ。しかし,その後の足取りがまったく掴めていならしく,かなり少数で侵入しているとの推測らしい」



「少数で検問所を壊滅させるとなると,相当ヤバイ奴らってことになるか……俺は会ったことないんだけど,もしかしたらオリジナルかな?」



「オリジナルなんて,実際に会ったらそれを知る前に殺られてるって話だぞ。もはや都市伝説だろ」



「でも,あの三人組が揃ったらなんとかなるんじゃないのか? うちじゃ,あの三人組より凄いのはいないだろ?」



「ああ……三人組が殺られたら,うちらに勝ち目はないな」



 言猿と聞猿の二人は黙ったまま,離れた場所にある談話室の声に集中した。診療所にいると入ってくる情報が曖昧で,こうした人に聞かれていないと思っている雑談から得られる情報は貴重だった。


 検問所が襲われたことも報告としては聞いていたが,曖昧な部分も多くこうして個々の噂話の中から事実を見つけることも重要だった。



「それにしても,あの三人組の面って不気味だよな。なんか聖書と似てるっていうか,面自体それぞれが独立して生きてるっていうか……」



「ああ……異形の三人組だけど,あれって若いころに魔術師にやられた傷を隠してるらしいぞ。それぞれ違うところをやられて,それを隠すための面だって聞いたことがある」



「俺もその話は先輩から聞いたことあるよ。あれだろ? 蒼い炎を操る魔術師だろ? 絶対ヤバイよな。今回の侵入者ってものその魔術師なんじゃないの?」



「かも知れないな。確かに未熟なやつも混じってたとしても十人以上の法衣たちを皆殺しだろ。どう考えても,そこいらの魔術師じゃないだろ」



「だよな。前にも地下通路であの三人組が連れてた若い連中を皆殺しにされたことあるしな」



「ああ……あれは可哀想な話だよな。三人組はなにやってたんだよって」



「それにしてもさ…………なん……」



「あ…………」



「…………」



「……」



 突然,談話室の声が消えたかと思うと,これまであった人の気配が次々に消えていった。驚くほど静かに,音もなく人の気配が消えていくことに二人は驚きを隠せなかった。



「来たぞ……言猿……おそらく魔術師だ。診療所に侵入したぞ……」



 言猿は微かに頷くと,聖書を持って立ち上がった。そのすぐ後を追うように聞猿も立ち上がると聖書を構えた。



「遠いな……」



 侵入者の気配を探ったが,距離が掴めず仲間の気配が消えていくのを追うしかなかった。



「何人だ……? 聞猿,お前の面で距離と人数,わかるか?」



 聞猿の面が空気の振動を捉えていたが,地下の限られた空間では限界があった。



「おそらく……三人か……四人……。武器のようなものは感じられない……やけに軽い足音……体重が不明……軽すぎる……」



「たったそれだけの人数で,検問所を壊滅したのか……? 軽いってどういうことだ? 女か?」



「あ……。たったいま,このフロアの気配がすべて消えた。二十人はいたはずなのに……」



 聞猿が俯いて全身全霊で地下に流れる空気の流れに集中した。言猿も同じように集中力を高めていったが,聞猿ほどの能力はなく,感じ取れる範囲も聞猿の半分にも満たなかった。



「なぜ,俺たち二人だけが残されてる? これは偶然か?」



「まさか……偶然なはずはない。聞猿,少しでもやつらが近づいたら教えてくれ」



「ああ……それが,さっきから気配が見当たらないんだ。四人いるはずなんだが……」



「なんだ? さっきからお前たちの後ろにいるのに我々に気づかないのか?」



 言猿と聞猿が慌てて振り向き,聖書を構えた。手が届くほどの距離に四人の女たちが立って二人を眺めていたが,あまりの近さに言葉を失い倒れるように腰をついた。



「我らが主人,ドゥルジ・ナスの名の下にお前たちの命は取らん。だが,なぜお前たちのような弱者がドゥルジの肉壁なのかは正直理解ができん」



 不浄の女王の名を聞いて,二人は意味のない安心感を得たと同時に他の者は殺されても自分たちが殺されていないのはドゥルジ・ナスから肉壁を命じられたからだと理解した。



「ふふふっ,腑に落ちんようだな。我々はドゥルジ・ナスによって産み出された人造人間ホムンクルス。親衛隊であり,忠実な部下だ」



「ホムンクルス……?」



「そう。だが,我々にも名はあるぞ。肉壁であるお前たちには特別に教えてやろう。我が名は壱丸いちまる,後ろにいるのが弐丸にまる参丸さんまる,そして死丸しまるだ」



「あ……え……っと……」



「我々はドゥルジから三つの命令を受けてここにいる。まずは本部には行くな,肉壁は殺すな,そして最近ドゥルジの蟲に喰われた人間の一部が死なずに生きているらしい,その理由を調べろ。この三つだ」



「ドゥルジの蟲……?」



「そうだ,ドゥルジの蟲だ。お前たちが地下通路で踏んだあの蟲だ。キメラに触れたのら偶然だと思っていたのか? お前たちを蟲に襲わせれば,なぜ人間たちは蟲によって死なずにいるのかわかるだろ。これもドゥルジの命令だ」



 異常なほど露出の高い服を着た四人は明らかに通常の人間とは思えぬ美しさと妖艶さを併せもち,同時にそのオーラから圧倒的な能力差を二人に見せつけた。



「なぜ,ドゥルジの蟲に喰われた人間が生きている? お前たちはなにか知っているか?」



 長い爪をカチカチと音を立てながら長い髪の毛をかき上げた。髪がふわりと浮き上がると,大量の蟲が湧き出し,あたり一面が無音に包まれた。



「これでお前たちの会話は誰にも聞かれる心配はない。好きに話せ。ドゥルジからお前たちを殺すなとは言われているが,死ななければなにをしてもよいってことだぞ?」



 言猿と聞猿はようやく言葉を発することができる程度に精神を落ち着かせた。



「我々が知る限りでは,ドゥルジ・ナス様の蟲を駆除する薬が見つかり,人間たちはその薬を飲むことで死なずに済んでいます」



「ほう……薬か……。で,その薬はどこにある? お前たち,教団が創った薬か?」



「薬は……ここにもありますが,この薬は表の世界,GETと呼ばれる海外の製薬会社が開発したもので,偶然だと思いますがドゥルジ・ナス様の蟲を駆除する効果があったようです」



「なるほど,納得した。本来,創薬は魔術師の仕事だ。表も裏もない。どこかの魔術師がなんらかの目的で創った薬なのであろう。それが目的外効能が見つかることなど日常茶飯事。なるほどな」



「はい……これがその薬です」



 言猿が自分に用意された薬を差し出すと,黙って弐丸が受け取った。なんの変哲もない錠剤を取り出し,長い爪を器用に使って薬を摘むと,長い蛇のような舌を薬に絡み付けてゆっくりと丸呑みした。


 喉を鳴らして薬を呑み込むと,弐丸は眼を瞑って首を傾げた。指先で唇を撫でると,妖艶な視線を言猿に向けた。



「こいつは不味い。そしていま驚くほど活発に私の体内で蟲を殺している。これはダメだ,一度吐き出す。袋ごとなら身体に保管はできそうだが」



 弐丸は大量の蟲の死骸とともに溶けた薬を吐き出すと,再び袋ごと薬を丸呑みした。壱丸が吐き出された蟲を見ながら,再び二人に質問を続けた。



「で,この薬をどれだけ飲めばドゥルジの蟲から死なずに逃れられる?」



「一回二錠,一日三回,食後に五日間,です」



「五日間か,それは根拠があるのか?」



「そこまでは……言われたことをお伝えしただけですので……」



「お前たちは何日目だ? この薬の効果は出ているか?」



「二日目です。ただ自分たちが感染していたのかはわからないので,薬の効果が出ているとかは不明です」



「なるほど,そういうことか。で,この薬は誰でも簡単に手に入るのか?」



「はい……感染症対策のために開発された薬だそうです。ただ,その効果の一つに駆虫効果がとくに優秀な結果が出たため,人間用ではなく畜産動物の駆虫薬として市場に出たそうです」



「理解した。駆虫薬が開発されたのであれば,ドゥルジの蟲を変異・改良すればよいだけだ。お前たち,この診療所にある,この薬をかき集めろ。持ち帰って実験に使う。効果は弐丸が体験済みだ」



「すぐに集めます……」



「よし,なにか質問があれば,いまなら答えてやろう。こんなに呆気なく仕事が済んで気分がよいからな」



 言猿が恐る恐る壱丸と弐丸を見てから質問をした。



「西の検問所が襲われ,全滅したと聞きました。あなた方が全滅させたのでしょうか?」



 壱丸は不思議そうに言猿と聞猿を見てから,一歩前に出て言猿の面を覗き込んだ。細長い指と長い爪が言猿の顎に触れると,優しく顔を上に向かせた。



「その話は知らんなぁ。詳しく聞かせろ」



 顎に触れられただけで身動きの取れなくなった言猿は,身体の内側から恐怖で震えた。



「魔術師が現れたようです。検問所にいた十数名が全滅されて,全員の聖書が焼き払われたそうです。生き残りがいないため詳しくはわかりませんが,聖書を焼き払えるほどの魔術師はそう何人もいません。我々は最初あなた方が現れたとき,このフロアの人間が消えていく度に魔術師が現れたと思いました」



「聖書が焼かれたというのは聞き捨てならない。ずっと前から漂っているこのオーラが,その魔術師だとしたら我々とはかかわりがあるかもしれん。お前たちはこのオーラの持ち主を知っているのか?」



「オーラ? ちょっと,わかりません……」



「そうか……わからないか。魔術師を探せという命令は受けていないが,魔術師を殺すなという命令も受けていない。どれほどの魔術師かは知らんが,もし我々が知っているやつなら,そいつらを見つけて喰らいたいところだ」



「あと……なぜ,このフロアの人間を殺したのでしょうか?」



「ああ……? 我々は食事をしただけだ。お前ら人間も食事のために動物を殺すだろ。それとなんら変わらない。人間の血と体液を食事として喰らっただけだ」



 四人の恐ろしいほど美しく妖艶な女たちは,極上の食事を楽しみにしているかのようで,唇に触れて嬉しそうに顔を見合った。



「上位の魔術師は久しぶりだ。しかもこのオーラを我々はよく知っているやつに似ている。やつがまだ生きているなら,どれほど美味いか,いまから楽しみだ」



 四人の後に続いて言猿と聞猿が診療所を出ると,地下通路にミイラ化した関係者が何人も転がっていた。四人は気にも止めず,恐ろしく長い整った脚でミイラを跨いだ。



「どうした? 亡骸にお前たちの知り合いでもいたか?」



「いえ……彼らの聖書が見当たらないと思って……」



「ああ……それなら弐丸の身体の中だ。あいつはなんでも身体の中に仕舞い込む。どんな仕組みになってるのかは知らんし,知りたくもないがな」



 黒い法衣の隙間から骨と皮だけになった身体が見えたが,年齢や性別すらわからないほど変形していたが,言猿と聞猿は黙ったまま四人の後について進んだ。



「あの……どこへ向かってるんでしょうか?」



 言猿が壱丸に尋ねると,驚いた表情で言猿を見返した。



「どこって,魔術師のところだろ? なにを言っているんだ? お前は」



「え……? でも,魔術師の居場所は不明では?」



「お前はその程度か? その面をまったく使いこなしていないな。能力がほとんど解放されていないということだ」



「魔術師の場所がわかるんですか?」



「あぁ……? やつらは我々より先にあの診療所に来ていたぞ。お前たちと同じ時間帯に。我々の到着を察したのか,すぐに出て行ったがな。いま,そいつらの痕跡を追っているところだ。お前たち二人の面は察知すらできなかったのか? あれだけ大量の蟲がいながら,面は反応しなかったのか?」



「はい……まったく気づきませんでした……」



「あいつら,お前たちの真下のフロアにいたぞ」



「え……?」



「このオーラの持ち主,この魔術師は我々もよく知る存在に似ている。もし本当にやつなら,あれだけの魔術師を相手にできる我々の能力を試すことができる。千年前だったら四人でもまったく歯が立たなかっただろうが,いまの我々はかなり改造されているしな。まともにやりあえるはずだ」



「千年前?」



「お前たちも話くらいは知っているオリジンの一人だ。オリジンが動き出しているとは聞いていたが,まさかこんな近くに現れるとは。我々はツイてる」



「オ……オリジン……!?」



「なんだ? オリジンも知らんのか?」



「い,いえ,オリジンといえば伝説級じゃないですか? オリジナルでさえ会ったことがないのに,そんな化け物が診療所にいたんですか?」



「不滅の女王と呼ばれたオリジンを聞いたことはないか? 千年ほど前から三人のオリジンと恐れられ,六百年ほど前の魔女裁判が始まるきっかけとなったうちの一人だ。異常な再生能力でほぼ不死といっても過言ではなく,また時間を操作すると言われたオリジンのなかでもとくにやっかいなやつでな」



「不滅の女王? 三人のオリジンの話は知っていますがその能力は初めて聞きました。不死なうえに時間操作……? オリジナルに不死がいると記録されているのは覚えていますが……オリジンにも?」



「ああ,そのオリジナルか。不滅の女王はそいつの始祖だ。不滅の女王の名前はウン・シュテルプリヒカイト。本当の名前は名乗らない,ふざけたやつだ。いまはなんと名乗ってるかは知らんがな」



「ウン・シュテルプリヒカイト……。そのまま不死,不滅という意味の名前なんですね?」



「まぁ,見た目も変わっているだろう。だが,どうやってもオーラは変わらん。やつの禍々しい嫌になるほどの強烈なオーラは,普通のやつなら近寄ろうともしないだろう。微かに残るこのオーラですら十分すぎるほどその強さを物語っている」



「それにしてもお前たちは,その面の能力を理解していない。失った眼や耳,声の代わりくらいにしか思っていないようだな」



「え……?」



「面に十分な血を吸わせていないだろ?」



「あの……十分かどうかは……」



「その面は聖書と同じだと思え。血を吸わせ,育てることでお前たちの武器にも防具にもなる。ただし聖書と違い,お前たちの一部となり傷がついても自らの能力で回復する。お前たちが理解していないことは,ドゥルジ・ナスのところにメンテナンスをしに来ている時点でわかっていたことだがな」



 診療所を出てから本部とは真逆の通路を進んでゆくと,灯りの漏れる小さな部屋があった。薄暗い通路のなかに淡い光が漏れ,そこに大量の蟲が集まっていた。



「あれはドゥルジの蟲じゃない。ただの蟲だ。定期的に部外者の侵入などを報告してくるが,その制度はいい加減なうえに間違いも多い。いないよりましって程度だな」



 壱丸と弐丸が前に出て,その灯りにたかる蟲を黙って見つめた。言猿と聞猿の視界を長い脚と小さな尻が遮り,股の間から覗くような状態になった。


 すぐに面がざわつき,後ろにいる参丸と死丸からの殺気が背中に痛いほど突き刺さった。ホムンクルスが異常な警戒心を見せると,蟲たちがその場から消えていった。



「信じられんな。まさか本当にウン・シュテルプリヒカイトがいるとは……。しかも,こんなに近くに」



 壱丸が呟くと同時に,部屋のドアがゆっくりと開き,中から可愛らしいドレスを着た銀髪の少女が現れた。



「その名前で私を呼ぶのは誰だ?」



 ホムンクルスが緊張して呼吸が荒くなっていくのが言猿と聞猿にも伝わってきた。少女の登場とともに通路の空気が急激に冷たくなり,身体の内側から凍らせられてしまうような感覚に陥った。



「ウン・シュテルプリヒカイトか。随分と可愛らしい少女になったもんだ」



 銀髪の少女が壱丸に冷たい視線を向けると,そのオーラに壱丸が無意識に一歩下がったが,壱丸につられて弐丸も一歩下がった。少女はあたりをゆっくりと見回すと状況を察して微笑んだ。



「おお……お前たちはドゥルジ・ナスの傀儡ぐくつたちか。久しいな。千年振りくらいか」



「ほう……我々のことを覚えていたか。それはそれは嬉しいことだ。貴様にはあんなに何度も無惨に殺されたのに,こうして実際に会うと懐かしさを感じるとは,不思議なもんだ。残酷に殺された記憶が鮮明に蘇ってくる」



「お前たちのことを忘れろというほうが無理だろ。何度バラバラにしても跡形もなく潰しても再生してくる面倒なやつらだからな。主人であるドゥルジ・ナスを消滅させない限り,お前たちは何度でも復活する。で,いまは四匹か? 以前は五匹いただろ?」



「ウン・シュテルプリヒカイトよ。我々は運がよい。今日はお前を喰うことができる。この千年間,我々がどれだけの人間と魔術師を喰らったか,魔女裁判のときに随分と成長させてもらったからな。ようやくその成果をみせることができる」



「なるほど,傀儡だけあって脳みそはないようだな。お前たち四人が同時にかかってきても,私には負ける要素がまったくない。そして今の話は不快だ。私の相方パートナーも黙ってはいないだろう」



「パートナーだと?」



 少女の後ろから小柄な男の子が顔を出すと,ホムンクルスたちがさらに一歩退いた。言猿と聞猿は状況を理解できておらず,ホムンクルスたちがなにを警戒しているのかさえわからなかった。



「えっと……,初めまして? そちらのセクシーなお姉さん方は初見かと思いますが,マスク姿の二人は……一方的にですが,存じ上げています……」



「なに,その仕事のできないサラリーマンみたいな中途半端な気持ちの悪い挨拶?」



「え? いや,ほら,もしかして見逃してくれたらいいなって」



「ダサ……」



 恐る恐る挨拶をする仁を見て,参丸が震えだし,死丸の後ろに身を隠した。その様子を見ていた壱丸と弐丸が警戒心を強め,さっきまでの雰囲気が一変した。



「うっわ……セクシーな女性からそんな態度取られると地味に傷つくんだけど。イケメンになってからは,こんな扱い受けなかったのに……へこむなぁ……」



 全身の筋肉が痙攣するかのように細かく動き,まるでいまにも飛びかかってきそうな雰囲気の壱丸が一歩前に出て,仁を睨みつけた。



「うちの参丸が身を隠すなど,余程のことがない限りないことだ。随分とふざけた態度だが,ウン・シュテルプリヒカイトが相方という貴様は何者だ?」



「誰だと聞かれても……まぁ,当然だけど黒法衣と一緒にいる人たちとは敵になるかな……」



 仁は困った表情で少女を視ると,なにかを感じとったのか少女の口元を視て黙ったまま何度か頷いた。これまで少女とは度々こうして意思の疎通をすることがあったが,今回,少女が仁に伝えた内容は明確だった。


 少女は腕組みをして真っ直ぐホムンクルスたちを見ていたが,視線を外さず小さく頷くと同時に仁が飛び出した。



「ごめんね! うちの主人があんたらホムンクルスを殺ってこいって言うんで。俺,人間を殺すの好きじゃないんだけど,ホムンクルスって蟲でできた傀儡なわけで人間じゃないし。でも,まぁ,お互いに敵って認識してるし,しょうがないよね。綺麗なんだけど,害虫駆除ってことで」



 一瞬で,言猿と聞猿の二人とホムンクルスの間に滑り込むと,力任せに弐丸の鳩尾みぞおち目掛けて拳を叩き込んだ。


 仁の拳が弐丸の胃を貫くと同時に素早く回転し,そのまま勢いをつけて参丸の脇腹を斬り裂くように拳を当てた。


 誰も身動きが取れないまま,一瞬で二人が倒れ込み,弐丸は胃を貫かれてうずくまって大量の蟲とともに聖書や薬を吐き出した。


 仁は微笑みながら蹲ったままの弐丸の首を蹴り上げると,勢いよく飛んでいく弐丸の首が壱丸にぶつかった。


 条件反射で首を掴んだ壱丸が,仁の動きに反応ができないでいると,突然間合いを詰めた仁が下から股の間に拳を叩き込み,そのまま勢いをつけて肘まで身体の中に拳を入れて一気に内臓を引き摺りだした。



「うわっ……相方として,めっちゃ,ひくわぁ……なに,その品のない攻撃……」



 少女が腕組みをしたまま,壱丸の膣に肘まで挿れて内臓を引き出している仁を見て不快な顔をした。



「肉弾戦,嫌いなんだけど主人からの命令なんで,ごめんね。それにしても凄いね! ホムンクルスって見た目ほぼ人間じゃん! 千年以上生きてると,こんなに生々しくなるんだ!?」



 ようやく反応した死丸が仁目掛けて鋭い蹴りを出したが,仁は股の下を潜るようにして身を低くしながら蹴りを入れて死丸の脚を叩き折った。



「そんな長い脚してたら隙だらけになるって。なんであんたらの主人はそんなエロ系セクシーモデルみたいな体型にしたのかな?」



 脚を折られ,床に倒れた死丸が顔を上げた瞬間,仁の小さな踵が上から顔面を叩き潰した。折れた脚と潰れた顔から蟲が溢れ出し,異臭を放った。



「さて,あと一人」



 脇腹の肉を削ぎ落とされた参丸は,あまりにも一方的な殺られ方にどうしたらよいのかわからず,戦意を消失していた。



「おいおい。さすがにホムンクルスであっても無抵抗になられたら攻撃できないって」



 参丸は黙ったまま削り取られた脇腹にそっと手を当てた。仁から視線を逸らすことなく,真っ直ぐ仁を見て薄らと笑った。



「そうか……ウン・シュテルプリヒカイトが連れているオリジナル,お前が松本仁か。不滅の右眼をもつオリジナル。なるほど,オリジン並みな動きをする。理解した」



 削り取られた脇腹から黒い炎が漏れ出したかと思うと,大量の蟲が脇腹を元の状態に復元した。



「お……? なんだ,自己修復ができるのか?」



「なるほど,松本仁。お前の身体能力は味わえた。お前一人ならなんとかならないこともないが,ウン・シュテルプリヒカイトが一緒となると我々に勝ち目はない」



「我々?」



 首のない弐丸の身体からも黒い炎が溢れて出し,その煙が大量の蟲とともに転がる首と繋がった。参丸がいなければすぐにでも首を潰しに行くのだが,完全に脇腹を修復し終わった参丸からは近寄りがたいオーラが感じられた。



「壱丸,早くしろ。お前のダメージは弐丸ほどではない。早く首を拾え! それから死丸,お前もだ。その程度でなにをしている」



 引き摺り出された死丸の内臓はすべて蟲になり,黒い炎に導かれて股の間から胎内へと戻っていき,顔の潰れた死丸もその姿を取り戻していた。



「仁。こいつらの本体はドゥルジ・ナスだ。あいつを殺さない限り,ホムンクルスは何度でも復活する。一匹でもドゥルジの蟲が生き残れば,そいつが核となり,記憶や経験などすべてを引き継いでいく」



 少女は床に散乱する大量の薬を楽しそうに踏み潰しながらホムンクルスを見た。



「ただ,今回はちょっと面白そうな実験ができる。どんな結果になるかはわからんが,効いたらウケる。仁,下がっていろ」



 楽しそうに笑いながらスカートを広げて回転すると,床に散乱した大量の薬の粉と埃を巻き上げた。


 埃と薬が混ざり合った白い煙が通路に充満すると,視界を悪くした。


 少女は刺繍のついたハンカチで口元を押さえ,仁はシャツを捲り上げて鼻と口を覆った。


 ホムンクルスはその場で立ちすくみ,言猿と聞猿は聖書を構えて攻撃されることを警戒した。視界が悪くなった以外なにも起こらず,誰もが黙ったまま様子を伺った。



「さて,早速なにか変化は起こってるかな? 仁,あなたが倒したホムンクルスはどうなってる?」



 仁を見て笑顔を見せると,仁は驚いた表情で少女とホムンクルスを交互に見た。さっきまで動きのあったホムンクルスが微動だにせず,その場で固まっていた。



「ちょ……どうなってんの? これ?」



 ホムンクルスたちの指先が大量の蟲となって床に落ちた。耳や鼻も溶けるように落ちてゆき,腕も肩から抜けるように落ちて足元に大量の蟲の死骸が広がった。


 脚が崩れ,胸が崩れ落ち,徐々に人の形を保てなくなったホムンクルスは,大量の蟲の死骸とともに人の姿を変えて醜くうねうねと這いずり回った。


 言猿と聞猿も跪いて,苦しそうに面を押さえて呻いていた。面の表面が波打ち,黒い炎が漏れ出していたが,ホムンクルスたちほど酷くはなく,仁と少女は黙って観察を続けた。



「この薬,すげぇな!」



「ナメクジに塩をかけるのと同じようなものよ」



「この駆虫薬,マジで効くやつか! これを地下通路全体に散布したら楽勝じゃん?」



 嬉しそうに床に落ちたパッケージを拾い上げ,薬の名前と製造会社を確認した。



「GET……って,これ,あいつの会社じゃん! やっぱ,あいつ優秀! 今度会ったときにいっぱい褒めてあげよっと」



 ホムンクルスは跡形もなく消え去り,その場には大量の蟲の死骸が残された。大量の死骸に埋もれるようにして,苦しそうに悶える言猿と聞猿が少しでも薬に抵抗し,この場から逃げようと,聖書から黒い炎に包まれたチェーンを仁に向けて放った。


 最初の数発は多少の勢いがあったが,仁に届くときには軽くあしらわれる程度になっていた。



「お前たち二人は生かしておいてやる。三人組を殺るのは,俺の娘たちの役目なんでね。勝手に俺が殺っちまったら,後で怒られるかもしれんからな」



 少女が足元で蠢く蟲を見ながら,ゆっくりと二人に近寄ると,か細いがハッキリした口調で命令にも似たメッセージを伝えた。



「お前たち二人は,本部に戻り,不滅のオリジンとその流れを組むオリジナルが現れたと伝えなさい。そして,それはウン・シュテルプリヒカイトが復活し,その力を受け継ぐ者である松本仁であると。あと,私の呼び名はシュテルとせよ! と。いちいち長い呼び名で呼ばれるのは面倒臭いのよ。ぶっちゃけ,可愛くないし」



 二人は苦しそうにしながら,黙ってシュテルと仁を交互に見た。



「不滅の女王(die Unsterblichkeit)は,いまより,シュテルと名乗り,松本仁とともにお前たち教団およびその協力者を滅ぼす。そして,罪もなく殺されていた魔術師と人間の魂を鎮め,我々の求める世界を創る! 二度と魔女裁判は起こさせない!」



 言猿と聞猿の面からは蟲の死骸がこぼれ落ち,蟲が落ち切ると苦痛から解消されたが,同時に体力も奪われ意識を保つこともできなくなり,その場で死んだように崩れ落ちた。



「なぁ,急にシュテルとか言い出してどうした? 俺もシュテル呼びでいいのか? 何気に師匠だの主人だの,呼びにくかったんだけど」



「好きにしたらいい。そもそも名前なんて私には意味のないことだから」



「わかった。シュテルって呼ぶ!」



 大量の蟲の死骸を確認すると,面の二人を残してその場を去った。縫うように地下通路を進みながら仁は初めて少女に親しみを感じていた。これまで一緒にいて少女から名を名乗ることはなく,聞いてもはぐらかされていた。



「うちら,不滅の女王シュテルとその右眼の仁って感じ? なんか厨二病っぽくない? 大丈夫?」



「その言い方,なんかキモイんたけど?」



「うん,知ってる。でもさ,あれだけ派手にやらかしたんだし,教団も本格的に動き出すんじゃない? うちらも娘たちと合流する? 不死とまではいかないけど再生能力だったら高めの二人だよ。それに峻はめちゃめちゃ優秀だし」



「合流はまだ先でいいわ。いまは身軽に動きたいからあなたと二人のほうが都合がいいし。取り敢えず,峻は知っているので,彼にだけ会っておきましょう」



「了解。なんかテンション上がるね」



「仁,あなたは破滅の左眼を見つけなくちゃいけないのよ。両眼が揃ったときに本来の能力が使えるようになるんだから」



「もう数百年間,ずっと探してるんだけどねぇ。見つからないんだよね,俺の左眼」



「破滅と不滅,あのとき私たちはあなたに託したんだから,さっさと見つけなさいよ」



「ああ……そんなこと言うから,あの地獄のような光景を思い出しちゃうじゃん……」



「神をも殺そうとしたあなたが言うセリフじゃないわね。あと,あなたの戦い方,すっごい不快だから,もうちょっとなんとかして」

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