死神と七匹目の子山羊

umekob.(梅野小吹)

死神と七匹目の子山羊

〈一〉



 ブロッシア行きの夜行列車がトロン駅に到着するのは、どうやら零時過ぎのことらしい。赤毛の髪をふたつに結った小柄な少女は古びた生成りの時刻表を暫し眺め、誰もいない虚空に向かって「零時台の列車に乗るわよ」と語りかけた。

 ブロッシアは大陸最北の街であり、ここから列車で十日もかかる遠方の地。街のシンボルとも呼ばれる古い時計塔が有名で、一年の大半が雪に覆われた寒さの厳しい地域だが、この時期は雪桜ネーヴェと呼ばれる純白の花の木が湖周辺に連なって世にも美しい絶景が拝めるのだという。

 彼女はそこを目指し、此処──トロン駅で列車の到着を待っていた。


「ちょっと、ジルゴート、変なところで立ち止まらないで」


 程なくして、またも虚空に話しかける彼女。壁側を向く視線はどこか呆れたようなそれだが、やはり周囲には誰もいない。それどころか、駅には彼女以外の人間が誰一人として見当たらなかった。

 傍から眺めていた王国鉄道の職員は不審に思い、黒い帽子を被り直しながらその様子を盗み見る。


 実際の体躯より些か大きいように見える毛皮のポンチョに、本革のレザーグローブ、所持したバッグやブーツも一級品。身なりから察するに上流階級アッパークラスのご令嬢らしいが、従者や両親といった〝付き人〟の姿はどこにもなかった。

 人気ひとけのない駅の構内で、十代半ばの少女が一人、しゃなりと背筋を伸ばして夜行列車を待っている。


 ふむ、と赤茶けた顎髭を撫ぜ、駅員は重い腰を上げた。


「もしもし、お嬢さん。お一人かな?」


 努めて優しげに声をかける彼。少女は目鼻立ちの整った顔を上げ、少しの間を置いて「はい」と上品に会釈した。


「わたし、ブロッシアに行きたいの。一度本で読んだ雪桜ネーヴェの湖と、大時計を見てみたくて」

「ふむふむ、なるほど、観光なのかな。それは構わないが、こんな夜中に子どもが一人なのかい? ご両親は? 大人の方は、誰かご一緒じゃないのかな?」


 にこやかに探りを入れる駅員に、少女ははたりと瞳をしばたたく。ややあって「あら、もうそんな質問されるような年齢なのね……」と呟いた彼女は、いぶかしむ駅員に柔く微笑んで見せた。


「……今はいないの。近々母が出産予定で、父も母に付きっきりだから、しばらくブロッシアの親戚のところに預けられることになったのよ。だから一人で大丈夫。ご心配どうもありがとう」


 それらしい理由を並べ立てれば、どうやら彼も納得したらしい。「ああ、なるほど、お母様がご出産なさるんだね!」と容易に顎を引く。


「そうかそうか、そりゃあ大変だ。夜は冷えるから、あとでブランケットを持って来てあげよう。ブロッシアは遠いからねえ、何か困ったり、分からないことがあれば何でも聞いておくれ」

「まあ、ありがとう。助かるわ」


 少女はスカートの両端を摘み、丁寧なお辞儀と共に目尻を緩めた。

 年齢の割にどこか大人びた雰囲気のある彼女に首をひねりながらも、「そうだ、乗車券は買ったかい?」と尋ねる駅員。少女はひとつ瞬いて顔を上げる。


「……いいえ、まだよ。乗車券というものがいるの?」

「そりゃあ、鉄道なんだから乗車券はいるさ。片道につき、一人一枚の乗車券が必要だよ。一般車両か専用個室か選べるからね」

「まあ、そうなのね! 知らなかったわ、鉄道なんて初めてだもの。じゃあ、その乗車券とやらを貰おうかしら。そうね、個室で二人分・・・──」

「え、二人?」

「あっ……。ひ、一人分だわ! 一枚だけで結構よ! わたし一人分で、片道分の乗車券をくださる?」


 つい口走った言葉をごまかし、少女は笑顔で身を乗り出した。すると今度は駅員が瞳をしばたたく。


「……片道? 往路だけでいいのかい? 復路の乗車券も購入できるけど……」

「ふふ、片道だけで問題ないわよ。だって──」


 どうせ二度と帰ることのない旅だもの。


 そう続けようとした言葉を飲み込み、少女は張りぼての笑顔を浮かべて、「いえ、何でもないわ」とうそぶいた。



〈二〉



「ジルゴート、困ったことになったわよ。わたし、もうそろそろ〝保護者〟が必要な年齢みたい」


 ガタン、ゴトン。

 零時過ぎの列車に無事乗車した少女──カペラは、狭い個室の窓際に腰掛けながら目の前の男に語りかけていた。

 傍から見れば、その場所には誰も存在していない。だが、カペラには一人の横柄な態度の男が見えている。


 彼──ジルゴートの姿は、カペラにしか見えないのだ。


「おい、カペラ。ホゴシャとは何だ」


 白銀の髪を肩口まで伸ばした美男子は、簡素なローテーブルに片足を乗り上げたふてぶてしい態度を崩さぬまま仏頂面で問いかける。カペラは慣れているのか涼しい顔でそれを見遣り、彼の問いに応えた。


「保護者っていうのは、親とか従者とか……とにかく大人よ。子どもが一人で夜道を歩いていると目立つの。そんなことも知らないの? 無知なのねぇ」

「無礼な口を叩くな、俺は〝神〟だぞ。愚弄すればどうなるのか分かっているのか貴様」

「るっさいわね、神は神でも〝死神〟でしょうが。一丁前いっちょまえに偉ぶってんじゃないわよ」


 脚を組んで一切の物怖じもしないカペラに、死神であるジルゴートは深い溜め息をこぼしながら「今まで幾千もの人間と関わったが、死神である俺を前にしてここまで動じないのは貴様が初めてだ……」と頭を抱える。

 しかし彼の嘆きにも興味など無いのか、「そんなことより、保護者よ、保護者!」とカペラは再び話題を戻して声を張り上げた。


「わたし、これ以上若返ったら・・・・・一人で外を出歩けなくなるわ。どうにかしなさいジルゴート」

「何で俺が貴様の頼みを聞かなければならないんだ」

「アンタが毎日わたしの年齢をひとつずつ食べる・・・せいで、こんなに若返っちゃったんでしょうが! 元々は四十五歳だっていうのに!!」


 脚を組み替え、カペラは語気を強める。

 そう、カペラはとある経緯いきさつでこの死神と出会ってしまって以降、〝一日に一歳ずつ年齢いのちを吸い取られる〟という呪いにかけられているのだ。


 つまり彼女は、一日経過する度に一歳ずつ、体が若返っている。


「アンタと出会ってそろそろ一ヶ月……少し前までオバサンだったはずなのに、気が付けば十代半ばよ! めちゃくちゃ体力有り余ってるのはありがたいけど、子どもの一人旅ってのは世間の目がかなり怖いわ! アンタ、今後のために今すぐ話の分かる保護者役を探して連れてきなさい。従順なイケメンでよろしく」

「無茶を言うな。あと俺は神だと言っているだろ気安く命令するな殺すぞ」

「うるっさいわね、どうせあと二週間足らずで胎児まで若返って死ぬのよこっちは! 今死のうが後から死のうが変わらないんだからアンタの脅しなんか怖くないわ!」

「くそ……普通は死を目の前にすると恐怖で取り乱すはずだろうが。平気な顔で減らず口ばかり叩くなよ、死神のプライドもそろそろ折れるぞ」


 ぶつぶつと苛立った様子でぼやきつつ、やがてジルゴートは「……分かった」と不服げに頷いた。何が分かったのかとカペラが首を傾げれば、彼はやはり不満そうにのたまう。


「俺が人間に擬態して、貴様のホゴシャとやらをしてやる。それでいいだろ」

「アンタね、今の話聞いてた? 従順なイケメンがいいって言ったのよ、わたし」

「従順かどうかはともかく、俺はイケメンだろうが」

「若い子には興味無いのよね……」

「貴様の三十倍は長く生きとるわクソガキが」


 思わず言葉尻が汚くなりつつも、ジルゴートは溜め息混じりに「そろそろ寝る時間だろ」とカペラを促した。すると今度は彼女が不服げに唇を尖らせる。


「えー、まだ話したいことたくさんあるのに」

「ダメだ。今日はまだ薬も飲んでいないんだろう、早く飲め。貴様は体が弱いんだろうが」

「どうせジルゴートがわたしの年齢いのちと一緒に病気まで食べちゃうから平気よ」

「それはそうだが、一応飲んでおけ。まだ死にたくなければな」

「ふふっ、死神のくせに何言ってんの? アンタって意外と心配性よね」


 おかしそうに笑ったカペラは肩を竦めつつも、言われた通りに持病の発作を抑える錠剤をひとつ口へと運び、水と共に嚥下した。それを確認したのちに、ジルゴートは彼女を狭い簡易ベッドへ誘導する。


「列車って、ずっと揺れてて面白いわ。前は病気のせいでずっと屋敷から出られなかったけれど、外の世界ってすごく楽しいわね。夢の中でもガタゴト〜って揺れてるのかしら」

「知らん。さっさと寝ろ」

「はいはい、おとなしく寝ますよー。おやすみ、ジルゴート」


 年相応の少女のように、柔らかく笑いかけるカペラ。ジルゴートは無言でその前髪を掻き分け、仰向けになった彼女のひたいに軽く口付けを落とした。

 すると触れた箇所から浮かび上がった光の粒が彼の唇をなぞり、舌を伝って口内に消えていく。同時にカペラは眠りに落ち、その体もほんの少しだけ縮んだように見えた。


 やはり、若い体はひとつ歳を食らっただけで目に見えて小さくなってしまうな──ジルゴートは無言のまま思案する。


「……何が、〝今死のうが後から死のうが変わらない〟だ。いつ死んでもいいのなら、こんな旅など不要だろう」


 ひとつ、いのちを喰らい、呟く死神。

 しかしそんなぼやきに応える者などいるはずもなく、穏やかな寝息とレールを踏み越える列車の音だけが、狭い個室の中に響いていたのだった。



〈三〉



 カペラがこのやまいをわずらったのは、一歳になったばかりの頃だ。本人に記憶はないが、商船で国を跨ぐことの多かった父親が他国から持ち帰ったものに感染してこじらせたのだという。


 最初は軽い風邪程度の症状しかなかったが、年齢を重ねる毎に体は少しずつ蝕まれ、喘息になり、徐々に走れなくなり、歩けなくなり……四十を超える頃には立ち上がるどころか、ベッドから自由に身を起こすことすら出来なくなった。


 裕福な家庭ゆえに両親は様々なものをカペラに与えたが、屋敷を出られない彼女にとって高貴なドレスや宝石など無意味なものだ。興味を示さず突っぱねてばかりいれば、やがて病弱で可愛げのない娘に嫌気がさしたのか、妹が産まれるやいなや厄介払いでもされるかのように両親はカペラに寄り付かなくなった。


 そんな中、カペラが唯一心の拠り所としていたのが、物語の中に描かれる美しい風景である。


『わたしも自分の足で歩けたのなら、こんな素敵な場所にも行けるのに』


 叶うはずもない夢物語。

 どこか諦めた声色で、その言葉が彼女の唇の上をなぞった頃──ひらり、飽くほどに見た窓辺の風景を自身の影で遮り、彼は現れた。


『誰……?』


 白銀の髪に、息を呑むほど整った容姿の、突として現れた見知らぬ男──それが、死神・ジルゴートとの出会いだった。

 黙って窓辺に立つ男にもう一度『ちょっと、アンタ誰なのよ』と問えば、彼は藍の瞳を細める。


『ほう、俺の姿が見えるのか』


 通常、生きた人間に死神の姿は見えない。

 だが、それが〝死に近しい人間〟であれば別である。


 死神の姿が見える──尚且つ混乱する様子もない人間に些か興味を持ったのか、自身の名をジルゴートと名乗った彼はカペラの元へ近付いた。


『貴様、名は?』

『……カペラ』

『ふん、子山羊カペラか。随分と脆弱な名だ』


 あざけりつつ、ジルゴートは『どうやら、貴様はじきに死ぬようだな。死神である俺が見えているということはそういうことだ』と眉ひとつ動かさずに続ける。


 人間は〝死〟の宣告に恐れおののくものだ。この女も例に漏れず取り乱すのだろう──そう考えた彼だったが、カペラの反応は実に薄っぺらなものだった。


『あら、あなた死神なの? あっそう……わたしを迎えに来たってわけ。暇なのね』

『おいちょっと待て、何を普通に受け入れているんだ貴様。もう少し怖がるとかないのか。あと俺は別に迎えに来たわけではない、偶然通りすがっただけだ。暇じゃない』

『ふうん……まあ、なんでもいいけれど。それじゃあ死神さん、今すぐわたしを殺してどうぞ』


 一切の揺らぎもなく、あっさりとジルゴートにその身を差し出そうとするカペラ。想定していない発言に彼は訝しみ、『何だ貴様、気持ちが悪いな』と眉根を寄せて言い放つ。

 失礼な死神ね、とむくれながらも、カペラは続けた。


『どうせもうすぐ死ぬんでしょ? だったら今すぐひと思いに殺してちょうだい。体が弱くてうんざりしているのよ、四十五年もこんな体よ? 両親にも愛想つかされたし、去年までは起き上がれたのに、今は寝たきり。生きていても退屈だわ』

『貴様の事情など知らん。そもそも俺は勤務時間外に人の命を奪う趣味はない、上の許可も降りてないしな』

『死神って勤務制だったの? しかも許可が要るの?』

『申請して押印した書類と身分証の提示が必要だ。手間を増やすな、残業はしない主義だぞ』

『死神界隈も面倒なのねえ……』


 意外な事実に目を細めつつ、カペラは力なく天井を仰いだまま『じゃあ、もうどこかへ行っていいわよ。さよなら死神さん』と掠れ声を投げかける。

 ジルゴートは暫く黙って彼女を見下ろしていたが、程なくしてまた一歩ベッドに近付き、カペラの前髪を掻き分けた。


『貴様、そんなにその体が嫌か?』

『……? ええ……』

『死ぬことに一切の躊躇ためらいも無いほどにか?』

『そうよ』

『……そうか。だったら、特殊な〝まじない〟であればかけてやってもいい』


 無表情のまま死神は告げる。『まじない?』と眉をひそめたカペラに、彼は頷いた。


『ああ──貴様の年齢いのちを喰らう呪いだ』


 カペラに端正な顔を近付け、ジルゴートは続ける。

 そうして彼が彼女に与えた呪いこそ、〝一日毎に一歳若返る〟という、生命を削る呪いだった。


 毎晩寝る前、ジルゴートはカペラのひたいに口付けを落とす。その際生まれる淡い光の粒が〝いのち〟の欠片であるらしく、彼がそれを一粒食べるたび、カペラの体は若さを取り戻すのだ。

 しかも年齢が若返るだけではなく、病によって蝕まれたはずの体力まで当時と同じ状態に戻ってしまうようで──


 数年間ベッドの上から動くことすらできなかったはずの彼女の体は、なんとたったの五日で、自力で歩けるまでに回復したのだった。


『……すごい……すごいわ、見て、ジルゴート! わたし、一人で歩けているわよ!』


 年齢が四十を下回った頃、カペラはうら若き少女さながらの笑顔でジルゴートに歩み寄った。


 よろけて倒れそうになる体を支えてもらいながら『あなたが病気を食べてくれたのね!』と喜ぶ彼女に対し、『俺は命を喰らっただけだ』とジルゴートは嘆息する。


 それでも喜びを隠せないカペラは、彼の手を取って明るい声を上げた。


『ねえ、わたし、四十日後に死ぬんでしょう?』


 そんなに嬉しそうな顔で言うセリフか? と困惑しながらも、ジルゴートは『ああ』と顎を引く。するとカペラは『あのね、あなたにお願いがあるの』と続けた。


『四十日だけ、わたしと一緒に旅をしてくれない?』

『はあ?』

『わたし、もしも自分の足で歩けるようになったら、世界の美しい風景をこの目で見てみたいと思っていたの。まさか本当に歩けるようになるだなんて思ってもみなかったけれど、いま叶ってしまったんだもの! ねえ、お願い。わたしの死を見届けると思って、四十日だけわたしの旅に付き合って、ジルゴート』


 死へと歩む旅への誘い。縋るカペラの瞳の奥に、恐怖の色はない。

 やがて彼女が見せつけてきた本のページには、〝ブロッシア山頂/ネーヴェ湖の大時計〟という注釈付きの美しい挿絵が描いてあった。この場所に行ってみたいのだと言う。


 素直に、変わった女だと思った。

 普通、人間は死を怖がるし、死神を嫌悪する。それなのに、この女の目には希望しか宿っていないのだ。


 ジルゴートはしばらく黙って彼女を見下ろしていたが、ややあってその頼みを受け入れる。


『……いいだろう、付き合ってやる。貴様を喰い尽くすまでの四十日間、ちょうどいい退屈しのぎだ』

『えっ、本当に!? やったわ、ありがとう!』


 ──それじゃあ、これから死ぬまでよろしくね、ジルゴート。


 それから。

 ジルゴートとカペラは、二人で様々な街を巡った。


 彼女の故郷を出て、最初は空の移ろいと雲の形を。

 次に森や川の風の匂いを。

 歩くことに慣れてからは、少しずつ街の中を。


 その目で見て、その手で触れて、その足で歩く日々が続くに連れて、カペラの若返りは着実に進行して行った。


 あの日から、約一ヶ月。

 少女の姿にまで若返ったカペラの隣で、死神は今日も流浪の旅路を歩んでいる。


 嫌々ながら請け負った、彼女の〝保護者役〟を務めながら。


「あっ、ちょっともう! ジルゴート、変なところで立ち止まらないでってば」


 見た目が十歳ほどになったカペラは顔を上げ、突然立ち止まったジルゴートの背中を小さな拳でぽこんとった。


 現在、列車は設備点検のため、ひとつの街に長く滞在している。二人は夜の運行再開まで時間を潰そうと街を観光した帰りなのだが、その道中、出店していた土産みやげ屋の商品にジルゴートが珍しく興味を示して足を止めたという経緯である。


 背を叩くカペラを無視して何らかの商品を手に取った彼は、「これをくれ」とすぐさま即決して購入した。呆れるカペラの傍ら、女店主は朗らかに笑って「はいよ〜」と頷く。

 次いで、端正なジルゴートの顔を視界に映すと彼女はたちまち明るい声を上げた。


「あらまっ、お兄さんイケメンだねえ! お隣は妹さんかい? こちらも可愛いじゃないか、美男美女で羨ましいよ」


 店主のお世辞に無言を貫くジルゴートに対し、カペラは「あら」と満更でもなく口角を上げる。


「うふふっ、ありがとう! わたしたち、少し歳の離れた兄妹なのよ。ねっ、兄さん?」

「……ああ」


 満面の笑みで虚言きょげんをのたまうカペラ。人間にも視認出来るよう己の体を可視化させている死神は、うんざりした表情ながらも〝保護者〟兼〝兄〟として頷いた。


 土産屋の女店主は「あらあら、こんなに可愛い子がいると、お兄さんは男の影が心配で気が気じゃないだろう? 大変だねえ」と茶化してくるものの、ジルゴートは『こんな女が男に襲われるものか』と顔を顰めるばかり。一方で、カペラはやはり満更でもなさげに照れ笑いしている。

 喋り好きの店主はその後も嬉々としてカペラに話しかけては──本来ならば年齢的に近いせいか──二人できゃっきゃと盛り上がっていたが、話の長さに辟易したジルゴートが強制的に終止符を打ち、彼らは店を後にするのだった。


 そのまま夜行列車の個室に戻ってきた二人は、硬くも柔くもないソファ席にどっかりと腰掛ける。


「ふふふっ、聞いた? ジルゴート。あのお店の人、あなたのこと〝夜はオオカミになるタイプ〟ですってよ。あははっ、愉快だわ」

「誰がオオカミだ、あんな獣と同じにするな」

「カミはカミでも、あなたはシニガミだものね〜」

「貴様、俺を愚弄しているだろう。殺すぞ」


 じろりと睨むが、カペラはやはり動じない。嘆息しつつ、「そもそも、俺がオオカミだったら何が愉快なんだ」とジルゴートは問いかけた。


「だって、物語の中ではいつだってオオカミが負け役じゃない。悪いことしようとするのに総じてロクな目にあわないのよ、哀れよね」

「貴様やはり俺を愚弄しているだろうが。俺は負け犬だとでも言うつもりか?」

「ご名答、あなたがオオカミならわたしは子ヤギよ? 最後はわたしが勝つってことでしょ」


 ふふん、と悪びれなく得意げに言い放つ。

 出会った日から変わらぬ勝ち気なその態度は、死期が刻々と迫ってもなお崩れることを知らない。はあ、と眉間を押さえる死神の正面で、カペラは口角を上げた。


「ねえ、ジルゴート──オオカミが七匹の子ヤギを食べちゃうお話を知ってる?」


 程なくして不意に、大人びた視線を送りながらカペラはたずねる。ジルゴートは顔をもたげてかぶりを振った。


「……いや」

「むかーしむかし、あるところに、七匹の子ヤギが住む家がありました。ところがある日、悪いオオカミがやってきて、中にいた子ヤギたちを食べてしまいます。けれど古時計の中に隠れていた一匹だけが見付からずに助かって、悪いオオカミは、自分が食べ損ねた七匹目の子ヤギがきっかけでこらしめられてしまいました」

「……」

「ほらね、子ヤギとオオカミだったら子ヤギが勝つでしょう? オオカミって爪も牙もあるのに、詰めが甘いのよ」


 かいつまんで童話の経緯を語ったカペラは、楽しげに頬杖をつきながらジルゴートを見遣る。何かを見通すような視線に、らしくもなく死神は目を逸らした。


「……何が言いたい」

「いいえ、なーんにも。あなたには関係ないお話だったわね、ジルゴートはオオカミじゃなくて死神だもの。か弱い獲物を仕留め損ねるような真似しないわ」

「……くだらん」

「そういえば、さっきお土産屋さんで何を買ったの? 街で何か買うなんて珍しいじゃない」


 話題を巧みに切り替え、カペラはジルゴートの手元にある紙袋を覗き込む。だが、それは彼の手によってサッと引っ込められてしまった。


「何でもいいだろうが。勝手に覗くな」

「何よう、見せてくれてもいいじゃない、けちね」

「うるさい黙れ。それよりも、さっさと今日の分の薬を飲めよ貴様。最近はすぐに眠くなるだろ」

「はいはい、分かりましたよ。まったくもう、わたしの死神様は心配性なんだから」


 肩を竦めたのちに、カペラは錠剤を水で流し込んで嚥下する。


 やがて夜のとばりが降りた頃、夜行列車は再び動き出し、彼女はまたひとつ、死神にいのちを喰われた。



〈四〉



「かつぜつがわるくなってきたわ」

「声も随分と高くなったな」

「んむ〜……こどものからだも、らくじゃないわね」


 カペラの年齢がとうとう一桁になり、体もほとんど幼児のそれと変わらなくなってきた頃。列車はついに、目的地であるブロッシアに到着した。


 車窓からもすでに見えてはいたが、辺りは一面の雪景色。真っ白な雪原を視界にとらえ、駅を出たカペラは瞳を輝かせる。


「わーっ! みて、ジルゴート! ゆき! はじめて見たわっ!」


 はしゃぐカペラは幼い声を張り、白い大地へ駆け出した。息切れせず走れるまでに体が回復したのはつい最近のことだが、それ以降、彼女はこうして突然走り出すことが増えてしまって手に負えない。

 まるで中身まで子どもに戻ったかのようだ。ジルゴートは目を細め、雪に顔を突っ込んでけたけたと笑うカペラに呆れる。


「カペラ、遊んでないで戻ってこい。さっさと宿に向かうぞ、大時計は山の上だ。日が昇ってから出発する」

「ふふふ、じゃあ、じかんがたくさんあるじゃない! ジルゴートも、いっしょにゆきだるまづくり──はっくしゅん!」

「ほら見ろ。体はまだ弱いんだから、無理をするな」


 ため息混じりに手招きし、やがて大人しく戻ってきたカペラをジルゴートは突然抱き上げる。「ひゃあっ!?」と驚く彼女を自身のコートの内側に収めた彼は、「冷えると体に障るからな」と表情ひとつ変えずにのたまった。


「お、おろしてよ、はずかしいわ。わたし、おばさんなのに……」

「今はもう子どもだろ、誰も気にしない」

「わたしがきにするのっ」

「いいから黙っていろ」


 渋るカペラを抱き上げたまま、ジルゴートは歩き出す。


 彼女が目的地とする〝ネーヴェ湖の大時計〟とやらは、街の裏にそびえるブロッシア山の頂上にあるらしい。順調に進めば一日ほどで山頂にたどり着けるそうだが、悪天候に見舞われやすいという情報を得ていたため、天候によっては三日以上かかるかもしれない──という可能性を彼は危惧していた。


 カペラの現在の年齢は、おそらく四歳か五歳程度。

 本人は『時間ならたくさんある』とのたまっているが、実のところ、あまり猶予は残されていない。


 ややあって街の宿の前まで行き着いた頃、ジルゴートは何かを考え、空を見上げて足を止めた。


「……? なあに、ジルゴート。へんなところで立ち止まらないでよ」


 変なところで立ち止まらないで──この短い旅の中で、彼女の口からよく聞いた台詞。それを耳で拾い上げ、ジルゴートは寒空の下で星を眺める。


「そろそろ、旅も終わりだな。カペラ」

「ん? ……ふふ、なあに、なごりおしいの?」

「いや。子守りから解放されて清々する」

「つれないわねえ。……わたしは、たのしかったわよ。この旅」


 カペラはジルゴートに身を寄せ、目を閉じながら穏やかに告げた。


「ジルゴートも、この旅、たのしかった?」


 柔い子どもの肌と、あたたかなぬくもり。

 優しく紡がれた、至極単純な問いかけ。


 けれどジルゴートは何も答えず、彼女の髪をさらりと撫ぜて、宿の中に足を踏み入れる。


 答えられなかったのではなく、答えなかったのだと、彼は自分自身に言い聞かせた。



 ──かくして、次の日。

 街で多めの食料を買い、二人はネーヴェ湖へ続く山を登り始める。


 しかし途中でやはり天候が急変し、強い吹雪に襲われた彼らは、その度に山小屋へ逃げ込んで一夜を明かすことになってしまった。


 幸いそこまで酷くはならず、暖もじゅうぶんに取れて無事に登山は再開できたが、カペラの体は少しずつ小さくなり、日毎に山を登る体力が落ちていく。


 それでも横切るキツネや小鳥を物珍しそうに観察し、宝石さながらの氷樹ひょうじゅに胸を躍らせ、時折ムキになって雪玉の投げ合いを繰り返しながら、山を登って、登って──


 山を登り始めて三日目の夕日が雪原を橙色に照らした頃、彼らはついに、ネーヴェ湖の周辺へとたどり着いた。



「……これか、貴様が最期に見たかったのは」



 ひらり、ひらり。

 凍った湖を囲うように咲いた、真っ白な桜の花弁が、粉雪に混じって舞っている。


 枝垂れた木々に満開の花。

 オレンジに染まる夕焼けの空。


 氷上に映り込む美しいそれらの情景の奥で、煉瓦造りの大時計は静かにたたずみ、世界の時を刻んでいた。



「カペラ、見えるか。これが、貴様が望んだ最期の景色だ」



 ジルゴートは表情を変えず、腕の中のぬくもりにたずねる。


 彼女はゆっくりと顔をもたげ、振り返って、長くめざした旅の終着点へと視線を移したが──


 どこか遠い目で口寂しそうに指をくわえるその姿は、もはや言葉すら満足に発することができない、無垢な赤子の姿だった。



「……うー、あー?」

「ああ、そうだ。ここが貴様の来たかった場所だぞ」

「んまー、ぷう」

「そうか、嬉しいんだな」

「きゃっ、きゃっ」


「カペラ──」



 柔い髪の毛。

 ぬくい人肌。


 それらを腕の中に包み込み、努めて穏やかな声色で、死神は続けた。



「もう、おやすみの時間だ」



 とぷり、雪山の向こうに溶け落ちた夕焼け。

 夜の静寂しじまが辺りに満ちて、死神は赤子のひたいに口付ける。


 最後のいのちの一粒を、喉の奥に嚥下した時。

 ふと、彼の脳裏には先日のカペラの問いが過ぎった。



 ──ジルゴートも、この旅、たのしかった?



「……どうだかな」


 静かになった腕の中の赤子に呟き、ジルゴートは数日前に土産屋で購入した紙袋を取り出す。

 やがて彼がそこから取り出したのは、山羊やぎを模した銀のネックレス。それを赤子の首にかけ、ぽつり、彼は口を開く。


「勘違いするな、カペラ」


 忠告するように口火を切った死神は、腕の中の赤子を狭いバスケットの中に収めて時計塔の中に入った。


 すう、すう──

 穏やかな寝息をたてて眠る小さな生命の心臓は、なんと、まだ動いている。


「俺は貴様を食い損ねた・・・・・わけじゃない。腹が満たされて、食い残した・・・・・だけだ」


 眠る赤子に語りかけ、ジルゴートはその頬を撫でると床にバスケットを降ろした。

 あたたかな毛布でくるみ、出来うる限りの防寒をほどこして、彼は続ける。


「貴様が一歳の頃にわずらったという病は、俺が貴様の年齢いのちを零になるまで喰らったことで、もうすべて飲み下した。ここから先は、貴様自身の運次第。運良く誰かに拾われるか、凍え死ぬかの二択」


「もしも誰かに拾われれば、貴様は〝死〟の運命から遠ざかる。じきに死神である俺の姿は見えなくなり、俺と過ごした記憶も、病に伏せっていた頃の記憶も消えてしまうだろう。その先は新しい人生を歩むことになる」


「貴様の年齢いのちは食い飽きた。ガキのお守りもうんざりだ。……あとは自分の足で歩いて、歩き飽きた頃に、また俺の元へ来い」


 立て続けに語りかけ、眠るカペラの頬を撫でれば、彼女はふにゃりと破顔してジルゴートの手を握った。


 無垢な赤子の無防備な手。

 それを優しく握り返した彼は、彼女と出会って初めて、自身の口元を柔く緩めた。


「──その時は、遠慮なく貴様を喰ってやる」


 授けた山羊のネックレス。彼の分身であるかのようなその銀色に口付け、特別な魔法をかけて、ジルゴートはその場を離れる。


 それから程なくして、何らかの魔法の呼び掛けに導かれたかのように、一人の青年が時計塔にやってきた。

 大時計の掃除人を任されている彼は、夜の清掃にやってきたのだ。


「はあ、今日も冷えるなあ。早く掃除を終わらせて家に帰りた──……ん?」


 独りごちて時計塔に足を踏み入れた青年は、普段とは異なる違和感を感じ取りながら塔の中に明かりを灯す。

 途端に小さなバスケットに収められた赤子を視界が捉え、「えええっ!?」と驚愕した彼は慌てて彼女を抱き上げた。


「な、なんでこんなところに赤ちゃんが!? だ、大丈夫か!? 生きてるか!? あわわ、どうしよう……!」

「ふ……っ、ふぇ……っ! ふえええん!!」

「うわああっ、ご、ごめん、起こしちゃった! あわわわっ、だ、誰かー!」


 青年は赤子を抱いたまま、慌ただしく時計塔を出て走り始める。


 泣きわめく赤子。その目に死神の姿は映らない。

 彼女はまるで誰かのことを求めるように、雪のちらつく灰色の空へと、小さな手を伸ばすのだった──。



〈五〉



 ──十五年後。


 春を迎えた大陸最北の地・ブロッシアにて、カラコロと大きな荷物の車輪キャスターを引いた親子は、楽しげに駅の構内へと入ってきた。


 トロン行きの夜行列車がブロッシア駅に到着するのは、どうやら零時過ぎのことらしい。赤毛の髪をふたつに結った小柄な少女は古びた生成りの時刻表を暫し眺め、隣であくびをする養父に向かって「零時台の列車に乗るわよ」と語りかけた。

 その目は期待に満ちており、父は困ったように苦笑する。


「はあー、夜だっていうのに、お前は元気だなあ。お転婆に育っちゃって、パパはもうすでにクタクタだよ……」

「どうせ元気しか取り柄がありませんよーっだ! でもまだまだ疲れちゃだめよ、パパ! いまから十日間、楽しい夜行列車の旅なんだからね!」

「楽しいかなあ、これ……」


 頬を掻き、停車中の列車を横目で見遣る父。しかし娘は「楽しいわよ!」と豪語して譲らない。


「だってね、わたし、列車って好きなの。ずっとガタゴト揺れてて面白いでしょ? それに、なんだか懐かしい気持ちになるし!」

「懐かしいって……お前、列車なんて乗ったことあったか? 遠出はこれが初めてだと思うけど」

「え? あれ? そうだっけ……なんだか乗ったことある気がするんだけど、おかしいなあ」


 少女は首を傾げ、妙な既視感に訝る。

 父は朗らかに笑って、「夢の中で乗ったのかもな」と冗談めかしながら背を向けた。


「ほら、行くぞ、もうすぐ零時だ。どっちが先に乗るか競走! パパが一番乗り!」


 楽しげに告げ、不意打ちで走り出す父親。少女も我に返り、先を行く父を慌てて追いかける。


「あっ、待ってパパ! わたしも行く──」


 しかし、その足を一歩踏み出した瞬間。突として目の前で立ちふさがった背中に、少女は勢いよく顔をぶつけてしまった。「ふぎゃっ!?」と鼻を押さえ、彼女は尻もちをついて父を睨む。


「いたた……ちょっと、パパ! 変なところで急に立ち止まらないでよ、ぶつかっちゃったじゃない!」

「……え? 何が? 背中になんて、誰もぶつかってないけど?」

「……あれ?」


 キョトン、今度は父親が首を傾げる番だった。少女は眉をひそめてキョロキョロと周囲を見渡したが、他に人の姿は見当たらない。


「あ、あれれ……? じゃあわたし、いま誰にぶつかったのかしら……」

「あはは。もしかしたら、神様が見ていてくださったんじゃないか? お転婆なお前がいつもみたいにドジして線路から落っこちないように、わざとぶつかって止めてくれたんだろ」

「むっ……元はと言えば、パパが急に走るのが悪いんでしょ! わたしが悪いんじゃありません!」

「ひえっ、怒った! ごめんごめん、冗談だよ〜。怖い顔するなって」


 笑っておどけながら、父親は逃げるように列車へ乗り込む。

 少女はしばらくその場を動かずむくれていたが、ふと何かを思い出したかのように服の中に手を入れると、首から下げた銀のネックレスを取り出して指先でなぞった。


 この銀の山羊やぎのネックレスは、彼女が赤子の頃から肌身離さず持っていた物らしい。今でも理由は分からないが、なぜだか手放せずにいる物だ。


「……神様なんて、本当にいるのかしら」


 呟く言葉に答えはない。

 けれど、吹き抜けた風に優しく頭を撫でられたような気がして、少女は無意識に微笑んだ。


「──いるのだとしたら、きっとわたしの神様は、すっごく心配性なのね」


 しゃらり、首元で銀の山羊が揺らぐ。

 同時に車掌の笛が鳴り、父の呼び声に急かされて、少女は慌てた顔で駆け出した。


 列車に乗り込む間際、見えない誰かとすれ違い、視界の端でなびく銀髪。

 一瞬感じた懐かしい視線は、風の中に溶けていく。


 それがいったい誰なのか、わからないけれど。



「だいじょうぶよ、心配なんてしなくても」



 午前零時、軽やかに列車へ乗り込んで、少女はその身をひるがえす。

 誰もいないその場所へ、誰とも知れない相手に向けて、彼女はにこり、笑いかけた。



「今度はちゃんと、往復分の切符を買ったから」



 ひたいに柔い風が触れ、扉が閉まり、列車が走る。


 雪解けの線路道。

 ガタン、ゴトン、見えない誰かと少女を乗せて。



「──いっしょに行こう、わたしの神様」



 貰った二度目のいのちを刻み、その足で未来を歩むひと。


 今日も今日とて〝死〟に向かう長い旅路を進むのは、あの日、優しい死神が食べ損ねた七匹目の子山羊だ。

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死神と七匹目の子山羊 umekob.(梅野小吹) @po_n_zuuu

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