第19話 心配

 実際、戦国時代に出会った晴明の生まれ変わりは、数年は前世を思い出さなかったが、ふとした瞬間に総てを思い出していた。

「うん。そして、晴明様としての感覚も取り戻すわ。でも、それっていいことなのかなって、今の那岐様を見ていると思っちゃうの」

「ん?」

「無理に過去を思い出して、晴明様に戻る必要はないのよね。その記憶があったって、この現代の状況を解決できるわけじゃないし。その、那岐様の部分が減っちゃうじゃない? 瑠璃ちゃんのことを思うと、あんまりいいとは思わないのよねえ」

 前世の記憶を取り戻すと、現在の人格に大きく影響を及ぼしてしまう。

 今は高校生らしい彼が、いきなり安倍晴明としての八十年分の記憶を持ってしまうのだ。影響が出るのは当然で、そして戸惑うことになる。それから、どうしても安倍晴明の部分が大きくなる。そちらに引っ張られてしまう。

「かあ。お前は本当にごちゃごちゃと考えるんだな。素直に喜べよ。お前、あれか。人間だった頃も遠慮する奴だったんだろ。駄目だぞ。お前は晴明のお気に入りなのにさ」

 青龍はがしがしとサラの頭を撫でてくる。

「ちょっ、止めてよ。だって、今の関係が壊れちゃうかもしれないのよ。瑠璃ちゃんと距離を取っちゃうかもって思うと、嫌じゃん。それに、自分が全く違う存在なんだって、那岐様は傷つくことになる。平安の頃だって、自分が違うことに悩んでいたのに、安倍晴明として生まれ変わるようになって、余計に苦しむことになったんだなって」

 色々と考えちゃうわよと、サラは青龍の手を振り払うと頬を膨らませた。

 長い時間、傍で見てきたからこそ、晴明が抱えていたものの大きさを知っている。

 師匠である賀茂保憲との関係が一筋縄ではなかったのも、そのせいだ。

「力が強いって、大変よね。今では安倍晴明という大きな名が、彼の魂を縛ってしまっている。生まれ変わっても、それから逃げられない。彼は、いつも普通を手にすることが出来ないのよ」

 サラはそこまで一気に喋ると、はあっと盛大な溜め息を吐いてしまった。

 もしも普通だったら。

 もしも力なんてなかったら。

 晴明が何度それに悩み、そして、それを理由にどれだけのものを諦めただろう。

 知っているからこそ、再会を素直に喜ぶだけとはいかない。

「そうは言うけどな。俺たちだって晴明に縛られている。必ずあいつに仕えることになるんだ。こればっかりはお互い様だよ。それに――お前はとっくの昔に、普通を諦めたじゃないか」

 青龍はそう言って、一層ぐしゃっと髪を撫でてくれる。

「うっ、それを言われると、確かにそうなんだけどさ。でも、晴明様は、那岐様は別に妖怪になったわけじゃない。今も昔も、妖怪と戦っている。現世を守るために頑張っているのに」

 横で見てきた時間が長いからこそ、割り切れないのだ。

 それに、訳も分からずに平安時代に飛ばされたサラは、妖怪になったことを受け入れる以外に選択肢がなかった。

 でも、那岐自由は自分たちと巡り会わなければ、自分が安倍晴明だと思い出すことはなかったかもしれない。

「そんなこと言ってどうするんだって。ったく、ほら、もう一個食え」

 慰めるのに面倒になったらしく、青龍は自分の食べかけのアップルパイをサラの口に放り込んでくれる。

「むぐっ。ちょっと、間接キスなんですけど」

「はっ。俺とじゃなく、晴明様とが良かったってか」

「むにゃああ」

「ははっ」

 思い切り動揺するサラに、そうやって晴明のことを純粋に慕ってりゃいいんだよと青龍は笑うのだった。




 一方、地下に残る自由は難しい顔をして、椅子に腰かけていた。

 少女の様子を気にかけていなければならないというのに、どうしてもあの式神たちのことが気になる。

 特に、猫又だという彼女。

 前世で、自分に最も関りがあったという。それは本当なのだろう。心の奥が、温かく、それでいてむず痒くなる。

「はっ。安倍晴明ねえ」

 その名前を、自由は知っていた。

 でも、それは歴史の偉人としてだ。

 まさか自分がその生まれ変わりだなんて、考えたこともなかった。

「俺は、どうなるんだ?」

 妖怪化することよりも怖いことが出来るなんて。

 自由は自嘲気味に笑うと

「どのみち、俺は普通じゃない」

 今まで散々投げかけられた言葉を、自ら呟いていた。




「妖気だ」

 ビルの周囲を巡回していた朱雀と白虎は、異質な気配を察知した。丁度ビルの裏手側、ゴミが散乱する辺りから奇妙な気配が漂っている。

「妖怪化した人間でも隠れているのか」

「それにしては妙だろ」

 馴染みがあるのに、馴染みがない。そんな印象を受ける、奇妙な気配だ。それに、人が発するには、人の気配がない。

「なんだろうな」

「行くしかないだろう」

 確認せずに済ませるのは危険だ。何より、ここは晴明の、自由の活動拠点でもある。率先して危難を排除すべきである。

 二人は最大限に警戒しながら、そちらへと近づく。しかし、妖気を発するものが何なのか、特定できない。

「呪物か」

「まさか、この時代に?」

 はっと気づいた朱雀に、白虎が馬鹿なと驚きの声を上げる。すると、その言葉を待っていたかのように、不自然な妖気が弾けて消えた。

「なっ」

「ほう。本物の妖怪か。天夏どもが騒いでいるから何かと思えば、本当にいるんだな」

「!」

 声は上から聞こえた。男の声だ。顔を上げると、向かいのビルからこちらを見る人影がある。しかし、声はダイレクトに自分たちの耳に届いている。

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