第27話 姉

 リリアの部屋から出ると、リリイが再びリリイが待ち構えていた。


「あれ? 早いね」

「おー」

「てっきりもっとお楽しみかと思ってたけど……あ♪ 初めてで緊張して全然勃たなかったとか、にひひ」

「……」

「あ……も、もしかして全然我慢できなかったとか? げ、元気出して? 初めては色々と不慣れだろうし、回数を重ねていけばきっと我慢強くなるよ、うん」


 さっきからリリイが一人で物語を展開している。ここらで止めなくては。


「あのなリリイ」

「う、うん」

「俺、フられちゃった」

「え?」



 ボーッとしたまま夕食を取る。頭の中で再生されるのはリリアに断られた事ばかり。


 何がいけなかったのだろう。リリアは俺の童貞をあれほど欲しがっていたというのに。あれは演技、とも思ったがリリアに演技ができるとは思えない。


「た、拓巳さん? ソースは味噌汁に合わないと思いますよ……?」

「え? あぁすみません」


 どうやらボーッとしすぎて味噌汁にソースをかけていたらしい。楓さんに言われるまで気づかなかった。


「……」

「拓巳。お茶に醤油をかけるのは止めとこうか。塩分過多で死んじゃうからねそれ」

「え? あぁすまん」


 どうやらボーッとしすぎてお茶に醤油をぶっ込んでいたらしい。聖也に言われるまで気づかなかった。


「はぁ……情けないわね。フられたぐらいで」

「な、何でその事を……リリイ……お前か」


 情報をリークしたメスガキが吹けてないのに口笛を吹いている。やはり一度分からせる必要がありそうだ。


「まさか拓巳がフラれるとはね」

「言っておくがフラれてな──いことはないか」


 童貞を捧げる、言い換えればエッチしようと誘いをかけたが嫌と言われて断られたのだ。フラれてない訳が無い。


 はぁ、と自然とため息が出てしまう。何だろう、食事の間の雰囲気がとてつもなく重たい。


「たっだいま〜! あれれ~、なんか暗くない?」


 由梨さんが帰ってきた。こんな時間に帰ってくるなんて珍しい。そしてこの場にリリア以外の江口荘の全員がいることも珍しかった。


「ちょっとちょっと辛気臭くな〜い? ほら拓巳っち〜、何か一発芸とかやってよ〜」

「し、シンプルにうざい……あと酒臭っ……!」

「何よぅ、せっかく人がフってあげたのにぃ」


 今フるとか言うな。思い出して辛いから。


「お〜、珍しくみんないるねぇ。あ、リリイちゃんもいる〜」

「ユリ、こんばんは。今日も絶好調だね」

「はーいこんばんは。ん〜? なんか物足りない……あぁ、リリアちゃんがいないのか。まだ体調戻ってないの?」

「はい……私の看病も虚しく……拓巳さんの時も私何もできていませんでしたし……最近私、役立たず……修行の旅に出るべきかしら……」


「「「「それは止めてください」」」」


 リリイ以外は全力で止めた。

 今食べているのは楓さんが作ってくれた健康的かつ美味しい食事、楓さんがいなくなれば、俺たちの食生活は一瞬にして不健康になり、体調を崩すことは明白だからだ。


「ん〜。やっぱり寂しいなぁ……リリアちゃん、早く元気になるといいね」

「……そうですね」


 リリアはとっくに、俺たちの生活の一部となっていた。


 朝起きて、リリアがいて。

 漫画を描こうとすると、いつの間にかやってきてくれて。

 ドキドキするシチュエーションが分からないと、教えてくれて。

 一緒に悲しんでくれて。

 一緒に泣いてくれて。

 一緒に喜んでくれて。

 一緒に笑ってくれて。

 

 そんな彼女がいなくなる、そう思うと居てもたってもいられなくなり、立ち上がった。


「ちょ、拓巳!?」


 制止する声も気に留めず、駆け出していた。向かった場所はもちろん、リリアの部屋だ。


「リリア……!」


 ノックもせず中に入る。


 リリアがちょうど着替えていて、ばっちり見てしまった。

 なんてサービスシーンがあり、体調不良もすっかり治っているのではと淡い期待を持っていたが、現実は甘くなかった。

 リリアは変わらず、横たわっていた。今までもずっとそうしていたように。


「……リリア」


 リリアにフラれた記憶が再び蘇るが、関係ない。後で死ぬほど謝れば問題ない。もうなりふり構ってはいられないのだ。


 俺は──自分のパンツへと手をかけた。


「ん……タクミ……さん……?」

「っ!」


 決意が鈍る。リリアが目を擦りながら、こちらをジッと見ている。


「私、また寝ちゃってましたね……。タクミさんは、ずっとここにいたんですか?」

「……いや」

「そう、ですか。すみません、何度も会話の途中で寝てしまったと思うんですけど……」

「リリア」


 リリアの目を見て、はっきり言った。


「俺は今から、童貞を捨てる」


「へ……?」

「リリアも知っての通り、俺は女の子が無理やりされるシチュエーションが大好きな変態だ。だから、俺が今それをやる。お前には断られたけど、無理矢理にでも童貞を捨ててやるぜ……!」

「……」


 もう一度パンツに手をかけ、おろした。おろすまでかなり緊張したが、一度おろしてしまえば後は楽だった。残るは下着のみ。もう一度手をかける。


「へっ……悪く思うなよ、リリア」

「……」


 リリアは何も言わない。ただジッと、俺を見ているだけだ。


「い、いくぞ……!」


 後は下着を下ろすのみ。そしたら後は自分の思うままに、目の前の淫魔を犯していい。こんな興奮する出来事はこの先の人生で一生ないことかもしれない。


 それなのに──。


 俺は、掴んでいた手を離した。

 怖気付いたわけではない。

 俺の息子は、リリアに魔力を注げるような状態になっていなかった。


「どうして……勃たないんだよっ……!」


 女の子の泣きそうな表情は好きだ。それで抜いたなんて腐るほどある。


 それなのに、今目の前にその状況があるというのに、俺は興奮できていなかった。できるわけがなかった。


「優しいですね、タクミさんは」


 震える俺の手に、リリアの手が置かれる。その手は弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。


「……優しくなんかない」

「優しくないわけありません。だって、私の想いを汲んでくれたじゃないですか」

「……」

「私、ここに来られて、タクミさんに会えて、幸せでした」

「……リリア?」


 静寂が部屋を支配した。聞こえてくるのは俺自身の心音だけ。

 おそるおそる、俺はリリアの左胸に耳を近づけた。何も、聞こえなかった。


「……リリア……っ!」


 リリアの手を握る。手は握り返してはくれず。ただただ、俺の手の中に収まっているだけだった。


「リリア……! 目を……! 目を覚ましてくれよ……!」


 呼びかけても、何も答えない。どれだけ呼んでも、いつもみたいに名前を呼んではくれなかった。


「なぁ頼むよ……神様……! リリアを……救ってくれよ……! 俺ができることなら何だってする……! だから、頼むよ!」


 神なんて信じていない。でも、もはや神に頼るしか道はなかった。声が虚しく、部屋に響き渡ったその時だった。


「ちょっと、そんなものに頼らないでよ」


「っ!?」


 声が聞こえた。窓を見ると、人影があった。ゆっくりと、窓の外に浮かんでいた人影は長い髪を靡かせて部屋に入ってきて、その姿を現した。


 一瞬で、普通ではないと分かった。纏っている雰囲気から人間ではない。見た目からでも判断できた。大きな角と羽。リリアのよりも一回り大きい、何もかも。


「これだから人間は嫌なのよ。理不尽なことが起きればすぐ神なんかに頼るんだから」

「だ、誰だ……」

「気安く話しかけないで」

「っ……!」


 ただならぬ威圧感に思わず怯んでしまった。


「私の妹、返してくれる?」

「妹……? ってまさか……」

「えぇ。私、その子の姉だから」


 まさかの姉登場。と言うことはリリアは3姉妹の真ん中、次女だったのか。


「ほら、どきなさい。その子、持って帰るから」

「ちょ、待て!」

「……な、何よ」

「その……リリアは、もう……」


 声が震える。死んだ、なんて実の姉に告げられるわけもなく、なんて伝えようか必死に頭を悩ませたが──。


「……ひょっとしてだけど、この子が死んだなんて思ってるんじゃないでしょうね」

「……は?」

「人間って浅はかね。起きないだけで死んだなんて決めつけるだなんて」

「い、いやいや! 心臓の音だって止まってたぞ!?」

「はぁ? ちゃんとに耳当てて聞いたの?」

「……悪魔って、右胸に心臓あんの?」

「そうよ。常識でしょ」


 即座に右の胸に耳を当てる。

 微かだがとくん、とくんという音が聞こえてくる。

 リリアは生きていた。


「……はぁぁぁぁぁぁっ」


 でっかいでっかいため息が出た。ホッとしたというか、呆れたというか。


「まぁ、魔力はほとんど残ってないから仮死状態には近いかもね。全く、魔力が枯渇するまで人間界にいただなんて、本当に愚かだわ」

「……それは」

「加えて、人間に対して魔法を使った。それに魅了する魔法じゃなくて夢に干渉する高度な魔法を使ったらしいわね」

「な、何で知ってるんだ」

「使い魔が教えてくれたのよ。あなた達には感づかれないように忍ばせてたから気づかなかったでしょうけど」


 そう言うと窓の外から小さなパタパタと蝙蝠が飛んできた。大きさは掌よりも小さかった。


「聞いて呆れたわ。人間なんてチョロい生き物に対してそんな魔法使うなんて、魔力の無駄遣いもいいところよ。そもそも、人間界に行かせるのだって私は反対だったのに、お母様ったら……」

「……」


 何だろう、肉親だから言いたいことをはっきりと言っているのかもしれないが、それでもリリアの事を悪く言われるのは……ムカムカしてきた。


「とにかく、その不出来な妹を連れ帰るわ。さぁ、わかったらそこを──」


「リリアはっ!!!」


「っ!?」


「リリアはな……不出来なんかじゃねぇ……! 確かにドジで、鈍臭くて、アホかもしれないけど……それでも、誰よりも努力してた。人間の事を理解しようと頑張ってたんだ。それを、不出来なんか言うんじゃねぇよ!!!」


 シーン、と部屋が静まり返る。


 やってしまった。と少し後悔したが、口に出さなければもっと後悔していただろう。


「……」


 リリアの姉は何も言わない。俯き、顔が見えない。もしかすると……めちゃくちゃ怒っているのかも──。


「そ、そんなに怒鳴らなくてもいいじゃない……っ」

「……へ?」

「う、うぅ……人間如きが、分かった風な口言っちゃってさぁ……ひぐっ……」


 え……。な、泣いちゃってるんですけど……。

 先ほどまでの威厳はどこへやら、鼻を啜りながらポロポロと目に涙を浮かべている。


「わ、私だってリリアが頑張ってる事自体、分かってるわよぉ……。魔法で魅了でもさせて魔力奪っちゃえばすぐなのに、人間とちゃんとした共存関係になりたいって……こんな真面目な子他にいないんだからぁ……」

「え……? え……? じゃ、じゃあ何でさっきはあんなことを……」

「だ、だってぇ……そうしないと人間にナメられるし……」

「……」


 もしかして……姉妹揃ってポンコツ……?


「ほ、ほら! 早くどいてったら!」

「わ、分かったよ」


 俺を押し退けないのも俺が怖かったからだったようだ。俺が数歩後ろにズレるとサッとリリアが寝ている側に近寄った。


「一時的にだけど、私の魔力をあげるわ」


 リリアの姉が目を閉じて、リリアに手を向けた。すると紫色の光がリリアを覆い、リリアの体に溶け込んでいった。


「……うぅん」

「……! リリア!」

「きゃっ! ち、近い……!」

「あ、すまん」


 この距離はリリア姉にとっては近すぎらしい。人一人分の距離はあるはずだが……。


「ふわ……何だか凄く眠れました……」

「リリア……よかった……!」


 気づいた時には、リリアを抱きしめていた。


「ふぇ!?」

「よかった……本当に……!」

「た、タクミさん……今日は凄く大胆ですね……」


 ちゃんと温もりがある。心臓の鼓動もうるさいぐらいに聞こえる。リリアが喋っている。それだけで嬉しかった。


「わ……わ……! も、もしかしておっ始めるつもり!?」

「するか!」

「そ、そうです! こんな見られてる状況で……ってあれ!? リリス姉様!? ど、どうしてここに!?」

「どうしてじゃないわよ。全く、心配したんだから」

「う……すみません……」


 姉はリリスというらしい。こうしてやり取りを見るときちんと姉をしているように見える。さっきの泣いている姿を見なければ完璧な姉だったのだが。


「な、何よ。ジロジロ見て」

「いや、別に」

「……タクミさん。もしかして姉様に……」

「は? いや俺は──」


「姉様ぁ〜!!!」


 いつの間に部屋に入ったのやら、ミサイルの如く突っ込んできたリリイ。


「ちょ、リリイ!?」

「お久しぶりです姉様!」


 うおお……リリイの顔半分ぐらいリリスの胸に隠れてしまっている。俺は今とんでもなく神秘的で淫靡的な光景を目撃しているのではないだろうか。


「もう、はしゃぎすぎよ」

「えへへ……あ、お姉ちゃんも元気になったんだ! 良かった~!!」

「むぎゅ……、はい、私ならもう大丈夫──おっとと……」


 リリアは立ち上がろうとしたが、すぐにその体はふらつき倒れそうになっていた。


「お、おい。まだ立ち上がるなよ」

「そうよ。魔力を与えたと言っても一時的よ。ちゃんと魔界に戻って回復しなさい」

「魔界に、戻る?」

「えぇ。私はこの子達を連れ戻すために来たんだから。場合によっては、人間界に来ることはもうないかもね」


 リリスの言った言葉に、ようやく得た安心感が再び消え去っていくのを感じた。

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