第26話 フラれました

 リリアとのデートから3日が経った。

 あれからリリアの体調が良くなることはなかった。

 起き上がってご飯を食べる余裕はあるようだが、大半は眠っている。

 起きている時間は日に3時間ぐらいだ。

 医者にも見てもらったが、体に異常は見当たらないとのことだった。


 俺の最近の日課でもあるリリアのお見舞いにきた。お見舞い、と言っても部屋に顔を覗かせるだけなのだが。


「リリア、起きてるか? 入ってもいいか?」

「おにーさん? いーよ。おねーちゃん、今寝てるけど」


 リリイの声が聞こえる。ドアを開けると、寝ているリリアの側にリリイがいた。


「リリア、どうだ?」

「……寝ちゃった。さっきまで少しお話してたけど、ちょっと疲れちゃったって。話してるだけ、なのにね」

「リリイ……」


 その声は少し震えていた。後ろからなので顔は見えないが、きっと目に涙を浮かべているのだろう。


「淫魔は風邪とか引いたりしないのか?」


 ふるふると首を振った。


「……そうか」


 何か理由はないか、その理由を探そうにも手がかりが無さすぎる。


「ん……」


 薄らとリリアの目が開かれた。


「……! リリア?」

「あ……タクミさん」

「悪い。起こしちゃったか」

「いえ。大丈夫です。ちょうど、タクミさんとお話ししたいと思ってましたから」

「……じゃ、大人なアタシは2人の邪魔をしないようにクールに去っちゃおーっと」


 リリイは立ち上がり、部屋を出ていった。


「ふふっ、リリイも成長しましたね」

「……あぁ」


 リリアの顔が見える位置で腰を下ろす。


「その……大丈夫か?」

「はい。ただ、すごく眠くて……起きているのもやっとって感じです。えへへ、お寝坊さんですね、私」


 それは大丈夫じゃないだろ、と言いそうになるが抑えた。多分、リリアは俺たちに心配をかけまいと必死なのだ。


「漫画、きちんと描けてますか?」

「う……」


 痛いところを突かれてしまった。実はリリアが体調を崩してから、漫画を描いてはみるものの納得のできるものは出来ていなかった。


「ふふっ、私がいないとダメダメですね、タクミさんは」

「……あぁ、そうかもな」


 思えば、リリアがいなければ純愛をテーマとした漫画を描いていこうとは思わなかったし、描けることはなかっただろう。


「早く元気になってくれよな。元気になって、また漫画を一緒に描いてくれよ。そしたらメチャクチャ人気になってさ、その、俺の童貞も心置きなく捧げられるしな、なんて」

「……言いましたね? 言質、取りましたよ」

「そういう契約だろ」

「はい。絶対、元気になり、ますか、ら……」

「……リリア? リリア!?」


 スゥスゥと寝息を立て始めた。こんなに急に眠るのは初めて見た。

 嫌な汗が止まらない。このまま目が覚めなかったら、そんな不安ばかりよぎってしまう。


「……リリア」


 俺にできることは、リリアの手を握って、祈ることだけだった。



「……」


 リリアの部屋から出て、考える。何か俺にできることはないか、そう考えていたとき、声がかけられた。


「どうだった? おねーちゃん」


 声をかけてきたのはリリイだった。部屋の外でずっと待っていたらしい。


「また寝ちまった。普通に話してたのに、急に眠るもんだからびっくりしたよ」

「……そ。あーあ、おにーさんが魔力供給してあげたのかなーって期待してたんだけどなー」

「お前な、不謹慎だぞ」

「本当に期待してたけどね、アタシは」


 今までで一番冷たい目をリリイから向けられ、思わず怯んでしまった。


「おねーちゃんが目の前にいたから言わなかったけど、アタシ、大体予想ついてるんだ。おねーちゃんが元気がない理由」

「……まさか」

「さっきのアタシの言葉で頭よわよわなおにーさんも予想ついてるよね。魔力の枯渇、これしかないと思うんだよね」


 リリアが体調を崩した理由、それは定期的に魔力を供給できていなかったからということか。


「で、でもリリイは平気じゃんか。男捕まえられていないのに」

「ひ、一言余計なんだけどっ。アタシはおねーちゃんより人間界に来るのが遅かったし、魔力使うことも全然なかったし平気」

「……魔力を、使う」


 ふと思い出した。俺が悪夢で心を病んでいたとき、リリアは魔法を使って俺の夢へと入ってきたと言っていた。あのとき、かなりの魔力を使ったのではないだろうか。


「俺のせいか……」

「ま、普通の淫魔なら魔力が尽きる前に人間から魔力補給するからこんなことにはならないけどね」

「……」


 魔力、つまりは人間の男の体液、厳密に言えば精液をリリアにやれば、リリアの体調は回復するということだ。


 しかし、それは俺の童貞を捨てることと等しい。しかし、捨てなければリリアは……。


「あーあ、おねーちゃんもおねーちゃんだよ。他の男の人から魔力貰えばいいのに」

「それ、は……」


 確かにリリイの言う通りではある。そこら辺の適当な男を連れてきてリリアに差し出せばものの数分で魔力を供給できるだろう。そんな事を一瞬考えたが気分が悪くなって考えるのをやめた。


「なんてね。おにーさんには意地悪しちゃった♡」

「は……?」

「おねーちゃん、おにーさん以外の人から魔力を受け取る気はないってさ」

「な……!」

「約束したからだって。ほんと、バカでかわいいでしょ、アタシのおねーちゃん」


 ……あぁ、本当に馬鹿だ。

 自分の命がかかっているというのに、俺なんかの約束を守っているなんて。

 そもそも、俺が童貞を捧げると言っただけで、俺以外から魔力を取るな、なんて契約していないのに。


 俺も、覚悟を決めるときだ。リリアは俺を助けてくれた。だから今度は、俺が助ける番だ。


「俺、行ってくる」

「……いけるのかなー? おにーさん、意気地なしだし童貞の中の童貞だしぃ」

「ははっ、いつもの調子が戻ってきやがったな。やってやるさ、俺の童貞、ここで捧げてやる」


 正直、不安はないと言えば嘘になる。童貞であるが故に想起できた数々の妄想。それらを真っ新なキャンバスに筆を走らせ、妄想を形にする。それができなくなる、つまり漫画が描けなくなるのではないかという恐怖はもちろんある。


 しかし、リリアを失うことに比べれば、大したことはない。


 俺は深呼吸をし、部屋に入った。まだ寝ているリリアの側に座り、リリアが起きるのをまった。


 それからどれだけ経ったのだろう。リリアがゆっくりと目を覚ました。


「あれ……タクミさん?」

「お、おう。目覚めたか」

「はい。……えへへ、今日はタクミさんにいっぱい起こされて、なんだか嬉しいです」


 にへらと笑うリリアの笑顔に、思わずドキッとしてしまう。この笑顔を絶やさぬためにも、俺は覚悟を決めたのだ。


「リリア。その、お前が体調崩してる原因なんだけどな、リリイから聞いたよ」

「あー……聞いちゃいましたか」


 リリアはばつが悪そうな顔をする。


「謝られる前に言っておきます。タクミさんは悪くないです。私が望んで魔法を使って、勝手に魔力が足りなくなってこうなってるだけですから」

「……」


 ごめん、とも言えず黙ってしまう。リリアには全く敵わない。俺が責任を感じて謝ることまで想定内だったらしい。


「……でも、リリアは俺を助けてくれた。俺は、その恩返しがしたいんだ」

「タクミさん……」


 深呼吸をし、真っ直ぐリリアを見つめ、言った。


「リリア、俺の童貞、受け取ってくれるか」


 部屋に静寂が訪れる。


 言ってやった。もう後戻りはできない。俺の心はうるさいぐらいにドクドク言っている。後は、リリアが喜んで受け入れてくれれば、俺はそれで──。


「えっと……嫌です」

「え?」


 何だろう、よく聞こえなかった。俺の聞き間違えか?

 いや、少なくともリリアは『これで私の体調は良くなるしタクミさんの童貞ももらえて一石二鳥ですねヤッター!』みたいな展開を想像していたが、全く違った。

 微塵も、喜んでいなかった。

 それどころか、拒否されてしまった。


「ふわ……。あ、すみません。また、眠く……少し、眠りますね……」

「あ、はい……おやすみなさい」


 すぅ……すぅ……。寝ているリリアの寝息だけが部屋に響く。そして、今起きた出来事を繰り返し頭の中で再生し、ようやく状況を理解した。


 どうやら俺……フラれたっぽい。

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