第29話 なぞなぞ

「プリンセスが嘘を?」

 バグリーさんが声を潜める。

「滅多なことを言うな。不敬に当たるぞ」

「ですが……」と、言いかけて口をつぐむグレアムくん。彼としても感覚に理屈をつけるのが難しいのだろう。

 しかし娘が助け舟を出した。グレアムくんの前だからか、いつものような……そして小さい頃、私のドレスを勝手に持ち出した時のような……澄ました顔ではなかったけれど、でもバグリーさんの目を見つめてハッキリと、こう告げた。

「『ウェルウェルたいへんよろしい』の『ル』の発音といい、プリンセスに気になる点があるのは事実です。今は可能性を捨てないでおきましょう。疑惑はプリンセスとその周辺の人に聞かれなければ不敬には当たりませんし」

「うむ……」バグリーさんが石ころでも飲んだような顔になる。

「まぁ、プリンセスの威厳よりも女王石の威厳、ひいては国家の威厳の方が重要視されるな。だがグレアム。その『匂い』の話はここだけに留めておけよ」

「はっ」

「プリンセス・ナターリエに会ってみましょう。今はとにかく情報が欲しいです」

 娘がバグリーさんに提案すると、彼も髭をひと撫で、懐から探索魔法の魔蓄時計を取り出した。相変わらず針がぐるぐる回っているのか、バグリーさんは難しい顔をするとようやく口を開いた。

「ナターリエ姫は……おや、クリムゾン・レセプションにいるな」

 あらまぁ、クリムゾン・レセプション! 

 ブッキンギャム宮殿のレセプションルーム、すなわち舞踏会やパーティの会場になる接待室にはランクがある。

 まず庶民を招いて大々的なセレモニーなどをするホワイト・レセプション。宮殿の接待室最大規模。何百人収容できるのかは知らないが、ランドン市民の七割くらいなら平気で入りそうなくらい大きなホールだ。床と天井が白い大理石でできているから「ホワイト」の名を冠している。

 次にグリーン・レセプション。宮殿内の接待室規模で言うと最小。爵位のある人間のみが集められ、上流階級の交流がある時にだけ使われる。照明が暗く、横になりながら食事をとれる大掛かりなソファや、古い稀少な木材を用いたバーカウンター、そして国内外様々な名酒が揃えられた壁一面の棚なんかが置かれている。巨大な窓があるがその窓が開けられることはなく、遮光のために被された緑の大きなカーテンを指して「グリーン」の名がつけられた。

 そして最後にクリムゾン・レセプション。国外から客を招いて行われる国際的なパーティの際に使われる、宮殿内で最上級の格式を誇るホールだ。魔法で浮かぶ豪華なシャンデリア、壁にかけられた大時計は時を刻むごとに優しく微笑み、魔蓄機械で作られたボーイが脚につけられた小さな車輪を転がして室内を駆けまわり、来賓をもてなす。深紅の毛並みが美しい、幾筋もの絨毯を指して「クリムゾン」の名が与えられた。

 プリンセス・ナターリエはそのクリムゾン・レセプションにいるらしい。女王選定の儀がそこで内々に行われたのかしら? 王位継承系の行事は王座の間スローン・ルームで行われると思っていたのだけれど。

 私は娘の肩から降りて猫の姿になる。娘の足下に寄って、注意する。

「基本的に私たちが入れる空間じゃありません」

 娘は私を静かに見下ろした。

「物珍しいかもしれませんがきょろきょろしたりものを落としたりしないこと。ましてやプリンセスの前です。部屋にも姫にも失礼のないように」

「はい、お母さん」

 しかしバグリーさんが恭しく私の横に膝をつくと告げた。

「新女王を讃える会はクリムゾン・レセプションで開かれます。本件を上手く解決すれば、レディ、あなたたち母娘も……それとグレアムも、パーティに参加する名誉にあずかれます」

「まぁ」

 心の底から「まぁ」が出る。

「生きてる頃でさえあずかれなかった名誉ですわ」

「失礼、私の力が及んでいれば……」

「構いませんわ。娘の栄光は我が栄光よりも嬉しいものですもの」

 しゃなり、と私は歩を進める。

「プリンセス・ナターリエに会いに行くんじゃなくって?」



 クリムゾン・レセプションはそれはもう、すごかった。

 初めに言っておくと、この日のクリムゾン・レセプションは客を招いていないので何も準備がなされていない。シャンデリアの火も控えめだし壁の大時計も眠たそう、魔蓄機械のボーイたちも項垂れて壁にくっついている、そんな状況だ。

 だけど美しかった……! まるでそう、深紅の草原にいるみたい! この世のどこにもなくて、でも目の前には確かに広がっている、堪らなく美しい景色。来賓がいなくてこうなのだから、新女王を讃える会の時はどうなってしまうの……? と眩暈がしそうだった。

 そして、プリンセス・ナターリエはそんな広間の中央、ちょうどシャンデリアの下に佇んでいた。他の姫が被っていたような、茸の笠みたいなヴェールを下ろして、でも目線はすっと上に持ち上げて、壁にかかった眠そうな大時計を見つめていた。最初、私たちは姫が何をしているのかさっぱり分からなかったが、近づいて分かった。大時計と会話しているのだ。

「いつでも触れるものなのに、道具を使えないと見えないもの、なーんだ?」

 姫の声。まるでそう、ハープの旋律のように美しい声。でも他の姫たちと同質の声。やっぱりヴェールに魔蓄が使われているに違いない。

「うーん、うーん、どうぐ? 『どうぐ』って、何だい?」

 プリンセスはくすくす笑った。

「あなたみたいなもののことよ」

「僕? 僕みたいなものじゃないと見えないの?」

「そう。いつでも触れるのに」

「でも僕、触れないからなぁ」

 だって手が、ないんだもの。

 壁の大時計が眠たそうにぶつぶつとつぶやく。まるでそう、寝言のよう。

「大丈夫。あなたも触れると思うわ」

 姫の言葉に大時計が一瞬目を開く。

「僕? 僕触ってるの?」

「ええ、そうよ」

「何に?」

「あなたに」

「そうか。じゃあ答えは『僕』だ」

 大時計は満足そうに微笑んだ。姫もくすっと笑った。

「正解」

「すごいなぁ。君はいろいろな国のなぞなぞを知ってるなぁ」

「うふふ。そんなことないわ。おしゃべりしてたら誰でも知ってるなぞなぞよ」

「僕はここでいろいろな国の人たちのおしゃべりを聞いてきたけど、今みたいなのは初めてだよ」

「失礼、プリンセス」

 バグリーさんが声をかける。壁の大時計がほやっと目を閉じて、プリンセスがこちらを振り返った。

「あら、バグリー騎士団長」

 プリンセスがこちらに向き直る。

「かわいらしいお連れが二人……それと、猫ちゃん」

「こちら、此度の騒動を解決すべく動員している助手でございます……猫はさる理由によりこの姿をしている元政府関係の人間です」

「あら、それはそれは」姫君は両手を口元に持っていき慎ましく驚いてみせた。

「ごめんあそばせ。あまりにかわいらしくて」

「お目にかかれて光栄ですわ、姫」私は頭を下げる。

 そしてこれを機に、と私は質問を投げてみることにした。さっきから気になっているそのヴェールのことだ。

「姫、此度のヴェールは特注ですか?」

「ヴェール? ああ、これのことね」

 プリンセス・ナターリエは両手でふわっと笠を撫でた。

「そうですわ。女王選定の儀に当たり、『純潔』を示すために作られたヴェールですの。かつての『白桃女王』『純白の女王』エリザベスに敬意を払うものです」

 姫はそっと、顔の周りの布を膨らませた。

「儀式が終わるまでは外せないものです。なので食事も完全独立の個室ですることになりますの。悲しいことに」

 ヴェールの奥の姫の吐息が、淡く聞こえた。

「家臣はおろか他の姫君、父上にも母上にも兄弟姉妹にも、会うことは叶いませんの」

「それはそれは」

 私は再び頭を下げる。すると娘が畏れ多くも続いた。

「可及的速やかに騒動を解決いたします。いくつか確認をしてもよろしいでしょうか、姫」

 私はハラハラしながら娘の言葉を待った。

「女王選定の儀に当たりヴェールを纏われたのですね」

「ええ」

「選定の儀の直前に纏われましたか」

「直前、がどれくらいのことを指すのかは分かりません。ですがこちらの大時計が退屈するくらい前には被りましたわ。先述の理由から、着脱は一人ですることになっています」

「姫は他の姫の顔をご存知ですか」

「ええ、存じ上げておりますわ」

「失礼ですが、姫君各位はそれぞれ東西クランフ、タロールから来ているとうかがっております。接点はどこであったのでしょう?」

 ふふ、と姫が笑った。

「それこそ、女王選定の儀の直前、ですわね」

「しゃべりすぎだよ」

 壁の大時計がゆっくり目を開けた。

「えーっと、こういうのは何て言うんだっけ。ほら、どこかの国の言葉であっただろう……ほら……」

「『お口の戸締りを忘れずに』」

 姫が大時計の方を振り返って告げた。大時計はぱっちり目を開けた。

「そう、それそれ」

「遠い東の国の言葉ね」

「君はやっぱり物知りだなぁ」

「姫」

 娘が恭しく目線を下げたまま続けた。

「此度の騒動、解決の目途が立ちました」

 姫は沈黙した。

 が、やがて姫の背後の大時計が、やっぱり眠たそうに、こう告げた。

「すごいなぁ。どうして分かったの?」

 娘はすっと目線を持ち上げ、告げた。

「だって、簡単ですもの」

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