第30話 審判

 プリンセス・ナターリエは沈黙していた。

 ヴェールの向こうの表情は見えない。だが何か、とげとげしいものを感じた。高貴なる方の攻撃的な雰囲気に、私は怖気を震った。

「そう」

 プリンセスの静かな声が響く。

「女王石の謎が解けたと言うのね」

「ええ、プリンセス」

 娘が膝を折る。

「よろしければ、三人のプリンセスの前で、推理を披露しとうございます」

「バグリー騎士団長」

 唐突過ぎる娘の発言に、私同様どぎまぎしていたバグリーさんがプリンセスの言葉に射竦められる。

「優秀な部下をお持ちのようね」

 プリンセスがすっと左手を挙げた。オペラグローブに包まれた細くて美しい腕が虚空を小さく、ひっかく。

 するとそれを合図にしたかのように、壁に収納されていた魔蓄機械のボーイ……召使が一体、すっと車輪を転がしてやってきた。口元、それから後頭部にかけて太いパイプが走っている機械召使は、静かにプリンセス・ナターリエに訊ねた。

「ご用でしょうか」

「この者たちを王座の間スローン・ルームへ」

 娘に負けない唐突の宣言に私は再び怖気を震わせた。私たちを王座の間スローン・ルームへ? 今は騎士団長直轄の身とはいえ、市井の人間を、王座の間スローン・ルームへ? 

「は」

 機械召使が小さく頷き、それから車輪を転がして私たちのところへ来る。

「皆様、こちらへ……」

 すっと、召使が先導する。

 ついていくしか、なかった。

 その場の威厳だけは保とうと、バグリーさんが微笑んで会釈をする。姫は微動だにせずに私たちを見つめていた。ヴェールの向こうが分からないだけ、何だか不気味な、沈黙だった。



「大丈夫なのかね」

 クリムゾン・レセプションを出るなりバグリーさんが娘に訊いた。娘はけろっとして答えた。

「だって、簡単ですもの、バグリーおじさま」

「簡単と言うが……」

 不安げな足取りのバグリーさん。

「三人のプリンセスに順に会っただけだぞ。女王石は見てすらいない」

「必要ないです」

 バグリーさんの顔色は優れない。

「なぁ、なぁ、もしものことがあったら私に立場はない」

「大丈夫です」

「一応、これまでそれなりに功績を積んだつもりだ。すぐに騎士団長解任ということはないだろう。だが……」

「怖がらないでください、おじさま。私を信じて」

「嫌な予感しかしない」

 しかし狼狽える上司の傍で、グレアムくんは真っ直ぐに娘を見ていた。彼はつぶやいた。

「プリンセス・ナターリエからも、やっぱり嘘の香りが」

「そうだと思います」

 娘は、照れ隠しなのか、努めてグレアムくんの方を見ないようにしながらつぶやいた。

「あの、グレアムさん」

 騎士は丁寧に答えた。

「何か」

「三人のプリンセスを、それぞれ匂いで嗅ぎ分けることは可能ですか」

「可能です」

 グレアムくんは静かに続けた。

「三人と会って、三人分の匂いを覚えています」

「プリンセス・マルレーヌはどんな香りでしたか」

「干し草のような……乾いているけれど、温かい香り」

「プリンセス・アマンダは?」

「強い花の香りです」

「プリンセス・ナターリエは?」

「夏の風の香り。ちょっと湿ったような」

「ありがとうございます」

 娘はちょっと俯いた。でもね、そう、私は分かってる。それは考え込む意味の俯きじゃなくて、想いを寄せる男子を前にした……あら。揶揄っちゃ駄目ね。

「こちらが、王座の間スローン・ルームでございます」

 機械召使が、巨大な扉の前に立つ。

 本当に大きな扉だった……! 

 木製の扉。こんな大きな扉を作ろうと思ったらどれほど樹齢を重ねた木を使わなければならないのだろう。そう思うほど大きな扉だった。人が縦に五人くらい収まりそう。猫の姿をしている私からしたら、それはもう途方もない大きさだった。

「中へ……」

 機械召使がつぶやくと、巨大な扉ががちゃんと鳴った。それからゆっくりと、だが静かに、扉が開かれる。

 その向こうにあった光景に、私は息を呑んだ。

 王座。一説によると、万化王リシャールが金河石を魔法で削って作ったそうである。手すりは明晰王ラファエルが設計したとのことだ。腕に吸い付くような造りになっている。頭を受け止める枕の部分には風発王アントネッロが異国から仕入れた頭脳を冴えわたらせるまじないが。三人の王が恋する女王に込めた最大限の愛が詰まっている。

 ああ、そして、そして。

 その玉座の手前。三つ足の小さな台の上に置かれていた、それこそが。

 女王石だった。真球を思わせるほど美しい曲線を描いたその体が、私たちの真価を問うかのように澄み渡っている。球体の芯に当たる部分。真珠のような小さな点があった。おそらく、だが。

 問いかけながらあの女王石に触れると、その問いに対する答えが肯定なら真珠の一点が透き通って透明に、否定なら中央の真珠が広がって白濁に、染まるのだろう。

 私たちが静かに王座の間スローン・ルームの中に入ると、機械召使が静かに去った。扉が音もなく閉じる。少し、暗くなる。しばらく、何もない、ただただ沈黙のみが支配する空気の中を漂っていると、やがて何か張り詰めた気配を廊下の方に感じた。と、すぐに扉がゆっくりと開いて、高貴なるお方が現れた。

 プリンセス・ナターリエ。

 プリンセス・マルレーヌ。

 プリンセス・アマンダ。

 白くて美しいヴェールを身にまとった三人の姫が静かに王座の間スローン・ルームに入ってきた。それから告げた。三人の内の誰かが、小さく。

「お話を聞きましょう」

 娘が深く膝を折る。

「光栄です。姫」

 私たちは脇に退いて三人の姫に道を示す。姫たちはゆっくり歩くと、やがて女王石の前に立ち、優雅に振り返った。ヴェールがふわっと空気を孕んで、やがて静かに落ち着いた。

「女王石が次代女王を選ばなかった理由について、僭越ながら、述べさせていただきます」

「それは」

 また誰か、三人の内の一人がつぶやく。

「大変興味深いわ」

「まず、女王石の造りについてご確認を」

 娘は一歩前に出た。

「万化王リシャールがかけた魔法により、この石は問いかけに対し肯定か否定かで答えます。肯定ならば透き通り、否定なら白く濁る。ここまでのご認識に齟齬はありませんか?」

「ありません」三人のプリンセスが、呼吸を合わせたように静かに頷く。

「次に」

 娘は静かに姫たちを見つめていた。

「女王選定の儀では、姫君の一人が前に出て名乗り、『私に王位継承権はありますか』と問う」

「その通りです」姫の声。魔蓄を使うことで高貴なる身にふさわしい色に染まった、美しい声。

「この問いに対して肯定か否定かで答える。問いを分解してみましょう」

 娘は指を一本立てた。

「まず、『名乗り』。『私はプリンセス何々です』という宣言」

 姫たちは沈黙していた。娘がもう一本指を立てる。

「次に『私に王位継承権はありますか』。これが問いの本題」

 誰も何も言わなかった。

「この二つに対して同時に否定が返ってくる類型がひとつございます」

 バグリーさんが息を呑んだ。

「つまり『私はプリンセス何々』でもなければ『王位継承権』もない」

 空気が一気に泡立つ。バグリーさんが娘の前に出た。

「不敬に当たるぞっ」

 思わずだろう。叫びそうな口調だ。

 しかし三人の中央に立つ一人が、オペラグローブに包まれた白い手をすっと挙げてバグリーさんを制した。

「構いません」

 それから三人は静かに振り返った。玉座の方を……女王石の方を。

「疑っているのですね。私たちを」

 娘は何も言わなかった。しかし沈黙は雄弁に肯定を示しているように見えた。

「いいでしょう」

 三人が静かに前に出た。そして女王石の周囲を囲むようにして立つと、その美しい御手を伸ばし、そっと石に……ぎょくに触れた。

「女王石よ」

 姫が告げる。

「私たちは姫ですね」

 すると、途端に。

 石の芯にあった白い点がきゅっと縮まって消えた。石は……透き通った! 

「私たちに王位継承権はありますね」

 石は……。

 透き通った、ままだった。

「さ」

 姫が告げる。

「この無礼、どうしましょうか」

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