最終話 雨水



 人生は。

 山あり谷あり。


 この言葉には。

 二つの意味がある。


 楽あれば苦ありという意味と。

 苦難の連続という意味と。



 俺はずっと。

 人生とは、常に。


 いくつもの問題が降り注ぎ。

 いくつもの問題を解決し続ける。


 そんなものだと思ってた。


 だから。

 問題ゼロの、プラスマイナスゼロの状況から。

 プラスになることは決してなくて。


 問題が解決した時。

 相対的に、マイナス値が減ったことを。

 誰しも幸せと感じるのだと思っていた。



 ……でも。



 そんな俺が、ようやくこの年齢で学んだこと。


 幸せってやつは。

 不幸の解消によるものじゃない。


 日々の笑顔の積み重ね。

 そんな当たり前が。

 なによりも大切な宝物。



 だから。

 今更気が付いた。


 小さな頃。

 不思議に思っていたことの理由を。


 幸せは。

 すぐ隣に降り注いでいたんだ。



 目の前で回るメリーゴーランド。

 夜の色を天まで塗り替えるほど。

 煌びやかで、賑やかで。


 俺は、急いで乗らなきゃって。

 走り出そうとしたんだけど。


 凜々花に右手を掴まれると。

 走るのをやめて。


 その場で立ち尽くしたんだ。



 その頃は。

 いや、つい最近まで。


 どうしてそうしていたのか。

 思い出せずにいたんだけど。



 今なら分る。



 どれほどの用事よりも大切で。

 どれほどの火急よりも優先で。



 そんな凜々花が、俺とその場で一緒に見たいと

 そう思ってくれたことが、俺には幸せだったんだ。



 ……そんな当たり前を。

 俺に教えてくれたのは。


 どんなことでもやりたがりで。

 何にでも感謝をする。


 そんな女性だった。



 だから俺は彼女のことを好きになって。

 彼女が感謝するありとあらゆるものに。


 俺も感謝するようになったんだ。




 ~ 二月十八日(金) 雨水 ~

 ※雨過天晴うかてんせい

  涙なんか吹っ飛ばせ




「か、感謝感激……。もらっちゃった……」

「いらねえだろ、捨てろそんなもん! なんでもホイホイ貰ってくるんじゃねえ!」


 昨日のメイド服を体の前に当てて。

 はしゃいでいるのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 どう見たってサイズが合わないし。

 そもそも着ないだろお前、そんなフリフリ。


「立哉。お前、ロリコンでは飽き足らず……」

「ロリコンじゃねえ! 訂正しろ! 俺はシスコンだ!」

「舞浜ちゃんにメイド服着せるとか~。とんだ変態~」

「こいつが勝手に貰って来たんだ! それによく見ろ! こんなサイズが合わない服、着れるわけねえだろ!?」

「お前さ。さっきからムキになってるけど」

「メイド服が嫌いとは一言も言ってないよな~?」

「そこは察しろよ、同志諸君」


 お前のそゆとこすきなんよ。

 お前のそゆとこほっとする~。


 そんな言葉と共に、俺に握手を求めるバカ二人を。

 呆れ顔で見つめるきけ子と丹弥と朱里。


 俺たちは。

 ライブハウスとコンサート会場。

 厳密な境界線はないんだろうけど、ちょうどその中間くらいかなと言った規模感のステージ二階。


 関係者席から。

 中休みとなったステージを見下ろしていた。


「が、学校で見たライブより激しい……」

「こっちが本気モード。駅前広場とか、公共の場で演奏する時はあれでもかなり抑えてるんだ」


 気付けば萌歌さんのバンドの公演に。

 足しげく通う俺の解説と。


 激しく暴れて。

 もみくちゃになっていたアリーナ席。


 すべてを加味して納得顔の一同の中。

 ぽつりと、丹弥が呟いた。


「こ、この後ですよね、ゆあの出番……」

「にょーっ!! ぼ、ぼく、ものすごい緊張してきました!」

「大丈夫だよ。多分、上手くいくから」

「多分って……」

「そういう時は、『きっと』って言ってくださいよ先輩!」


 だって。

 昨日のささやき声しか聞いてないんだもん。


 多分、としか言いようがない。


 ただ、一つだけ安心できるものがあるとすれば。


「さっき楽屋で見たんだけど、衣装はホントに似合ってた」

「たった一日で作ったんだよね?」

「ステージ衣装って、そんなすぐ作れるものなんですか?」

「安心しろ。我がクラスの衣装係は業界でもトップクラスの腕前だ」


 正直。

 どうやったらあれだけ複雑な衣装を一日で作り出すことができるのか想像もつかないが。


 知念さんの腕前に感謝だし。

 それに、こいつにも感謝しかない。


「よかったよ、秋乃がパーソナルカラーを決めてくれて」

「ゆあちゃんは……、白」


 えっへんと胸を反らす秋乃。

 大混乱だった、ゆあの衣装の色決め会議。

 こいつの一言で、あっという間に場がおさまったんだ。


「鶴の一声だったな」

「鶴だけに、白」

「あはは。関係ねえだろそこは」


 俺が笑いながら秋乃にツッコミを入れると。

 きけ子たちが、あの会議を思い出しながら話し出す。


「それにしても、凄い会議だったのよん!」

「立哉が~。下着の色がどうとか言うからもめたんだ~」

「言ってねえよ!」

「じゃあ、今日の秋乃ちゃんのイメージカラーも白なのよん!」


 なんで白なんだと、俺が答えにたどり着くよりも先に。

 秋乃はカットソーの胸元を指で引っ張ってのぞき込んで。


 コクリと頷いたところで一言。


「……まるで鶴」

「やっぱそうなのよん!」

「白鳥まである」

「うはははははははははははは!!! そりゃ白鳥の方が白成分多いけども!」


 いつもなら、咎められる高笑い。

 でも、さっきまで、会場中が爆音に晒されていたから。


 みんなも、耳鳴りを自覚もせずに大声で話しているし。

 それほど目立っていない様子。


 でも、そんな事実に気付いた俺は。

 急に不安に駆られることになった。


 昨日耳にした、ゆあのささやき声。

 あんなの、この状況じゃ。

 まるで聞こえないんじゃないか?



 しかし、考えるだけ無駄。

 今更何もできるはずはない。


 そう思った瞬間。

 ステージにライトが灯り。


 大歓声が湧きあがった直後。

 それがどよめきに変わる。



 当然ステージに姿を現すと思っていたのは自分たちの女王様。


 だというのに、代わりに顔を出したのは、天使の羽根を付けた小娘だ。 


 何かの演出なのか。

 誰もがいぶかしげに見つめるステージの上。


「がんばれ、ゆあ……!」

「がんばれ……!」


 二人の親友の声に合わせるかのように。

 颯爽と顔をあげたゆあは、スタンドに差されたマイクを両手で包むと。



 ゆっくり。

 ゆっくり。



 まるで噛み締めるように。

 アカペラで歌を紡ぎ出す。



 ドー

 ドー


 ソー

 ソー


 ラー

 ラー


 ソー



 ……まるで天使のささやき声。

 そんな歌声に、誰もが呆気にとられている間に配置についたバンドメンバーが。



 ほうけていた客席全員が。

 気絶するほどのハンマーを容赦なしに叩きつけた。



 カウントなしで始まったツインバスの激しいドラムサウンド。

 耳をつんざくハウリングまじりの、ともすれば不協和音とも言えるギター。

 そして、もはや爆発音と呼べるほどのベースのリズムに乗って。



 ゆあは。

 マイクスタンドを小脇に抱えながら。

 ヴォーカルスピーカーに片足を乗せて。




 シャウトした。




『イイェェェェェェェェェェェェェェイ!!!!!』



「「「うおおおおおおおお!!!!!」」」



 甲高いのに、ずっしりと重みのあるゆあの叫び声を聞いた客席からは。

 弾かれたかのように歓声が上がる。


 そして俺はと言えば。

 これを感動と呼んでいいのかどうか。


 まるで心臓をわしづかみにされた心地に身じろぎひとつできず。


 血の気が引いて、氷柱のようになった背筋と。

 マグマのように熱くたぎった血液が体中を駆け巡る興奮とを同時に味わっていた。



 そして大興奮で腕を振り上げる会場を、まるで意にも留めないように。

 ゆあは、一言一言に魂の全部を乗せて歌い出す。



 ほうき星乗るおうじさま

 見下してんな降りて来い


 あたしは今日もこの星で

 這いつくばって生きてんだ



 ドラムもギターもベースも。

 まるでソロパートを勝手に演奏してるんじゃないかと言う程の狂った曲に負けないゆあの悲鳴。


 スタンドに差さったマイクを咥えるほどに口を寄せて。

 くぐもって割れた声。


 これは、そう。

 俺の知ってる言葉で表すなら。



 デスメタル。



 惚れたあたー しーがー

 バカだってー ゆーのー?


 ドドソソラ 声届かねえやつに

 ソソララソ 惚れちまったんだからさ


 どうせいちゅうのー この気持ちー

 どんちゅうのー この気持ち



 くたばりやがれぇぇぇぇ!!!



 間奏に入ると、客席からは怒涛のコールが湧きあがる。


 今やもう。

 新しく生まれた堕天使にみんな夢中だ。


 それにしても、萌歌さんの作る歌詞って。

 まるでコントみたいで、メッセージ性の薄いものが多いんだけど。


「あの人、やっぱ大人なんだよなぁ」

「え……? 何か言った?」

「いや?」


 激しい曲に合わせて。

 夢中で飛び跳ねながら俺に声をかけて来た秋乃は、その辺良く知ってるから懐いているんだよな、あの人に。


 多分、みなまで話も聞いていないだろうに。

 ゆあの気持ちを全部汲み取って。


 そして、今日。


 全部を吐き出させてあげようとしてくれたんだ。


「……まいったな。こりゃあ、百万円分の価値がある」


 俺は、今日の所は負けを認めて。


「イェエエエエエエエイ!!!」


 タガを外して。

 魂の赴くままに飛び跳ねた。



 ほうき星乗るおうじさま

 目の前素通り上等だ


 あたしは今日もこの窓へ

 お前目掛けて唾を吐く


 惚れたあたー しーがー

 負けだってー ゆーのー?


 ドドソソラ 手の届かねえやつに

 ソソララソ 惚れちまったんだからさ


 どうせいちゅうのー この気持ちー

 どんちゅうのー この気持ち



 おりてこいやあぁぁぁぁぁ!!!



 サビの二つ目を終えると、間奏中に萌歌さんもマイクを持って姿を現し。


 会場が崩れ落ちるんじゃないかって程の盛り上がりを見せた、ゆあのステージは。



 大歓声と。

 ゆあの目に光る涙と共に。


 今、その幕を閉じた。



「さあ野郎ども! 余興は終わりだ! このまま突っ走るぞ!」

「「「うおおおおおおおお!!!!!」」」



 そして、萌歌さんのステージ後半が始まると共に。

 俺たちは、ゆあの待つ楽屋へと走り出したのだ。




 ~🌠~🌠~🌠~




 萌歌さんたちに心からお礼を言って。

 スタッフ通用口から外へ出ると。


 空には。

 満天のお星さま。


 今日は雨水だというのに。

 気が利いてやがる。



 でも、ずいぶん遅くなっちまったからな。

 みんながはしゃぎたい気持ちもわからんではないが。


 すぐに家に帰さねえと。


「も、萌歌さんに、ありがとうだね……」


 そんなことをつぶやく秋乃も。

 大騒ぎしながら駅までの道を歩くみんなと、まだ騒ぎたいんだろうな。


「その辺は、また明日。早く帰るぞ」

「うん……」


 もちろん、こんな返事は悔しさから来たわけで。


 俺が振り回された問題なんて。

 あの人にかかれば、問題ですらないんだろう。


 そんなことを考えたせいで。

 思わず口をついたこんな言葉。


「……俺は、みんなのためになれているのかな」


 雑踏と。

 目の前の大騒ぎ。


 でも、秋乃は俺のつぶやきを。

 ちゃんと聞いていたようで。


「い、一生懸命で。……キラキラしてた」


 優しい言葉をかけてくれると。

 みんなと一緒になってはしゃぐゆあのことを、嬉しそうに見つめていた。



 照れくさいことを言われて。

 逃げ出したかった。


 それに。

 早く駅に向かわないと。



 でも俺も。

 みんなの姿を見つめながら、その場で足を止める事しかできなかった。



 だって。


 まるで、かつてのメリーゴーランド。



 俺の右手を。

 大切な人が、握ってしまったから。




 秋乃は立哉を笑わせたい 第21笑


 =恋人(未定)と、

    協力して問題を解決しよう=



 おしまい♪

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秋乃は立哉を笑わせたい 第21笑 如月 仁成 @hitomi_aki

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