天使の囁き記念日


 ~ 二月十七日(木)

   天使の囁き記念日 ~

 ※霓裳羽衣げいしょううい

  虹のような光沢を放つ、

  薄く軽やかな衣装




「え!? 書き下ろしぃ!?」

「はい。ちょちょいと作ってみました」

「間に合うのかよ!」


 プロデュースは俺に任せたとか言っておいて。

 ゆあの歌声を聞いた途端。


 自宅に連れ込んでまで鍛え始めたこの人は。


 今までにも売れっ子アイドルを二人も輩出した、名トレーナー。


 黒崎くろさき萌歌もかさん。


 俺に連絡も入れずに付きっ切りになってしごいているのがさすがに気になって。

 こうして足を運んでみれば。


「きゅう……」


 案の定、ゆあは床に突っ伏していたのだが。

 この際そんなことはどうでもよくなった。


「なんでまた、こいつのために曲まで作る気になったんだよ」

「その方が、お客様から頂くことができるレッスン料が上がるかと思いまして」

「なんで俺が払うことになってるんだよ!?」

「なんと酷いことを。凜々花さんにこんな借金を背負わせようだなんて」

「そしてどうして凜々花に飛び火した!」


 なんでこいつはこうなんだ。


 俺は頭を抱えながら。

 請求書を受け取ってはみたものの。


 すぐに床へと叩きつける。


「子供の書く単位!」

「五百万が六百万になったところで何も変わらないじゃありませんか」

「だからって高すぎる!」

「作詞作曲も行っているんです。破格ですよ?」

「ですよ? じゃねえんだよ。誰が頼んだ、新曲なんて」

「まあまあ。きっとお客様も満足されることと思いますので」


 いくら満足できたからって。

 百万円なんて払う気はねえ。


 それに、さっきお前言ったじゃねえか。

 ちょちょいと作ったって。


 呆れる俺のことなど歯牙にもかけず。

 萌歌さんは、満身創痍のゆあを蹴とばして立たせると。


「ほら。お前のレッスン料を肩代わりしてくれる先輩に、心を込めてステージを見せてやれ」

「逃げ道にまきびし撒くな」

「それにしても物好きな……。こんな小娘に大金そそぐなんて、何が目的です?」

「どうしてお前と関わると俺がろくでなしみたいになるんだろうね」


 俺のことを、悪徳プロデューサーに仕立て上げたあと。

 ノートパソコンを操作する。


 すると、ちょちょいと作った曲が外付けのスピーカーから流れて来たんだが。


 これ。


 ほんとにちょちょいと作ったの?


「かっこいいイントロ……!」


 ちょちょいどころか。

 ものすごい完成度。


 文句の付け所があるとすれば。

 ものすごい激しくて頭が割れそうではある。


 メロディーもへったくれもないような。

 ぎゃぎぎゃぎどかどかした曲だけど。


 なぜか胸に染みるフレーズに。

 あっという間に夢中になった。


 でも、こんな激しい曲に。

 一体どんな歌詞が乗ろうというのか。


 ゆあは激しい振付けから。

 握ったマイクを口元に寄せたんだが。


「…………まるで聞こえん」


 ぽつぽつと、囁くような声が聞こえるけど。

 マイクの電源が入ってないのかな?


「どうですか、お客様。いい歌声でしょう?」

「いいわけあるか。まるで聞こえん」

「これに関しては、ちょっと真面目に言いましょう。ゆあさんの歌声は、本当にいい」

「本気で言ってる?」

「まるで天使」


 確かに、この間屋上で聞いた。

 ゆあの歌声は綺麗だとは思ったけど。


 ちょっと大人びた声音だから天使とは違うと思うし。

 そもそも、ちっさくてまるで聞こえん。


 でも、萌歌さんが天使みたいだって言ってるということは……。


「堕天使ってこと?」

「お客様は、ほんと見る目がないですねぇ」


 酷い言われようだが。

 そもそも俺はド素人。


 そりゃあないですよ、見る目なんて。


 そうこうしてるうちに曲は終わり。

 再び床に崩れ落ちたゆあに、萌歌さんが言うには。


「本番じゃあ、客の叫び声と視線にさらされてすべてが吹っ飛ぶ。だから体が勝手に動くようになるまで何度も繰り返せ」

「にゅ、にゅ……」


 この間、王子くんとチョコを作った離れでの特訓は。

 明日の本番ギリギリまで続きそう。


 俺は、邪魔にならないようにお暇しようと。

 腰をあげたところで、萌歌さんに袖を引かれた。


「お待ちくださいお客様。頼んでおいた衣装はどうなりました?」

「ああ、それなんだが。持ってたやつが失踪した」

「あの変わり者ですか? あの方でしたら……」


 そう言いながら、開け放たれた押し入れの中に。

 体育座りで籠っていたのは。


 舞浜まいはま秋乃あきのという名の変人。


「何でそこ気に入ってるんだよお前!」

「暗くてジメジメしてる感じが、落ち着く……」

「やかましい。とっとと出ろ!」

「お待ちくださいお客様。勝手に出られては困ります」

「は?」


 そして萌歌さんが手渡してきた紙切れには。

 請求書と書いてあってんだが。


 押し入れ御休憩代金。

 百万円って。


「払わなければ出しません」

「その場合は、俺が出るとこ出ることになるんだが?」

「上手いことおっしゃる。それでは代金の代わりに、こちらのお客様が持っていた荷物をいただきましょう」

「衣装一つ渡す作業が何でこんな面倒なことになるんだよ」


 結局、もともと秋乃から取り上げていたらしい袋を部屋の隅からもって来ると。


 萌歌さんは、中から衣装を取り出したんだが……。


「ゆあさん。こちらは当日の衣装とのことです」

「にゅーーーーーーっ!!」

「こらあああ!!! それ、この間、王子くんが着てたやつ!」

「違いますよ。あんな無粋なスカートは付けてません」

「なお悪いわ!!!」

「ぜひこちらを着て歌って欲しいと、そちらのレッスン料を出してくれている変態な先輩からのオーダーですよ?」

「最悪な物語が破たん無くなり立っとる!」


 まるで下着のようなメイド衣装。

 ゆあはそれを体にあてがうと。


 俺を見上げて来たから。

 何かを言う前に、高速呪文詠唱で対抗した。


「違うからな!? こいつがどこかに隠したんだ! ちゃんと、天使みたいなアイドル衣装があるから安心しろ!」


 強引な口封じ。

 それをもってしてもなお。


 ゆあはクレームをつけようと。

 まるで俺の弁明を聞いていなかったかのように口を開いて。


 小さくささやいた。



「…………これ、いいかも」



 ……まさかの手遅れ。

 やはりゆあは。


 既にこの悪魔の手によって。

 堕天使にされていたのだった。

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