バレンタインデー 後編


 俺は、世間一般的な尺度で計ったところによると。


 シスコンという物らしい。


 そんな自覚がうっすらとあるにはあったが。

 どうにも、この後輩トリオのためとなると見境が無くなるあたり。


「真正なんだろうな」

「先輩、何か言いましたか?」

「いや?」

「それでこれからどうするんです?」


 そう。

 それよ。


 三人娘を引きずるように昇降口から出て来たものの。

 何のあても無いことに、今、気付いたとこなんだ。



 タクシーが確実なんだろうけど。

 この間の天ぷら大会のおかげで。

 そんな金はねえ。


 だとすると。

 手段は一つ。


「こら貴様ら! 授業中にどこに行く気だ!」


 何かのお使いに出ていたのか。

 校門から、砂埃を巻き上げるほどの勢いで。


 自転車に乗った先生が入ってくると。

 俺たち目指して突進してきた。


「…………渡りに船」

「え? 船で行くんですか?」

「朱里。そのリュックに荷物は全部入ってるんだよな?」

「入ってますけど……」

「よし、それなら好都合。早速行くぞ!」

「ええ!? 走っていく気ですか!?」


 そうだな。

 高く飛ぶには助走が大事。


 真っすぐ突っ込んできた先生に向けて。

 俺は走り出す。


 そして、ベルをちりんちりんさせながら泡を食ってブレーキをかける先生の顔面に。



 ドロップキーック。



「ごはああああああ!!!」

「にょーーー!?」

「にゅーーー!?」

「にゃあああ!?」


 地面を数回転がって。

 土を舐めたまま横たわる先生と。


 そのそばに横転して、かごの中に入っていた文房具の類を派手にぶちまけた自転車。


 どっちに手を差し伸べるかなんて。

 一目瞭然。


「乗れ!」

「二人乗り!?」

「早くしろ!」

「う、うん!」


 そして叫び声をあげたままの丹弥とにゅを残して。

 俺はペダルに全体重をかけた。



 ……球場まで。

 こいつで飛ばせばなんとかなる。


 もっとも、そのためには。

 朱里の力が必要だ。


「ナビ頼む!」

「携帯! リュックの中です! 出せないですよ!」


 悪路を飛ばしてるからな。

 さっきから、体全体で必死にしがみつかれて漕ぎにくいったらねえ。


 こんな状況で携帯操作なんて。

 確かに難しいかもな。


「よし。ならばこいつを使おう」

「へ?」


 自転車のかごに残っていたクラフトテープ。

 一旦走るのをやめて、朱里を後ろ向きに荷台に座らせて。


 背中合わせにぐーるぐるぐるぐる。


「ちょおおおおっ!? なにこのにのみやスタイル!?」

「うるせえ。薪はグダグダ言わずにこの携帯で球場までの道を案内しろ」

「確かにこれなら操作できそうですけど……。先輩の携帯、でかくて操作し辛い……」

「よし! じゃあ出発!」

「ぎゃあああああっ!! 後ろ向き、怖いっ! 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!」


 ぎゃーぎゃー騒いだところで言う事を聞く気はないし。

 そのうち慣れるだろ。


 案の定、覚悟を決めた朱里は、騒ぐのをやめて携帯を操作して。


「つぎ、右です!」

「……後ろ向きだってこと忘れるな」


 左右逆の指示を。

 俺に出し続けた。



 ――冬の冷たくて乾燥した風が。

 俺の頬を手を、見えない刃で切り刻み。

 見えない傷を負わせて、痛みだけ伝えて去っていく。


 ようやく後ろ向きに慣れてきたのだろうか。

 朱里は、ナビの合間合間に世間話を振って来るが。


 必死に自転車を漕ぎ続ける俺は。

 吐く息に音を乗せる程度の返事しかできずにいた。


 そして峠を一つ越えて。

 下り坂で、ようやくの休息を得たところで。


 朱里の方から。

 ぶーぶーと振動音。


「先輩先輩! 西野先輩からメッセージです!」

「代わりに出てくれ」

「いいんですか!?」

「読め」

「えっと……。砂糖少なくして良いかって。何の話です?」

「だめだって返してくれ。お菓子作りは分量が命。砂糖だって生地の一部なんだ、下手すりゃ台無しになる」

「そうなんですね。砂糖は減らしちゃダメですっと。……おっと? 今度は舞浜先輩です!」


 なんだなんだ?

 どこかにカメラでも付いてるのか?


 小休止のタイミングに合わせて、次から次へと。

 でも、それで問題が解決するなら構わんか。


「それも出ていいぞ」

「えっと。『後ろ向きに自転車に乗ると、ひゅわーって、おなかがぞわぞわする感じがして怖いよね』って! なんだか怖いの思い出してきたかも! 漏る!」

「やめんか! マーキングしないでも帰り道くらい分かる!」

「怖い怖い怖い怖い!」


 ああもう、何なんだよアイツのエスパーっぷりは!

 それよりほんとにどこかにカメラが付いてるんじゃねえだろうな?

 あるいはドローン?


「メッセージ、続きがあるけど怖くて読めない!」

「そっちに集中しろ! そうすりゃ怖くねえから!」

「は、はい! えっと……。凜々花さんが邪魔して、チョコ作れないって」

「ん? …………それだ! できるだけ優しく、一緒に作ってあげろって返事しろ!」

「了解……」


 なにも。

 好きな男子のためって訳じゃなく。


 好きな秋乃がいる学校に、一緒に通いたい。

 そう凜々花が思ってくれれば。

 きっとまた、勉強頑張ってくれるはず。


「先輩! 今度ははるひめさんって方からです!」

「……読め」


 二つ目の峠越えが始まったから。

 俺は、それきり返事をしなかったんだが。


「GJですって。……先輩、意味分かります?」


 どうやら、この作戦。

 上手くいきそうだ。



 王子くんのチョコ作り。

 秋乃の手伝い。

 凜々花の勉強に。

 こいつのソフトボール。


 球場へ滑り込んで。

 朱里を、大歓迎で迎えてくれたみんなの元に送り届けた俺は。


 水道から、浴びるように水を飲んだあと。

 満足のまま、地面に倒れ込んだ。


 そんな俺に。

 ユニフォームに着替えて戻って来た朱里が。

 心からのお礼を……。


「せ、せんぱあああい!! 大変ですううう!!」

「まだなんかあるのかよ!!!」

「あの……、これ……」


 疲労困憊を絵に描いたような俺の顔の前。

 おずおずと差し出された朱里の携帯。

 そこには、丹弥からのメッセージが書かれていたんだが。


「こ、この先輩って……」

「そうです! ゆあがチョコあげなきゃいけない人!」

「ちきしょう! 間に合うか!?」


 しまった!

 課題は五つだった!


 俺は、再び自転車にまたがると。

 今来た道を全力で走り出す。


 文面を見るに。

 その先輩とやらは、もう学校を出ようとしているところだったようだが。


「ま……、間に合え……っ!」


 今はただ。

 叶わぬ願いを口に出しつつ。


 必死にペダルを漕ぐしか術は残されていなかった。




 ~🚲~🚲~🚲~




 既に放課後を迎えていた学校で。

 俺を待っていたのは、鬼の門番。


 文字通り、物理的に散々絞られて。

 抜け殻になった俺が解放されたころには。


 既に、東の空には。

 星がひとつふたつと瞬き始めていた。


 そして生徒指導室から教室へ向かうと。

 秋乃に見守られながら勉強をする凜々花と春姫ちゃんの姿に出迎えられ。


 さらには、なにやら挙動の怪しい王子くんと。

 小説を読んでいた丹弥。


 その後ろからは。

 試合を終えて、みんなと車で帰って来たんだろう。


 朱里が、一目散に駆け寄ってきて。

 俺を廊下へ連れ出した。


「…………屋上です」

「分かった。……朱里は、みんなを連れて先に帰っていてくれ」

「お願いします……」


 深々と頭を下げる朱里に見送られて。

 俺は屋上へ向かう。


 そして音をたてないように、冷え切ったノブを回して。

 慎重に屋外へ出た。



 ――冬の冷たくて乾燥した風が。

 俺の頬を手を、見えない刃で切り刻み。

 見えない傷を負わせて、痛みだけ伝えて去っていく。


 でも、どんな痛みだって。

 あたたかな場所へ入れば、すぐに消えて無くなってしまう。


「……ゆあ。あったかいところに行こうか」


 その傷を癒すには。

 一人でいてはいけない。


 でも、俺なんかの提案に。

 鉄柵に手を添えた、後姿のゆあは。

 素直に首肯することは無かった。



 全力で背中を押すと決めていたのに。

 強引にでも腕を引っ張って、チョコを渡させるって決めてたのに。


 こいつが、告白もできないまま失恋したことが。


 とてもつらい。



 一人を救って。

 一人を救えないなんて。


 なんて俺は無能なんだ。


 もっとうまくやれたはず。

 みんなの気持ちを平等にくみ取っていれば。


 こんな結果にはならなかったはずなのに。



 ……東の空に瞬く星は。

 既に、指で折るには足りぬほど。


 そんな星を見つめながら。


 ゆあは静かに。

 きらきらぼしを口ずさみ始めた。



 その歌声は、どんな暖炉より優しくて。

 そしてどんなツララよりも冷たくて。



 一節ごとに、冷たくなっていく星空の下で。



 ずっと。


 ずっと。



 唇の音すら、歌詞に交じるほど小さな声で。



 彼女は、東の空を見つめたまま。

 歌い続けていた……。


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