第40話 ググトの飼育

 私はググトを育てている。そして人の地に代わるググトの食事について研究している。・・・ググトのいる平行世界の私(ハットリサン)の話。第22話参照 


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 私には子供がいる。そう言っても自分が産んだ本当の子供ではない。それはググトの子供だ。育ててもう5年になる。

 私は元々、ググトの調査研究所の研究員だった。そこでとらえたググトを調べた。ググトは狂暴な生物だ。しかしそれは食われる者の人間からしてだ。彼らは彼らなりのルールで、人間を襲って血をすする。それは自然な食物連鎖の一環でしかない。

 ググトは平均的な人類より少し知能が上である。食事以外はちゃんと社会生活に順応している個体もいる。普段、町ですれ違っても普通の人間ではわからないくらいだ。ただ食事のため人間の血が必要であり、そのために彼らは人間を襲うし、我々人間はググトを退治する方法を考えて実行する。そして現在、マサドのシステムによりググトの被害はやや少なくなった。

 だがこれでいいのだろうか? 狂暴なオオカミの様に扱っているググトは高い知能があり、ググトの生きていく権利を無視してそんなに簡単に葬っていい存在なのだろうか・・・。


 私はかつて研究所で子供のググトを担当したことがある。彼のことをテスと呼んでいた。テスも普段はそこいらにいる子供と変わりがない。いたずら好きで元気でよく遊ぶ。ただ食事の時だけ化け物のような姿になる。テスはそれを嫌がっていた。できることなら人の姿のままでいたいようだった。

 そのテスもこちらの不注意で檻から抜け出したことがある。子供と言ってもググトだから普通の人間が太刀打ちできるものではない。それは猛獣と同じなのだ。テスは本来の姿になり、係員の制止を振り切って外に出ようとした。多分自由を求めて・・・という事なんだろう。そのテスを排除しようとマサドがその前に立ちはだかった。

 私はテスを必死に止めた。このままでは殺されてしまうと・・・。するとテスは人の姿に戻って大人しく檻に戻った。悪いことをしたと後悔もしていたようだ。それは彼にとって、ただの遊びの延長にすぎなかったのだ。


 だがそれは大ごとになった。関係者は責任を取らされた。もちろん私も・・・。研究所のスタッフは入れ替えになり、 私はググトとは全く違う部署に移された。それから風のうわさではテスはひどい扱いを受け、過酷な実験を受けさせた後に死んだという・・・。あんなに素直でいい子だったのに・・・。

 私は今でもテスの夢を見る。いや夢枕にテスが立つというべきか・・・。


「ハットリサン、こわいよう・・・」

「たすけてよう・・・」


 彼は訴えかけていた。私はその度に罪悪感に苛まれる。何かしてやれなかったかと・・・。

 そんな時、私はある現場に遭遇した。それはググトとマサドが戦っている町の通りだった。ごちゃごちゃとした家々やアパートが立ち並ぶ小さな通りで戦いが繰り広げられていた。そのググトはあるアパートの一室から飛び出してきたようだ。多分、マサドの気配を感じ取り、逃げ出そうとしたのだろう。


「待て!」


 その後をマサドが追いかけた。ググトは触手を振って必死に逃げていた。だがいくらかも行かないうちにマサドに追いつかれた。


「来るな! 来るな!」


 ググトはそう叫びながら必死に触手を振り回すが、マサドは容赦なくパンチやキックを叩き込んでいく。やがて、


「グエーッ!」


 と断末魔の声を上げてググトは倒れ、やがて泡になって消えていった。マサドはそれを確認してその場を離れていった。

 私はその光景を見ながら思っていた。


(あれはメスのググト。あんなに人目に姿をさらして逃げるのには訳がある。それは・・・)


 私はそのググトが飛び出したアパートの部屋にそっと忍び込んだ。ググトを倒したばかりだから管理局の人間は来ていないし、アパートの住人も逃げたので誰もその辺にいなかった。


「やっぱり・・・」


 その部屋には男が一人、血だらけで横になっていた。そしてその傍らにはその血をなめとるググトの子供がいた。そうだ。さっきのググトは母親でこの部屋で子供を育てていたのだ。

 だが獲物が少なかったのか、子供は一体しかいない。普通ならいっぺんにもう数体産むはずだが、死んでしまったのかもしれない。血を吸われた男はもう虫の息だった。血を大半吸われてこのまま死ぬしかないのだろう。もう助からない。そしてこの子供のググトも男の血がなくなれば死が待っている。

 私は急に強い感情に襲われた。むなしい・・・いや違う、悲しい・・・いやそうでもない。とにかくその感情が私を強く揺れ動かした。


(さあ、一緒に来るのよ!)


 私はそのググトの子供を抱き上げた。


「うぎゃあ、うぎゃあ・・・」


 その子供は泣き出したが、私はその辺りに落ちていたバスタオルでくるみ、外から見えないようにしてその部屋から出た。そして必死に走って自分のマンションまで運んでしまった。


「ど、どうしよう・・・」


 マンションに帰って私は我に返った。これからどうしたらいいのか・・・。連れ帰った以上、どうにかしなければならない。普通の赤ちゃんも育てたこともないのに、このググトの子供をどうやって育てるのか・・・。テスの飼育実験の経験はあるが、このマンションで育てられるのか、いや食事の血はどうしよう、今は小さいから血は少しでいいかもしれないが、今後どこかから調達しなければならない。 

 その時、自首して管理局にググトも子供を引き渡すという選択は私の中にはなかった。そんなことをしたら殺されてしまう。そうでなくても研究所行きだ。そうなればこの子もテスの様にさんざん辛い実験をされて、挙句の果てに殺されてしまう。

 幸い、私は人の血液を扱って研究する部署に勤めている。その管理も厳格なようでルーズなところもある。すこしばかり血を持って帰ることができる。保存血であってもググトには問題ないことも知っている。こうして私の子育ては始まった。


 それは研究所の時と同じだった。いや、それよりもやりやすかったかもしれない。ググトの子供は素直だ。言いつけはよく守る。保存血のパックを1週間に1,2回与えておけば、それで十分だった。私はその子供をトーマと名付けた。彼はすくすくと成長した。

 だがこのままでは十分な血を与えることができなくなるだろう。そんなに保存血をごまかすこともできないから・・・。私は考えた。


(そうだ。人工的にググトの食料を作ろう。)


 と。それは研究所に勤めている時の研究テーマだった。人の血以外のもので生きていけるか・・・。他の動物の血でも生きていけるググトもいた。彼らの話ではひどくまずいそうだが。でも人を狩りたくないググトの中にはそうする者がごく一部いるようだ。その様なググトは森や山の中にいる。中には牧場で少しずつ家畜から血を吸っているググトもいた。

 私はそれも考えたが、味や入手しやすさなどの点から止めた。それより身の回りの材料を使って人の血の代わりになる者を作れないかと思った。

 ある程度は完成していた。栄養の点では十分だった。だが人の血に比べ、味がどうしても劣る。それが課題だった。テスもそれをまずそうに飲んでいた。


(この研究を完成させてやる!)


 私は決めた。研究所を追い出した管理局の役人を見返す気持ちが少しはあったが、それより目の前のトーマを育て上げねばならない。血を求めて人を襲わないように。

 それから私は試行錯誤を重ねた。幸い今の部署で隠れてそれを行うことは容易かった。少しずつ材料を替え、分量を替え、トーマに与えてみた。


「まずいよう!」


 当初はそう訴えていたトーマだったが、そのうちに大人しく飲むようになった。


「どう?」

「うーん。今日のは少しおいしかった。腕を上げたね。」


 トーマは言ってくれた。まるで料理の味の感想の様に。そう聞くと私は喜びを感じるようになった。


(またがんばっておいしいものを作るか!)


 私は子供においしいものを食べさせようとがんばる母親のようになっていた。


 ◇


 それからも試行錯誤が続いた。そしてついに完成したのだ。ググトの食事が!


(トーマは喜んで飲んでくれる。栄養の点でも問題はない。これさえあればググトは人を襲わないかもしれない!)


 私には明るい未来が見えていた。人間とググトが仲良く共存する世界・・・そんなことは誰も考えつかなかっただろう。人間はググトから逃れるか、排除するかしか考えてこなかったのだから・・・。

 だがクリアしなければならない課題も多かった。はたしてこのググトの代用食はトーマ以外のググトでも受け入れてくれるのだろうか。それは試してみるしかないのだが・・・。 

 しかし現在、私はググトを直接扱う部署にいない。ググトを扱う部署はセキュリティーが厳しく、簡単には出入りできない。もちろんそこの担当の者に接触して・・・ということも無理だろう。私がググトの代用食を作ったいきさつなどは話せないからだ。そんなことをすればトーマは実験動物にされてしまう・・・。


(どうしようか・・・)


 私は悩んだ。そして一つの解決法を思いついた。それは街に出て実際にググトに遭遇することだ。そこでこの代用食を与えてその反応を見ればよい。

 ただ問題はそのググトがその代用食を食べてくれるかどうかだ。そうでなければ私がググトの餌食になってしまう。これは命懸けだ。


(それでも私はやらなければならない。明るい未来のために・・・)


 私は決心して代用食をもって街に出ることにした。そんな私をトーマは心配してくれた。


「ママ。危ないことしないでね。」


 そんな彼を私はしっかり抱きしめた。


(人間とググトは絆を深めて生きていけるのだ!)


 私はそう確信した。だからこれは絶対にやらねばならないことなのだ。


 ◇


 私は夜の町を徘徊することになった。私のバッグにはあの代用食がある。ググトが現れればそれを投げてやるつもりだ。

 そして数日後ようやくその機会を得た。


「ぎゃあ!」


 と悲鳴が上がったのだ。近くでググトが人間を襲っている。私は急いでその方に向かった。すると確かに中年の男がググトにつかまっていた。今や、その口が男の体を切り裂こうとしていた。


「待って! その人を傷つける前にこれを試してみて!」


 私はあの代用食をググトに投げた。ググトは触手でそれを器用に受け止めた。


「何だ? これは?」

「ググトの代用食よ。食べてみて。これがあればあなたたちは人間を襲わなく済むのよ。」


 私はそう訴えた。そのググトに私の熱意が通じると・・・。しかし・・・


「そんなものいらねえな。」


 ググトはその代用食をポイと投げ捨ててしまった。そしてゆっくりと男の皮膚を切り裂き、血をなめとっていた。


「うわあ! ひえぇ!」


 男の悲鳴が響いていた。私はどうすることもできず、その場に座り込んで茫然としていた。ググトは食事を終えると私に言った。


「俺たちは人間を襲って血をいただくことで生きている。これが自然な形なのだ。お前たちの勝手で俺たちの生活様式を変えることなんかしない。よく覚えておけ!」


 そのググトはそう言って夜の町に消えていった。


(私の完敗だわ・・・。確かに私の考えをググトに押し付けようとしていた。人間の勝手でググトの生物としての生き方を変えようとしてはいけないのかもしれない・・・でも・・・)


 人間とググトが殺し合うこの現状は変えなければならない・・・私はそう強く思っていた。

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ググトのいる街 広之新 @hironosin

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