第27話 生き返った僕
僕は草原を歩き続けて牧場にたどり着いた。そこの家から出て来た見知らぬ中年の男と女は、僕のことを「洋一」と呼んだ・・・死んでいるはずの現実世界に現れた「僕」の話。
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気づくと僕は草原の中を歩いていた。その頭上にはきらびやかに光る星々と明るい満月があった。夜の幻想的な明るさの中を僕は何かに向かっていた。確か昨日までは深い山の中に住んでいたはず・・・。そこは誰一人、寄り付く所ではなかった。野生の獣が自由に生きて、厳しい生存競争を繰り広げていた。この僕を含めて・・・。
この場所に来たことがない。僕の知っている限り、あの山にはこんな場所はなかった。だとしたらここは?・・・そんな疑問を抱きつつも僕は歩き続けた。なぜかそこへ向かわねばならない気がしているのだ。
しばらく歩くと柵が見えてきた。ここは牧場なのかもしれない。いや、きっとそうだ。牛などの家畜がいるはずだが、人間もいるだろう。だとしたら・・・僕は躊躇する気持ちがあった。人間に関わるとろくなことがない。
それでも僕は歩き続けた。そしてやがて一軒の家の前に立った。ここが僕が来たいと思っていたところか?
そこは古ぼけた一軒家だった。多分、牧場の人が住んでいるんだろう。まだ起きているらしく灯りはついていた。人の気配はあるものの、にぎやかな様子はなく、ただひっそり静まり返っていた。しばらく僕はその家を眺めていたが、やはりここにいるべきではないと思えてきた。もう山に戻ろう・・・。
「ガチャ!」
いきなりドアが開いた。そして中年の人間の男女が出て来た。
「洋一!」
僕の顔を見て、女がいきなり叫んだ。僕はびっくりした。僕はその女に見覚えもない。もちろん僕は「洋一」でもない。しかし女は僕に駆け寄ってきた。
「洋一! 洋一なんだね! 帰ってきてくれたんだね!」
僕は訳が分からず、ただ立ち尽くしていた。女はそばに来てそんな僕を抱きしめた。
「もうどこへも行かせない。ずっとここにいておくれ!」
僕は困惑した。全くの人違いだが、どう説明しようかと考えていた。もう一人の男の方は信じられないという顔をしている。この男に説明してみようか・・・。
「僕は・・・」
そう言いかけた時、男はそれを遮って、
「よく帰って来てくれた。中に入ってくれ。さあ。」
と家の中に入るように促した。その男の目は「うまく話を合わせてくれ。」と言っているようだった。僕は小さくうなずくとその女とともに家に入った。
その家のリビングでは赤々と暖炉の火が燃えていた。外はかなり冷えていたからその温かみは身に染みた。
「さあ、入って。ここにお座り。寒かったろう。」
女はそう言って僕を暖炉の前に座らせた。すると正面の壁の写真が僕の目に入った。
(これは!)
それは僕が写っていた。いや僕に似た少年が写っていた。全くそっくりだった。これが洋一なのか・・・。
「お腹すいていない? 何か食べる?」
「いえ、いらない。」
僕は言った。空腹だったがここの食べ物は食べられなかった。
「そうかい。それじゃあ・・・」
そこまで言って女はふらついて頭を押さえた。何かの発作なのかもしれない。男が慌ててその体を支えた。
「無理したら駄目だ。もうお休み。洋一は帰って来たんだ。明日、ゆっくり話をしたらいい。」
「ええ、そうするわ。」
女は苦しいのにもかかわらず、
「あなたもゆっくりお休み。あなたの部屋はそのままにしてあるから。」
と僕に微笑みかけてそのまま男に連れられて行った。僕はうすうす事情が呑み込めてきた。しかし厄介なことに頭を突っ込んでしまった・・・。
男がリビングに戻ってきた。彼は僕を「洋一」だと思っていない。あの女には悪いが、ここから山に帰るか・・・と思っていた。
「すまなかった。 女房のために付き合わせてしまって。」
「いえ、いいんです。僕はもう帰ります。」
「いや、帰らないでくれ。頼む。もう少しだけ私たちに付き合ってくれ。」
男はすがるように言った。その姿は哀れで僕は突っぱねる気にならなかった。
「それはいいんですけど・・・僕は洋一じゃないんですよ。」
「それはわかっている。洋一は10年前に死んだ。この牧場で馬から落ちて。」
男は事情を話し始めた。
「女房は洋一が死んだショックで心の病になってしまった。ずっとふさぎ込んで横になることが多くなった。彼女はいまだに洋一が死んだことを認めたくないんだ。」
「でもいつかは認めなくては。そうしないと先には進めませんよ。」
「女房の中では10年前で時間が止まっている。今の彼女に現実を受け止める心の強さはない。長くなるかもしれないが、女房の心が落ち着くまでここにいてくれないか。」
「じゃあ、僕は洋一の代わりですか?」
「そうだ。でも洋一は洋一。君は君だ。私にはわかる。だが女房のために頼む。この通りだ。」
男は深く頭を下げて頼んだ。そんな話を聞いてしまったら、もう断れない。こうなったら仕方がない。もう少しこの人間に付き合うか・・・。
男の方は津山正孝、女の方は信子という名だった。僕は2人をお父さん、お母さんと呼ばねばならない。あらかじめ正孝から話を聞いておいたから、信子の話にある程度合わせることはできた。
2人は僕を本当の息子の様に接していた。僕は牧場の仕事を手伝い、「洋一」として生活した。信子も元気が出て来たようで家のこと以外に、牧場にも顔を出すようになった。牧場は、いやこの家は10年前に戻った。
しかしなにもかもうまくいったわけではない。食事は別だ。僕には食卓に並ぶ料理を食べることができない。
「今日も食べないの?」
信子が心配そうに聞いてくるが、僕は
「いらない。」
で通した。しかしいつまでもこんなことが通るわけがない。おかしいと怪しむだろう。しかし正孝はもちろん、信子もあまり何も言わなかった。もしかしたら信子は僕を幽霊か何かと思っているのかもしれない。
もちろん僕は幽霊ではない。食事もちゃんとする。山では野生の獣を捕まえて血を吸っていた。それも自然のバランスを崩さぬように多くの動物から少しずつ血をいただいた。人間のみたいにうまくはないが、それでも生きて来れた。
ここは牧場だ。馬やら牛、羊が多くいる。僕は夜な夜な少しずつ血をいただいた。そのためか、家畜たちは僕を見ると逃げるようになってしまったが。
僕の両親は幼い時、僕の目の前でマサドに殺された。だから親の愛というものをあまり感じたことはなかった。僕は何とか隠れて生きて山に登った。そこならマサドに殺される心配はないからだ。もちろん人間の血が飲みたいことは確かだ。
ここには2人の人間がいる。だが僕はこの人たちの血を吸おうと思わなかった。この人たちは僕を本当の息子の様に優しくしてくれる。僕にもこの人たちが両親に思えてくる。僕はもう「洋一」なのだ。家族を襲うことなどもってのほかだ。
牧場の仕事は大変だ。しかしもっと大変なことが起こっていた。この牧場を買い取ろうとやくざまがいの地上げ屋が来るようになった。なんでもこの付近で大掛かりな開発が行われるようだ。それが発表される前にこの辺りの土地を買って、利益を上げようというのだろう。そいつらは最初は丁寧だったが、徐々に正体を現してきた。
「早くハンコを押しな。そうしないと何が起こるかわからねえぜ!」
彼らは脅してきた。確かにおかしなことが起こっていた。牧場の柵は壊され、家には大きくいたずら書きされた。不審火のボヤもあった。何頭かの家畜が殺されていたりした。家畜の卸先も奴らに脅されて取引を断ってきた。
「こんなことまで・・・」
正孝は嘆いた。地元の警察にも奴らの手が回っているようで、形ばかりの捜査で何もしてくれない。だが正孝も信子もここから逃げ出そうとしなかった。2人にとってここは家族が暮らす大事な場所なのだ。特に信子はこの場所を離れると僕が消えてなくなると思っているようだった。
「洋一が帰って来たのよ。もうどこにも行かせない。この場所でみんなで暮らすのよ。」
と。
だが奴らの嫌がらせはエスカレートしていた。奴らも必死だ。なんとしてもこの土地をせしめようとしていた。そしてある日、とうとう奴らは非常手段に訴えようとした。
真夜中、若い男が数名、密かに牧場に乗り込んできた。多分、地上げ屋が雇ったやくざ者だろう。バールのようなものを持ち、それで家をこじ開けようとしていた。その様子を外で家畜の血を吸っていた僕は見ていた。
僕にはピーンと来ていた。奴らは密かに家族全員を殺しに来たと。後は書類を偽造とかなんかしてこの土地を手に入れるつもりだろう。
(そんなことはさせない。)
僕は密かに2階の窓から自室に戻った。そして僕は静かに階段を下りて玄関フロアに立った。
「バーン!」
音がしてドアが壊された。懐中電灯をつけて男たちが続々と中に入ってくる。しかし僕が待ち構えているのを見て、一瞬、慌てていた。
「出ていけ!」
僕は叫んだ。だが相手はやくざ者だ。それくらいではひるまない。
「ちょうどよかった。探す手間が省けたぜ。お前には恨みはないが死んでもらうぜ!」
男たちは長い刃物を抜いて構えていた。
「きゃあ!」
僕の後ろで悲鳴が上がった。正孝と信子が大きな物音に起き出してきたようだ。それでこの物騒な場面に出くわしてしまって腰を抜かしている。僕はこんな奴らも刃物も恐れはしない。だが僕の正体が信子や正孝に知れると・・・。
「騒ぐな! 皆殺しにしてやる!」
やくざ者は大声を上げた。信子は腰が抜けているのにかかわらず何とか這ってきて僕の前に出た。
「お願いです。この子だけは助けて。この牧場も何もかもあげます。私たちはどうなってもいいから。」
信子は必死に頼んでいた。僕は言い知れない感情に包まれていた。
「それならお前から殺してやる!」
男の刃物が信子に振り下ろされた。
「バーン!」
その刃物は弾き飛ばされた。僕が触手を伸ばしたからだ。
「なんだ! この野郎!」
他の男も刃物を振りかざして向かって来た。僕は触手で男たちを打ちのめした。僕の姿はもうググトになっていた。
「ば、化け物!」
男たちは腰を抜かしていた。
「いいか! 2度とこの家にちょっかいを出すな。そんなことをしたらみんな血を吸って殺してやる。」
僕は恐ろしい顔で言った。
「わ、わかった・・・だから許してくれ!」
腰が抜けた男たちは必死に手を合わせていた。彼らは恐怖で震えていた。
「よし、じゃあ、行け! それと今夜のことは誰にも言うな。もし言った奴がいたら皆殺しだ。いいな!」
僕の脅しに男たちは何度も首を縦にふって、そのまま走って逃げて行った。もうこれに懲りて奴らはこの家に来ないだろう。
僕は人の姿に戻った。正孝と信子は茫然としていた。それはそうだろう。ググトが目の前にいるのだから。2人は僕が自分たちを襲うと思っているに違いない。血を吸うために。だが僕はこの2人にそんなことはしない。
でも正体がばれた以上、もうここにはいられない。そう思うと家族の暖かみ、ここで暮らした数日が懐かしく思い出された。
「ごめんよ。僕はググトなんだよ。でも安心して。あなたたちを襲ったりしないから。このままここを出て行くよ。」
僕はドアを開けようとした。しかし僕の体は後ろからしっかり抱きしめられていた。信子に・・・。
「行かないでおくれ。私はあなたが幽霊だろうが化け物であろうが気にしない。だからここにいておくれ。」
「でも僕はあなたの息子の洋一ではないんですよ。」
「そんなことは初めからわかっていましたよ。でもあなたには家族でいて欲しい。息子でいて欲しいの。」
信子は涙を流してそう言った。僕はどういうわけか、信子の言葉がうれしく感じた。
「お母さん・・・」
自然とその言葉が口から出た。正孝も僕を抱きしめ、大きくうなずきながら泣いていた。2人の優しい心が僕の身に染みていた。
それからも僕はこの家で暮らすことにした。同じ家に人間2人にググト1体・・・奇妙な取り合わせだが、僕らは家族に間違いはなかった。
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