第26話 ノースロースの谷

 ノースロースの谷の村々を回る行商人のジュゼッペはある村に到着した。そこは以前と比べ物にならない程に荒廃し、子供たちしかいなかった・・・ググトのいる平行世界の話。


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 ノースロース地方はアルプス山系に属する険しい山々に囲まれている。そこにはあちこちに点在する小さな村々があった。そこではそれぞれがわずかな平地に作物を作って生活をしていた。だがその土地にしかできない珍しい草花が採取でき、それが町で高く売れることもあって、その村々を回る行商人が多くいた。


 車など通れない細くて険しい道を、背中に大きな荷物を背負って歩き続ける。それも数日にわたって・・・。だが最近ではその利益は減ってきており、かなりの重労働のため、行商人をやめる者も少なくなく、その存在は貴重なものになっていた。


 ジュゼッペもその一人だった。彼はもう30年もこの仕事を続けていた。最初は大きな利益に魅力を感じて始めたが、今は多くの村々の人たちと親しくなり、その人たちに会うことが楽しみになっていた。年をとるたびに背中の荷物が身に応えたが、村人の笑顔を見るために彼は仕事を続けていた。


「さあて、カルン村まであと少しだ。」


 ジュゼッペは自分に言い聞かせるようにそう言って、気を奮い立たせた。前の村を出発してから2日、途中で野宿をしながらここまで来た。途中、熊やオオカミにも出くわさず無事に来れたのは神のおかげだ・・・彼はそう思っていた。



 やがて村が見えてきた。この村に来たのは2年ぶりだ。ここは辺鄙な場所だから行商人もあまり立ち寄らない。もしかしたら自分だけしか来ていないのかもしれない。もしそうだとしたら多くの日常品が不足しているだろう。この背中の商品をたくさん買ってくれるかもしれない。そうしたら帰りは軽い薬草を背負うだけでいい。帰りは楽になる・・・彼はそう考えていた。


 ジュゼッペは村に入った途端、目を見開いて驚いた。以前、来た時には、ここにはそこそこの人が住んでおり、活気とにぎやかさがあった。だが今日は違った。人の姿も気配もなく、家々は荒れて朽ち果て、わずかな畑は荒れ放題になっていた。

 ジュゼッペは重い荷物を下ろして道端に座り込んだ。いつもならすぐに村人が出てくるというのに・・・一体、何が起きたんだと辺りを見渡した。



(そういえば・・・)


 この近くで人の失踪が続いているという噂を聞いた。熊やオオカミが出没しており、それに襲われたんだろうと言われていた。もしかしてこの村も・・・。だが村自体が荒廃するほど襲われることがあるのだろうか・・・



 しばらく村は不気味に静まり返っていたが、いきなり、


「タッタッタッタ・・・」


 小さな足音が聞こえてきた。ジュゼッペがその方向を見るとそれは小さな子供たちだった。


「おじさんは誰なの?」

「おじさん。どこから来たの?」

「何を持っているの?」


 子供たちは口々にジュゼッペに話しかけた。3歳から7,8歳というところだろうか、皆、元気で明るい笑顔をしていた。


(子供たちか・・・。じゃあ、まだここに人は住んでいるんだ。)


 彼は少し安堵したが、どうして村がこんな状態になったかを知りたかった。


「おじさんはジュゼッペ。君たちは?」


「僕はマルコ。」「私はジュリア。」「カルロだよ。」「ルーカ。」・・・


 子供たちは口々に話した。


「そうか。おじさんはいろんな村にたくさんの物を持ってきているんだ。」


「へえ。すごいんだ。」


「君たちのお父さんやお母さんはどこに行ったんだい? ここにいないようだけど。」


「大人はみんな狩りに出ているよ。ここには僕らしかいないんだ。」


 それを聞いてジュゼッペは意外な気がした。


(ここは、いやここら辺の人たちはわずかばかりの畑を作って生活している。それが狩だなんて・・・。作物が取れなくなったのか? それに第一、何を捕まえているんだ? カモシカか? でもそんなに数がいないはずだ。)


 子供たちはジュゼッペの困惑をよそに、彼への興味が尽きなかった。口々にいろんなことを聞いてくる。


「おじさん一人なの? 一緒に来ている人はいないの?」


「ああ、いつも一人で来ている。」


 ジュゼッペは思った。


(子供たちは退屈しているんだな。大人たちは忙しくてかまってやれないようだ。しばらく商売もできないし、暇つぶしに子供の相手をしてやろう。)


 彼は今まで多くの村を訪ねて多くの人と仲良くなった。もちろん子供も例外ではなかった。狭い村で暮らす子供たちは刺激のない毎日を送っている。他の村や町の話をしたら喜んで聞くし、彼が持っているたわいもないおもちゃでも楽しく遊んでくれる。彼は子供の遊び相手も苦手ではなかった。


「おじさんはいろんなところに行っているんだ。町も行ったことがあるんだ。」


「町?」


 子供たちは聞きなれない言葉にぽかんとしていた。


「そうさ。町だ。そこには大きな立派な建物が並んでいるんだ。すべてコンクリートと言って硬い石でできている。道も石畳になっているんだ。」


「そこには人も多いの?」


「ああ、多いさ。千人以上入るだろう。それにそこにはいろんなところからたくさんの物が集まってくる。市場に行くと・・・」


「そこも人が多いの? いっぱいいるの?」


 ジュゼッペの話を遮って一人の子供が尋ねた。子供たちはジュゼッペの話に興味をそそられたらしく、皆、目を輝かしていた。


「ああ。店がずらりと立ち並んでそこで物を買うんだ。あまり人が多くて歩けない程さ。」


「そこはどこにあるの?」


「ここから遠い。5つほど村を過ぎた先だ。歩いて10日以上はかかる。」


「そう・・・遠いんだ・・・。」


 子供たちは何か失望したようにため息をついた。


「そうだな。確かに遠いな。それなら隣村の話をしよう。南にある。そこなら道を歩いて2日だ。」


「そこにも寄ったの?」


「ああ、ギノス村だ。話を聞いたことがあるかな?」


 子供たちは一斉に首を横に振った。大人たちは子供に隣村の話もしていないようだった。以前はたまに交流があったと聞いていたが。


「そうか。この村より少し大きいくらいかな。ジューローという珍しい木がある。」


「人はいるの?」


「ああ。50人ばかりかな。皆、気のいい人だった。優しい人たちばかりだ。君たちのお父さんの中にそこに行った人があるんじゃないか。」


 子供たちはまた首を横に振った。


「大人たちに教えてあげるよ。そんな村があるって。」


 子供たちが嘘を言っているようにも思えなかった。確かにこの村は隣のギノス村と交流があったはずだが・・・。


「そういえば隣村からいいものを持ってきた。」


 ジュゼッペは荷物から一つの包みを取り出した。それを開けると油の塊があった。


「そこで作っている油だ。こう親指につけてこすると・・・」


 ジュゼッペの親指から煙のようなものがかすかに立ち上った。何かわからないが、多くの村で今まで子供の興味を一番引いていたものだ。


「さあ、不思議だろう。煙が出るんだ。」


 しかし子供たちは興味がなさそうにぽかんとしていた。


(これじゃあ、なかったか・・・。それなら・・・)


 ジュゼッペは荷物から独楽を出した。これは町で仕入れてきた物だ。値は張るが子供の興味を引くはずだと。


「いくよ!」


 ジュゼッペは独楽を回したが、子供たちの反応はよくなかった。ただじっと眺めているだけだった。


(感動が薄いな。それならとっておきの・・・)


 ジュゼッペは荷物から操り人形を出した。これを使って大人から子供まで集めたものだ。彼の十八番だった。


「こんにちは。僕はロゼ。このおじさんと旅をしているんだ。」


 腹話術で子供に話しかけた。しかし子供たちは白けた表情でそっぽをむいていた。


(こんなことは初めてだ。腹話術人形にも食いついてこないとは・・・)


 ジュゼッペは焦っていた。子供の相手は得意と思っていたが、少しも子供たちに目を向けさせられなかった。


(どうしてだ。そうか。お腹がすいているんだ。大人たちは狩に行っていると言ってたな。食べ物がなく、ひもじくておもちゃなんかに興味がわかないんだ。)


 ジュゼッペはそう思った。それならと、彼は荷物から紙包みを出した。そこにはこの地方では貴重なキャンディーが入っていた。売り物だが仕方がない。これで子供たちの興味を引こうと。ジュゼッペは少し意地になっていた。


「ほら、ごらん。キャンディーだよ。甘くておいしいよ。」


 ジュゼッペはキャンディーの一つをつまみ上げた。これで子供たちは群がるように欲しがると・・・。


「いらないよ。」


 意外にも子供たちはそう言った。


「欲しくないのかい? ああ、そうか。お金はいらないよ。あげるんだよ。」


 ジュゼッペがそう言っても子供たちは首を横に振った。


「いらないよ。それより僕たちはお腹がすいているんだ。」


 その言葉にジュゼッペは(へっ?)と思った。お腹がすいているのにキャンディーがいらないとは・・・彼は少し混乱した。


「大人たちがなかなか帰ってこないんだ。もうお腹がすいた。」

「僕もだ。我慢できない。」

「もう食事にしようよ。」


 子供たちはそう話し合っていた。ジュゼッペはますますわからなくなった。


「お腹がすいているのかい? それなら荷物の中に干し肉が入っている。それをあげようか?」


 ジュゼッペはそう言ったが、子供たちはまたも首を横に振った。


「そんなのはいらないから。僕たちお腹がすいているんだ。食べていい?」


「何のことだ?」


「もう我慢できない。いただきます。」


 子供たちがジュゼッペを取り囲んだ。そして子供たちの体から触手が伸び、顔に鋭い口がついて化け物になった。それはググトだった。


「ぎゃあ。助けてくれ!」


 ジュゼッペは叫んだが、助けに来る者などいるはずがなかった。彼は子供たちに抑えられて血を吸われていた。もうろうとする意識の中で、彼はこの状況を理解した。そしてこれから来るであろう未来に身震いした。


(この村の者はググトにやられてしまった。奴らはここで繁殖している。そしてもう村の外まで人を襲うようになっている。私が子供たちに隣村の話をしてしまったから、そこもググトに襲われるだろう。いやそこだけじゃない。町も、いやノースロースの谷全体に・・・)

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