第14話 不自由な社会

 もしググトのいない世界の話を聞いてしまったら・・・ググトのいる世界にいる老人の「私」の話。


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 日が暮れて辺りが暗くなってきた。街に電灯がともり、また静かな夜を迎えようとしていた。この時間になるともう外を歩く人は少ない。みんな家でおとなしくしているのだ。ググトの脅威が去るまで・・・

 私はこれが当たり前だと思っていた。だがその人の話でそれが当たり前でないことを知った・・・


 私はサービス付き高齢者向け住宅、いわゆる老人ホームに入っている。定年まで小さな会社で働き、あとは自由気ままの生活を送っていた。子供たちは独立し、妻とも死別した。そして一人になり老いた私はここに入った。

 なにもかも自由というわけにはいかないが、介護士や職員の方々のサポートにより不自由なく暮らしていけた。ここにいる人たちも大方そう思っているのだろう。毎日を少しでも幸せに、死ぬまで残り少なくなった人生をここで過ごそうとしていた。新たな家族というほどでもないが、最期の時間を一緒に過ごす仲間という意識があるのかもしれない。


 村井さんもそうだった。私とほぼ同じ境遇で、私とほぼ同じ時期にここに来た。同年代ということもあり、ラウンジなどでよく話をすることが多かった。


「息子はね・・・」

「昔は会社勤めで・・・」

「ランチに行きつけの店が・・・」


 などの話をお互いにしたものだった。それは何度となく繰り返す同じ話だった。新しいことなど何もない、ただの昔話だった。


 ◇


 だがある日を境に急に村井さんの話が変わってきた。それは今まで聞いたことがない話だったし、今まで聞いてきた話とは全く違っていた。


「娘には・・・」

「店をしていて・・・」

「夜はよく飲み歩いて・・・」


 私はその度に前はこう言っていたと言うのだが、村井さんは


「いや、そんなことは言っていない。」


 と言い張るのだった。私は村井さんがおかしくなってしまったと思った。これが認知症かと・・・。

 そこでそっと介護士の山本君に相談してみた。彼も村井さんの話が変わってきたと思っていたらしいのだが、村井さんを病院に連れて行き、検査を受けさせたがその兆候はなかったというのだった。


(では一体、どういうわけなんだ?)


 私は頭をひねった。別に物忘れが多いわけでもなく、日常生活にも問題なく元気にしていた。確かにどこか悪いわけではなさそうだ。疑問は解けなかったが、とにかく彼の話を聞いてみることにした。

 村井さんはかなりの飲んべえだった。以前はそんな話を聞かなかったが、飲むときはボトル1本くらい簡単に開けていたそうだ。


「いつも家でそんなに飲んでいたら、奥さんは嫌がっただろう?」私は訊いた。

「家?家なんかで飲まないよ。行きつけのバーがあるのさ。飲み始めたら底なしでいつも午前様だ。女房にはいつも小言を言われていたがね。」村井さんが言った。


(夜に飲み歩いていたのか!危なくなかったのか?ググトが私たちを襲おうとしているのに。それにそんな遅くまで店を開けているなんて。飲みに来る客がそんなに多いのか?)


 私は疑問でいっぱいだった。


「そんな夜に出歩いて危なくなかったのかね?」私は訊いてみた。

「危ない?何が危ないんだ?まあ、たまに気が付けば道路に寝ていたことがあったがね。タクシーを呼んでもらって帰ることもあったな。商売しているからストレスがかかってね。飲みに行かないとストレスが溜まって溜まって。」


 村井さんは笑いながら言った。


(おいおい、道路に寝ているなんて、ググトの格好の餌食じゃないか!それとも酔いつぶれた人間をググトは襲わないのか?)


「それにそんな奴、街にあふれていたからな。バーやらスナックやらキャバクラで飲んだくれて千鳥足で。ああ、懐かしい。また行きたいよ。あそこは儂のオアシスがったからな。」村井さんは楽しそうに言った。


(嘘だろ。そんな街、聞いたことがない。バーやスナックが遅くまで開いているわけがない。キャバクラ?なんだそれ?・・・それに酒に酔った人たちがたむろするなんて・・・)


 私は眉をひそめたものの、なにかうらやましくなった。


(だがそんなところがあったら一度行ってみたいな。楽しいんだろうな。何も考えずに飲んだくれていたら・・・)


「今でもあるのかね?そこの街。」私は訊いてみた。

「ああ、あるだろうよ。森田さんも行きたいのかい?」村井さんが言ってきた。

「一回、案内してくれないか?」私は村井さんに頼んだ。果たしてそんなところがあるのだろうか・・・


 ◇


 数日して2人とも外出する機会を得た。子供の家に泊まりに行くとか、理由は何とでもつけられた。私たち2人は幾ばくかの金を握り締めて、久しぶりに駅に行った。


「この駅も来ないうちに寂れたな。」


 村井さんがぽつりとつぶやいた。


「そうかい?」

「ああ、昔はもっと人がいたのに・・・夕方だというのにどうなっているんだ?」村井さんは不思議そうに言った。


(駅ってこんなものだろう。それともこの駅だけは違っていたのかな?)


 私は疑問を持ちながらも電車に乗った。その街まではすぐだった。そこに村井さんに言うオアシスがあるはずだった。

                                                                                                                                  駅を降りるともう日が暮れていた。普段はググトを恐れて夜に出歩くことはなかったが、今日は何かしらの解放感にそれも気にならなかった。


「あっちだ!」


 村井さんは嬉しそうに小走りに角を曲がっていった。だが・・・

 そこには店など何もなかった。ただシャッターを閉めた商店が数件あるだけだった。


「ない・・・」


 村井さんは動揺していた。しかし思い返して、


「間違えたのかなあ?あっちだったのかな・・・」


 それから私たち2人はあちこちを歩いた。しかしバーどころか、開いている店は一軒もなかった。もう夜遅くなっていた。


「もう帰ろうか?」


 私は声をかけた。村井さんは気落ちしてがっくり来ていた。私たちはそれぞれ子供たちの家に帰ったが、そこでは大騒ぎになっていた。老人が二人、いなくなったということで。


「いいですか!みんな忙しいんです!年寄りに振り回されている余裕はないんですよ!出かけずにおとなしくしていてください!」


 私は息子にこっぴどく叱られた。多分、村井さんも娘に叱られているのだろう・・・


 ◇


 だが次の日、施設に戻ってみると村井さんは元気だった。昨日のことなど忘れてしまっているようだった。


(やはり認知症か。昨日のことなど忘れてしまったのだな。)


 私は思った。村井さんはまたいろんな昔の話をしているのだった。


 彼が言う話の世界は現実のものとは違っていた。通勤や通学で多くの人が駅に集まり、満員電車で会社に向かうのだそうだ。そして会社ではテレワークではなく、大勢の人が実際そこで働いているそうだ。そして夜には多くの人が街にくり出す。そこには飲食店や娯楽施設が立ち並び、夜遅くまで楽しんでいるとのことだった。また休日には家族そろって遊園地にくり出すそうだ。そこは人ごみでごった返し、乗り物に乗るためにずっと列に並んでいるとのことだった。


(夢の世界の話じゃないか!そんな世界があるわけがない・・・)


「じゃあググトは?みんな襲われないのかね?」


 私は尋ねた。すると村井さんはきょとんとした顔をして、


「ググト?何かね、それは?聞いたことがない。」と言うのだった。


(ググトを聞いたことがない?そんな馬鹿な!)


 私は思った。ググトの脅威のため、我々人類は窮屈な思いをして生きているのだ。太古の昔から・・・それを知らないというのか・・・

 だが私は村井さんの話をじっくり聞いてみた。確かに現実の世界と同じ部分があるが、違う部分もある。似ているようで決定的に異なる部分がある。


「ああ、昭和、平成と楽しく生きてきたのに、令和で寂しく死ぬのか・・・」


 村井さんの独り言を聞いて私は何かがつながったようにすべてを理解した。


(今年は安治3年のはず。令和? 年号が違う。この村井さんは以前の村井さんじゃない。令和がある平行世界から来た村井さんなのだ!)


 それなら何もかも辻馬が合う。これで謎が解けた気がした。


(しかしググトがいなければ、これほど生き生きした社会のなのか!)


 私はそう思わざるを得なかった。その世界の人々は楽しく生活を送り自由を満喫している。

 それに対してこちらの世界はどうだ。夜に出かければググトの餌食になってしまう。だから8時以降は出歩けないし、やっている店も少ない。もし開けている店があればググトの被害を増やす店として非難されてしまう。確か罰金もあるはずだ。


 昼間だって安心できない。ググトはどこにでもいる。いつ、どこで襲われるか、わからない。外に出るときはみんな注意していた。ググトは人に擬態するから他人にむやみに近づくことはできなかった。ソーシャルディスタンスなどと称して距離を開けて警戒していた。

 会社はリモート会議が主になり、テレワークの人が7割以上だ。学校もオンラインでリモート授業となっている。人々が直接、顔を合わせることは多くない。


 それでもググトの被害が増えてきたら、政府は緊急事態を宣言した。そうなればロックダウンという都市封鎖だ。そのうちにググトは餓死して消えて数が減るだろう。だがそんなに長い間、封鎖してはいられない。こちらも生きるために生活をして行かねばならないからだ。そうして封鎖を解くとまたググトの被害が急増する。それのいたちごっこだ・・・それは昔から変わらない。


 10年前だろうか?画期的なシステムが完成した。それがマサドだ。東都大学の東野英一郎教授が開発したものだ。志願した人がマサドになってググトを倒すというのだ。そのシステムで我々人類はググトの脅威から解放されると信じていた。だが・・・

 有効率95%?いや70%?などと言われていたが、実際そのシステムが稼働してみるとそれほどでもないことが分かった。確かにググトを倒せるが、その前に人々が犠牲になることも多かった。しかもB級やらの変異した強いググトも出現してきており、有効率は50%以下とも言われるようになっていた。太古の昔から我々人類の上位に位置するググトだ。そんな簡単に撲滅できるはずはない・・・


 しかしマサドによって我々の生活は幾分かはましになった。そうすると自由な生活にあこがれて街を自由に闊歩する人たちが現れた。夜間だろうと仕事のため?ストレス発散のため?と称して街に出た。中にはそうした人を見込んで飲食店を開ける人もいた。生活していくためにと言って・・・


 そういう人がググトの犠牲になっていった。最近またググトの被害が増えたのはそのせいでもある。だが私は彼らを責めようとは思わなくなった。

 我々は本来、そうした自由に生きようとする本能があるのだ。それは村井さんの話を聞いていてよく分かった。だから無理に止めようとしても完全にはできないし、長くは続かない。それよりググトの犠牲になって死ぬことがあると割り切ってこの世を生きなくてはならないだろう。


 ガンや心臓病、脳卒中で死ぬ人は多いのだ。病気でなくても自殺でいきなり亡くなる人もある。ググトの被害だって同じだ。それが急であり、他者に原因があるだけなのだ。それは交通事故に通じるものがあるのかもしれない。何かがあると、交通事故に比べれば・・・などと数の比較をする人がある。確かに数の上ではそうかもしれないが、それがわが身に降りかかってきたらたまらないだろう。

 とにかく私たちはこの世界で生きて行かねばならない。この不自由な社会で・・・


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