第13話 あるニートの母の告白

 私は一人息子の仁一朗のことで悩んでいた。最近、様子が変なのだ・・・。現実世界で苦悩する母の告白


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 私は苦しんでいた。一人息子の仁一朗のことで・・・。


 高校をなんとか卒業したものの、進学しようともせず、また就職しようともせず、ただ家でぶらぶらしていた。しかもたまに外出すると、悪い不良仲間と一緒になって何かよくないことをしているようだった。

 でもそんなことは今となってはどうでもいいことだった。


(あの子は根はいい子のはずだわ。今は思春期のちょっとした反抗期になっているだけ。そのうちに真面目になって進学するなり、仕事についてくれるわ。)


 と信じていた。毎日々々、家の中で暴れ、汚い言葉を私に浴びせてきても私はそう自分に言い聞かせていた。



 だが最近、息子に変化があった。家で暴力を振るわないようになり、部屋でおとなしくするようになった。


(仁ちゃんも大人になったからかしら。きっと自分の将来を真剣に考えているんだわ。)


 私は少し期待して喜んだ。でも何か変だった。まるで私に何の興味もないようにそのまま無視するようになった。以前なら私がいるだけで、「ばばあ!見るな!」と汚い言葉を投げつけ、時には暴力をふるうこともあった。だが今はまるで目に入らないようにすうっとすれ違うだけだった。その時の顔はまるで感情がないかのように無表情だった。


 それに家でご飯を食べないようになった。いつも部屋の外に食事を置いておくのだが、全く手を付けた様子がなかった。1日1回は出かけることもあり、その時に食事を済ませているのかもしれなかった。でも何かを買ってきて食べている様子もなく、毎日1食だけでは体によくないと思った。

 私は暴力を振るわれるのを覚悟して部屋の外から声をかけた。


「仁ちゃん。ここにご飯、置いておきますよ。仁ちゃんの好きなハンバーグよ。最近、家で食べてないでしょう。ちゃんと食べないと体に毒よ。」

「いらない。食べたくないんだ。持っていってくれ。」


 中から声が聞こえた。乱暴な言い方ではないが、私は何か違和感を覚えた。いつもの仁ちゃんでないような・・・・私は息子の体が心配になった。


「どこか悪いんじゃないの?お医者さんでもてもらいましょう。ね。そうして。」

「病気なんかじゃない。元気だよ。」

「ちょっと顔を見せて。母さんは心配なのよ。」


 私はさらに何度も声をかけたがもう中から返事はなかった。私はあきらめてリビングに戻るしかなかった。


 私は思い切って単身赴任中の夫に電話をかけた。今まで夫には何度も息子のことで相談をしていた。しかし夫は仕事が忙しいの一点張りで、家に帰ってきて何かをしてくれるわけではなかった。そしていつも


「そのうち何とかなる。仁だって考えているさ。」


 というだけだった。でも今度は夫にちゃんと話を聞いてもらいたかった。


「仁ちゃんの様子がおかしいの・・・」


 私は最近、起こったことを詳しく説明した。だがそれを聞いても夫は暢気に言った。


「大丈夫さ。若い人の中ではダイエットのために1食の人もいるっていうよ。ちゃんと外出しているくらいなら元気さ。顔色だって悪いわけではないんだろう。」

「でも・・・」


 私はなおも夫に訴えかけた。


「仕事で疲れているんだ。仁が元気ならそれでいいじゃないか。もう少し様子を見ろよ。」


 そう言われて電話を切ってしまった。私は夫にも話をまともに聞いてもらえず、途方に暮れていた。


(仁ちゃんが心配だわ。私は母親なんだもの。)


 私は考えた挙句、外出する息子の後をつけようと思った。あまりいいことではないと少し罪悪感があったが、息子がちゃんと食事をとっているかを確認するためだと自分に言い聞かせた。


 ◇


 息子は今日も部屋から出て、黙ってそのまま玄関から出かけていった。いつも時間が決まっているわけではなかった。それは朝のこともあったし、夜のこともあった。私が見ていようと見ていまいと何も言わずにそのまま外に出て行くのだった。

 私は前もって準備をしていたので、後をつけるためにすぐ家を出た。息子に見つからないように深く帽子をかぶり、マスクをしてサングラスをかけて、普段なら着ないであろうシャツにパンツ姿で追いかけて行った。

 私は覚悟を決めていた。息子は外では悪い仲間と一緒にいることがあった。多分、よくないことをしているはずであり、つけていってそれを目にするかもしれなかった。ショックを受けることがあるかもしれないが、それも含めて母として受け止めてやらなければと決心していた。何事があろうと驚かず、冷静に受け止めようと思っていた。

 しかし息子はただ歩いているだけで誰とも会っている様子はなかった。どこかの店に入ることもなくただ辺りを見ながら歩いていた。まるで何かを物色しているかのように・・・。


(仁ちゃんは一体、何をしようとしているのかしら。ただ歩き回っているだけで。もしかしたらただの散歩かしら。一日中、家にいたから気が滅入っただけなのね。)


 私は少しほっとしていた。今までのところ、特に悪いことをしている様子はなかった。ただ店に入って何かを食べる様子はなかった。この辺にはファーストフードの店もコンビニもあるのに、すべて素通りしていた。


(どこかの家で食べさせていただいているのかしら。友達のところとか、いやもしかしたら彼女でもできたのかも・・・)


 私は少しうれしくも少し寂しくもあった。だが息子のためになるならそれでもいいと思った。それで息子が自立していくようなら・・・。

 だが息子は歩き続けるだけだった。やがて日が暮れてきて人通りの少ないところまで来ていた。息子がこんなに遠いところまで来ているとは思わなかった。


(仁ちゃんはなんのためにここに?)


 私は疑問でいっぱいだった。散歩にしては何か妙だった。こんな寂しいところに何かがあるわけでもないのに・・・

 私は息子に見つからないように距離を取ってつけていた。でもこの人通りが少ないところではすぐに見つかってしまう気がして、もっと遠くからつけることがした。

 しばらくして息子が角を曲がって姿が見えなくなった。私は見失わないようにその角まで急いだ。すると、


「ぎゃあ!」


 と悲鳴が聞こえた。私は驚いてその角から向こうをのぞいた。

 私は目の前の光景に動けなくなった。そこには恐ろしい化け物がいて人を襲っていた。触手でしっかり捕まえて、鋭い口をその人の体に食い込ませて血をすすっていた。私は恐怖と驚きで声を上げることもできなかった。だが息子のことが大いに気にかかっていた。


(仁ちゃんは? まさかあの化け物に襲われていないでしょうね・・・)


 私は血をすすられている人を見た。それは若い女性だった。私は自分の息子でないことにほっとした。そしてその周囲を見渡しても息子の姿はないのを確認した。


(多分、化け物からうまく逃げることができたのよ。)


 と思って少し安心した。


(とにかく私も逃げなくては・・・)


 私は少し冷静になって元来た道を走りだした。


(あれが最近ニュースになっている化け物だわ。こんな近くにいるなんて・・・仁ちゃんはうまく逃げているかしら・・・)


 ◇


 家に帰った私は心配で仕方がなかった。外で帰りを待ちたかったほどだが、私が後をつけたのがばれるかもしれないのでそれはできなかった。リビングで時計を見ながら我慢して待っていると、まもなく玄関のドアが開く音がした。それを聞いて私はすぐに玄関に行った。

 そこには息子が立っていた。何事もなく無事のようだった。ただ時間があまりたっていなかったから食事はしていないと思った。


「お帰り。お腹すいたでしょう。ご飯にするね。」

「いらない。」


 息子はそれだけ言って階段を上って自分の部屋に入ってしまった。


(仁ちゃんもあの化け物を見たんだわ。だから食事も喉を通らないんだわ。)


 しかし今日はあんなことがあったから、息子が出かけて何をしているのかを調べることができなかった。でも明日も後をつけてみようと思っていた。


 ◇


 次の日も息子は出かけた。私は昨日と同じような格好で後をついて行った。今日の行く方向は昨日と違っていた。別の場所に行くようだった。


(あの場所に何かあるというわけではないのね。気分を変えるため、いろんなところを散歩しているのかしら。)


 今日もかなり歩いていた。息子の向かったところはまた人通りの少ない場所だった。日が暮れてきてなんだか気味が悪い場所だった。私はすぐに引き返したかったが、息子のために我慢してそのまま後をつけた。

 その通りは人気がなく寂しかったが、一人だけ向こうから若い男が歩いてきていた。でも別に息子に用があるわけでもなく、ただすれ違おうとしていた。その時だった。息子の体に異変が起きた。

 体から触手が伸び、鋭い歯が並んだ口がぽっかりと開いた。それは昨日見た化け物の姿だった。


「あ・・・」


 私は声が出なかった。あの化け物が息子だったなんて・・・。私は何かの間違いだと思い込もうとしたが、目の前の現実にそれは無理だった。


「ぎゃあ!」


 その若い男は体をつかまれ、口で血をすすられていた。私は何も考えることもできず、無我夢中で走って家に帰った。


「仁ちゃんが・・・」


 私は息を切らしながら、リビングのソファに身を投げ出した。一体どうして息子が化け物になってしまったのか・・・私はいくら考えてもわからなかった。だが息子が毎日外出しては人を殺し、その血をすすっているのは確かだった。

 私はとっさに電話の受話器を取った。夫に相談しようと思ったからだった。しかしすぐにやめた。普段でも息子のことに無関心な夫が、このことを知っても何もしてくれない気がした。多分、警察に通報して捕まえてもらおうと言うのに違いなかった。でもあの子は悪い子じゃない。何かがあってあの化け物になっているだけなんだと私は思い込もうとした。

 やがていつものように息子が戻ってきた。私はいてもたってもいられず、


「どこに行っていたの?」


 と玄関にいる息子を問いただした。だが息子は何も言わず、そのまま階段を上ろうとした。


「母さんは知っているのよ!あなたがしたことを!」


 私はとうとう言ってしまった。息子は立ち止まると顔をこちらに向けた。


「黙っているんだ。誰にも言うな。」


 その顔は今まで見たことがない冷たいものだった。


「もちろんよ。でも母さんだけには教えて。どうしてそうなったの?母さんはあなたの味方よ。心配しないで。」


 私はできるだけ優しく言った。


(仁ちゃんは私が産んだ子供だもの。きっと私の気持ちを分かってくれるわ。)


 私は息子が何もかも話してくれると信じていた。あんなことをするのにはきっと深いわけがあるはず。息子は悪くないわと思っていた。だが、


「しゃべったら殺す!ここはねぐらに最適だ。このままにしてくれたら命は取らない。」


 息子はそれだけ言うと階段を昇って行ってしまった。

 独り残された私は震えていた。息子があんな人間になっているとは思ってもいなかった。私はリビングのソファに腰を下ろしてため息をついた。


 ◇


 それから私は考え事をしていた。すると昔の息子の姿が頭によみがえってきた。


「そういえばアルバムが出てきていたわね。」


 私は昔のアルバムを手に取った。そこには親子3人の写真が多く残されていた。赤ちゃんの頃、一人立ち、入学式、運動会、卒業式・・・すべてあの頃の息子が写っていた。

 私はとうに決心していた。息子はあのままではまた多くの人を手にかけてしまうことを・・・それが息子の本当の意志であろうとなかろうと。それなら私がこの手で息子の命を絶とうと。そして私も死のうと思っていた。

 真夜中になって私は包丁を手に静かに階段を上った。息子に気付かれないようにと注意しながら、そっと部屋のドアを開けた。幸いカギはかかっていなかった。

 薄暗い部屋の中で息子は寝息を立ててぐっすり寝ていた。その顔はあのアルバムの中の息子の顔のままだった。


(ごめんね。仁ちゃん!)


 私は包丁を構えた。すると涙がとめどなく流れてきた。


(できない・・・私には・・・)


 そう思っているうちに息子が、


「ううん・・・」


 と寝言を言って寝返りを打った。それに驚いた私はそのまま部屋を出てリビングに戻ってきてしまった。


(一体、どうしたらいいのかしら・・・)


 私は包丁を置いてそのままソファに座り込んだ。


 ◇


 気が付くと次の日の朝になっていた。私はじっとそのまま考え込んでいたようだった。時間が知らず知らずのうちに過ぎてしまっていた。


「トントントン・・」


 階段を下りてくる音がした。息子がまた出かけるようだった。私は息子の前に出た。


「また出かけるの?」


 私は尋ねたが息子は答えず、そのまま外に出ようとしていた。


「遠くまで行くんでしょう。それなら車で送ってあげるわ。」


 私はなぜかそう言っていた。


「わかった。それなら隣町まで乗せてくれ。でもいいな!あのことを誰かに言ったらすぐに殺すからな!」

「わかっているわよ。」


 私は息子を車の助手席に乗せて走り出した。横に見える息子の顔は冷たい表情のままだった。


「久しぶりだわね。こうしてドライブに行くの。」


 私は話しかけた。だが息子は答えようとしなかった。


「よくこの辺を歩いているの?」


 私は息子の声を聞きたくて何度も話しかけていた。しかし息子はやはり黙ったままだった。


「母さんはいつでもあなたの味方よ。心配しなくていいのよ。あなたがしたいことならなんでも付き合ってあげるわ。」


 私は知らず知らずに恐ろしい言葉を口にしていた。しかし息子は言い放った。


「うるさい。お前はちゃんと運転していたらいいんだ! 下等動物のくせに!」


 その言葉に私は耐えられなくなっていた。


「そう・・・そうなのね。母さんはもう必要ないのね・・いいわ。」


 私はアクセルを踏み込んで車のスピードを上げた。


「何をする!」


 息子は驚いて声を上げた。


「一緒に死んであげるわ。母さんとならいいでしょ。」


 私はもう涙を流していた。せめてこれぐらいしかしてやれない・・・。


「やめろ! 俺はお前の息子なんかじゃない。俺は別の世界から来たググトだ!」


 息子は訳の分からないことを言っていた。


「いいのよ。そんな嘘をつかなくて。あなたは心の優しい子だから・・・」


 私は息子にやさしく微笑みかけた。


「やめろ!やめろ!」


 息子はあの化け物になって私を触手で殴りつけた。だが私はハンドルを放さず、アクセルをさらに踏み込んで目の前に立つ壁に突っ込んでいった。


「私は何があってもあなたの味方よ・・・」


 私はそう呟いた。


 ◇


 その日の午後にあるニュースが流れた。


「・・町の県道で一台の乗用車が猛スピードで民家の壁に衝突しました。乗っていた川中京子さん46歳は死亡。その民家の住人は外出しており無事でした。その乗用車はブレーキをかけた跡がないため、警察では自殺と事故の両面で調べています。なお助手席に誰かが乗っていたとの証言がありましたが、周辺からは誰も見つかっておりません。またその家に同居する長男も行方不明になっており、なんらかの事件に巻き込まれていないか捜査中です


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