もう猫でいいです、猫で。


「ニース! 聞こえるかい?」

『おーう、大丈夫だ』

「今引き抜いてやるからな!」

『あー大丈夫、こいつ歯がねえ、べろべろ舐めまわされてるだけ』

「いや、それは大丈夫でもないよな?」


 2人がニースをモンスターの口から引きずり出した。

 ニースの頭部はヨダレまみれだが、外傷は全く見当たらない。


「歯がないから噛めないというのか」

「こいつさっきから腹がぎゅるぎゅる鳴ってんの」

「空腹……なのかな」

「可愛いなこいつ。オレ、こいつペットにしたい」

「……は?」


 アイゼンが口を開いたまま固まった。

 猫モドキは頭部の大きさが元に戻り、見た目は完全に黒猫だ。

 小さいままニースの手にかぶりつくも、やはり痛くもかゆくもない。


「もしかして、食事の匂いが体に染みついている?」


 ニースが首根っこをひょいっと掴んで持ち上げる。

 だらりと脱力した姿は、やはり猫にしか見えなかった。


「オレちゃんと餌とかやる」

「え、本当に飼うつもりなのかい!?」

「散歩もちゃんと連れて行く」

「いや、猫に散歩は必要ないと思うんだが」

「じゃあモンスターだったら?」

「モンスターにも散歩はいらない」


 アイゼンが慌てて止めるも、ニースは猫モドキの頭を撫で、もう飼う気満々だ。

 やや撫でる力が強過ぎるが、猫モドキは撫でるのを止めると唸り出す。


 撫でられる事を知ってしまった猫、もしくはモンスターは厄介だ。

 もう撫でられない猫生、もしくはモンスター生など考えられなくなる。

 撫でられは飼い猫の始まりだ。


「オレ捨てないぞ、ちゃんと最後まで面倒見る」

「猫だったらそれでいい、でもモンスターは捨てた方がいい。首を落とそう」

「えーっ!? もしかしてアイゼンって猫嫌いなやつ?」

「猫はこんな口の開き方はしないし、これは猫じゃない」

「人も動物も襲えないから安心だろ」

「襲えなくてもモンスターだ、倒そう」


 ニースは猫モドキをぎゅっと抱きしめ、アイゼンを睨む。

 モンスターは早く撫でろと唸るだけで、引っ掻くような様子はない。


「ほらジェイン、お前も撫でてみろよ」

「……君、もしかしてこのモンスターに洗脳されたのかい」

「え? モンスター2世?」

「ジェイン、多分ニースには洗脳されるだけの頭がない」

「おっと、そうだった。失礼」


 ジェインがおそるおそる手を出し、そっと顎の下を撫でようとする。

 猫モドキそんなジェインの手をパクリと呑み込んだ。


「うわっ」

「ほらおとなしいだろ」

「あー……おとなしいと言っていいのか分からないけれど、くすぐったいだけだね」


 猫モドキはしばらくジェインの手を舐めまわした後、がっかりしたように口を開けた。

 悲しそうに鳴き、ニースを見上げている。


「……舐めまわされる恐れあり、か」

「何で噛みつく犬が良くて、舐めまわす猫が駄目なんだよ」

「いや、まず猫ではない」

「オレのこと舐めやがって……罰として飼い慣らしてやる」


 ニースはニッコニコだ。

 対するアイゼンは、人を油断させて襲う気ではないかと怪しんでいる。

 それにモンスター連れで旅をすれば、何を言われるか分からない。


「俺猫飼うのが夢だったのに」

「いや、あの……もっと大きな夢にしないかい」

「こんなささやかな夢さえも叶わないなんて」


 そうやって許す気配のないアイゼンに対し、段々とニースの口数が減ってきた。

 表情が悲しいものに変化し始める。


 そしてとうとうニースは、恐れていた言葉をポツリと漏らした。


「オレ旅やめる」

「はっ? え?」

「もう勇者なるのやめる」

「と、トリスタンを救う話はどうなったんだ?」

「猫も飼えない。小さな夢も叶わない。小さい夢も叶わないオレが大きな夢なんて」

「いや、だから猫では……」

「困ったな。ニースに旅の護衛を頼んだのはボクだ。ニースが旅をやめるなら、ボクも帰らないと」


 ニースとジェインが旅の離脱を宣言する。

 それによって困るのはアイゼンだ。


 この2人がいなければどうでもいい依頼を断れなくなる。

 そして胃の痛みが悪化する。

 また正体を隠しての旅を再開しなければならない。


 厄介な事に、アイゼンは勇者の秘密をかなり詳細に明かしている。

 ここでニース達を何事もないかのように帰すわけにもいかない。


「よし……よーし分かった! まずその猫モドキが猫かモンスターかを判断してもらおう」

「別にいいよ、オレどっちでも飼うって決めたし」

「そ、その猫モドキの潔白を主張したくはないかい」

「切腹しねえよ、オレのだぞ」

「切腹じゃない、潔白だ。モンスターじゃないと証明したいだろう?」


 世間的に、モンスターは駆除対象だ。

 だがアイゼンは新種をモンスターか否か決める立場にない。

 僅かな可能性として、モンスターではないかもしれない。


「みんな! すまないがこの新種は我々が預かる!」

「勇者様が?」

「勇者様が預かるのなら、まあ安心だろう」


 勇者が後はなんとかしてくれる。それだけで皆は安心だ。

 モンスターの行く末など誰も気にしない。


「オレのだ、アイゼンのペットじゃない。預けないぞ」

「分かっているよ」


 アイゼンはニースを冒険者協会本部に連れて行き、楽になりたいのだ。

 そのためならニースのわがままくらい些細な事だった。


「ただ、何でも呑み込まれては困る。ヨダレを付けまわっては迷惑を掛けるだろう」

「そうだね。街角の名画にでもヨダレを付けてしまえば弁償騒ぎだ」

「いや、街角に名画はないと思うが」

「庶民の指からなけなしの宝石を奪ってもいけないし」

「……ジェイン、いつか君の命が奪われないか心配だよ」


 猫モドキはニースの腕の中から離れようとしない。

 ただ撫でられるのを待っているだけだ。


「おい猫、おめー口開けるな、バレる」

「今、さりげに猫じゃないって認めたよな?」

「マァーォ、ウァーォ」

「あはは、鳴いた! にゃーん」

「いやだから口を開けさせ……ん? 小さく口を開く時は猫と変わらないのか」


 猫モドキは何かを丸呑みしようとする時だけ、自身の頭部を大きく膨らませる。

 ならば物理的に出来なくすればいい。


「首輪を買い、リードも付けよう。ペットを飼うならば、それが飼い主の義務だ」

「分かった! お前俺のペットだぞ」

「マァー」

「あはは! こいつ可愛い、返事した」


 首輪をすればそれが邪魔となり、頭を大きく膨らますことが出来ない。

 この際指を咥えられるくらいは許容範囲だ。


 町の中心部で首輪を買えば、猫モドキがとうとう飼い猫モドキになった。

 ニースが肉入りのスープを飲ませれば、もうすっかり飼い猫ヅラだ。


「モンスターは、人や動物に危害を加えるから駆除対象なんだよね」

「ああ、そうだ」

「危害を加えなければモンスターではない、という事だね」

「えっ? あー……? えーっと」


 ジェインのふとした言葉に、ニースが目をまんまるに見開いて振り返った。


「お前……天才か! こいつはもう全然危なくねえ、つまりモンスターじゃねえんだ!」


 ニースが嬉しそうに猫モドキを撫でる。


「もう猫でいいよ、猫で。いいですもう」


 アイゼンはため息をつき、胃薬を口に含む。


「名前なんにしよ」

「マァー、マァーォ」

「こいつ、まーって鳴く。可愛いな、黒くて」

「今のは鳴き声を可愛いと言う所じゃないのか」


 暫く悩み、ニースが大きく頷いた。名前が決まったようだ。


「マァー、ウマァーォ」

「独特な鳴き声だね」

「ああ。名前決まった、これしかない」

「どんな名前だい?」


 ジェインが指を咥えられながらニースを待つ。

 ため息をつくアイゼンをよそに、ニースが満面の笑みを浮かべた。


「ネッコだ、こいつの名前はネッコ!」

「えっ……今の流れ、絶対『まー』に決まるやつだったよな?」

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