第22話 奈落ノ底 ―――高部 陽介

2022年 5月6日 AM 0 :11



一瞬、何が起こったのか目を疑った。身動き一つ取れずに、ただ目に映る現実を受け入れるしかなかった…

今、まさに俺の目の前で水瀬風香が赤い橋の上から自らの生命を断ち切ったのだ。

そして…



遡る事1時間程前。


水瀬風香を発見した。いや、発見したと言うより、自らが俺達の目の前に現れたと言った方が良いだろう。

「ようこそ、最終ステージへ」水瀬風香は、笑顔で俺達を出迎えた。

彼女は、ゆっくりと俺達の方へ歩き始める。

その時、胸ポケットに入れておいたスマホが鳴り響いた。

どうぞ、出て下さい、そう水瀬風香に促され、俺は電話に出る事にした。相手は中野からだった。

「もしもし、高部さん?」

「何かあったか?」

「太田さんの妹がいなくなった…急に人が変わったかの様に豹変して、パイプ椅子でいきなり殴られちゃって…」

「それで、怪我は大丈夫か?」

「何とか…もしかしたらそっちに向かったのかも。車もなくなってるし」

「解った。とにかく、すぐに戻るからもう少し待っててくれ」

そう言って電話を切り、ポケットから車の鍵を取り出し、小笠原住職へと手渡した。

「中野がやられたみたいなので、お願いしても良いですか?ここは、俺と太田で何とかしますので…」

住職は鍵を受け取り、頷いて車へと向かった。

太田に中野との電話の説明をしていると、水瀬風香は赤い橋の中腹程まで来ていた。そして、そこで立ち止まり俺達を見つめている。

5分程沈黙が訪れ、最初に言葉を発したのは水瀬風香だった。

「ねぇ、警察官なら少しは知っていると思いますが、この赤い橋で命を断った人が何人くらいいるか知ってますか?」

「解らないな…それが、どうかしたのか?」

「じゃあ、まず初めに一人ここで死んで貰います」

そう言うと、ポケットから一枚の紙を取り出し、その紙を橋の下へと落とした。

その瞬間、太田が急に苦しみだし、その場に倒れてしまった。

「おい、太田!」声を掛けても反応しない。

暫くすると、何もなかったかの様に立ち上がり、水瀬風香の方へ歩き始め様としたから、俺は太田の手を とっさに掴んだ。

しかし、考えられない程の力で、振り払われてしまった。

それでも、何とか止め様と思い、太田の前に回り込んだが、俺の腹を目掛けて思い切り殴られ、その場で膝を着いてしまった。

「太田!」いくら叫んでも、太田の足は止まらなかった。

水瀬風香の目の前で太田が止まる。

「さぁ、ここから飛び降りて」

持っていたカッターを太田に手渡し、太田がそれを受け取り、自殺防止用のネットを切り刻んだ。

人が入れるくらいのスペースが自殺防止用ネットに出来ると、太田は躊躇う事もなく、その場から飛び降りた。


グチャッ!!


谷底から重く不気味な音が響いた。

俺は、その場から動けなかった。

太田が死んだ…俺が関わらせたせいで太田までもが犠牲になってしまった…

水瀬風香の方に目を向けると、何とも言えない表情をしている。

笑っているのに泣いている、泣いているのに笑っている様な。

俺の推測だが、この時、きっとその罪に対しての理性が残っていて、その感情同士が葛藤し合っていたのではないかと思う。

そんな表情だと読み取った。

「これで邪魔者はいなくなりましたね。それでは、面白い話をするので聞いて下さい」

水瀬風香は、独り言の様にボソボソと話し始める。

「私には、大好きだった彼氏がいました。しかし、その彼が入院している時に私は殺しました。その時、持ち帰ったモノがこれです」

ポケットから透明なビニール袋を取り出し、俺に見せた。

中には、白濁色の球体が二つ入っている。

それが何なのか。

答えはすぐに判明した。これは、赤羽涼太の眼球だ。

そのビニール袋を足元に落とし、水瀬風香は踏み潰した。

「彼はね、私を裏切ったの。しかも、友達だった子と浮気なんかして…」

頬に涙が伝ったのか、それを拭い去る仕草をした。

「彼を殺し、友達の家族をも巻き込んで殺した私は、人間らしさを失ってしまい、もう生きる価値も理由もありませんね。だから、今度は私が私を殺します」

そう言い残すと、橋の手摺に手を当てた。

「その前に、私が死ぬのは自由だけど、くるみちゃんが可哀そうだから、もう少しだけ私の話を聞いてくれませんか?」

体が全く動かない。そんな俺を察してか、返答を待たずに話し始めた。

「祥子の家を燃やしたのも、純平君を自殺に見せかけて殺したのも、何一つ躊躇いなんてなかったけど、やっぱ彼氏だけは少しだけあったわ。でも、そんな事を考えても意味がないから、この手で始末して上げたの。あの時の彼の表情を思い出しと、やっぱ心苦しさは多少はあるけど、何よりも達成感の方が上回ってるのかな?今では、何一つ後悔なんてないんだよね」


そんな話をしていると、一台の車がやって来た。

降りて来たのは、太田の妹の唯。

一緒にいた中野に怪我を負わせて、その場からここへと誘き寄せられたのだろう。

「唯ちゃん、こっちに来ちゃ駄目だ!」

太田に殴られた腹を押さえながら、何とか声を出して叫んでみたが、彼女には俺の声は届かなかった。

正確に言うと、きっと聞こえていないのだろう。

ふらふらっと、赤い橋に向かって歩いて来る。その表情は、暗くてよくは見えなかったが、焦点が合っていない様に感じた。

暫く無言の時間が流れた。

「くるみちゃん…」

静寂の中、やっと聞き取れるくらいの声で、水瀬風香がボソっと呟いた。

次の瞬間、水瀬風香の体から白い煙の様なモノが浮遊し、それが唯の元へと吸い寄せられる様に見えた。

つまり、上野くるみは水瀬風香の体から抜け出て、今度は太田唯へ憑依をしたのだ…

憑依された太田唯は、俺と水瀬風香に向かって「またね…」と呟いて、その場からいなくなった。

彼女が、どこへ向かうのか、何も解らないけど、きっとこれが水瀬風香なりの上野くるみへの償いなのだろう。

新しい器を用意する事。それを意味するのは、水瀬風香が死ぬと言う意味。


2022年 5月6日 AM 0 :09


「やめろ!」

俺は叫んだ。そして、叫びながら水瀬風香の元へ駆け寄った。

「来ないで!もう、全てを終わらせたいの…」

水瀬風香は、赤い橋の手摺に上り、そのまま背を谷底に向けて落ちて行った…



2022年 5月6日 AM 0 :24


小笠原住職が通報したのだろう、パトカーが数台やって来た。俺は、簡単な説明だけし、中野へと電話をした。

「全て、終わった…と、思う」と…


その後、事情聴取を受け、朝方やっと解放され、小笠原住職と中野が待つ護嶺神社へと向かった。

昨夜の出来事を細かく説明し、そのまま眠りに就いた。

目を覚ますと、夕方になっていた。中野のメモが残っていて、家に帰ると書かれていた。住職の姿も見えなかったので探す事にしたが、浴室の方からシャワーの音がした為、お風呂に入っているんだと思い、出て来るのを待つ事にした。

10分、20分と経っても、シャワーの音は止まず、出て来る気配すら感じなかったから、声を掛けてみる。

しかし、返事はない。おかしいなと思い、浴室の扉をゆっくり開けてみると、お湯が出たままのシャワーを首に巻いたまま、湯船に浮かんでいる住職の姿に目に飛び込んだ。

その姿を見て、我を忘れ、記憶が一つもない。













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