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「ねえ、母さんに繋いで」

「かしこまりました」


 あの騒動の次の日の朝。私はふと母と話をしたくなった。


「あら、なんか久しぶりね。メッセージ、既読マークがついても返事くれないから心配してたのよ」

「ごめんごめん。お姉ちゃんとはよく会って話してるんだけど」

「ああ、聞いてるわよ。あなたコンビニ弁当ばっか食べてるでしょ! 自動調理器は使ってないの?」


 そんな他愛のない会話をしながら、なんだか実家にいた頃を思い出す。メッセージでもいつもは適当に返して切り上げたくなるようなやり取りも、今日はなんかぐだぐだと続けたくなってしまう。


「でさ、再来週の週末から少し仕事のお休みをとって帰ろうと思ってさ」

「そうなの。久しぶりに帰ってくるのね。お父さんもあなたの顔見たがってたのよ。じゃあ肉じゃがを作るわね。久しぶりに手作りしようかしら」

「あ、どうせなら私にも教えてくれない?」

「あら。まあいいけど。まずは自動調理器でも料理する習慣ぐらいはつけなさいよ」

「いいの。ただ作り方教わりたいだけだから。うちのレシピ、教えてよ」


 大家さんから部屋のシステムのメンテナンスが可能な連絡が入り、家を出るならと私はそのタイミングでと仕事の休みを取り、久しぶりに実家に帰ることにした。

 実家に帰るのは何年ぶりだろうか。どうせ電車で1時間ぐらいの距離だし、いつでも会えると思ってここ最近は全然帰ってはいなかった。


「じゃあまた。寒いからコートでも着て暖かくしてきなさいよ」


 母との久しぶりの通話を切り、部屋の中を見渡す。改めていい部屋だと思う。私の生活に最適化されたスマートホーム、というだけではなかったけど。値段は安いし。それに何か暖かいものがずっと積もって残っている気もする。


「えっと、ありがとうございます」


 ふと自然と感謝の言葉が口から溢れた。別にこの家や亡霊が何かしてくれたわけではないのだけど。ちょっとセンチメンタルになっているのかもしれない。


「ありがとうございます。私は皆さんの生活を豊かにするのが仕事です」


 天井からいつものあの機械的な声が代わりに返事をしてくれた。


「別にあんたに感謝したわけではないけどね」


 ちょっとだけ部屋に悪態をついてしまったけど、私の顔は少し笑っていたはずだ。




 実家に帰る日の朝。最近あまり着ていなかったコートをタンスから出す。少し前にデザインが気に入り、お洒落かもと思って買った、紺色のトレンチコート。ちょっとホコリを被っているけど、それを丁寧に落として、羽織る。なんでだろうか、今日はちょっとだけ、身なりに気を付けてみようと、私にしては珍しく思った。2年ぶりに私の姿を見せることになるし。少し身が引き締まる。ちょっと緊張しているのかも。変な感じだ。

 着替えとお土産をパンパンに詰めたスーツケースを転がし、玄関の前で振り返る。

 休暇から帰ってくる頃には、きっとお婆さんと守谷さんのデータも全てきれいに消えてしまうのだろう。亡霊はちゃんといなくなる。そう考えると、望んていたことなのにどこか寂しい感じもする。そんなことを考えて、いつもはかけない言葉を出してみたくなった。

 私はもう一つの帰る場所に向かうために、もう一つの帰る場所にできるだけ優しい声で挨拶をする。


「いってきます。また帰ってくるよ」


 振り向き玄関のドアを空ける。

 背を押す優しい声が後ろから聞こえた気がした。


 <了>

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誰かが待ってる ~2030年の事故物件事情~ 蒼井どんぐり @kiyossy

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