第4話 契約

 初めての剣闘試合で見事勝利した未来とテアの新米剣闘人形アンド剣闘士の二人は、試合の興奮冷めやらぬままに、ジェシカと共にテアの自宅へと帰ってきていた。


 まだ自分では歩けず、未来に背負われたまま玄関の扉を潜ったテアは何もかも根こそぎ無くなっている筈の部屋に最低限生活に必要な荷物が戻されていることに気づき、疑問を感じて未来の背中越しにジェシカを見る。


 するとジェシカは椅子にテアを座らせるように未来に促し、自らもテアの対面の席に座った。


 椅子が二つしか戻ってきおらず、座ることの出来ない未来はジェシカのボディガードを真似て同じように椅子に座ったテアの後ろで立っていることにした。


「さて、貴女たちの今後について話ましょうか」


 ジェシカが指を鳴らすと、家の前で合流した神経質そうな痩せた眼鏡の男がテアの前に契約書を差し出す。


 彼は腕っぷしではなく経理や法律への知識を買われて雇われた人物で、契約や金銭のやり取りをする場には必ずジェシカは同行させる。


「テア、なんて書いてるんだ? まさかお前を試合に出させるうえに如何わしい店で働かせて借金を返させるとでも書いてんのか? 貸しな、今すぐびりびりに破いてやる」


 テアからの答えを待たずに契約書を取り上げようとする未来をジェシカが止める。


「落ち着きなさい。貴女血が通っていない人形の体の癖に血の気が多いわね。私が説明してあげるから黙って聞きなさい」


 ジェシカの話す契約書の内容は簡単に纏めると、今後も剣闘試合に出場して稼いだ賞金の8割を借金の返済に充てることと、テアと未来が商会と専属契約する剣闘人形と剣闘士になり、二人に関する商品等の販売は全て商会が取り仕切る、というものだ。


「賞金の2割は貴女たちに渡すから生活費にでもしなさいな。後貴女たち関係の商品の売り上げの一部も返済の足し前にしてあげるし、返済してくれた分に応じてこの家から差し押さえた物も返してあげるわ。最終的に全額の返済が終われば家の権利書も返す。悪い取引じゃないと思うけど、どうする?」


「確かに悪くないけどよ、俺たち関係の商品ってなんだ?」


「それは色々よ。何を作って売るかはこっちで考えるから貴女たちはとにかく試合に勝ち続けて有名になりさえしてくれればいいから」


 この世界に来てまだ一日も立っていない未来が知らないのも無理ないことなのだが、コロシアムで有名になった剣闘士や剣闘人形たちの絵や試合時に身に着けていたアクセサリーのレプリカなどのグッズが、コロシアムの外をぐるっと囲むように出ている露店で大量に販売されている。


 そこでコロシアムに来た見物客たちが自分の応援している剣闘士のグッズを買う為、剣闘士の人気次第ではとんでもない額の利益が出るのだ。


 だからその利益目当てに援助と引き換えに商品販売の独占契約をコロシアムで名を上げた剣闘士と結ぼうとする商売人が大勢おり、日夜今後の活躍が期待出来る誰とも契約していないフリーの剣闘士を巡って契約争いが起きている。


 剣闘士にとっても、援助によって試合の度にメンテナンスや修理をしなければならない金食い虫の剣闘人形の維持が楽になるうえに人脈も広がる為、腕の良い人形師や人形作成に役立つ珍しい素材を取り扱う商人と面識が出来たりとメリットが多く、剣闘士自身が自分を名うての商人に売り込むケースもある。


 契約内容を理解した未来には異論は無い、というよりはこの契約以外に自分が借金を全額返済出来る術は無いように思えた。


 だが、契約を結ぶかどうかを決める主導権を持つのは未来はなく、椅子に座って俯く少女だ。


 借金は背負わされたとはいえ彼女の物だし、未来だけでは剣闘試合には出られないのだから自分が良くても彼女が拒否してしまえばどうしようもない。


「さあテア、どうするの? このまま全てを奪われ私の元で奴隷のように働くのか、そこのおかしな剣闘人形と一緒にコロシアムで戦って全てを取り戻して自由になるのか、貴女の好きに選びなさい」


 一度は絶望の淵に沈み、命を絶とうとしたテアにとって最早財産を取り返すことも自由になることもどうでもよかった。


 寧ろコロシアムで感じた羞恥心をまた感じるぐらいならジェシカの元で働く振りをして、誰にも見つからないタイミングを見計らって今度こそ母の元へと旅立った方が良いとさえ思えた。


 だからジェシカが渡してくるペンを受け取りはしたものの、契約書にサインをする気が起きず、ペンを投げ出そうとした。


「テア、本当にそれで良いなら俺は何も言わない。でもさ、何か一つくらい取り戻したいものは無いのか?」


 ペンを持つ手に自分の手を重ねた未来が顔を覗き込んでくる。


 無表情な筈の人形の顔に浮かぶ優しい表情に、自分の知っているは母の面影を見たテアは思い出す。


 どうしても取り戻したい、大切な物を。


「……もし借金を全て返し終えたら、母のイヤリングも返してくれますか」


 絞り出すような声で聞いてくるテアに、ジェシカは獲物が掛かったことを確信する。


「もちろん。ちゃんと貴女の家から持ち出したものすべて目録を作って保管しているから安心なさい。でもあのイヤリング、それなりに価値があるからちょっとやそっと返済した程度じゃ渡せないから精々頑張りなさい」


 ジェシカの答えに、弱弱しく、今にも消えてしまいそうだった少女の瞳に強い光が宿る。


「私、やります。剣闘試合に! 出ます!」


 意を決したテアが契約書にサインをする様子を未来は満足そうに頷きながら見守った。


 契約書を受けとったジェシカも、これから手に入るだろう大金に夢が膨らんでいるのか、機嫌が良さそうな顔をしてる。


「じゃあ契約も済んだ訳だし今日のところはこれで失礼するわね。あっとけない、忘れるところだったわ」


 席を立って玄関まで行ったジェシカが再び指を鳴らすと、眼鏡の男が契約書とは別に持っていた紙をテアに渡す。


「それ、病院の領収書。ちゃんと借金に上乗せして置くから」


 そう言い残したジェシカは二人の部下を引き連れて帰っていった。


「借金、増えちゃいましたね」


「必要経費だからなあ、仕方ないって」


 こうして未来とテアの全てを取り戻す為の戦いが始まったのだ。

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