第5話 一つ屋根の下で

 窓から差し込む朝日と、キッチンから聞こえる包丁とまな板が当たるリズミカルな音でテアは目を覚ました。


 低血圧で朝に弱いうえに大量に血液を失ったことによる貧血のせいで上手く頭が働かずに、フラフラしながらテアはベッドから起き出すと音に釣られるようにキッチンに向かう。


 キッチンに広がる光景を見たテアは、自分はまだ眠っていて夢を見ているのかと思った。


 何故なら死んだはずの母が、若作りをしてフリフリのメイド服を着たうえに鼻歌交じりに朝食の支度をしていたからだ。


「お、起きたのか。顔色だいぶ良くなったな。もうすぐ朝飯出来るから座って待ってな」


 死んだ母と再会できたのは嬉しいが、おかしな格好のうえに口調までおかしくテアは混乱する。


 夢なら悪夢なのか良い夢なのか、どちらなのだろうと座って悩んでいると、だんだんと寝起きで動いていなかった頭が回り始め、全てを思い出した。


 彼女は異世界から魂だけが呼び寄せられて父が作った母そっくりの人形に宿った未来という人物であることを。


「ん? 変な顔してどうしたんだ? 傷が痛むのか?」


「大、丈夫です。ちょっとぼうっとしてしまっただけですから」


 心配そうに目線を合わせて顔を覗き込んでくる未来に思わず顔を逸らしてしまったテアに、未来はそれ以上は何も言わずに彼女から離れて朝食を運んできた。


 メニューは野菜とチーズとハムを挟んだサンドイッチとスープ。


 どれも美味しそうで、昨日からほとんど何も食べていなかったテアの腹の虫が大きく鳴いた。


「食欲はありそうだな。味の方は保証できないから不味くても我慢して食ってくれ。なんせ味見が出来ないからさ」


 色々聞きたいことはあったが、とりあえず朝食に手をテアは腹の中で暴れる虫を鎮める為に進められるがままにマグカップに入れられたスープを一口飲む。


「……美味しい」


 少し薄味ではあるが卵と玉ねぎが入っている優しい味のスープがテアの胃にしみわたる。


「良かった。お代わりもあるから血を作る為にも一杯食えよ」


「あの、一つ聞いていいですか?」


「ん? なんだ? 彼女だったら今はいないからフリーだぞ。てか死ぬ前から一度も出来たことないけど」


 聞く前に聞きたいと思っていたのと違う答えが返ってきて面を喰らったが、未来の発言にテアは引っかかる部分があるのを聞き逃さなかった。


「いえ、そういうことじゃなくて。……ミライさんって男の人だったんですか」


「いや、女だよ。でも可愛い女の子が大好きなんだよ」


 ずいッとテーブルに乗り出して自分を見てくる未来から顔を背けつつ、テアは何故か言い知れぬ悪寒を感じた。


 しかしこの先一緒にしばらく生活することになるであろうことを考え、テアは気づかない振りをした。


「私が聞きたいの何でメイド服着てるのかってことなんです」


 自分の母がメイド服、それもフリフリが沢山ついたスカート丈が短い明らかにコスプレ衣装のような服を着ているのだから、そろそろ思春期に突入する年頃のテアは見ているだけで恥ずかしくなってくる。


 だから何か特別な理由でも無いのなら、普通の服を着て欲しいのだ。


「何でって言われても適当に入った服屋で安かったからってだけで別に大層な理由は無いけど」


 昨日、疲れと痛み止めのせいでジェシカが帰って直ぐに倒れるようにテアが寝てしまい、やることのない未来はとりあえず家の中に何があるのかをチェックした。


 机、椅子、食器に調理器具一式と、社会人一年目の一人暮らしの部屋程度には生活道具があった。


 どういう原理なのかはよく分からないが、恐らく魔法で動かしているであろう水道とコンロそっくりな物まであり、文明の利器に慣れきった現代人で充分に生活が出来そうだと思った未来だったのだが、そこでふとあることに気づいた。


 キッチンに食べ物や調味量の類が一切無いのだ。


 人形である自分にはもちろん胃袋などないだろうし、この体になってから一度も空腹を感じたことは無いので別に食べなくても問題無いとしても、生身の人間であるテアはそうはいかない。


 時刻は夕暮れ、どうするか悩んでいては店が閉まってはいけないと思った未来は、机の上に置きっぱなしだった今日の賞金の取り分が入った袋を持って家から飛び出した。


 コロシアムから家に向かう途中で見かけた市場に直行すると、幸いなことにまだやっているうえにそれなりに人がいてまだまだ店が閉まる気配もなさそうだった。


 しかし勢いでここまで来たのは良いが、どの店が何を売っているのか分からないうえにそもそも食材が自分の世界と一緒とも限らないのだ。


 だが、今更眠っているテアを起こして連れてくるわけにもいかないので、取り敢えず未来は市場を一周してみることにした。


 市場には様々な食材を扱う店から服やアクセサリー、生活雑貨売っている店、よくわからない置物ばかりの店まで多種多様な店が露店形式で出店しており、まともに全部見ていては一日潰れて仕舞いそうな程だ。


 とりあえず食材を中心に見て回っていた未来は、幸いにもほとんど自分がいた世界と同じようなものが置いてあることに安堵して何を作ろうかと考え始めた時、前を通りがかった服屋の店主に呼び止められる。


「ちょいとそこの人形さん、近くにアンタの主人はいるのかい?」


「いや、一人だけど。人形一人で出歩いたらダメなのか?」


 店主は珍しいスラスラとよく喋る人形に少し面を食らったようだが、直ぐに気を取り直してセールストークを始める。


「別にそんなことは無いさ。お前さんよっぽど良い疑似魂が入ってんだな。見た目も別嬪さんだし嘸かし名のある人形師の作品なんだろうな」


 別嬪と褒められて未来は本来の自分の顔ではないとはいえ悪い気はせず、あまり言われたことの無い言葉に寧ろ少し恥ずかしくなる。


「でも何で裸なんだ? あんたの主人がそういう趣味ってんなら別に構わないがそうじゃないなら何か着た方が良いんじゃないかい? さっきからご婦人方が渋い顔でアンタのこと見てるぞ」


 手招きされて近づいた店主に小声でそう言われた未来が辺りを見回すと、女性たちが露骨に嫌な顔でこちらを睨みつけたり、何人かで集まって小声でひそひそと会話している。


 別に人形が一人で買い物に来ているから、というわけでは無い。


 人形が主人の使いで買い物に来たりすることもあるのでそれ自体はよくある事なのだが、問題は未来が裸だと言うことだ。


 局部があるわけでは無いのでギリギリセーフと言えばセーフなのだが、未来の体はなまじ出来が良すぎて生身の人間と見分けづらいほど完成度が高いので、ぱっと見は露出狂が歩いているように見えてしまう。


 おまけに柔らかい素材で作られた胸が、下着の拘束が無いせいで歩くたびに揺れるてしまい、子供の情操教育に相当な悪影響を与えており、親子連れはこぞって子供の視界に未来が入らない様にしているほどだ。


「幸いうちは人形の仮装用の衣装を扱ってる店だ。金持たせてもらってんならうちで何か買って憲兵呼ばれる前に着替えな」


 未来としても今日はこれ以上何かに巻き込まれるのは御免だし、何より裸なのを指摘されて自覚したせいで急に恥ずかしくなってきたので露店の中からよさげな服は無いかと見繕い始める。


 人形用の仮装の専門店を名乗るだけあって、派手なドレスや水着、どうやって着るのか分からないおかしな服ばかりでこれを着たところで目立つのには変わりないのではと思わせる服しか置いておらず、中々これだという服が無い。


 おまけに市場を見まわったお陰で掴んだこの世界の物価の感覚に照らしわせるとどれも微妙に高い。


 懐がお世辞にも温かいとは言えない未来は、とりあえず一番安いお尻まで見えそうな程深いスリットが入ったチャイナ服に似た服に決めかけた時、店主の足元の箱に大量に詰め込まれているメイド服が目に入った。


「おっちゃん、その箱のは売り物じゃないのか?」


「ああこれね。一時流行ったんで大量に仕入れたら流行りが終わっちまって全くれないんで持て余してる奴だよ。……定価の半額で良いから買うか? うちもちょっとでも在庫処分したいし」


 店主が箱から出して見せてくれたメイド服は、聊かフリルと多いしスカートの丈も短いのだが他の服よりはまだマシな部類だと言えた。


 値段も半額ならばかなりお買い得だし、これ以上悩んだところで仕方ないと未来はのメイド服を買った。


 流石に往来で着替えるわけにはいかないので店主に店の裏を借りて着替え、店主に礼を言って未来は店を後にした。


 メイド服を着たおかげか、多少は向けられる視線がマシになった気がする。


 今度こそテアの為に何を作ろうか考えていると本当にメイドになった気がしてきて楽しくなってきた未来はスキップでもしそうな勢いで市場を回るのだった。


「てな訳でこれ着てるだよ。昨日の賞金があるとはいえ節約しないといけないから余分に服買う金も無いしな。あ、テアの服は何着か返ってきてるから安心しな」


「そう、ですか」


 完全に巻き込む形で借金返済に協力してくれている未来にあれこれと言える立場にないテアは、しばらくはこのコスプレメイド母に我慢するしかないと覚悟を決めた。


 ただでさえ母親似の人形に別人の魂が入って自分と一緒に住むというだけでもきついのにも関わずに。


 これからのことを考えると痛む頭と首筋に顔を顰めていると未来が心配そうにしながら薬を持ってきた。


「大丈夫か? 痛み止め飲んだ方が良いんじゃないか?」


 唯一の救いは未来という人間が優しい人であることだ。


「ありがとう、ございます。……これからよろしくお願いします、ミライさん」


「急にそんなこと言われると照れるじゃねーか。こっちこそよろしくな、テア」


 こうして始まった気弱な少女と異世界人の奇妙なコンビの共同生活が始まった。

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