第21話 解放

鉱山労働を強いられてから既に一年が経とうとしていた。アルウは生きているのが奇跡なぐらいやせ細っていたが、彼の目は輝きを失っていなかった。邪悪な神セトがアルウを闇に引き込もうとしたことが、反ってアルウのオシリスに対する信仰心を目覚めさせたからだ。

「オシリスは必ず守ってくれる」

 アルウはそう確信しその信仰は揺るぎないものになっていた。

 アビドスではネフェルタリやセバヌフェルの必死の捜査で、次々と新事実が明らかになり、アルウの潔白が証明されようとしていた。そんな事など知る由もなく、今日もアルウは不当な扱いにも文句も言わず、淡々と鉱山労働に従事していた。

「囚人一〇一号、今日はもう休め」

 現場監督から眠ることを許されたアルウは、いつものように坑道の脇に掘られた洞穴に潜り込んで横になり目を瞑ろうとした。するといきなり目の前が目も眩むほど金色に輝き、次の瞬間、全身に電撃が走り抜けた。

「そろそろ飛び立つときが近づいている」

 光の中から声が響いた。

「オシリス」

 姿は見えないが紛れもなくオシリス神の声だった。

「黄金のオシリス像がおまえを守るであろう。身につけよ絶対に手放してはならない」

「オシリス様、あの像はオシレイオンに納めています」

 オシリスは答えず金色の光は消えた。

「オシリス」

 気がつくとアルウは自分の手の中に黄金のオシリス像を握りしめていた。

「こ、このオシリス像はオシレイオンに納めた……」

 アルウは監視に見つかっては殺されると恐れ、すぐさまその像に紐を括り付けた。それから首からぶら下げ懐深くしまい込んだ。

「おい囚人一〇一号、仕事だ」

 洞穴から出てアルウが再び坑道に出ようとしたとき、突然大きな爆発音と共に坑道が大きく揺れた。

「落盤だ!」

 作業に従事している多くの人の悲鳴と、彼らの騒ぎを抑えようとする現場監督官らの怒号が飛び交った。

「逃げろ! 生き埋めになるぞ」

 坑道全体を揺さぶるような激しい揺れと爆発音が続き、坑道はパニックになった。さらに大きな爆発音がした。その途端アルウの背に土砂が覆い被さり彼は気を失った。

 気がつくとアルウは閉ざされた真っ暗な坑道の中で生き埋めになっていた。

「い、息が出来ない」

 いよいよ空気が薄くなってもうだめかと思ったとき、再び大きな揺れがアルウを襲った。アルウは土砂の中で地獄にでも引きずり込まれるように地中深く吸い込まれていった。

「わぁ……」

 アルウは坑道の下に開いた穴からさらにその下の古い時代の坑道に落下した。

「た、助かった」

 土砂から這いずり出たアルウは、懐の黄金のオシリス像を確かめると、駆け足で坑道を駆け上がった。


 そのころ地上では、金鉱の村の治安維持に駆けつけたラムセスの軍隊と反乱軍との戦いが行われていた。反乱軍を構成するのは、ヌビアの反エジプト勢力とヌビア人テロリストに成りすましたヒッタイトの兵士、そして反乱を煽りエジプトの労働者に無差別テロを繰り返すアテン教徒の過激派の一派だった。

「反乱者どもめ!」

 二頭立ての戦車の上でラムセスは憤った。

「暴徒が村に火を放ち無差別テロを行っています!」

 親衛隊長が声を荒げた。

 ラムセスは嵌められたのだ。

「すぐに村人を守れ!」

 ラムセスは剣を振りかざし親衛隊の大多数を村へ送り込んだ。

 反乱軍にはティアがいた。彼女はアルウを助けたい一心でこの反乱軍に加わっていた。ところがエジプトに内乱を起こそうと企むアテン教徒の最大勢力、ルカウのグループは、彼女を都合良く利用していたに過ぎなかった。

「エジプトを、世界を、愛と平和に出来るのは唯一神アテンによるアテン革命しかない」

 ティアはそのようにアテン教の教祖ルカウにマインドコントロールされていたので、大義のためなら無差別テロはもちろんのこと、一般市民でさえも、アテン以外の神を信仰する者を殺害することは正義の戦いだと信じ込まされていた。 

「ティア様、ラムセスの親衛隊が王子の陣地から離れました。今がチャンスです」

 高台の岩場に布陣していた馬上のティアに、狂信的なアテン教徒でゲリラ隊長のアニが進み出た。

「弓で射貫くのです」

 ティアに迷いはなかった。アクナテン王の功績を破壊し、その存在さえも抹殺したセティ一世。邪悪の神セトを祭る悪の一族。その王子が無防備で今目の前にいる。エジプトに真の神アテンを取り戻し、王家を邪悪な一族から取り戻せるのは今をおいてほかにない。この戦いは正義の戦いなのだ。エジプトの人々を幸せにすることなのだ。ティアはそう信じて疑わなかった。しかし何よりもティアを突き動かしていたのはアルウの存在だった。アルウを一途に愛するティアは一刻も早くエジプト軍を潰してアルウを鉱山から救出したかった。

「畏まりました。これで我々の勝利です」

 アニはニヤリと笑い、大きな弓を引いて眼下の無防備なラムセスに狙いを定めた。

 その頃アルウは旧坑道を駆け上り命からがら外に脱出していた。ようやく自由になれる、そう思ったのもつかの間、彼の目の前では、ラムセス率いるエジプト軍と反乱軍との壮絶な戦いが繰り広げられていた。

「エジプト軍だ」

 アルウは岩場の影に身を潜めて、戦況を見極めようとした。

「あ、王子様」

 アルウの隠れている場所からさほど遠くない陣地には、まだ子供っぽさが残る顔立ちに、目だけは豹のように鋭く光る王子ラムセス二世が、二頭立ての戦車から檄を飛ばしている。王子のエジプト軍はゲリラ戦術に苦戦していて押され気味なのがすぐにわかった。

「今のうちに逃げよう」

 アルウが戦場とは反対方向に駆け出そうとした時、高台の岩場に光るものを捉えた。

「あんな所に兵が」

 アルウが振り返ると背後に王子がいる。

「王子を狙っているんだ」

 アルウは咄嗟に立ち上がり、ラムセスの戦車に向かって駆けて行くと、背後から戦車の王子に飛びかかった。

「ヒィーン」

 驚いた二頭の馬が前足を上げた拍子に、アルウと王子は戦車から地面に転がり落ち、その時アニの放った矢が戦車の胴体に突き刺さった。

「王子様!」

 アルウは高台で二本目の弓を引く敵兵を指さした。

「おのれ!」

 ラムセスはすぐに、自分の背丈より高い弓を素早く手に取った。

 次の瞬間、先端が鋭く磨かれた矢を右手で大きく引いたかと思うと、高台のアニに狙いを定め鬼神のごとくその矢を放った。

 ラムセスの放った矢はアニの胸を貫通し彼は岩場から転がり落ちた。

「アニ!」

 傍にいたティアは凍り付いた。

「どうして」

 ティアはアルウを救おうと思ったのに、その彼がラムセスを助け仲間のアニが殺された。

 アルウもその時はじめてティアの姿に気付いた。

「ティア、どうして君が反乱軍に」

 アルウの心は激しく痛んだ。気がつくと彼は愛しいティアがいる高台に向かっていた。

「ティア!」

 アルウの目には敵も味方もなく、見えるのは愛しい人の姿だけだった。

「ティア様、撤退します。エジプト軍の援軍が来ました。我々に勝ち目はありません」

「アルウ……」

 死の戦場を愛しいアルウが自分に向かって走ってくる。

 ティアの目から涙がポロポロと零れ落ちた。その時、エジプトの兵士が放った矢がティアの馬を掠めた。

「ヒィーン」

 驚いた馬が前足を大きく上げて嘶くと、ティアは落馬して気を失った。

「ティア!」

 アルウは振り返りエジプト兵に向かって、

「やめろ! うつな!」

 だがその声は戦う兵士達の激しい怒号に呑み込まれ虚しくかき消された。

「ティア様!」

 その時、駆け付けたラモーゼがティアを抱きかかえ、馬に跨がり戦線を離脱した。

 結局、反乱軍は総崩れとなってエジプト軍は勝利した。戦場となった砂漠は戦死した夥しい数の兵士や一般市民の死体で埋まり、血の海になった砂漠は、夕陽で真っ黒に染まった。エジプト軍が鉱山の村に戻ってくると、村は無差別テロで焼かれ、至る所に真っ黒く焼けた遺体が転がっていた。犠牲者の殆どは無抵抗の女や子供達ばかりだった。

「オシリス何故なのです……」

 アルウはやり場のない気持ちをオシリスにぶつけた。だが神は答えてくれなかった。

 自由になれた喜びも束の間、アルウの目には最後に見たティアの悲しげな姿がいつまでも焼き付いて離れなかった。

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