第20話 トリック

その翌日、予定よりも早くネフェルタリとイブイが乗った船がアビドス近くの港に着いた。一行は馬車に乗り換えすぐにセティ一世神殿に急いだ。

「王女様、よくお越し下さいました」

 神殿に着くと大神官ブテハメンがネフェルタリを歓待した。

「大神官様、証拠のオシリス像の頭部を本物か確認したいのです」

 ネフェルタリがブテハメンの顔を見るなり切り出すと、

「畏まりました」

 ブテハメンは恭しく頭を下げ、二人を神殿の奥の保管庫に案内しようとした。

「まってください」

 ネフェルタリは、神殿に来るといつも出迎えてくれる仲良しの巫女、セバヌフェルがいないことに気づいた。

「王女様、いかがされました」

「セバヌフェルは何処にいるのですか?」

「あの巫女は神殿の決まりを破りましたので、罰として謹慎させています」

 ブテハメンは憮然として言った。

「どういう決まりを破ったのです?」

 ネフェルタリは心配になった。

「あの巫女は囚人に勝手にパンと水を与えたのです」

「セバヌフェルが禁を犯してまでも差し入れしたということは、よほどのことがあったに違いありません。その囚人は誰ですか」

「極悪人のアルウです」

「大神官様! 口が過ぎますよ」

「畏れながら、アルウは王女様や王子様のお命を狙ったのですぞ」

「アルウはそのような事をする人間ではありません」

 その時、二人のやりとりを聞いていたイブイが、

「アルウの扱いに問題はなかったのか?」

 とブテハメンを問いただした。

「それは自白させるために多少の手荒なことはしましたが……」

「アルウを監視していた担当者の話が聞きたい」

 イブイは取り調べに際してアルウが不当に扱われていた疑いがあると思った。

「わかりました、すぐに呼びましょう」

 ブテハメンはすぐに部下に命じてアルウの担当者だった男を呼んだ。

 少ししてアルウを担当していた男が来ると、

「おまえはアルウに決められた量の食事と水を一日二回与えていたか?」

 イブイはあらためて確認した。

「いいえ、上司に言われて、決められた量の五分の一の食事を一日一回だけ与えました」

 ブテハメンは男の話を聞いて青ざめた。

「お前の上司は誰だ?」

 イブイは問いただした。

「タカです」

「そうか、おまえは持ち場に帰れ」

「はい!」

 男が急いで立ち去ったあと、

「大神官どの、セバヌフェルから話を聞きたい。釈放して下さい」

 イブイはブテハメンに迫った。

「あの巫女は神殿の決まりを破った者です。謹慎は解けません」

 ブテハメンは面子に拘った。

「アルウは神殿の中で不当な扱いを受けていた。その責任は誰にあるのでしょうか」

 イブイはブテハメンを鋭く睨んだ。

「わ、わかりました。すぐにセバヌフェルの謹慎を解きます」

 ブテハメンはとうとう折れ、セバヌフェルはネフェルタリやイブイが待つ神殿の大広間に呼ばれた。

「セバヌフェル」

 ネフェルタリは喜び、彼女の手をとった。

「王女様、ありがとうございます」

 セバヌフェルは手を強く握りかえして、二人は笑顔で見つめ合った。

「アルウは酷い扱いをうけていたのでは?」

 ネフェルタリは心配でならなかった。

「はい、拷問で肋骨は折れ、口の中は血に染まり、背中や腰に大きなあざがありました。しかも食事と水は少量しか与えられておらず、このままではアルウ様は死んでしまうと思いパンと水を差し入れし、ヒーリングしたのです」

「大神官様、どうしてそのような非道なことをしたのですか」

 ネフェルタリは心が激しく痛み怒りがこみ上げた。

「王女様、確かに多少手荒なことはしましたが、食事制限の指示は出しておりません」

 ブテハメンは怯えた。

「さっきの担当者は白だろう。彼の上司のタカを買収した奴が真犯人の一人だ」

 イブイは確信した。

「すぐにタカを捕らえよ」

 ブテハメンは衛兵に命じた。

「神殿の中には真犯人に買収された神官や警察、衛兵が他にもいると思います」

 セバヌフェルは、神官や警察や監視の幾人かが、アルウの事件と前後して豪遊したり家を新築したりしていたのを掴んでいた。

「タカの姿が見えません」

 暫くして衛兵の頭が報告に来た。

「まさか、席を外しているだけではないのか」

 大神官が事態を出来るだけ自分に都合のいいように解釈した。

「我々の動きを察知して逃げたに違いない」

 イブイは憂慮した。

「とにかく証拠として保管しているオシリス像の頭部を見せて下さい」

 ネフェルタリは急かすようにブテハメンに指示した。

「わかりました」

 ブテハメンは渋々みんなを保管室まで案内した。

「これがそうです」

 ネフェルタリやセバヌフェル、イブイの目の前にオシリス頭部の石像があった。

「これは……」

 ネフェルタリは言葉に詰まった。

「いかがですか、王女様」

 ブテハメンが確認を促した。

「ネフェルタリさま」

 イブイも答えをまった。

「これは本物です」

 ネフェルタリは今目の前にある像が、アルウの工房で見た像の頭部と同じ物だとすぐにわかった。

「やはり本物でしょう。昨日もマーネとコンスに確認させましたから間違いありません。やはりアルウが犯人です」

 ブテハメンは予想通りの結果に安堵した。

「いいえ、アルウは犯人ではありません」

 ネフェルタリはそれでもアルウの無罪を主張した。

「あの少年を庇う気持ちもわかりますが、これだけはっきりした物証があるのですから、彼の有罪は揺るぎません」

 ブテハメンはこれ以上この問題を蒸し返したくなかった。

「このオシリスの像こそがアルウの無罪を証明する物です」

 ネフェルタリは譲らなかった。

「たとえ王女様とはいえども、これ以上の根拠なき反論は法廷に対する侮辱になりますぞ」

 ブテハメンの恫喝ともとれる発言はネフェルタリの正義感に火を着けた。

「大神官様! はっきり証言します。目の前のオシリス頭部は、あの日落下してきたオシリスの頭部の像とは明らかに違う物です」

「どうしてそう言い切れるのですか?」

「あの時落下してきたオシリスの石材は赤みがかった大理石だったからです」

「それはオイルランプのせいでしょう」

 ブテハメンは取り合わなかった。

 ネフェルタリはかまわず話し続けた。

「しかもアルウはアテフ冠の先端にこのようなアテン神のレリーフなど刻んでいませんでした。このオシリスに刻まれたアテン神のレリーフは後から何者かが刻み込んだに違いありません」

「なぜそう言い切れるのですか」

「なぜなら落下してきたアテフ冠の先端に刻まれていたアテン神の手の数は十六本だったのに、このオシリスに刻まれたアテン神の手の数は八本しかないからです」

 完全にネフェルタリの勝ちだった。大神官ブテハメンは面目を失い沈黙した。

「犯人が慌てて刻み込んだので手の本数を間違えたのだろう」

 イブイはあまりにもアテン神のレリーフが雑なので確信した。

「大神官様、昨日、マーネとコンスにこのオシリスの再調査をさせたと仰ってましたが、彼らは何人でこの保管所に入ったのですか?」

 セバヌフェルはマーネとコンスが怪しいと睨んでいた。

「いや、わたしは把握していないのだが、昨夜の当番に訊けばすぐにわかる」

「昨夜の当番は誰ですか?」

 イブイは外の扉を警護している衛兵に訊いた。

「昨夜の当番は、タカとサトです」

「またタカが絡んでいたのか」

「サトを呼べ」

 ブテハメンは衛兵に強い口調で命じたが、

「あいにくサトは体調不良で欠勤しています」

 と衛兵は即座にかえした。

「またしても逃げられたか」

 イブイは悔しがった。

 さすがの大神官ブテハメンも神殿内の腐敗の広がりに愕然とし、アルウ事件の再捜査をせざるおえなくなった。

「すぐにアルウを釈放して下さい」

 ネフェルタリはブテハメンに強く迫った。

「お言葉ですが、まだアルウの無実が証明されたわけではありません」

「ならばアルウが有罪という証拠もありません」

 ネフェルタリはアルウの身を案じ、早く彼を自由にしなければならないと思った。

「大神官どの」

 イブイが詰め寄った。

「わかりました。アルウ事件の捜査をやり直しましょう」

 ブテハメンはついに折れた。

「ありがとうございます」

 ネフェルタリは大神官に礼を言うと、セバヌフェルと手を取り合って喜んだ。

「ヌビア方面で暴動鎮圧に向かっている王子様に、すぐに早馬を走らせましょう」

 イブイの動きは早かった。

「あの時落下してきた偽物のオシリス頭部はどこにあるのかしら」

 ネフェルタリは、それが見つかればアルウの無罪を証明する決め手になると思った。

「必ず保管室内にあるはずです」

 イブイは部屋の中を見回した。

「これだけ大きな石の塊ですから、そんなに遠くには動かせないと思います」

 セバヌフェルも部屋の中を歩き回り壁を触ってみた。

「まさかこの部屋の中に隠し部屋があるとでも」

 ブテハメンはジョーダンではないといった表情で辺りを歩いた。

 保管室の中は壁の柱に設置された複数のオイルランプだけなのでとても薄暗く、しかも壁を構成する石は全て同じ大きさだったので、どの壁面も同じように見えて全く見分けがつかなかった。

「わからないわ」

 ネフェルタリは肩を落とした。

 その時だった、

「ここです」

 壁面に手を充てながら歩き回っていたセバヌフェルの声が響いた。

 みんなが一斉にセバヌフェルのいる壁面に集まってきた。

「この辺りの奥から異なるエネルギーを感じます」

 セバヌフェルは北側の壁面に手を翳した。

「よし、なにか仕掛けがあるはずだ」

 イブイが短剣を手に持ち壁面をコンコンと叩いてみた。

「オイルランプを」

 ネフェルタリが衛兵に壁を照らすよう命じる。

 イブイは組み合わされた石と石の隙間に短剣の先を入れたり、隙間をのぞき込んだりして絡繰りをさぐった。

 狭い室内は空気の循環が悪く温度がじわじわと上がり息苦しくなってきた。

「隠し部屋だなんて冗談じゃない。そんなもの見つかりゃしませんよ」

 ブテハメンが苛立ち始めた。

 イブイは汗が目に染みて開けていられなくなったので立ち上がり、衣服の袖で額の汗を拭った。

「オシリス像の頭部が二つもあるなんて馬鹿馬鹿しい」

 痺れを切らしたブテハメンは、ぶつぶつ言いながら、さっきまでイブイが探っていた壁の前に近づくと、思いっきり蹴った。

「わぁ!」

 その時、ブテハメンが蹴った石が鈍い音をたてながら動き出し、隠し部屋が現れた。

「大神官様、すてき!」

 ネフェルタリが飛び上がって喜んだ。

「あったぞ!」

 先に隠し部屋に入ったイブイが叫んだ。

 急いでネフェルタリ、セバヌフェル、ブテハメンも後に続いた。

「落下してきたオシリスの頭部よ!」

 オイルランプで浮かび上がった偽のオシリスを見たネフェルタリは確信した。

「これでアルウ様の無実が証明できますね」

 セバヌフェルが笑顔でネフェルタリの手を握ると、二人は抱き合って喜んだ。

 ブテハメンはがっくりと肩を落とし、

「この責任は命をもって償います」

 そう言って石の床に座り込むと、両手をついて俯いた。

「大神官殿、事件は振り出しに戻ったのです。我々は真犯人を見つけ出さねばなりません」

 イブイはブテハメンの手を取って立ち上がらせた。

「アルウがいなくなって、一番徳をしたのはマーネとコンスです。しかもこの二人はオシリス像の組み立ての担当者。当然、落下前のオシリス像の頭部にこの偽物の頭部が使われていたことを知っていたはず」

 セバヌフェルの鋭い指摘に、

「その二人が、昨夜、オシリス頭部を調査して偽物だと言えるわけがないわ」

 ネフェルタリが付け加えた。

「マーネとコンスが間違いなく犯人です」

 イブイはそう言ってブテハメンを見た。

「すぐにマーネとコンスを取り調べしましょう」

 ブテハメンはすぐに警察をマーネとコンスのところに派遣した。


 内通している警察の知らせで、マーネとコンスは自分らに捜査の手が及ぶことを知り、すぐに対策を練った、

「パロイに罪を被せよう」

 マーネは予ての計画を提案すると、

「どうやってするかだ」

 コンスが頭を捻った。

「奴の部屋にアテン神のレリーフを隠しておくんだ」

 マーネが悪知恵をだすと、

「そして宗教警察にたれ込む」

 コンスがマーネの作戦を理解した。

「そうすれば、宗教警察はパロイを隠れアテン教徒だと思うだろう」

「そのアテン教徒が偽オシリスの頭部を作り、アテフ冠にアテン神のレリーフを刻んだ」

「捜査が及んでも我々は、オシリス頭部の制作はパロイに任せていたから知らないと、白を切り通せばいい」

 二人は示し合わせるとすぐに作戦を実行に移した。


 セティ神殿のブテハメンのところにマーネとコンスが警察に連れてこられたのは、彼が警察に指示した翌日だった。警察の中にいるマーネとコンスに内通している官吏が、二人に時間を与えるためわざと泳がせていたのだ。

「わたしは全く身に覚えがありません」

 警察の事情聴取にマーネは容疑を完全否定した。

 別の部屋で聴取されているコンスも、

「全く身に覚えありません」

 全面否定して埒があかなかった。

 隠し部屋から偽のオシリスが見つかった事を示し、二人を追い詰めようとしたが、

「我々が再調査することを知った真犯人が、慌てて、調べた後に入れ替えたんでしょう」

 そう言って白を切り通した。

 コンスとマーネの取り調べが行き詰まる中、宗教警察が市民のたれ込みで、パロイの部屋から邪神アテンのレリーフを見つけたというニュースが神殿内を駆け巡った。

「パロイが拘束」

 セバヌフェルはこの予期せぬニュースを訝しがった。

「このタイミングになぜ」

 イブイも不自然さを感じた。

「いま宗教警察がパロイを取り調べているところです。アルウの成功を一番妬んでいたのはパロイでした。奴はなにかとアルウの作品に言いがかりをつけては、執拗に攻撃していましたから、彼こそ真犯人に間違いありません」

 これで事件は解決すると、ブテハメンは自信を持った。

「たしかにパロイはアルウに敵対心を持っていたのかもしれませんが、彼は妬みながらも職人としての技を磨いていたという証言があります」

 神殿に出入りする職人達の良き相談相手としてセバヌフェルは信頼されていたので、彼女のもとには様々な職人たちの公私に渡るプライベートな話題がもたらされていた。

 その頃、宗教警察に勾留されたパロイは厳しい取り調べを受けていた。

「おまえがアルウに罪を被せたんだろ!」

 捜査官はパロイの胸ぐらを掴んでひねり上げた。

「ちがう! 俺じゃない!」

「嘘をつくな! 何故お前の部屋からアテンのレリーフが出てくるんだ!」

「俺は隠れアテンじゃない! あれは罠だ!」

「ふざけんな! じゃ何故お前の部屋から出てきたアテンのレリーフと同じレリーフが、崩壊したオシリスのアテフ冠の先端に刻まれていたんだ」

 それを聞いてパロイは凍り付いた。

「どうした! 何か言ってみろ」

「俺じゃない」

「なら着いてこい」

 宗教警察の捜査官はパロイをオシリス頭部が保管された部屋に連れて行った。

「この落下したオシリスの頭部を作ったのはお前だろ!」

 目の前には二つのオシリスの頭部が並べられていて、捜査官は偽物とされた像をパロイに指し示した。

 それは紛れもなく彼が制作したオシリスの頭部だった。

「ま、間違いありません」

 パロイは頭をうなだれた。 

「みろ、やはりお前がやったんじゃないか」

「でもわたしは偽物を作るつもりはありませんでした!」

「ならどうしてお前の目の前に二体のオシリス像があるんだ。しかもその一つは明らかに本物とわかるようになっているんだ」

「本物……」

「そうだ。本物のオシリス像は一塊の大理石から作られているんだ」

「一塊の大理石」

「つまり十四個のパーツ全てが同じ石材から作られ、切断面は必ず石の粒子の流れも柄も完全に一致するようになっているんだ」

 それを聞いたパロイは、その時はじめて自分がマーネとコンスに嵌められたことに気づいた。

「わたしは偽物を作らせられたのです」

「ふざけんな! この期に及んでまだ白を切るつもりか」

「私はマーネとコンスに嵌められたのです」

「うるさい!」

 捜査官が思いっきりパロイを殴ったので、彼は石の床に転倒して気を失った。

「豚箱に放り込んどけ」

「はっ!」

 すぐに二人の部下がパロイの両脇を抱え牢に連れて行った。

 宗教警察の捜査官のケンムトはマーネとコンスから多額の黄金をもらっていた。彼はまんまとパロイを真犯人に祭り上げることに成功すると、すぐに大神官ブテハメンにマーネとコンスを解放するよう要求した。

「宗教警察のケンムトが、真犯人を捕まえましたので、マーネとコンスは解放しました」

 ブテハメンはなんの前触れもなく、セティ神殿の西側に建つ王様の邸宅にやって来て、ネフェルタリとイブイに真犯人逮捕のニュースを報告した。

「真犯人、それはいったい誰ですか?」

 ネフェルタリは真犯人逮捕の急展開に驚いた。

「パロイです。やはり奴がアルウの成功を妬んで事件を仕組んだのです」

 ブテハメンが自分の手柄のように胸を張ると、彼の大きなお腹が前に出っ張った。

「仮にパロイだったにしろ、彼一人ではあの大きなオシリスの頭を差し替えることはできない。共犯者がいるはずだ」

 イブイは納得できなかった。

「それは行方がわからなくなっているタカとサトでしょう」

 ブテハメンは相変わらず詰めが甘かった。

「パロイと直接話をさせて下さい」

 ネフェルタリは大神官を信用できなかったので、自分で話を訊きたいと思った。

「わたしの言葉が信用できないとでも」

 ブテハメンは小さなプライドに拘った。

「大神官様の言葉ではなく、パロイの言葉を訊きたいと申しているのです」

 珍しくネフェルタリが苛立った。

「大神官殿」

 イブイが鋭い目で即した。

「か、畏まりました」

 こうしてネフェルタリとイブイは、パロイの取り調べに立ち会うことになった。 

 ブテハメンから、王女と切れ者の秘書官がパロイの取り調べに立ち会うことを知らされたケンムトは、アビドスの職人町に帰っているコンスとマーネに、すぐに逃げるよう勧めた。あの像の依頼者が誰かをパロイが証言したら、二人を庇いきれないというのだ。

「財宝はいくらでもある。これを持って国外に逃げよう」

 マーネは急ぐようコンスに催促した。

「外国ってどこに逃げるんだ」

 コンスはテーベの親兄弟のことが気になった。

「決まっているだろうが、ヒッタイトだ」

「エジプト最大の敵国だぞ」

「俺たちにとっては味方だ」

「たしかにそうだが」

「おい、コンス。もう後戻りは出来ないんだぜ。元はといえばお前さんがアルウを貶めようと俺に泣きついたんだ」

「な、泣きついただと」

「おう、そうじゃねーか」

「なに!」

「お前が俺を巻き込んだんだ」

「あんたもアルウを嫌ってたじゃないか」

「ああ、そうだがあんな恐ろしいことは、考えてもいなかった」

「今更責任をなすりつけるつもりか」

「黙れ! 若造」

「なに!」

 コンスは怒りにまかせてマーネを右手で強く押した。

「あっ!」

 マーネは床のオイルランプに躓いて、大きくあお向けに倒れ、石の床に後頭部を激しくぶつけて動かなくなった。

「……」

 コンスの目の前には、白目を剥いたマーネが後頭部から大量の血を流して死んでいた。

「マ、マーネ」

 コンスは身震いし足が震えた。

 焦げ臭いにおいが部屋中に広がった。壊れたオイルランプの油が床一面に広がり火事になった。

「あなた!」

 階下から異変に気づいたマーネの妻の甲高い声が響いた。

「まずい」

 コンスはマーネの黄金が入った羊皮の袋を握りしめると、煙に紛れて家の外に飛び出し、火事で大騒ぎする町の人々を尻目に、馬に乗ってアビドスから逃げ出した。

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