第7話 幻想ノ島

 時に道に迷いながら、朱たちは無事に海の傍へとやって来ていた。都では嗅ぐことのない海のにおいに驚きながら、四人はオノゴロ島へ向かうための船を探す。

 しかし、結果は悪いものだった。

「オノゴロジマ? そんな名前の島なんぞ、聞いたこともない」

「兄さんたち、何処か別の島と名前を間違えてるんじゃないかい?」

 大方、そのどちらかの反応を示される。誰に聞いても首を横に振るばかりで、手がかりの一つも得られなかった。

「どうなってんだよ」

 その日の昼過ぎ、春霞は木陰で音を上げていた。昨日に引き続き聞き込みを続けたが、全く手応えがないのだから仕方がない。

 春霞の傍には流石に少し疲れた様子の明虎が幹に背を預け、冬嗣は地面に座り込んでいた。そして朱はといえば、地図とにらめっこをしている。

「朱、見てたってオノゴロ島は見付からないぞ?」

「そうかもしれませんけど、何か手掛かりがあるかもしれないじゃないですか」

 春霞の投げやりな言葉に言い返した朱の耳に、「オノゴロ島?」という男の声が忍び込んだ。パッと顔を上げると、漁から戻ったばかりと見受けられる青年が、こちらを見詰めていた。

 朱はこの好機を逃すまい、と青年が驚く速さで彼の前に立つ。

「オノゴロ島を、知ってるんですか!?」

「し、知ってるというか……そう呼ばれる島がある場所に心当たりが……」

「是非、つれて行って貰えませんか?」

「食い気味だね……」

 青年は「負けたよ」と微笑み、朱について来るよう促した。

「ありがとうございます! みんな、行こう」

 朱が呼び掛けると、冬嗣がいの一番に駆けてきた。彼に続き、春霞と明虎も歩いて来る。

 若干、明虎の目に警戒の色があるが。

「朱」

「何、明虎……」

「いつでも飛び出せるよう、心構えだけしておいてくれ」

 朱がそっと肩を叩かれて振り返ると、明虎が険しい顔をしてそう指示した。小声だったために朱も同じ声の大きさで応じたが、何故そんなことを言われるのか不思議に思えた。

「わかった……」

「良い子だ」

 にこりと微笑んだ明虎は、朱を追い越して青年について行く。彼と何か話し始めた明虎をぽかんと見ていた朱の頭を、誰かがわしゃわしゃと撫で回す。誰かと思い顔を上げれば、そこには春霞がいた。

「春霞……」

「どうせ、手段はない。厚意だろうと罠だろうと、気を引き締めていくのには変わりねえだろ」

「……うん」

「朱、オレたちが一緒だから大丈夫!」

 春霞と共に朱に追い付いて来た冬嗣が自分の胸を叩き、にこっと笑った。春霞もふんっと鼻を鳴らして口元だけ微笑む。

 朱は刀の柄を握り締めると、頷いて歩き出した。


 青年は「朝也ともなり」と名乗り、父と二人で漁師をしているのだと言った。彼の家は海のすぐ傍にあり、父親は今組合の集まりに出掛けているのだとか。

「それなのに、船を借りても良いんですか?」

 自宅に朱たちを招いた朝也は、朱の問いに笑って頷く。

「良いよ。それに、これから使う船は俺のものだから。父の許しは要らないしね。……オノゴロ島と思われる島には連れて行けるけど、その島の中のことはわからない。あんたたちはそれでも良い、んだな?」

「はい。船から下りた先は、俺たちで進みます。目的もお話せずに、勝手を言ってすみません。朝也さん」

「そんなに恐縮する必要はないよ、朱くん。――さあ、そろそろ行こうか」

 立ち上がった朝也は、四人を手招いて外へと歩いて行く。彼が向かうのは、すぐ近くの港ではなかった。

 朝也の自宅からしばらく歩き、村外れの寂しい砂浜に一そうの船があるのが見えた。決して大人数を乗せられる大きさではないが、朱たち四人ならばなんとか乗せられそうだ。

 全員が船に飛び移ると、朝也が出航を合図する。その静かな船出は、村の誰にも気付かれることはなかった。

「……オノゴロ島は、俺の祖父じいさんが話してくれた昔話だ」

 船を漕ぎながら、朝也が笑う。彼の祖父は、村の長老でもあった。だからこそ、大昔から語り継がれる物語をたくさん知っていたのだという。

「オノゴロ島は、この世界を創り出した神が、最初に下り立った場所だというよ」

「世界を創り出した神が、下り立った場所……」

「とはいえ、今じゃ誰も知らないし地図にも見放された島、だけどね」

 決して大柄ではないが、朝也はぐいぐいと船を進めて行く。その腕はしなやかな筋肉に覆われ、一掻きで冬嗣が三掻きするのと同じくらい進ませる。

 しばらく海を進む。朱は海など見たことがなく、少し気が緩んだのか海の姿に見惚れていた。

「朱、海は初めてかい?」

「明虎。……うん、都を出たことなんてなかったから」

「だろうね。じゃあ、冬嗣もかな」

 明虎が問うと、冬嗣も船から身を乗り出して頷いた。

「ないよ。そう言う明虎はあるのか?」

「修行中、何度かね。海は、川と違って何処までも深い。……冬嗣、身を乗り出し過ぎて落ちないように気を付けて」

「わかった」

 素直な冬嗣は少し船の内側に入り、これで良いかと目で尋ねて来る。それに対して「いいよ」と笑った朱だったが、春霞の「おい」という警戒を含んだ声に気付き振り返った。

「春霞、どうし――」

「茶番はこれくらいだろ、朝也?」

「……」

 船を進める朝也が、ふと手を止めた。船の進む方向には、見知らぬ大きな島がある。それを指差し、彼は軽くため息をついた。

「オノゴロ島は、幻の島。神が下り立ち、幾星霜。今再び、神が降りる」

 かいを波間から取り出すと、揺れる船の上に朝也が立った。その歌うようなわざとらしい節を口ずさみ、彼は陰のある笑みを浮かべた。

「神降ろし。その支度は、お前たちが整えてくれるらしいな?」

「朝也さん、あなたは――」

 朱が言葉を言い終わる前に、朝也が船の床を蹴った。

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