第8話 船上戦闘

 ぐらり、と大きく船が揺れる。

 突然体勢を崩された朱は、勢い余って船の外に投げ出されそうになった。まだ冷え冷えとした暗い水面を思い描き、朱はぐっと閉じた瞼に力を入れた。

「――っ!」

「諦めるな、バカが!」

 体が強く引っ張られ、朱は痛みと罵声に目を見開く。すると彼は船の中に座り込んでいて、傍には顔を赤くして怒気を揺らめかせる春霞の姿があった。

 春霞の手が、朱の細腕を掴んでいる。彼が投げ出されかけた朱の腕を掴んで助けてくれたのだ。

「あ……はるか」

「ぼんやりするな。オレたちは敵の手の中だ」

 礼を言おうと腰を浮かせた朱だったが、春霞の険しい声がそれを阻む。びくりと肩を震わせ、朱は顔を上げた。

 朱が見たのは、何かと対峙する明虎と冬嗣の後ろ姿。そして彼らが睨みつける先にいたのは、オノゴロ島を知っていると言った漁師の朝也ともなりだった。

「……ばれちまったもんは、仕方ねえよな?」

 人あたりの良い笑みを浮かべていた青年は消え、そこにいたのは鉄製の櫂を手にして不敵に笑う男だ。唐突に、朱は自分が何故船の外に投げ出されかけたのかを思い出す。

 朝也の櫂に殴りつけられ、吹き飛ばされたのだ。

 思い起こすと同時に、右半身が痛みを発する。見れば、腕の側面が真っ赤に腫れていた。これで骨が折れていないのが不思議なくらいだ。

 腕を押さえて悲鳴を殺す朱をちらっと見て、春霞が尋ねた。

「思い出したか、朱」

「うん、春霞。……俺もすぐに戦うから」

「――いや、これはオレの役目だろ」

「春霞?」

「……」

 春霞は朱の問いには答えず、そっとその場を離れた。彼が向かうのは、一触即発の雰囲気が漂う船の先頭部。そこには、朝也と明虎、冬嗣がいた。

「何だ何だ? お前ら二人もいて、この俺に手も足も出ないのかよ?」

「……っ」

「お前っ、鏡を奪った盗賊の一人だな!?」

 櫂を頭上で振り回す朝也に向かって、刀の切っ先を突き付けた冬嗣が問う。わずかに声は震えていたが、目をそらさずに糾弾する。

 すると少し驚いたように目を開いた朝也は、にやりと嗤う。

「――だとしたら?」

「勿論、返してもらう」

 抜刀し、正眼に構える冬嗣。しかしその構えは隙が多く、朝也にため息をつかれた。

「お前みたいなお子様を相手にしてる暇なんて、俺にはないんだよ。俺の役目は、この海にお前ら四人を沈めることだ」

「何だとッ」

「冬嗣」

 朝也に煽られいきり立つ冬嗣の肩を掴んで押し止め、明虎は豹変した朝也を見据えた。眉間にしわを寄せ、静かな声で問う。

「……最初から、都合が良過ぎると思っていた。誰も知らない、村の年寄連中すら知らないことを、長老の孫とはいえ君だけが知っているなんて」

「ばれてたのか。……それでも泳がせたのは、何故だ?」

「手っ取り早く、敵を減らしたかったからね」

 微笑み、明虎は背負っていた弓と矢をつがえた。

 朝也は冬嗣にはない気迫を感じ、すっと櫂を構える。しかし、二人が激突することはなかった。

「ここはオレがやる、明虎」

「春霞?」

 ぐいっと明虎の肩を引いて後ろに下がらせ、春霞が前に出る。彼の手には、家から持って来たという槍があった。

 槍を一回転させ、春霞は櫂を構える朝也を見た。正しくは、彼の影を。

「そこに、不快なもんが見えるからな」

「ああ、これが見えているのか。――流石は、青龍と共にある家だ」

 くすくすと笑った朝也は、おもむろにパチンッと指を鳴らした。それを合図に、彼の影が動き出す。

 ずるずると不快な音を響かせて立ち現れたのは、闇のように真っ黒な龍だった。それには目がないが、朱たちに既視感を覚えさせた。

「お前らも気付いたか? オレは、無性にこれが許せなくてな……」

「あれは、青龍? でも、姿が」

 冬嗣が戸惑いの声を上げる。その気持ちは朱も同じで、嫌な感じが胸に押し寄せて来るのを感じていた。

(何だ? あのおどろおどろしいモノは……少なくとも、神じゃない)

 青龍は春家に今も守られているはずで、消えたのは朱雀と玄武の鏡のはずだ。それなのに、何故青龍の偽物と思しきものがここに存在しているのか。

 朱たちの混乱を他所に、朝也はその黒い青龍の首元を撫でた。

「驚いたよな? こいつは、俺たちが創り出した神の影。……いずれ、この国を統べる方が俺に与えて下さった、無二の力だ」

「そんなものに、支配されてたまるか」

 普段の全てが面倒だという顔を捨て、春霞は吐き捨てた。そして、朝也に向かって槍の切っ先を向ける。

「――来いよ、神の偽物野郎」

「ここでくたばってもらうぜ。邪魔者共にはな」

 青龍の影が咆哮し、船上の戦いが幕を開けた。

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