第三章

 藤子は経済的にも精神的にもある程度ゆとりができ、また特殊な状況に置かれた為だろう。これまで思いが至らなかった、隙間のような穴へ目が向くようになった。

 それのみか、決して無視できない金額のお金が絡んでいるのだ。しかし時間的な余裕は余り無い。雄太が亡くなったと知ってから三か月以内に放棄手続きをしなければ、このままだと遺産は藤子のものになってしまう。それは債務を含め相続することを意味した。

 つまりその後様々な負債や請求があった場合も、全て対応しなければならない。それが時効のないものであれば、延々と続く覚悟をする必要があるのだ。お金を支払ったって済まない話も起こり得る。

 例えば犯罪被害者がいた場合、その人に対する精神的な償いは、慰謝料を払ったとしても終わらないだろう。詐欺にあって自殺した人がいれば、残された遺族の憎しみは相当なものになる。よって加害者が亡くなった場合はその肉親、つまり藤子に怒りを向ける可能性だってあった。

 もちろん現時点では負債を抱えているだとか、犯罪に手を染めていた形跡はない。警察や弁護士や調査会社だけでなくマスコミがこぞって調べても、そうした証拠は出て来なかった。

 しかし彼が亡くなってまだ日は浅く、調べ尽くしたとまで言い切れない。実際彼が香港の自由化運動に関心があった話等、和香がいなければ気付かないままだっただろう。

 警察や調査会社は知っていたはずだが、その件について掘り下げていなかった事も明らかだ。よって今後別の新事実が見えてくる確率は決して低くなかった。ましてや中国の公安絡みで殺されたのなら、普通の警察では対処できないだろう。和香にそう尋ねたが、彼女はきっぱりと言った。

「田北さんもそうした情報を知った上で動いてくれているはずです。だからその点についての心配は必要ないと思って下さい」

 それを聞いた時に藤子は悟った。殺人事件を追うのなら、管轄から言えば通常は警視庁の捜査一課だ。しかしあの刑事の所属は違うのだろう。

 初めて和香に紹介された際、チラリと見せられた身分証は精巧なレプリカでない限り、確かに警察のものだったと記憶している。しかしじっくりと確認してはいない。

 その後渡された名刺には警視庁の文字と警視という階級に加え、名前と連絡先が記入されていただけだ。所属は記されていなかった。当初は警視と知って、相当上の人なのだと驚いた。

 だが今思えば、昔祖父から聞いた話やこれまで読んだ小説等で得た知識と照らし合わせると、彼は公安の人間なのかもしれない。そう考えれば、和香の信じ難い主張も現実味を帯びてくる。

 公安と言えば、国内だと極左暴力団や右翼団体、朝鮮総連や新宗教団体等を対象に捜査する組織のはずだ。国外案件となれば、外国政府による対日工作や国際的なテロを扱う部署となる。

 何故彼女があの刑事と人脈を持ったのかを聞いた際、仕事で知り合ったと説明していた。あの特殊な部署では一般政党や中央省庁だけでなく、大手メディア等も情報収集の対象になっていたはずだ。そうした関係で知り合ったとしたのなら納得がいく。

 しかし本当に彼が公安の人間だとすれば、奇妙な縁を感じる。そう思った時、これは偶然なのかそれとも必然なのか、新たな疑問が湧いてきた。

 雄太の名義で多額の資産がある点は、警察も把握していた。しかし遺産についての遺言の存在やその内容に関しては事故死で処理された後に明らかとなった為、知らない可能性がある。藤子の口からも田北達には告げていない。

 その為この件について、やはり警察の調査や税務署の判断を仰ぐべきだと考えた。そこでまず和香をホテルに呼んで遺言の内容を打ち明け、相談してみようと考えたのだ。

 部屋にきて話を聞いた彼女は当初驚いた様子を見せたが、説明する中で放棄するかもしれないと告げた際、激しく反対した。

「雄太さんは、決して罪を犯してまでお金儲けをする人ではありません。第一彼は、それなりに稼いでいたと思います。それにお一人でした。だから経済的に困っていなかったはずです。それに私が知っている彼は、とても堅実で質素な生活をしていました」

 具体的な例として語られたのは、和香を含めた数人の友人と会食した際も、決して高い店には入ろうとしなかったという。といって後輩達がいた場合、奢ってくれることもあったので、ケチでは無かったようだ。

 ただ独り身とはいえ転職を重ねて来た身としては、いつ何が起こるか分からない。だから贅沢はせず、身の丈に合った生活が出来ればそれでいいと雄太が言っていた話を彼女は教えてくれた。

 食にそれ程こだわりが無く物欲も無かったはずだし、本をよく読んでいた程度でお金がかかる趣味も持っていなかったらしい。そんな彼なら、それなりの預貯金があったっておかしく無いとも彼女は強く主張した。

 確かに父の遺産で購入したと思われる家を所有し、その後母が亡くなった際も一億近く受け取っている。また彼の住んでいた家の中は、別名義のマンションの部屋も含め書籍を除けばかなり物が少なく、彼女が言う通りつつましやかに暮らしていた様子がよく分かった。資産運用は利率の高いネット銀行に預けていた程度で、リスクの高い投資をしていた形跡も全く無い。だからこそあれだけの資産を残せたのだろう。

 彼女は更に続けた。

「それに警察では、犯罪で稼いだ可能性を疑ってはいませんでしたよ。別名義を使い出したのは五年前からでしょう。でも預金残高がその頃から急激に増えた形跡もなく、社会人として三十年間働き徐々に貯めたもの、と結論付けられたと聞いています。他人名義を使用していたのは確かにいけない事でしょう。だからって、お金儲けをする為では無かったと私は信じています。だったら何故だったのかは分かりませんし、これから更に調べる必要があるかもしれません。でもそれと彼の遺産を受け取る話は別だと思います」

「私もそうは思ってみたけれど、そのまま受け取るには余りにもリスクが高すぎる。兄との問題もあるし、そう簡単じゃないの」

 そう言い返したが反論された。

「でもそれは雄太さんの意志に背きませんか。わざわざ手間をかけてそのような遺書を残したからには、必ず意味があるはずです。だって明らかに兄妹が揉めるだろうと分かった上で、敢えてそうしたのでしょうから」

「そうとも限らないの。遺書を残した時期を考えれば、今のように私が小説家としてデビューし、芥山賞を獲るなんて全く予期しなかったはず。会社を辞めて無職になり、貯金を切り崩しながら生活していたから同情してくれただけかもしれない。もし自分に万が一の事があればと、制度が新しくなったのを機にたまたまそういう遺書を残しただけだった可能性もあるでしょう。それに私の生活が一気に変わったから、遺書の書き換えや取り消す機会を逃したとも考えられるわ」

 藤子の見解を聞いて、彼女は少し首を傾げながら口を開いた。

「つまり少なくとも雄太さんの死が、自殺だとは思っていないのですね。もしそうなら、遺書は廃棄または書き換えているはずだと」

 これには思わず苦笑した。

「もちろん。遺産について、一年半前とはいえ彼は遺書を書いていました。もし自殺なら必ず書き残すはずでしょう。それに警察だって事故と判断したし、私達が調べた中でもそんな話は出てこなかった。殺されたなんて話さえ、今でも信じられません。しかし新たな事実が発覚し、他人に成りすましていた原因が関係してるかもしれないと思い直したの。だからあなた達から協力してくれと言われた時、承知したのよ」

「そうですよね。突然失礼なことを言ってすみませんでした」

 彼女は頭を下げた後、話を戻した。

「遺産の件は、私がどうこう口を挟める話ではないかもしれません。ただ放棄するにしても雄太さんについてもっと知り、死の真相だけでなく彼の想いを汲み取った上で判断して頂けませんか。例えば受け取った場合のリスクが無いと判断できても、お兄様との関係を危惧されるならどこかへ寄付をしたって良いと思います。私の知らない所で、彼が何かしていた事は間違いありません。それが何らかの活動だったなら、そうした団体等にお金を渡す方法もあるでしょう。そうすれば彼の意志に反しません。そうした手段も考えて頂けませんか」

 藤子は再び頭を下げた彼女を見て、気持ちが大きく揺らいだ。

 彼女の言い分はもっともだった。まず雄太の問題を片付けなければ兄夫婦との関係や作家としての仕事も含め、これから自分が進むべき人生の先が見えない。よって今後どうすればベストなのか、判断できる材料が揃ってから決断しても決して遅く無いのかもしれない。

 もちろん期限はある。よって放棄期間の三カ月以内、実際はもう残り二カ月半を切っているが、その間に結論を出そうと決めた。

 彼女と別れ一人部屋に残った藤子は、ベッドに横たわりながら改めて雄太の預貯金残高を眺めた。これ程の資産を残したのは自分と同じく、将来一人で生きていかなければならないとどこかで覚悟したからに違いない。その為の老後資金を貯めていたと思われる。

 また藤子だってこれまで恋愛はしながらも、生涯連れ添うパートナーを見つけるまで至らなかった人生を振り返った。

 祖父や両親達の期待を裏切らず、また兄に負けないよう一生懸命勉強し、なんとか世間的には有名な大学に入学した。だが卒業が近づくにつれ、時代はバブル崩壊後の影響が出始め就職難に陥った。

 それでもどうにか必死に頑張った甲斐もあり、上場企業で知名度もある中堅の損害保険会社に総合職として入社できたのだ。しかし入ってからは多くの壁に何度もぶつかり、日々心身を削りボロボロになりながら過ごしていた。

 最初に立ちはだかったのは厳しい労働環境だ。入社当時はサービス残業など当たり前で、朝八時前に出社して夜は十時過ぎてからでないと帰宅できない状態が数年続いた。

 しかも入社する前に聞いていたOJTなど、実際の現場では名ばかりだった。一応五つ年上の先輩が教育係としてついたが、彼は自分の担当業務をこなすだけで精一杯な状態だった。

 昼間はほとんど外出していたし、珍しく席についていると思えば急ぎの書類等の作成に必死な形相で取り組んでいた。または厄介な取引先からの電話に捕まり、ペコペコ頭を下げてもいた。

 声をかけ教えを乞える雰囲気ではなかった為、話が出来るのは営業時間外の遅い時間しかない。ただその頃には先輩も疲労ひろう困憊こんぱいしており、丁寧な指導など期待できるはずが無かった。

 結局は見様見真似でやってみたり、取引先から以前の担当者とはどういうやり方をしていたか、どのような要望があるか等を直接聞いたりすることで何とかしのいでいた。 

 それが二年、三年と続けている内に、ようやく自分なりの仕事への取り組み方をかたち作っていったのだ。もうその頃には教育係の先輩も転勤でいなくなっていた。後任の担当者とはそう年が変わらなかったので、教育係もなし崩しでなくなった。そうこうしている内に四年が経ち、最初の配属先だった新宿支店から大阪支店への異動が決まったのだ。

 そういうものだと理解していたけれど、ようやく慣れて来たと思った頃に環境や担当取引先が全て変わるのは、想像していた以上の大きなストレスに感じた記憶が蘇る。ただ同じ職場にいても取引先の担当者変更は、同僚が転勤する事情などにより時々行われていたので比較的慣れるのは早かった。

 もちろん面倒な担当をあてがわれ、苦労する場合もあった。しかしそれが仕事なのだから文句は言えない。それに周辺から扱いづらいとされている人達程、思い切って相手の懐に入ってしまえば気に入って貰えるケースが多々あった。

 そこから関係が改善され、これまで以上に契約を挙げてくれたりすると喜びも倍増する。さらには職場での評価が上がっていく手応えも、段々と感じられるようになった。

 しかし退職するまでどうにもならなかったのは社内の人間関係だ。社外とのやり取りでも多少のストレスは感じていた。だが色々努力し改善したり、仕事と割り切ったりして何とか乗り切ることが出来た。けれど社内はそう簡単にいかなかったのである。

 後で思うと数年我慢すれば人は変わるのだから、適当に聞き流す要領さえ掴んでいればと、反省する点もあった。けれども根が真面目過ぎ、頑固だったからなのだろう。幼い頃から叩き込まれた、祖父譲りの正義感と理想論も影響したのかもしれない。最も力を入れるのはお客様であり、取引先が優先されるべきとの想いが強かった。

 その為我が身可愛さを第一にした社内営業なんか、馬鹿馬鹿しくてやっていられないという態度を貫いていたのだ。また成績さえ上げていれば文句も言われる筋合いはない。上司だろうが先輩だろうが、余計な口を挟んで人のやり方にケチをつけるなと思っていた。

 これは担当者以上に、管理職がころころと代わっていたせいでもある。当然人それぞれのやり方があった。その度に皆が職場の方針を自分なりの方式に変えようとしていた。

 それが良い方に向いていれば、もちろん藤子だって協力していただろう。だがそうでない場合が余りにも多かった。そんなやり方は以前の管理職も試みている。けれどこういう理由で失敗したので今の方式に落ち着いたのだ。そう説明しても、

「まず行動して見なければ分からないだろう。何故実行する前に諦めるんだ」

と、聞く耳を持たない。それで成功し風穴を開けて職場の空気が改善されればいいのだが、ほぼ百%失敗するのだ。

 もちろんそうした上司ばかりではない。上手く機能していない職場の弱点に着目し、思い切った人事異動まで手に付け、低迷していた職場の雰囲気を一気に活性化させた管理職も中にはいた。

 だが残念ながら、藤子はそうした上司と巡り合う機会が少なかった。当たったとしても、直ぐに入れ替わりいなくなってしまうケースが多かったのだ。よって相手をするだけ無駄だと考え、自分が正しいと信じた我が道を進むことに尽力したのである。 

 そんな部下は上司にとって扱いづらく、煙たかったのかもしれない。また同僚や先輩達からも余り良い顔をされなかった。だから成績を落とせば、ここぞとばかりに社内から攻撃され足元をすくわれてしまう。その為歯を食いしばって頑張ってきた。プライベートなんて無いほど必死に働いたのだ。

 しかし好成績を維持し続けるには限界がある。特に保険の場合は、担当する取り引き先が販売する間接営業が基本だ。またその時々の経済状況や地域の特殊事情による影響も、決して無視できない。担当者としての成績がどう頑張ったって芳しくない年もある。そうすると容赦なく評価は落とされた。

 といって抜群の成績を収めた年でも、特別高い評価は受けられない。相対評価だとか何かが出来ていない等となんらかの理由を付け、抑えられていたからだ。

 そうして勤続年数を重ねる内に、どうしても避けられないのが昇進問題だった。上司から気に入られていなかっただけでは無いと思うが、やはり同期達より後れを取っていたのは間違いない。

 また独身で居続けた点も、マイナス要素だったのだろうか。三十を過ぎて三つ目の職場となる仙台に赴任した頃から盛んに言われ始めた。

「保曽井はまだ結婚しないのか。するなら早い方が良いぞ」

 明らかなハラスメント発言だ。家庭を持たなければ一人前だと見なせない。そうした古い考えを持つ上司達は少なくなかった。さらに世間では少子化問題が徐々に大きくなり、子供を産まないのは罪だといわんばかりの風潮が高まりつつあったからだろう。

 その上結婚していて産みたいのに、子供を持てないと苦しんでいる人が周囲には沢山いた。損保会社では事務員だけでなくパートも多く雇っていた為、社内の女性比率が高かったからだろう。よって不妊治療をしている人達はそこかしこにいたのだ。

 そうした人達にとって、独身の人間はどちらの味方でもない。敢えて言うなら、同じ境遇にいない事で敵視されるケースの方が多かった気がする。

 風当たりは年々強くなっていった。国が子供を産んだ人達へ手厚い政策を打ち出す度に、産めないまたは産まない人は責められているような圧力を感じた。

 更には二〇〇〇年代に入った頃、それ以前からあった銀行等の金融業界の再編の波が、保険会社にまで及び始めた。藤子が勤める会社も流れに逆らえず、とうとう大手損保に吸収合併されたのだ。

 それが二〇一四年、母が亡くなる前年である。立場が弱いこちら側は、当然扱いが大手出身の社員と差を付けられた。これは社内だけでなく取引先も同様だった。

「君はどっちの出身だ」

と初めて挨拶する代理店に、必ずそこから聞かれた。中堅社出身だと告げれば途端に態度が変わり、担当を変えろと言い出す人達も少なからずいたのだ。

 そうした新たな苦労が加わった上、管理職のポスト争いも当然これまで以上により激しくなる。合併前でも同期がどんどんと管理職に上がっていく中、藤子はいつまでも課長代理止まりだった。その為中堅社出身の藤子など、昇格の目途なんて立つはずがない。

 それどころか、いつまで勤めているんだというプレッシャーさえ受けたのだ。下手に年を食った給与の高い社員より、安い給与でバリバリ働く若手の方が扱いやすいし重宝されたからだろう。

 合併した翌年、以前から病に伏せっていた母が亡くなった。恐らくそれが引き金になったのか、長年蓄積されたストレスによる心身への負担が限界を超えたらしい。藤子は徐々に体調を崩し始めたのである。

 頭痛や動悸が激しく、倦怠感けんたいかんも酷かった為に会社を休みがちになった。その都度病院へ行き検査を受けたが、身体的な異常は何も見つからない。全く別の診断ばかり出され続けたのである。

 当初は二、三日休んでゆっくりすれば、収まっていた。よって四十三歳を過ぎた頃だった為、年齢により疲労が溜まりやすくなったのだと思うしかなかった。もちろん念の為にと病院を変えたり、内科だけでなく心療内科といった異なる診療科で受診したりもしてみた。それでも結果は同じものしか出ない。

 ストレスだろうと言われた時もあったが、それ以上の診断はされなかった。そのような便利な言葉一つで原因不明の理由を片づけられ、余計に心労が蓄積したのだろう。二カ月も経たない内に同じような症状が出て、会社を休む間隔が段々縮まり始めた。そうなると仕事への支障が相当出始める。

 そうして新たに通った病院へ行った時、精神内科を受診してみてはどうかとあらためてすすめられた。そこで初めてうつ病と診断され、今まで苦しんでいた症状に具体的な病名がついたのだ。その上うつ病の中でも、「仮面うつ病」と見立てられた。

 これは抑うつ状態や気分の落ち込みといったうつ病に特徴とされる気分の症状よりも、倦怠感や頭痛、肩こりといった身体的症状が比較的強く出る状態だという。まさしく藤子が苦しみ悩んでいた状況と一致した。精神的な症状よりも身体的な異変の強さが大きかった為、うつ病という自覚は全くなかった。

 そういう患者は色んな科を受診し、検査に異常が無いと言われるケースが多いという点も同じだった。仮面うつ病は心配性または完璧主義、周囲の秩序を重んじる等の性格を持つ人が、気付かない内に日常的なストレスを蓄積させゆっくりと症状を表すパターンが大半だという。

 緩やかに進行する為、患者や医師も気が付き難いらしい。そうしている間に身体的症状が悪化し、日常生活が思うように送れなくなり苦しんでしまうと説明された。

 また特徴的な点として、とりわけ精神状態における自覚の低下があるという。元々我慢強いタイプなら、自分の体調が総合的に悪いのは一時的な症状であって気分の不調は気のせいだ、と思ってしまうらしい。

 全ての指摘が当て嵌まった藤子の症状に、しっかりとした病名がつき原因も明らかになった。おかげでそれまで抱えていたモヤモヤや漠然とした不安が解消されたのである。結果会社に診断書を提出し、これまで有給休暇を削りだましだまし働いてきた状態から抜け出す為、正式に休職を届け出た。

 入院する程の重症では無かった為、自宅で十分な休養を取るよう指示され抗うつ薬等での薬物治療を受けるようになった。他の治療としては精神療法を通した社会的適応能力の向上を図る為の指導や、助言等の働きかけといったものもある。

 だがそれはこれまで二十年以上バリバリと働いてきた藤子には向かないと判断され行わなかった。よって二週間に一度の定期的通院で、症状の悪化を薬で食い止め安定させる方針を選択したのだ。

 勤務年数が二十二年目だった事から、上司による社内規定の説明を受けた際、休職できる期間は三年以上あると分かった。その間はほぼ全額に近い給与が支給されるという。また社宅の使用も認められていた為、家賃の自己負担は引き続き格安のままで良かった。つまり当面の間は経済的不安を抱える事なく、治療に専念できる状態だと告げられた。

 それでもしばらくして、経済的な安定よりも会社に所属している事自体がストレスなのだと気付いた。休職し続ければ、年間の手取りだけでも七百万近くの給与が振り込まれる。その代償と言っては何だが、上司が一ヶ月に一回の頻度で藤子の通う病院を訪れ、その度に診断書を出したり症状はどうだと会話を交わしたりしなければならない。それがとても苦痛に感じたのだ。

 そこで考えた。幸か不幸か両親が亡くなった際に得た八千万円の遺産は全く手をつけていない。また独り身で仕事一筋だった為、お金を使う暇が無かったからだろう。それこそこれまで心身を削り働いて得た貯蓄はそれ以上あった。

 さらに会社を辞めれば退職金も出る。その上半強制的に購入させられてきた社内株式を売却し同じく加入させられた財形貯蓄も解約すれば、この二十年余りで相当な金額になると分かっていた。

 その後得られるだろう公的年金や厚生年金を計算した所、贅沢しなければこれ以上働かなくたって生きていける。持っていたFPの知識を活用して出たその結論に、藤子は自信を持った。結果目先のお金より少しでもストレスを少なくしたいとの想いを優先させ、休職してから半年ほどで退職を決意したのだ。

 うつ病は、完全な回復に至るまで時間がかかると言われていた。ならば身軽になって十分な休養を取り、治療をしつつ新たな人生を再スタートさせればいい。そう予定を立てた藤子は新たに賃貸マンションを借りて住み、周囲の人との係わりを絶った環境を整え落ち着くのを待ったのだ。

 まず手始めに行ったのが、長年コンプレックスだった容姿を変えることだった。幼い頃からぽっちゃり気味だった体型により、保曽井の名字を揶揄して太井ふといとあだ名をつけられていたからだ。

 幼少期における兄の食はとても細かったらしい。また風邪をひきやすい体質で、よく寝込んでいたという。その反動からか、藤子はやたら栄養を与えられた。すこやかに育つようにと、色々な物を食べさせていたと聞く。その挙句、肥満体型になったようだ。

 兄は成長するにつれて健康を取り戻し、容姿もすらっとしていた。それに対し藤子はずっと太ったままだった。その為大人になっても、自分の苗字を呼ばれるだけで嫌な思いをしてきたのである。

 けれど、“藤”という名は好きだった。五月三日生まれの為、季節的に見頃を迎える藤の花から母が名付けたようだ。風流なものが好きで、自ら庭に様々な草花の種をいて育てていた彼女らしさが出ている。

 花言葉は「優しさ」や「歓迎」だ。保曽井家へやってきた事を歓迎し、優しい子に育って欲しいとの願いも込めたと、大きくなってから教えられた。庭園や公園で目にする藤棚のイメージが強いけれど、鉢植えでも楽しめる。よって我が家の庭では藤の花も咲いていたのだ。

 ちなみに兄の名をつけた祖父は、“不二”と付けたかったらしい。だが母がそれに抵抗してくれたという。今ではそのことにとても感謝している。それでも藤といえば古くから振袖姿の女性に例えられ、優雅で柔らかい印象を与える花だ。色は白や赤いものもあるが、よく目にするのは紫だろう。

 しかし藤子の肌は昔から白かった。それが名前とそぐわない外見から、白豚と陰口を叩かれた。太井白豚といじられたこともある。だったら頑張って痩せればいい、と他人は思うだろう。実際に同級生達や兄にもそう言われていた。

 だが人にはそれぞれ体質や、幼い頃から植え付けられた習慣というものがある。藤子は沢山食べるようにと言い聞かされて育ち、また美味しい食べ物が大好きだった。そのせいもあり、容姿に気遣いする子をむしろ蔑視していた時期があった。そんな事よりも勉強に精を出す方が余程有意義で、大事だと考えていたのだ。

 根っからの気の強さと、負けず嫌いの性格も影響したのだろう。そしりを受ける度に内心では傷つきながらも、太っていて何が悪いと開き直った。また肌の白さには、単に妬んでいるだけだとかえって自信を持ったくらいだ。筆名を「白井真琴」にしたのは、自分の美点を強調する為でもあった。

 だがうつ病に罹り心身共に疲れ果ていたのだと気付かされた時点で、相当無理をしていたと心の底から考えられるようになった。早期に会社を辞めたのも、積極的にストレスと感じるものは少しでも減らそうとした結果だった。

 引っ越し先のマンションも、騒音や子供の姿に悩まされ無いようにとDINKS(ディンクス)向け、いわゆる夫婦共働きだが子供のいない世帯を対象とした分譲型賃貸で、さらには最上階の角部屋を必死に探したのはその一環だ。

 しかし世の中では差別とされる為、おおっぴらに子供禁止とは謳えないらしい。せいぜい単身者のみ、またはDINKS向けとやんわり表示するしかないという。それでも子供を産んで住み続ける人達がいた。

 それに他の入居者を選ぶ事は無理だ。そうなるとできるだけ接点の少ない部屋を選ぶしかない。それが最上階の角部屋を指定し、比較的壁の防音がしっかりしている分譲型賃貸を条件にした理由だ。

 それならいっそ、一戸建てや分譲マンションを買えばいいと考えた時期もある。だがそうなると近所付き合い等が生じる。その上煩い住民が周囲にいた際、そう簡単に引っ越せないので止めたのだ。

 働いていた頃はマンションなんてただ寝るだけの部屋であり、休日でもゆっくり過ごす場所などと考えていなかった。社宅はほぼ会社にここと決められた部屋に住むのが当たり前で、頓着できなかったせいもある。またほとんど家にはいないし、転勤族で独身だった為に周囲の住民達との付き合いも全くなかった。

 しかし会社を休んでいた時や休職して一日中家にいるようになってからは、こんなに音がするのかと驚いたものだ。これでは自宅療養にならない。それで社宅から早く出なければと思ったのも、退職を早めた理由の一つだった。

 藤子が求める条件が厳しい為に選択肢はかなり少なく、賃料だってもちろん高めとなった。だがお金である程度解決できるものには、ケチらずに使おうと決めていた。

 その結果、通勤を考慮に入れる必要が無かった点と、必ずしも東京に拘らなくて良かったからだろう。元々最後の赴任地が大宮だった事もあり、都合よく関東圏で良い物件に巡り合えたのだ。

 生活に罹る家計は分類すると、食費、日用品、医療費、固定費、交通費、交際費、美容費、娯楽費、その他特別費等が挙げられる。この中で人より多めなのは、住居費が含まれる固定費と医療費くらいだ。療養中の時だと、交通費や交際費、娯楽費はほぼ必要ない。 

 よってその分を住居費に回すことでバランスを取っていた。食費や日用品だってそれ程こだわりが無かった為に、大きな割合を占める事も無い。さらに働いていた時でさえ、衣類代や美容院代等に余りお金をかけてこなかった。靴や体に身に着ける物もかなり少ない方だろう。

 といって全く頓着が無かった訳ではない。社会人として最低限の身だしなみを整えた上で、ブランド品のような高級品の使用はできるだけ避けてきた。取引先の人達よりずっと高給取りだった為、わざわざ嫉妬を産む行為など出来なかったからだ。よって極力低価格かつ品質の高い物を選んでいたのである。

 これも自分を守る行為だったが、それはそれで

「私達よりずっと稼いでいるんだから、もっと良い商品を使えばいいのに。だから垢抜あかぬけないんだよな」

「ただ単にケチなだけだろう。それに何をしても効果ないでしょ」

等と悪態をつかれるのだ。どちらにしても貶されるのであれば、後者の方がマシだと考えていた。

 けれど退職後はそうした雑音から解放され、見知った人と会う機会も殆どなくなった。そうした環境が、これまで抑圧してきた綺麗になりたいとの美への欲求や、本来持っていた嗜好を目覚めさせたのである。

 うつ病の治療中の過ごし方としては、まず規則的な生活リズムを作る事だという。午前中に日光を浴びて体内時計を整え、無理のない範囲で散歩等により体を動かすのが良いと言われた。さらに音楽等で気持ちが楽になるような行動を生活の中に取り入れ、バランスの良い食事を摂るよう意識する必要もあった。

 そこで始めたのが、体調の良い時は午前中から外出しエステ等に通い、美容やダイエットに効果があるとされるあらゆるものを試す行為だった。ほとんどやってこなかった自炊も始め、健康食を取り入れた品々を作った。それがストレス解消に役立つと考えたからだ。

 これは徐々に成果が出た。体重を無理なく減少させ、気にしていた顔の膨らみを無くし、化粧の仕方をきっちり勉強したからだろう。ほっそりとした体形になり、鏡を見ても端正な容貌に日々変化していく自分を見ることがなにより楽しくなった。

 そうした自信が精神的に余裕を生み出し、療養にも効果があったと思われる。そこで思い切った手術もできるまでになったのである。藤子はこうして大きく生まれ変われたのだ。

 しかし体調が回復してくれば元々の性格なのか、何もしないでいる状況から脱したいと考えるようにもなった。といって四十半ばになり、どこかで再就職する気までは起こらなかった。職種にもよるが、採用される可能性も現実を考えれば難しいと分かっていたからだ。それに働く事でまたストレスを溜めれば、再発どころか重症化しかねない恐れもある。

 それなら無理する必要はない。そう考え、集中力を保ち知識を得たり想像力を働かせたりするのに有効な読書を自宅内療養として始めた。元々好きだったので、気付けばかなりの時間を費やすようになっていった。

 そうして月に何十冊と読み続けている内、自分でも書いてみようと考えるようになったのだ。時間は余るほどあったからだろう。そこで藤子は純文学小説を書き始めたのである。

 また何か目標が無いと、書いているだけではつまらないと感じだした。それがのちに新人賞に応募し始めるきっかけとなる。自分の綴った物語は他人が読んだら面白いと思うのか、どう感じるのかと評価が気になったのも要因ではあった。

 だが他にも理由があったのだ。小説を書く場合、本名ではなく筆名で応募する人の割合が圧倒的に多い。自分の名を嫌っていた藤子は、別名に憧れを抱いた点も大きな要素となった事は間違いない。

 本格的に執筆を始め、年間計画を立てて投稿生活に没頭していた頃はとても幸せだった。もちろん真剣に物語を創ろうとしていたので、生みの苦しみも十分味わっている。一次落ちを繰り返す等結果が伴わず頭を悩ませたり、最終候補まで残りながらも講評で散々叩かれたりして、心が折れそうになるほどへこんだ経験もした。

 それでも新人賞を受賞するまでの正味四年間は、孤独な時間を過ごしつつ心身の健康を取り戻す為にとても有意義だったと思う。人によっては何の生産性も無い、と非難されかねない生活だったかもしれない。けれど藤子にとっては生きている幸せを噛み締められた、何物にも代えがたい貴重で贅沢な時間だったと断言できる。

 しかし問題だったのは、小説家になった後の生活を具体的に想像していなかった点だろう。その上表舞台に立つ覚悟が無いままデビューしたのも、今思えば大きな誤りだった。新人賞を獲っても、小説家として生き乗れるのはほんの少人数でしかないと知識では持っていた。ましてや純文学作家など、それだけで簡単に生きていける訳もない。

 さらに世間の人々から名前を憶えられるようになるまで、相応の年月がかかるとの認識もあった。厳しい現実を把握していたからこそ自分が生き残れる等と楽観視できず、だから小説を書いていることは誰にも言わず、入賞した時でさえ隠していたのだ。

 それを雄太が気付き、兄達に知らせた程度で済んでいればどれだけ良かっただろう。芥山賞の存在や影響力は良く理解していたからこそ、自分には縁がないものだと思い込んでいたのが甘かった。

 そのせいでいきなり人には見せたくなかった顔を全国に晒し、有名作家扱いされてしまったのは全くの誤算だった。自分だけ満足出来れば良かった容姿を、意図せず他人の前で披露せざるを得なくなった時点で、藤子にとっては災難が始まっていたとも言える。

 名誉ではあったけれど、戸惑いの方が大きかった。体調も改善しつつあったが通院は続けていた。よって正直いえば病歴等を公にしたくなかった。それに醜い姿をしていた過去も隠したいと強く思っていた。だから新人賞を取った際、覆面作家としてやっていけないかと編集者に相談していたのである。

 しかしそれはあえなく却下された。今の時代はそれが通用しないと説明され、それでも嫌だと言うのなら受賞を辞退して貰う、とまで言われたのだ。

 他の新人賞の応募要項の中には受賞後において写真又は動画で撮影することや、それを宣伝行為に利用する点などを承諾するとの条件を謳っているものがあった。けれど文潮堂賞に関してはそうした事前の取り決めが無かった為、応募していたにもかかわらずだ。

 後に知ったが、年齢の割に見栄えの良い藤子の容姿を見た編集者は、受賞すれば経歴等も含め宣伝に使えると計算した結果だったらしい。新人賞の最終候補に残った当時は、まだコロナ禍の余韻が残っていた。その影響もあり、受賞した場合の確認事項を電話だけでなくリモートで行ったからこそ、そうした判断がなされたのだろう。

 その為選考委員の作家達が出した結果を受け、出版不況下において少しでも反響が出るようにと、大きく宣伝を打ちたかったようだ。しかしそれを藤子は、およそ五年引き籠っていた点を言い訳に使い難色を示した。そこで出版社も体調や病歴を考慮してくれたのか、妥協点としてプロフィールは出来るだけ隠すと一度は了承してくれたのである。

 顔写真についても受賞発表する文芸誌に全文掲載する際、一回出すだけに止めると言ってくれた。その後取材等があっても、しばらくは掲載しない約束で折り合いをつけられたのだ。けれども世の中そう思うようには行かないと、その後痛いほど身をもって知ることになる。

 改めて藤子は、雄太に思いを馳せた。

 内緒にしていた新人賞の受賞を知り彼がおめでとうと言ってくれたのは、財産を全額残すと遺書を法務局に預けた一年後だ。あの後瞬く間に有名となっていった姿を見て、彼は心の中でどういう想いをしていたのだろう。独り身であり続け無職になった事に同情していたけれど、そんな必要は無いと考えて遺書を破棄しようとは思わなかったのだろうか。

 七年前まで高学歴で有名企業の総合職として高収入を得ていた藤子は、兄または美奈代と同じく雄太に対し、心のどこかで見下していた。彼がその事に気付いていなかったはずはない。しかし自分が会社に馴染めず無職となり一人になった時、彼の方がより堅実に生きて来たのだろうと初めて羨ましく思ったのだ。 

 それにこれまでの人生を一変させる程変化した藤子の姿を、空港で兄を見送る際に彼は初めて目にした。あの時兄や美奈代ははっきりと嫌悪感をあらわにしていたが、雄太は以前と変わらず、いやそれ以上の態度で接してくれた。さらにその後も心配してくれていたのだ。そう考えると今更ながら己の愚かさを恥じた。

 これまでの調査で、知られざる弟の過去を少しだけ垣間見た。彼も藤子同様別の人生を歩みたかったのかもしれず、それが何かの拍子で手に入れた名義を使っていたのかもしれないと想像してみた。ならばできるだけ彼の遺志を尊重し、折角小説家としての立場を得たのだから、彼が生きた人生を作品に残す為の糧にすべきではないかとも思い始める。

 ただその為には彼の遺産を受け取らなければならない。それはまだ全貌が明らかになっていない、負の遺産や過去をもひっくるめて引き受ける決意がいる。それだけでなく、兄夫婦達との関係を悪化させる覚悟も必要だ。しかし考えて見れば、それも彼の意志だったのではないかと想像を膨らませた。

 美奈代の藤子への嫉妬や軽蔑の眼差しを思い出す。雄太達には三年前、兄がシンガポールへ単身赴任すると聞いて会った際、以前の藤子とは全く異なる容姿を初めて見せ、その経緯も話した。

 自分が心の中で芽生えたように、兄達の取った態度や反応を見た彼は、あの家族と決別すべきだと思ってくれたのかもしれない。だからその翌年に、彼は遺言を残したとも考えられはしないか。

 藤子が一人ホテルに籠りそんな想いを巡らしてばかりいる頃、外の世界では新たな展開を迎えていた。騒がしかったマスコミの風向きが大きく変わったのだ。きっかけは、余りに世間が騒ぎ出したことで、芥山賞選考委員の大物男性作家A氏が苦言を呈した為である。

「亡くなった人物が罪を犯していた点を問題視するだけならいざ知らず、その身内が有名人だったからといって攻撃するのは如何なものか。しかも今回は、作家自身に問題があった訳でもない。それどころか彼女は実の弟を失った遺族だ。それに他人名義を使っていたなんて知らなかったらしいじゃないか。それならある意味、被害者だと言ってもいい。しかも彼女は全く事情を把握していない状況で、偶然事件についてコメントさせられただけだ。その内容をバッシングするなど的外れも甚だしい。その上芥山賞を受賞したのは間違いだったと書き立てる、おかしな輩まで出てきた。それは私達選考委員まで侮辱するものだ。言語道断で看過できない」

 彼は昨今の、有名人にまつわるマスコミのスキャンダルの扱い方にも言及し、とりたてネットニュースのレベルの低下が激しいと非難した。その点については同意する人々も多かった為、賛同コメントが殺到したのである。

 しかしその一方で否定する意見も散見された。何故なら彼は、芥山賞の選考で藤子の作品を高評価していたからだ。見栄えの良い新人作家を擁護する発言の裏に、個人的な意図があるのではと邪推じゃすいされたらしい。

 こういう下衆な意見は必ずといっていいほど出る。またそれがある一定数の支持者を刺激し、ありもしない話題で盛り上がるのだ。藤子はA氏と二月に行われた受賞式の際に初めて会い、その時も簡単な挨拶を交わした程度だ。特別に褒められた訳でもなく、これからが大変だよと脅されたくらいだった。

 しかしそのレベルの批判なら、A氏が黙殺していればいずれ収まっただろう。だがそこへ火に油を注いだ人物がいた。同じ芥山賞選考委員の一人、大物女性作家B氏だ。彼女はA氏とは違い、選考会で藤子の作品を貶して他の作家を推していた。もちろんその他の選考委員の中でも、多少評価は分かれたと聞いている。

 その件は、選考過程について説明した委員の総括の中でも触れられていた。その後出されたそれぞれの講評を読めば、誰が作品から何を読み取りどう捉えたかは明らかだった。 そうした結果を踏まえ、最終的には“伝えたい”を評価する声が多かった為、藤子は受賞出来たのである。

 ただ実際の選考会での議論は相当揉めたようだ。その火種となったのがA氏とB氏の対立だったという。同席していた主催者である出版社の編集者によれば、作品の内容の評価云々で食い違いが生じていたのは、表向きの理由だったらしい。今回に限らず選考会では毎回といって言い程、A氏とB氏とでは真逆の意見を出していたようだ。その度にどちらの味方が多いか、競い合う傾向にあったと後に知った。

 その根本は十数年前に遡る。二人の作品がある別の大きな賞の候補に上ったが、その際A氏が受賞した。だが話はそれで終わらない。その時の選考委員の一人が、作品内容よりその女性作家を認めていないから選ばなかったと公言したのだ。しかもその作家は、A氏を若い頃から可愛がっていたのである。

 業界人なら誰もが知る事実だった為、B氏は余計に悔しがったという。問題の大物作家は既に他界してしまったが、その後もA氏とB氏は犬猿の仲で有名となり今に至るのだ。 

 そうした事情に加え、B氏は同じ女性作家として作品の内容ではなく、容姿や生い立ち等で大衆の目を引き売り出そうとする出版業界やマスコミ等の対応に、日頃から痛烈な批判を繰り返していた。

 その為“伝えたい”は推せないと強く主張したのだろう。まだ候補に挙がる前は顔写真をなるべく出さないよう交渉していた藤子からすれば、B氏の意見には強く賛同していた。

 しかし候補作が公表されてから、藤子が顔出しし始めたことが彼女の琴線に触れたらしい。その上出版社が年齢と容姿のギャップに加え、関心を引く経歴を前面に出す戦略を練っているとの噂を耳にし、激怒したという。

 そこにA氏が藤子の作品を推した。だからこそ藤子自身を含め、作品自体を相当罵倒したと思われる。また事件についても異例のコメントを出したのだ。

「A氏が新人作家を擁護する見解は、一見すると正論に思える。だが実態は違う。厳しい出版不況の中、さらに窮地に追い込まれている純文学作品を少しでも売りたい出版社の思惑を、単に援護しているに過ぎない。作品の中身ではなく、様々な付加価値を付け世間の注目を浴び、興味を持つよう仕向け販売部数を伸ばしたいだけだ。選考会でもその思惑に同意した作家達の数が多かった。そうした安易な決断が今回の騒ぎに発展したのである」

 芥山賞の選考自体に問題があったと認めるかのような内容に、出版業界自体が慌てだした。とはいっても相手は出せば必ず売れる大御所同士だ。下手な対応はできない。

 マスコミはこれに飛びついた。二人の争いと出版業界の裏事情を扱う方が、新人作家を叩くより余程世間の関心は高い。その為藤子を追いかけていた記者達は波が引いたようにいなくなり、A氏達や主催する出版社の周辺に張り付き始めたのだ。

 他にもコロナ禍やそれ以前に行われた政治家による、特定業者との癒着が明らかになった事件についても進展があった。重い腰をようやく上げた検察等が起訴に踏み切り、不適正な税金の使用実態の告訴を受けた裁判が始まったことで、芋づる式に問題が発覚。新たな捜査も並行して行われるなど、政局にも大きな動きが起こり始めていたのである。

 さらには伊豆半島沖で深海魚専門の漁をしていた漁船の網から、白骨死体の一部が発見。骨の損傷具合から殺されたものらしいと分かり、殺人事件として被害者の身元の特定を始めたというニュースも流され、大騒ぎになっていたのだ。

 おかげで注目が逸れた藤子は自由に外出しやすくなり、マスクさえ嵌めていれば誰にも気づかれず済むようになった。コロナ禍はやや落ち着いたけれどまだ油断できず、また時期的に花粉症が飛び交う季節だった点も幸いした。そうした背景も手伝い藤子はホテルを出て、和香と共に雄太の関係者を直接訪ねる行動が取れるようになったのだ。

 最初に当たったのは、以前受け取った報告書にも掲載されている雄太の上司だった柳瀬やなせという管理職だ。当然ながら、警察は彼にも事情聴取していたという。藤子が自己紹介し話を聞きに来たと説明したところ、彼は同情してくれたらしく饒舌じょうぜつに話し始めた。

「最初は最近渡部君に変わった様子はなかったかと質問されていたのに、途中からホソイとかいう別人だと知らされて驚いたよ。単なる事故かと思っていた所に殺されたんじゃないかと疑っていたみたいだけど、結局は事故だったからホッとしたさ。いやお身内の前でそう言うのは申し訳ないけどね」

「いえ、私も理解できますのでお構いなく。ただ当初は自殺の線も探っていたようですが」

 藤子が尋ねると、彼は深く頷いた。

「そうそう。確かに他の同僚達も言っていたけど、普段より少し元気が無かったようには見えたからね。でもそこまで何か悩んでいるなんて、誰も想像していなかったと思うよ。だけど自殺なんてそんなものかもしれない。その前に分かっていたら止められただろうし」

「柳瀬さんも、弟は元気が無かったと思われましたか」

「警察にも言ったけど、どちらかといえばそうかもしれないという程度だったよ」

「仕事上で何か問題を起こしたりはしていませんでしたか」

「それはない。ただ彼が別名義を使っていた点は問題になって、あの後社内監査が入ったんだよ。そこで社内の機密情報の一部が漏洩した可能性があると大騒ぎになったから、もしかすると渡部君じゃないかって疑われたのさ。でも詳細は言えないが、アクセス履歴や持ち出した形跡も彼には無かった。あっ、これは絶対口外しないでね」

 初めて耳にした話題だ。警察には既に被害届けを出し、極秘で捜査をしているという。個人情報などでは無くあくまで疑惑の段階の為、マスコミにはまだ公表しないようだ。

「弟は関わっていなかったのですね」

 念を押すと、彼は苦笑いをした。

「これは警察も、身内の方には話していないようだね。別名義というか、本名で登録されていた家も徹底的に捜査したと聞いている。だから彼は関係ないと判断されたんだ」

「そうでしたか」

 そうした説明は受けていなかった。しかし遺族感情を考慮し、わざわざ告げる必要が無いと警察が判断したとも考えられる。ただ会社から機密情報が盗まれていたとしたら、それを知った雄太が口を封じられた可能性はないかと考えた。それが和香のいう香港の民主化運動と絡んでいたとすれば、殺されたという線が急浮上する。

 その点を尋ねると、彼は首を振った。

「それはないでしょう。警察も事故だと判断したじゃない。見ていた人もいるんだよね。それに機密情報なのは間違いないけど、人の命を奪うほど重大な問題ではないと思うよ」

「そうなんですか」

「情報の中身は説明できないけど、罰則規定から考えても殺人は割に合わないよ。不正競争防止法だと、個人では十年以下の懲役または二千万円以下の罰金刑だ。それに刑事罰を科されるケースは余りなく、大体は賠償で済む。また個人というより、不正に入手した会社が払う場合も多いしね」

 そこで和香が口を挟んだ。

「それが例えば、外国の産業スパイによるものだとすればどうですか」

 再び彼は苦笑いした。

「スパイ映画だと殺し合いに発展する場合もあるだろうけど、現実では考えにくいね。あるとすれば、個人的な恨みとか揉め事があった場合じゃないかな」

雄太の死んだ現場が別の場所だったらあり得る。ただ彼は自分が住むマンションの屋上から落ちたのだ。そうした人物と揉めていたのなら、気付かれないはずがない。それに命を狙われると分かっていたら警戒するはずだ。屋上なんて危険な所へは行かないだろう。

「でも個人的に揉めていたとしたら考えられる訳ですよね。例えばですが、彼が政治的な話をしていたことはありますか。例えば香港の民主化運動だとか」

 彼女は諦めずに食い付いていたが、軽くいなされた。

「少なくとも私は聞いた覚えがないね。それにプライベートでそういう話をして揉めていたとしても、警察が事故だと判断したんだ。考え過ぎじゃないかな」

 ここでも警察や目撃者の壁が立ちはだかる。その判断が疑わしいと思うから彼女は調べているのだ。といってそう説明する訳にもいかない。その為藤子は質問を変えてみた。

「弟は会社の人達と上手くやっていたのでしょうか」

「人間関係は悪くなかったよ。それ程目立たなかったけど真面目にやっていたし、人から恨みを買うタイプでもなかったからね」

「誰か親しくしていた人はいませんでしたか」

「警察にも同じ質問をされたけど、良く知らないんだよ。ここに勤めてまだ一年程度だし。誰とでも上手くやっていた分、特別親しい人がいたという話は聞かないよ。他の同僚達もそう答えていたらしいから」

「柳瀬さんが働いていた部署だと、人の出入りは激しかったのですか。弟は数年ごとに会社を移っていたようなので、こちらでもそういう方はいらっしゃいましたか」

「長い人もいるけど、確かに入れ替わりは激しい方かもね。仕事が出来ればキャリアアップの為に会社を渡り歩けるから。確かに彼もその一人だったな」

「他にも同じような人はいたのですね」

「ああ。結構いるよ。彼がいなくなってから入って来たのもいれば辞めた奴もいる。ここ最近でも数人は入れ替わったんじゃないかな」

「そんなにいるんですか」

 彼は苦々しい表情で言った。

「これは弟さんのせいではないけど、警察が入れ代わり立ち代わり来て騒がしかったからね。それに情報漏洩の件もあって疑われた人もいるから、居心地が悪くなった点は影響していると思うよ。最近ようやく落ち着いたんだけど」

 すると和香が再び横から口を出した。

「辞めた人達の中で、情報流出に関わった人はいますか」

 雄太の死や過去と関係がない質問をされ、藤子は苛立つ。しかし彼の顔が一瞬強張った為、的を射たのだと感じた。

「そちらの話は詳しく話せません。それに渡部君とは関係がないと言ったじゃないですか」

 その反応から産業スパイだと疑われている人物が、会社を辞めているのは間違いないようだ。そこで彼女はさらに続けた。

「雄太さんが亡くなった後に退職した人物の中で、比較的彼と交流があった人は誰ですか。情報流出とは関係が無くても、彼の死についてまたは彼がどういう生活をしていたのかなど、何か知っている方がいるかもしれません。教えて頂けますか」

 確かにそうだ。リサーチ社の調査では、主に現在も在籍している社員達が中心だった。よって報告書から漏れた可能性は否めない。彼女の鋭い指摘に、それまで抱いていた疑念が消し跳ぶほど感心した。

 藤子も頭を下げ、懇願した。

「お願いします。個人情報だということは重々承知していますが、心当たりがある人の名前だけでも教えて下さい」

「申し訳ないが、先程も言ったけど良く知らないんだよ。誰と誰が親しかったなんて余り気にしてないからさ。これ以上話せることはないから帰ってくれないか」

 彼の言葉が全て本当かどうかは疑わしいが、退職した人達に触れて欲しくないのは間違いなさそうだ。協力的だった態度が急に変わった。それでも食い下がった。

「ではもう一つだけ教えてください。辞めた人達も、弟が亡くなった件で警察から一度は事情を聞かれていますよね。それとも、その前に辞めた人がいたりはしませんか」

 彼は気の進まない様子だったが、何とか答えてくれた。

「さすがにそれはないね。あの後すぐに辞めたりしたら、余計疑われただろう。聴取が終わってある程度騒ぎが落ち着いてから、嫌気が差して辞めた奴らばかりだ。もういいよね」

 そこで藤子達は追い払われるようにして会社を後にした。その道中で和香が言った。

「最初は調査書に出ていた人達を再度当たり、今だからとか藤子さんにならと言って何か話してくれると期待していました。でもここから先は、会社を辞めた人達に話を聞いた方が良さそうですね」

「でもどうやって。今会社にいる人達から名前を聞きだせたとしても、どこにいるかまではさすがに分からないでしょう」

「そこは田北さんにお願いしてみたらどうでしょう。だって一度は警察が話を聞いているのなら、少なくともそのリストが残っているはずです」

 なるほど。その手があったか。しかも退職した人達の中に機密情報を盗み出した人物がいると疑われているのなら、その捜査でも当たっているはずだ。通常は難しいだろうが、同じ警察でも公安の人間だとすれば入手できるに違いない。

「お願いできますか。どれだけいるか分かりませんが、リストが入手できればその人達に話は聞けるでしょう。そこで何か掴めればいいんですが」

「そうですよね。まずはそこから始めましょう」

 彼女と別れ次に連絡があったのはその三日後だった。田北に依頼して何とかリストを入手したという。そこには七人の名が記されていた。だがいくつかの問題もあった。それは連絡先や住所が空欄になっている個所があったからだ。

 ホテルに尋ねて来た和香と、その点を話し合った。

「どういうことなの」

「田北さんの話では、この中の何人かは既に国外へ出てしまっているようです」

「もしかして海外に逃亡したというの」

 彼女は頷いた。

「そのようです。詳しくは教えて頂けませんでしたが、機密情報を盗み出したのはその人達なのかもしれません。警察もその線で捜査している可能性があります。ですから私達が今できるのは、国内での住所が判明している人達を訪ねて話を聞くことです」

「でも二人しかいないわよ。同じ都内だからまだいいけど」

「あとの五人全員が、海外逃亡した訳ではないようです。途中で転居したかして、今の段階では居場所を特定できていない人もいるようです。それは田北さんの方で確認ができ次第、連絡を頂けるようになっています」

 それが何人なのかまではまだ知らされていないという。それでも当たるしかない。また警察の聴取を受けてリストで渡された経緯からすれば、居場所が分かっている人は情報漏洩の疑いがないと考えていいはずだ。

 しかし香港の民主化運動の件で雄太と話をしていないとは限らない。また彼について、警察には言っていない他の何かを知っているかもしれないのだ。

 そうした期待を抱きつつ、藤子は和香と共にまず一人目の男性がいるマンションへと向かった。連絡先として携帯の番号も書かれていた為、事前に在宅しているかを確認しようと思ったが、警戒されては困ると考えアポなしで訪問することにした。

 それが災いしたのか、インターホンを押しても応答がなかった。時間はお昼前だ。どうやら留守らしい。家族と一緒に住んでいれば誰かいるだろうと期待していたが、彼は独身かもしれなかった。念の為携帯にも掛けてみたが、留守番電話に切り替わったのである。

「どうしようか」

「仕事で出かけているのか、プライべートで外出しているのかも分かりませんからね」

 申し訳なさそうに言ったが和香のせいではない。田北の入手したリストがそこまで詳しく書かれていなかったからだ。そこで出来れば連絡が欲しいと藤子のスマホの番号も告げたメッセージを残し、二人目を訪問しようと決めた。

 幸いにもその人物は在宅していた。まだ三十歳前後と若く見える彼はまだ寝ていたのだろう。ぼさぼさの髪のまま、面倒臭そうな様子でドアを開けてくれた。

「お休みの所、突然申し訳ございません」

 藤子は渡部と名乗っていた人物の身内だと説明した上で、雄太について尋ねた。すると彼も同情してくれたのだろう。玄関先ではあったが、しっかりと答えてくれた。

「僕はそれほど親しく無かったですけど、良い人でしたよ。一度システムのバグの修正に悩んでいた時、渡部さんがたまたま通りかかって声をかけてくれたんです。その時にアドバイスを頂いて助かったことがありました」

「そうでしたか。弟とは他に何か話したことはありませんか」

「仕事について少し教えて頂いたぐらいです。年も離れていましたし、僕は余り他人とプライベートの話をしないので。だから渡部さんが実は別の名前を使っていたと聞いてびっくりしました。とてもそんな事をするような人には見えませんでしたから」

 それなら誰か親しい人がいたかと質問したが、彼は首を振った。穏やかで人が良かったからか、誰とでも気さくに話をしていたという。けれど親しくしていた人がいるかと言われたら、特に思い浮かばないようだ。香港の話も聞いたことが無いらしい。

 結局彼から目新しい情報は全く手に入らなかった。

「残念でしたね」

 和香に慰められながら、どこかで昼を食べてから帰ろうかと話していた。そこで近場にあったイタリアンの店に入り、パスタなどを注文して食べ終わった所で電話がかかってきた。それは最初に訪問して留守だった男性からだった。

 残した伝言を聞いて連絡をしてきたのだろう。和香に伝えて一旦席を外し電話に出る。相手は買い物に出かけていたらしく、お昼を食べる為に一旦戻って来てメッセージに気付いたようだ。

「電話を頂いていたようですが、渡部さんの何をお聞きになりたいのですか」

 明らかに警戒している様子だった為、正直に自己紹介をした上で雄太の職場における様子を尋ねた。けれど帰ってくる答えは、柳瀬や先程の人とほとんど変わらない。期待した話は少しも聞けないまま、電話を切られてしまったのである。

 席に戻ってそう説明したが、彼女は落胆しなかった。

「まだ二人目です。それに話を聞けただけでもいいじゃないですか。後は田北さんに残りの五名の内でまだ国内にいる人の住所を確認して貰って、連絡を待ちましょう」

 そう励まされ、その日は解散をした。

 すると翌日和香から連絡があった。リストに載っていた中の一人、川村かわむら昌雄まさおという名の同僚の住所が分かったという。しかも彼は雄太と比較的親しかったらしい、との新たな情報ももたらされた。

 同じシステム関係に携わっていた人物で、会社を辞めた後一旦実家の長野に戻り、再び就職活動の為に東京へ上京したようだ。よって一時的に居場所不明となっていたのだろう。その住所を田北達が突き止めたと説明された。

 その為和香と共に、彼の元を訪ねることにしたのだ。マンションの扉を開け現れた彼は、雄太より四つ年下で独身らしい。体形は同じ位で中肉中背だが、まだ再就職先が見つかっていないからか無精ぶしょうひげを生やしていた。そのせいもあり少し老けて見える。

 突然現れた中年女性二人に、彼は驚き戸惑いを見せていた。だが、

「急に押しかけて申し訳ございません。私は以前あなたが勤めていた会社で、渡部亮と名乗っていた保曽井雄太の姉、藤子と言います。決して怪しいものではありません。ご存知ないかもしれませんが、白井真琴という名で作家をしております。もしお疑いになるようなら、ネットでお調べになって頂ければ本人だと分かるでしょう」

 そう告げると気付いたらしく、目を見開いて頷いた。

「この度はご愁傷さまです。テレビで拝見しました。あの渡部さんが、実はホソイという別名だったと聞いて驚きましたよ。しかもお姉さんが芥山賞作家だったなんて、全く知りませんでしたから」

 そう聞いて安心した。こちらの素性を認識しているのなら、余計な警戒を誘うリスクが少なくて済む。そこで言った。

「ご承知なら、何故私がここへ伺ったのかも理解して頂けると思います。横にいる彼女は、あなたと同じく昔同じ会社に勤めていた同僚の南和香さんです。今日は川村さんにお話を聞きたくて参りました。あなたは弟と親しかったそうですね」

 用件に納得したらしい彼は、軽く頷き言った。

「そういう事情なら、こんな所で立ち話もなんでしょう。中でお話ししませんか。余り綺麗ではありませんが、宜しければお入り下さい」

 そう促され、藤子達は彼の後に続き部屋に入った。間取りは一LDKでそれ程広くはない。本人が言うほど汚れておらず、一人暮らしの割には整頓されている方だと感じた。

 ダイニングテーブルが置かれた四つの椅子の内の反対側に座るよう促され、和香と並んで腰を下ろす。彼は冷蔵庫から出したペットボトルのお茶を、お客様用らしき湯飲みに注いで出してから正面に座った。

「こんなものしかありませんが、宜しかったらどうぞ」

 藤子は勧められるまま一口だけ飲んだ。四月も中旬を過ぎ、東京も暑くなり始めていた。冷房を付ける程ではないが、彼の部屋の窓は少し開けられている。よってやや冷たく感じたが、しばらく放っておけば飲みやすくなるだろう。

 そう思いながら藤子は早速本題に入った。

「弟が突然亡くなっただけでもショックなのに、別名を名乗っていたと聞かされた私達は、色んな疑問が湧きました。そこで彼がこれまでどう生きて来たのかを調べているのです。あなたが知る渡部亮という男はどんな人でしたか」

「彼と親しかったなんてどなたが言ったのか知りませんけど、話をするようになったのは去年の六月からで一年も経っていませんよ。私があの会社に転職したのは五年前ですが、彼は昨年入ってきたばかりでしたからね」

 五年前と言えば、雄太が警備会社のシステム部門に転職した年だ。

「その前はどちらの会社にいらっしゃったのですか」

「警備会社です。同じシステム部門でしたが、彼とは別の会社です。話をするようになったきっかけも、前の仕事が同じ業界だったからだった気がします。あと私も彼と同じ様に、転職を繰り返していたという共通点があったので話が合ったのかもしれません。それに二人共独身でしたしね。でもそういう人は他にもいましたよ」

 それは誰なのか聞きたかったが、まずは話を戻した。

「それでも短い期間の中で、話す機会も多かったのではないですか。一緒にお酒を飲んだりしませんでしたか」

「ありますよ。でも人当たりは悪くないですが、真面目でしたから仕事の話が多かったですね。特に彼は転職して間もなかったので、職場について色々質問されました。私の方が年下ですけど会社では先輩だったので、教えられる事も多かったからでしょう。といっても大した話ではありません」

 これまで耳にしてきた内容とあまり変わらない。それでもさらに質問を重ねた。

「プライベートの話はしなかったのですか。例えば二人共独身だから、女性関係について何か聞いたことは無いですか」

「いやあ、お互い四十を過ぎてますからね。それに私達のような専門職は、いわゆるオタクみたいなものです。その上システム部門というのは、どこの会社でも基本的に男が多かったので、女性と出会う機会も少なかったし。だから南さんでしたっけ。あなたのような異性の友人がいるなんて、全く知りませんでしたよ。隠していたのかな。紹介してくれたって良かったのに」

 川村は藤子に向けていた視線を彼女に移してそう言った。同性愛者だから紹介もしなかったのだろうし、恋愛には発展しなかったはずだとはさすがに言えない。

 話題を元に戻そうと、彼の言葉を無視して再び尋ねた。

「将来どうしようとか、結婚したいなんて話はしませんでしたか」

「結婚は諦めていたんじゃないのかな。いえ、しっかり聞いた訳じゃないですけど、なんとなくそう思います。だから老後の為にお互い貯金はしっかりしておかないと、なんて話はしていました。だから私もコツコツ貯めていますよ。特に浪費するような趣味はありませんから。それは彼も同じだったんじゃないのかな」

 天井を見上げながら呟く彼の様子を見て、ここでも収穫は望めないのかと心が折れかけた。それを察したのか、今度は和香が口を開いた。

「雄太さん、いえあなたにとっては渡部さんになりますが、何か気付いた趣味や嗜好はありませんか」

 だが彼は期待に反して首を振った。

「無いですね。彼も私と同じである意味ITオタクでしたよ。中にはゲームだとか、アニメのような二次元に嵌っている同僚はいました。でもこの世界はとても進歩が速いのです。システム部門の多くは不具合等が起きた場合の対応や、起こらないように事前対処することですが、それだけではありません。最近は他所からのハッキングからデータを守る仕事がかなり増えました。そういうセキュリティ専門の部署を創るか、外部の会社に任せる場合もありますが、私達がいたシステム部門ではそういう対応もしていました。だから日々勉強が必要になります。強いて言えばそうした専門書を含め、他に小説など良く本を読んでいた位でしょうか」

「勉強に時間を費やしていたから、他に趣味を持つことも無かったのでしょうか」

「それだけではないでしょうが、そうした要因は大きいですね。あと週刊誌なんかで色々騒がれていましたが、彼が何か犯罪に関わっていたなんてとても信じられません。他人の戸籍を使っていたのは犯罪かも知れませんが、何かしら事情があったのだと思います」

 雄太を擁護する言葉を聞き藤子は安堵していたが、和香は何故そう思うのかと尋ねていた。すると彼は言った。

「具体的にはっきりした証拠を出せと言われたら困りますが、本当に真面目な人でした。悪い事をするようには見えませんでしたし、少しでもそう感じていたら私も付き合いなんかしてなかったでしょう。限られた職場ですけど、何度か転職して色んな会社で多くの人と接してきましたから、それなりの嗅覚きゅうかくは持っていると自負しています。まあそんな私の言葉なんて、何の確証にもなりませんけど」

 それほど親しく無いと言いながらも、世間から非難されている雄太を責めない態度はとても好感が持てた。

 しかしそれを無視するかのように、彼女は次々と質問した。

「データを守る為に、外部からのハッキングを防ぐ仕事もしていたと言いましたよね。そうした攻撃は、海外からもあるのですか」

 それでも彼は嫌な顔一つせず、丁寧に答えてくれた。

「海外からがほとんどですね。アフリカを経由してロシアや北朝鮮らしきものも少なくないですが、特に近年多いのは中国です。アメリカからもありますが、そのアメリカが中国を目の敵にしているのは、そういう専門の集団がいると思われるからです」

「中国ですか。そんなに大変なんですか」

「当然です。あちらは人数も膨大ですし、政府がバックに控えているというか、国自体が仕掛けているといっても過言じゃないでしょう。それに対処していくには、相当な知識と技術が必要になります。ハッキング技術も日進月歩なので気が抜けません。だから同じ会社に長く勤めないで、転々とするのはそういう事情もあります。少しでも待遇が良い会社に移らないとやっていられませんからね。後は対策が甘い企業へ行けば最先端の知識が無くても、何とかこれまでの技術力や経験で対応出来る場合があります」

 中国と聞いて藤子はドキリとした。彼女も同じだったのだろう。雄太の過去の調査を開始してから、ここで初めて香港に通じるキーワードが出てきたのだ。

 和香はその点を更に掘り下げて質問した。

「渡部さんから香港の話を聞いた事はありますか」

「いえ、それはないですね。突然、何ですか。香港がどうしましたか」

 彼に尋ね返された和香は、藤子に視線を向けた。話していいものか、確認する意味だろうと気付く。そこで躊躇した。

 彼と雄太との付き合いは、期待していたよりも短く浅そうだ。これまで話してきた様子から感じ悪くはない。だが信頼できる人物かどうか判断できなかった。しかも慎重に扱わなければならない話題だ。

 しかし迷っている態度に業を煮やしたのか、彼女は川村に言った。

「実は渡部さんが前の会社にいた三年前、香港に出張していたようです。当時は民主化運動が激しかった頃でした。だからでしょう。正義感が強かった彼は、帰国後に現地で知り合った活動家達と頻繁に連絡を取り合い、民主化運動の支援をしていた形跡がありました」

 見切り発車した発言に慌てたが、もう取り返しがつかない。どういう反応を示すか気になり彼を注視した。

 当然初耳だったらしく目を見張っていたが、ふと何か思い出した表情をしながら首をひねった。その仕草を見て、何かあると感じたらしい和香は再び尋ねた。

「何か気になることがあるのですか」

 彼は頷いた。

「そう言われれば同じシステム部門の同僚と、そんな話をしていた所を耳にした事がありました。私は参加していませんでしたが、政治的な問題だったので珍しいと思った記憶があります。普段の彼なら、そうした話題を避けるタイプでしたからね」

「関心が無かった、ということですか」

「いえ、そういう訳ではありません。ただその手のネタって宗教問題のように、それぞれの思想に関わってくるでしょう。デリケートなものだし、下手に深く関わると厄介じゃないですか。なので余程信用できるか同じ考えを持った人じゃなければ、会話なんてしないと思いますよ」

「川村さんとはそういう関係まで至らなかったのですね」

「まだ一年足らずの付き合いでしたからね。でもその手以外の話なら、他の同僚と比べれば結構した方かもしれません。割と気が合いましたから。それで誰かが彼と私が親しいと言ったのでしょう」

 そこで藤子はやや温くなったお茶を一口飲み二人の間に割って入り、当初から抱いていた疑問をぶつけた。

「こちらにお邪魔して直ぐの時におっしゃっていましたが、弟には川村さんよりも親しい人がいたような口振りでしたね。それに、まず口にしない政治的な話をしていた同僚がいたと言いました。それは同じ人物ですか。なんという名の方ですか」

 身を乗り出すように迫ったからか、彼はややひるんだ。それでも答えてくれた。

「同じ人です。名前は鈴木すずきけんさん。年は私より一つ上でしたから、渡部さんの三つ下ですね。確かあの二人は、ほぼ同時期にあの会社へ転職して来たはずです」

 確かリストには載っていたけれど、これまで耳にしてこなかった名である。川村もそうだが、携帯の発信履歴やアドレスにさえなかったはずだ。しかし同時に別の疑問が生まれた為尋ねた。

「ということは、川村さんとほぼ同じくらいの短い付き合いだった訳ですね。しかもあなたは年下だけど会社では先輩だったから、教えられる事も多かったと言っていました。それなのにその鈴木さんの方が親しかったというのはどうしてでしょう」

「それはほぼ同時期に入った同僚でもありましたが、前の職場が同じだったからじゃないですかね」

「同じ警備会社にいた、ということですか」

「そう聞いています。鈴木さんが転職して良い職場だからと耳にした渡部さんが、後を追うように入って来たらしいですよ。別の会社でしたが、私も警備会社にいましたから似た待遇だったはずです。だから転職したというのも納得出来ました」

 この情報は大きな収穫だ。前の会社にいた時、雄太は仕事で香港に行っている。その後民主化運動に心動かされた彼が、鈴木という人物と共に参加していた可能性が出てきた。

 携帯に残っていたやり取りの相手が誰なのか、警察が調べたとは聞いていない。またその後香港との関りについても調べている田北から、特定できたという連絡はなかった。

 彼の正体が公安の刑事だとすれば、間違いなく確認するはずだ。もし海外のサーバー等を何重にも経由している等して追跡できなかったとすれば、かなり怪しいやり取りだと考えていいだろう。

 しかも相当深く関わっていたと考えられる。その相手が雄太同様システムに詳しい鈴木だったならば、雄太の死について何か知っていた確率は高い。

 そう思った藤子は更に質問を重ねた。

「その鈴木さんは、今も会社にお勤めかどうかご存じですか」

「いえ、彼は私より少し早く会社を辞めました。どこに転職したかは知りません」

「川村さんより少し早く、というのはいつですか。弟が亡くなった後ですか。それとも前ですか」

「後ですね。あの事件から警察の人が出入りしたりして、騒がしくなりましたからね。私も含め、同じ部署の人達は皆事情聴取を受けていたはずです。彼が辞めたのは、そうしたごたごたが一段落してからですよ。その後マスコミまで会社周辺をウロチョロし出しましたから嫌になったのかもしれません。私もその一人ですから」

「どうしてですか」

「面倒じゃないですか。ああ、誤解しないで下さいね。決して渡部さんが悪い訳じゃありませんよ。だってあれは事故だったんでしょ。それに先程も言いましたが、私達のような人種はある意味、閉鎖的な空間にいるオタクなんです。個々人が黙々と仕事をこなせる環境じゃないと落ち着かないんですよ。鈴木さんも同じかどうかは知りませんけど、私はそれが理由で辞めました。それにあの会社では五年勤めましたからね。潮時だったというのもあります。そろそろゆっくりして、他の所へ移りたいと思っていたところでしたから」

 彼が言うには、三年から長くて八年程度で職場環境に飽きるらしい。待遇条件もだいたい分かって来るのでより良い会社に移ろうと思い始め、自然とそうしたローテーションになるそうだ。

 その後は今回の様に失業給付金が出るからと、少し期間を開けて再就職先を探す時もあれば、条件の良い会社から声がかかった場合などだと間を開けず転職するケースもあるという。

 確かに雄太の転職履歴を振り返ってみても、三年から五年で職場を変えていた。次の職場に移るまで、間隔が空いていた場合とそうでない場合もあった。恐らく川村と同じような理由だったのかもしれない。

 そう考えながら、藤子はまた別の思いを抱いていた。

 彼の口調は淡々としていながらも、言葉の端々に雄太を偲ぶ気持ちが感じられた。それ以上に突っ込んだ話題に触れたからだろうか。初めて会った気がしない程、短時間で打ち解けられた気がする。

 こういう人柄だから雄太と親しくなれたのかもしれない。最初は信頼してよいものかと疑った自分が、恥ずかしくなった。もしかすると和香が香港の件を切り出したのは、この人なら大丈夫だと直感したからかもしれない。

 そう思っていると、しばらく聞き役に回っていた彼女が話題を変え質問した。これまで会った人達に必ず聞く点だ。

「川村さんは、いつ渡部さんが亡くなったと知りましたか」

「会社の上司から連絡事項として聞いたのが先だったかな。丁度ニュースでも取り上げられていたので、ほぼ同時だった気がします」

「それは亡くなった当日、ということですね」

「はい。あの日は確か彼が休みの日でした。だから朝から出勤して来なくても、不思議では無かったんです。でも警察から会社に連絡があったらしく、皆に知らされました」

「つまり川村さんは、あの日勤務していたことになりますね」

 これは関係者のアリバイを確認する為、事前に用意していた会話の流れだ。警察でもない自分達が、自然に聞き出すにはどうすれば良いかと考えた方法だった。

 彼は何の疑いもなく頷いて言った。

「はい。基本的には朝の九時からですけど、八時半には出社していました。彼が亡くなったのは、朝の八時頃だったようですね」

「そうです。近所の小学校の登校時間でしたし、巻き込まれて怪我をした女性の証言からも、間違いはないようです」

 あの会社から現場のマンションまでは、電車だと少なくとも一時間弱はかかる。車で移動したとすれば、時間帯からして渋滞などに引っかかる可能性が高い。よって一時間以内で着くことは無理だと、警察も事前に確認していただろう。

 彼らは事情聴取を受けたと言っていたが、そうしたアリバイ確認もされているはずだ。つまり雄太の死が殺人だったとするなら、あの会社に出社していた社員が犯人である可能性はまずない。

「そういえば鈴木さんという方は、その日出社していましたか」

「していましたよ。あの日システム部で休んでいたのは、有給休暇申請を出していた彼だけだったはずですから。他の部署の人までは分かりませんけど」

 彼らの会社は週休二日制だが、基本的に休みは部署によってまちまちだという。システム部門は比較的出社している社員が少ない土日や休み前の金曜日にメンテナンス等の業務を行う為、出社している場合が多いらしい。

 休みはそれぞれ交代で、平日に二日休んでいるそうだ。それでも用事などがあれば代休を取るか、雄太のように有給を取得する社員も少なくないと説明された。

 彼の言葉が本当なら、川村よりも雄太と親しかった人物のアリバイは成立している。よって鈴木は殺人犯でなく、雄太の死にも直接関わっていないようだ。それでも川村から得た情報以上の何かを知っていると思われた。しかも香港にまつわる話をしていた点は聞き逃せなかった。

 しかしその後いくつか質問をしたが、目新しいものは見つからなかった。その為藤子達は話を切り上げ、彼の部屋を出ようとした。

 すると彼から意外な申し出があった。

「余りお役に立てなくてすみません。お二人は、渡部さんが何故別人の名をかたっていたのかを調べていらっしゃるんですよね。それに、どうやら事故死ではないかもしれないと思っているのではないですか。彼との付き合いは短かった事は確かですが、友人だったのも間違いありません。ですから会社は辞めてしまいましたが、もし今後昔の同僚達から彼の話を聞いたり、私も何か思い出したりすることがあればご連絡していいですか。少しでもお役に立ちたいと思います。私に協力できることがあれば仰ってください」

 そこでどうしようかと迷い和香と顔を見合わせたところ、軽く頷いたので了承することにした。しかし彼女の連絡先を教えるのはどうかと考えた為、藤子は言った。

「有難うございます。では私の連絡先をお伝えします。もし何か新たに分かったことがあれば、ご連絡ください」

 そうして互いの電話番号とメールアドレスを交換した。彼のマンションから離れた後、念の為にと和香にも彼の連絡先を教える。 

 その時彼女は思い出すように口を開いた。

「一度聞いてみたかったのですが、いいですか」

 突然トーンを落とし殊勝な口調に変わった様子に戸惑いながらも頷くと、意外な質問を受けた。

「白井先生は、作家さんになるのが夢だったのですか」

 そうじゃないと首を振り、デビューするに至るまでの経緯を簡単に説明した。彼女は納得した様子だったが、さらに尋ねてきた。

「想像していたよりずっと有名になられましたが、今は幸せですか」

 これには直ぐに答えられず、思わず黙ってしまった。正直痛い所を突かれたからだ。

 必死に物語を紡いでいた頃の幸福感が今もあるかと考えれば、贅沢な悩みかも知れない。けれど首を振らざるを得なかった。

 藤子の躊躇する態度を見て彼女は言った。

「雄太さんの事件があったからですか」

 これには即答した。

「それは違う。事件が起こったから、答えられないんじゃないの。ただ自分が描いていた将来とのギャップが埋められずにいるだけ」

 これ以上掘り下げると失礼にあたると思ったのか、彼女は話題を戻した。

「今度は鈴木健という人物の住所を、探らなければならないですね。香港の件で話していたのなら、雄太さんが携帯でやり取りしていた事と何か関係があるのは間違いないでしょう。ただアリバイがあるとなれば、少なくとも実行犯ではないようです。それでも他に協力者がいれば話は変わってきます。いよいよ本筋に近づいて来たのではないでしょうか」

 香港問題で殺されたと信じている彼女にとっては、そう感じたようだ。

「田北さんに頼んで鈴木の居場所を探して貰いましょう」

 そう言い残した彼女とは、その場で一度解散することになった。

しかし現実に引き戻された藤子はまだ信じられなかった。いや信じたくなかったという方が正しいかもしれない。川村が言ったように雄太は真面目だが用心深く、政治の話を気楽に話すタイプではなかったはずである。

 とはいうものの、別名義を名乗って周囲を欺いていたのも事実だ。藤子の知らない一面があった現実に目をつぶることは出来ない。信用したいけれど、彼について余りにも知らなすぎる事実の存在により自信が持てないというジレンマに陥った。

 そうしたやりきれない思いがあるからだろう。部屋に籠っている際、お酒を飲むようになっていた。ここ数年なかった習慣が身に付き、これまで相当節制していた体重もやや増加傾向にあった。

 そうしている間に、ホテルの庭ではアジサイの花が咲き始めていた。遺産放棄の期限まで後一ヶ月を切っている。そろそろ兄との協議に入るかどうか、結論を出さなければならない。その上で放棄手続きをするか決める必要があった。

 悩みが解決しないままでいると、鈴木健の居場所が分かったとの連絡が田北から和香を通じて入った。しかも雄太の死についても、新たな情報がもたらされたのである。

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