1章2節:最速の女騎士

 スラムでの強盗という「ありふれた出来事」を経てまた少し道を行き、酒場を兼ねた冒険者ギルドが見えるところまで辿り着く。

 場末の酒場らしく部分的に腐朽してしまっている木造建築の前には、なにやら人だかりが出来ていた。

 朝から酔っ払っている人間や獣人、半魔の男たちの輪の中には、あまりにも場の雰囲気に似つかわしくない人物が居る。

 赤髪を左右で束ね、脚や肩などを露出した軽装の美少女、リーズだ。

――いや、服装については私も人のこと言えないんだけれど。


「良い面してんねえ、お嬢ちゃん。なあ、俺たちと遊ばねえか?」


 お約束じみた台詞を吐きながらニヤニヤしている男たちに絡まれているリーズは、不機嫌さを隠そうともせず彼らを睨みつける。

 私ならばこういった状況でも愛想笑いしていられるのだけれど、あの子はとにかく正直過ぎるのだ。


「遠慮しておくわ。気持ち悪い」

「ギルドが出してるカス依頼よりもっと楽に稼げる仕事を教えてやるぜ。そのエロい身体をちょっと使うだけでいい。どうだ、やってみねぇか?」


 輪の中に居る、身長二メートルを超える屈強な男がリーズの手を掴もうとするが、彼女はそれを無遠慮に振り払って距離を取った。

 王国を出奔してから五年経っても、未だに彼女は「ラトリア王国の近衛騎士である」という自己認識を抱いている部分がどこかにある。

 そのため、少しでも気に入らない者に出会うといつもこうして過剰に敵対的な反応をしてしまう。


「……ゲス。汚い手で触らないでよ」

「おい、なんだぁその態度は。女の癖に」

「女だから何だって言うの?」

「……ヒヒッ、良いぜ。飽くまでそういう態度ってなら、ここは力でスラムの流儀ってやつを分からせてやらないとなぁ? 少しくらいはやれるんだろ、お前」

「少なくとも、あなたよりは」

「あ~、その生意気な口に『ごめんなさい』って言わすところを想像するとゾクゾク来るぜ。おいお前ら、そこで見てな」


 ならず者たちが口の端を吊り上げながら、殺気立っている男とリーズの両方から距離を取る。

 その様子を、もっと離れたところから眺めている私とライル。

 なんというか、彼女はああいう性格なので、これも「よくあること」なのである。

 あれで戦闘力が情けなかったら、完全に「くっころ系女騎士」というやつになっていただろう。

 現代社会に居た頃のミームを思い出して私は笑っているが、ライルはこちらとリーズの方を交互に見て慌てている。


「ぷぷっ、ウケる。リーズちゃんってば、いつもツンツンしてるもんだからまた知らんチンピラに喧嘩売られちゃってる。私ならダルいから適当にニコニコして誤魔化すのに……」

「ちょっと、なに笑ってんだよリア。助けたほうがよくねぇ?」

「リーズちゃんが負けると思う?」

「いや、思わないけどさぁ……」

「じゃあ黙って見てようよ。話の通じないチンピラ共なんてのはビビらせておくくらいでちょうど良いんだよ。ま、最悪『うちの子』を使えばどうとでもなるだろうし、安心してよ」


 ライルが肩をすくめて「へいへい、お姫サマ」なんて言いながら、リーズが腰から下げている剣を見た。あれは私の所有物なのだが、こうして彼女に貸し出していることが多い。

 もっとも、この程度の相手じゃ抜剣するまでもないと思うけれど。


 そんな会話をしていると、男が背負っていた分厚い鉄板のような大剣を構え、臨戦態勢を取った。

 彼はぱっと見では人間に近いものの、その身長や異常に発達した筋肉、長い耳から察するに、恐らく人間とオークの血が混じっている半魔だろう。

 先に見かけたハーフゴブリンの死体と合わせて、ほぼ人間しか住んでいなかった筈の王都が大きく変わってしまったことを強く実感させられる。


「殺しはしねえよ、女。腕と脚ぶった切って傷を治療して、生きたまんま可愛がってやる」

「私もあなたも殺すつもりはないわ。汚らしい血を浴びたくないもの」


 互いに挑発し合うハーフオークとリーズ。

 先に動いたのは前者であった。

 いわゆる「オーク」というと、元の世界における創作物内では「鈍重な雑魚モンスター」として描かれる機会が多い。だが少なくともこの世界のオークは優れた筋肉とそれを支えられる体力を両立していることが多く、つまりは現代人としての私がかつて抱いていた印象に反して、非常に素早いのである。

 圧倒的な瞬発力から繰り出される踏み込みによって、男は砂埃を上げながら一気に距離を詰めた。

 普通ならば回避など間に合わず、持っている鉄塊に上から叩き潰されて終わりだろう。


 だが、あの子はもっと速い。


「……《加速アクセル》」


 リーズがそう詠唱した瞬間、彼女は既にハーフオークの背後に周り、方向転換まで済ませていた。

 《術式》の効果自体は私が使用出来るものと全く同種だが、詠唱から発動までの時間、発動中の加速力ともにこちらを凌駕している。

 とはいえ男の方も幾らか戦闘経験があるのか、表情には焦りが見られるもののすぐに振り返り、虚空に向かって振り下ろしかけた大剣を強引に横薙ぎにした。

 リーズは即座に反応し、《加速アクセル》を二回連続で唱えた。

 残像が地面と平行になっている大剣の上にまっすぐ移動する。そして大剣の上で一度目の《加速アクセル》の効果を無効にした上で、二度目の発動で真上に向かって飛翔。

 剣を踏まれてよろめいているハーフオークの頭に自由落下しながら足を向け、思い切り蹴りを入れた。

 《加速アクセル》は「一定時間、高速で前進する」《術式》ゆえに任意の地点で効果をキャンセルするのが凄まじく難しいのだが、リーズはそれを当たり前のようにこなしてみせるのであった。


「痛ってぇ……俺が、真人間のメス如きに……!」


 男は片手で頭を押さえながら後ずさりした。

 《術式》によって強化されていない人間ならば最悪、頭蓋骨ごと脳が潰れていただろうが、オークらしい頑強さを引き継いでいるのか軽い脳震盪で済んでいるようである。

 その後、彼は怒りのままに何度か剣を振るうが、まるで当たる気配がない。こうなってしまってはもう終わりだろう。

 戦いにおいて感情に身を任せるのは飽くまで最後の手段であり、早々にそこに行き着いてしまうのは悪手である。

 男がゆっくりと剣を振り上げて隙を見せると同時、リーズは《加速アクセル》によって接近、脂肪と筋肉に覆われた分厚い腹に小さな拳を突き立てる。


「どうした、そんな可愛いお手々で何を――


 ハーフオークが言い終わる前、リーズが《衝破インパクト》と唱えると、「可愛いお手々」を打ち込まれた巨体がより巨大な質量に弾かれたかのように吹っ飛んでいき、ごろごろと情けなく地を転がっていった。

 《衝破インパクト》は肉体や武器を用いた攻撃の威力を概念的に増幅する《術式》であり、それによってリーズは本来の筋力を超越した打撃を繰り出したのだ。


「はぁ……疲れたわ」


 周囲のならず者や浮浪者たちが狼狽える中、彼らに囲まれているリーズはただ呆れたようにため息をついて服の埃を払うのであった。

 さて、そろそろ声を掛けてあげようか。

 私は気まずそうにしているライルの手を引いて、ニコニコしながら彼女の傍に駆け寄っていった。


「わ~、流石だねリーズちゃん。別に剣を使ったって良かったのに《術式》だけで倒しちゃうなんて」

「ふふん。どうですか、リア様。剣を使ったら殺してしまうかも知れないので、面倒ですが頑張りました!」


 腰に手を当ててドヤ顔を見せてくるリーズ。この子は昔から私が褒めると素直に喜んでくれるので、とても可愛らしい。

 私が「偉い偉い」と言いながら自分より少し身長の高いリーズの頭を撫でていると、彼女はふと何かに気づいたようにこちらをジト目で見てきた。


「……っていうか、もしかして見てたんですか?」

「うん。なんか面白そうだったから」

「はぁ~~!? 助けて下さいよ~、もう、あなたって人は!」


 目を瞑りながら両手でポカポカと私の肩を優しく殴ってくるリーズ。本当にいじり甲斐のある子だ。


「いやぁ~殴らないで~、不敬だぞ~」

「都合の良い時だけそういうこと言わないで下さい! ライルも見てたなら何とかしなさいよ!」

「俺はちゃんと『助けたほうがよくね』って言ったぜ……でもリアが……」

「リア様の意地悪を咎めるのはあなたの仕事でしょ?」

「そんな仕事引き受けた覚えはねー!」

「まあまあリーズちゃんもライルもその辺で。さ、早く店に入ろ?」


 私たちは適当にじゃれ合いを切り上げ、見かけ上は殆ど酒場でしかない冒険者ギルドへと入っていった。


***


 冒険者ギルドとはその名の通り、冒険者の情報管理や依頼斡旋などを行っている組織であり、冒険者はギルドを利用することで「依頼主との直接的なコンタクト」というトラブルの原因になりがちな手間を回避出来るようになっている。

 そして、それらの仕事の対価として依頼主から依頼掲載料を受け取り、更に成功報酬の何割かを仲介手数料として差し引いている。

 各国に支部が存在するがその規模感はまちまちで、たとえば王都の中心街に存在するものは、多数の事務員が朝から晩まで多くの冒険者への対応を行っている。

 一方で、ここみたいな「ギルドとしての仕事だけじゃ稼ぎが足りないから別種の店も兼ねてる」なんてところもある。

 とはいえ、どちらも同じ冒険者ギルドであることには変わりないから、仕事探しの場としては一定の信頼が持てる。

 いや、むしろこういった場所だからこそ、他の冒険者パーティが避けるような依頼、或いはそもそも大手ギルドが掲載したがらないような後ろ暗い依頼が転がっていることが期待出来るだろう。

 私はそういうものを求めているのだ。力なき者の怨嗟が込められた依頼を。


「ごめん、リアはライルと依頼見てて……ちょっと休んでるから」


 店に入って他の客が全く居ないのを確認するや否や、リーズが椅子に腰掛けて無警戒にぐったりし始めた。

 《術式》を短時間のあいだに連発したため、少し疲れているのだろう。

 リーズは《加速アクセル》の天才だが、《術式》全般に関して言えばむしろ不得手なので、鍛錬と実戦を重ねた今になっても体力を消耗しやすい傾向にあるのだ。

 私は彼女を見て「分かったよ~」と言うと、ライルと共にカウンターの傍にある掲示板を物色し始めた。


「ライル~、なんか面白そうなの見つけた?」

「うーん、『供給不足に陥っている薬草の採取』……は、やりたくないか」

「そりゃ、そんなのは新人冒険者がやればいいし」

「『郊外の洞窟に巣食っているゴブリン討伐』とか。まだ被害は出てないっぽいが」

「別に嫌いじゃないけど、その辺に居る荒くれ者たちにやらせるべき仕事じゃない? ほら、さっきのハーフオークとか暴力だけは得意そうだし」

「えっと……じゃあ、これとかどうだ? かなりキナ臭くてリア好みだぜ」


 ライルは掲示板の端にひっそりと釘で留められた紙を指差した。

「この辺りのスラム街で住人の失踪が多発しているので、それを解決し、可能であれば居なくなった者の行方も突き止めて欲しい」といった旨の依頼が書かれている。

 ふむ。ここに書いてある内容だけを見るに、ならず者や浮浪者だらけのスラムならよくあることだと思うのだけれど。

 あくびをしながらライルの顔に視線を向けると、彼は話を続けた。

 

「ほら、五日前から王都に滞在してる訳だけれど、その間ずっとこの辺で情報を集めてたんだよな、俺。『表側の人間』の話を聞くだけじゃ分かんないこともあるからさ」

「おお、流石は我がパーティの情報収集担当」

「で、どうも数日ごとに『一夜にして数十人単位でゴッソリ居なくなってる』ってことが繰り返されてるらしいんだよ」

「ふーん……そりゃ普通じゃないね」


 なるほど、散発的かつ小規模でないというのなら確かに不審だ。斬り刻むべき悪の腐臭が漂ってくる。

 裏で組織的な陰謀が企てられている可能性が高く、もし本当にそうなのであれば、なんとも潰し甲斐がある。


「恐らくは奴隷商人の差し金か……それも、そこそこ規模の大きい連中のな。半魔が普通に暮らしてるようなスラムだから、あの手合いが紛れ込んでいてもおかしくないさ」

「だろうね。じゃあ、そこに居る店主のおじさんに詳しい話を聞いてみよっか」

「そうだな……あ、でも紹介しといてアレだけどさ、よく見たら報酬は結構安いぜこれ」


 ライルは張り紙の下の方に書かれた数値に視線を向けると、退屈そうに肩をすくめた。

 私たちは商人に対して結構な額の貸付を行っており、必要に応じて引き出せばいいので生活に余裕がない訳では決してない。だがライルは貧しいことの苦しみをよく知っている為か、金に対する執着を見せることが多いのである。


「五千レヒトか~、宿とご飯の質さえ気にしなければ、私たち全員分の生活費一ヶ月分といった所かな? まぁスラムの自警団からの依頼みたいだし、上限としてはこんなもんじゃない?」

「正直『この内容ならもっとカネを出せないのか』って思っちまうな」


 そんなことを言っていると、いつの間にか体力が回復していたらしいリーズが傍まで歩いてきて、見慣れたツンツンした表情でライルの肩を小突いた。

 この後で彼女の説教が始まるのがいつもの流れなので、ライルの方もウンザリした顔をしている。


「盗賊みたいなことを言うものじゃないわ。私たちは騎士よ。誇りというものを胸に抱いていなければならないわ」

「元騎士、な? クソったれ王家から捨てられたんだから、俺たちはもう一介の冒険者でしかねえよ」

「なっ! あなた、王家を侮辱するの!? 悪いのは魔族共であって王家自体に罪は……」

「いや普通にクズだろ。誰のせいでリアやあの人があんな目に……」


 あ~あ、また始まった。

 昔からずっと「自分や自分にとって大切な人間に報いない連中への忠義なんて無い」と語っているライルと違い、生真面目で騎士としての矜持を手放しきれないリーズは今でも王家に一定の忠誠心を抱いている。

 ライルという少年は、かつて騎士団長であるウォルフガングに才能を見込まれて近衛騎士団に入ったが、実のところはスラム生まれであり、生活と自分の居場所の確保の為にやっていたに過ぎない。

 対してリーズは「一応は」貴族の娘であり、「騎士として王国と王族を守る」という強い目的意識を持って入団している。そんな境遇の違いから生まれる価値観の差異ゆえに、たびたび喧嘩をしてしまうのだ。

 二人とも私より一歳年上な筈なんだけど、なんだか大人げがない。そこが可愛いのだけれど。


「まあまあ落ち着いてよ二人とも。このあと店主からも話を聞くけれど、その依頼、受けるつもりで居るよ」

「良いのかよ、リア」

「確かに報酬は微妙だけど、私たちは別にお金の為に戦ってる訳じゃないんだ……誰かを虐げている悪が居るならば斬る。それが私たちの生き方でしょ?」


 私がそう宣言すると、二人は気まずそうにして黙った。

 一応、この冒険者パーティのリーダーは私だし、それ以上に彼らの中には未だに私個人に対する忠誠心が存在しているようなので、基本的にはこちらの決定に従ってくれる。


「分かったよ。全く……あんたも、それにウォルフガング先生もどうかしてる。金がなきゃ世の中クソだぜ」

「金があったって世の中はクソだよ」

「もう、ライルはともかくリア様までそんな汚い言葉遣いして……ほら、話を聞くんですよね、行きましょう」

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