第1章:《ヴェンデッタ》

1章1節:あれから五年

 あれから五年が経過し、私は十七歳になった。

 公的には「王都占領」の日に死亡したことになっているので、今は「アステリア王女」ではなく「冒険者リア」として生きている。

 実際、少しばかり剣術に長けていただけの内気な王女はとうの昔に死んだ。今、ここに居るのは悪を狩る外道だけだ。


 ゆっくりと豪奢な屋敷の廊下を歩いていく。

 傍らで死んで床を汚している衛兵たちには目もくれない。

 初めの頃は人を殺めることに心を痛めていたものだが、この五年で様々な経験をしてきた私の良心は既に麻痺してしまっていた。

 少し進んで目的の部屋の前に辿り着くと、扉を無遠慮に開け放つ。

 中は書斎となっていた。テーブルを挟んだ向こう側では身なりの良い男性が椅子に座り、こちらを見て怯えている。

 私は、刀身が青黒く煙のようにうねっている片刃剣を彼に向けた。本来ならば市販のロングソードよりも重い剣だが、今は「特別な能力」のお陰で《強健フォース》抜きでも片手で軽々と扱えている。

 いかにも「貴族です」といったような風体のその男は、私の目を見て早口でまくし立て始めた。


「く、くそっ……愚鈍な平民共め、私に殺し屋を差し向けるとは正気か! クズ共め、領地に住まわせてやっている恩を仇で返すとは!」


 ちょっと一人で数十人の衛兵を葬っただけの可憐な美少女である私に「殺し屋」とは、失礼なヤツだ。

 剣の切っ先は固定したまま、わざとらしく微笑んだ。知らない人にはよく「笑顔が可愛いお嬢さんだ」と言ってもらえるけれど、仲間には「笑ってる顔が一番怖い」と言われる。

 この貴族は今、どっちの心境なのだろう?


「いや、私って一応は冒険者なんだけどな……で、民が愚かだって? 愚かなのはきみでしょ。自分の国の領民を人身売買組織に売り飛ばして稼いでた領主さん」

「そんな程度の理由でなぜ、この私が襲撃されねばならんのだ……!」

「最初は裁判で公的に裁こうとしてたらしいのに、きみが権力と金で封殺するからこうなったんじゃない」

「領民の命は領主のものだ、私の財産なのだ! 金に変えて何が悪い! 偽善者の外道風情に私を否定する権利などないわ!」


 既に自らの悪行が周知のものになっていると察しているのか、開き直ってこちらを責めてくる貴族の男。

 最期の最期までシラを切れば生き残れる可能性がほんの僅かでも生まれるかも知れないのに、どうも良い身分の方々というのは不器用である。

 さて、別にすぐ殺してしまってもよかったのだけれど、「偽善者」と言われたのがちょっと癪に障ったので訂正しておく。


「……私、別に人を救いたくてやってる訳じゃないよ? ただ人身売買組織の体の良い取引相手となって、連中の懐を肥えさせるのが気に入らないだけ。きみのような人間がいるからああいう連中は潰しても潰しても湧いてくるんだ。だから、死んでね」


 言いたいことを言い終えておもむろに近づいていくと、男は恐怖して逃げるように椅子から立ち上がり、部屋の隅に縮こまる。

 先程の威勢はすぐに消え失せて、あろうことか命乞いを始めた。

 強がらずに最初からそうしていれば良かったのに――どっちにしても、聞き入れてあげる気はゼロだけど。


「く、来るな! そ、そうだ、金をやろう! 五百万……いや千万レヒトでどうだ? 領地も分けてやろう! こんな浅ましい仕事をせずともしばらく遊んで暮ら――


 話し終える前に、彼の頭部が転げ落ちていく。

 もうこの屋敷に、私以外で生きている者は居ない。


「はぁ……お金だけが目当てならこんな仕事やってないって」


 血振るいをしながら、そんなことを吐き捨てた。

 さあ、これで仕事は終わりだ。しばらくこの国は混乱に陥るだろうが、後のことは私に依頼をした連中がどうにかすればいい。アフターケアなど知ったことではない。


***


 とある小国における領主殺しの依頼を解決した私は馬車を利用し、「別の国」のスラム街に存在する質素な宿に帰った。

 そして翌日、ひどく寝覚めの悪い朝を迎えるのであった。

 自分がまだ「アステリア第三王女」だった頃の記憶を夢で見てしまったのだ。

 大半のクソな思い出と、ほんの僅かな愛おしい思い出。後者があるお陰で前者の苦痛がより引き立つ。

 恐らくはベッドの質が悪すぎる為、身体に負担が掛かってこんな悪夢に苛まれたのだろう。

 請け負っている仕事の性質上、それなりに稼ぎはあるのでもっと良い宿を普段使いすることも可能なのだが、こちらに対して恨みを持つ者による襲撃を避ける為にあえて目立たない安宿を利用しているのだ。

 仕方のないことだとはいえ、王宮のふかふかベッドが恋しい。当たり前の話だけれど、人間関係はともかく生活面で言えば王女だった頃の方が圧倒的に恵まれていたな。


 私が寝ぼけ眼を擦っていると、ギリギリ肩に届かないくらいの長さの金髪を持つ少年、ライルが声を掛けてくる。

 今は、かつて私を助け出してくれた三人の元・王国近衛騎士団員と共に冒険者パーティを組んで、各地を渡り歩きながら活動しているのである。


「おや、お目覚めかい。アステリア殿下」

「いつも言ってるけど、私たちしか居なくても『殿下』って呼ばないでよ。今はもう公的には王女じゃないんだから」

「あ、悪い。なかなか癖が抜けなくて。それにしても、警戒心が強いリアが寝坊なんて珍しいな」

「あ~……ごめん、ちょっと疲れてるかも。このベッド、下に何も敷いてないし毛布も無くて寒いし酷すぎ……」

「料金を考えりゃ仕方ないけど『野宿するよりはマシ』ってレベルだよな……で、どうするよ。疲れ気味ってことなら今日は休んでて良いんだぜ? リーズと二人っきりでイチャイチャしてくるから」

「いや、私も行くよ。リーズちゃんは私のものだから取られたくない」

「そうかい。まぁ、美少女二人と一緒に居られるってのもそれはそれで良いけどな」


 ウザったい感じの台詞を吐いてニヤニヤ笑うライル。

 成長によって見た目が格好良くなった彼だが、普段の言動は元の世界の言葉で表現するならば「チャラく」なっている。時々鬱陶しく思うこともあるけれど、とはいえ本質は昔と変わらずヘタレのままなので色んな意味で安心している。

 当然、気の強い赤髪の少女――リーズと付き合っている訳でもない。近衛騎士だった頃から好意がありそうな気配はしていたが、いつまで経ってもそれを伝えようとしないのだ。情けないヤツ。

 それはさておき、私はゆっくりベッドから起き上がり、すぐ傍に置いてあった形の違う三本の剣と鞘を右側に一本、左側に二本、腰のベルトに吊り下げた。

 扉すら存在しない部屋を出て狭苦しいロビーを見てみると、受付で居眠りしている店主を除けば、私たち二人しかここに居なかった。


「さっき『リーズちゃんと二人っきりで』って言ってたけど、本人とウォルフガングは?」

「リーズはさっき依頼を探しに冒険者ギルドに出掛けたばかりだ。ウォルフガング先生は『東部の山地にドラゴンが出た』ってことで、一人で遠征しに行っちまったよ」

「はぁ。もう七十歳手前なのに相変わらず無茶苦茶だなぁ、あのおっさん」

「むしろ最近は一人で依頼を遂行するようになって余計に無茶をしてるような……もしかして、俺らのこと足手まといだって思うようになっちまったのかな……」


 ライルが俯いてしゅんとした。

 ウォルフガングに推薦されて騎士団入りした彼は、私たちの中でも特にあの人に対して深い恩義を感じている。そのぶん頼られないことを不安に思っているし、一方で「ウォルフガングが居ればなんとかなる」という甘えも残っている。

「むしろ私たちが成長したからこそ自立を促す為に突き放している」なんてことはライルも分かっている筈なのだけれど。


「……さ、行くよ。不器用なおっさんのことなんか放っておいて、私たち三人で頑張ろっか」

「あ、ああ。そうだな……」


***


 宿の外。見渡す限り、いたるところに瓦礫や廃材などが散乱している。道らしい道は存在せず、廃材を利用して作られた不格好な小屋が無秩序に立ち並んでいる。

 いわゆる「スラム街」というやつである。

 扉もない小屋や半壊状態で放置された家屋の陰から、浮浪者たちが好奇の目でこちらを窺ってくる。

 人間。エルフ。獣人。そして異形の特徴を持つ者たち――ここに居る連中の大半は薄汚れていて痩せている。身体の一部を喪っている者も目につく。

 輝く太陽は道端に転がっている「人間のような肌をしたゴブリン」の死骸を照らしており、腐臭につられて虫が集っている。

 このおぞましい風景だけを切り取った時に、ここがラトリア王国であると気付ける者は多くないだろう。

 実のところ、王都占領から二年後に大規模な奪還作戦が行われたのだ。

 私たちをはじめとする有力な冒険者パーティが数多く参戦したのもあり、戦いには勝利。人間は象徴的国家と種族としての誇りを取り返すことに成功していたのである。

 王都から《魔王軍》が一掃されたのを知るや否や、私とエルミアお母様を見捨てた王族たちはすぐに戻ってきて、多額の資金を投入し街並みの復旧を急がせた。

 とはいえ三年では元に戻すにも限度というものがあり、表通りから離れたエリアには今でもこうして戦闘の爪痕が残っているし、そういう場所は外郭にある城壁も広範囲にわたって破壊され尽くしているので、余所者が侵入し放題になっている。

 すると必然的に国内外の貧困層が種族を問わず流入し、治安を悪化させる。

 治安が悪化すると労働者に対する暴力や略奪が横行するため、街並みや城壁の復旧作業が困難になっていく。

 そんな悪循環を経て、こうして「人間族の権勢を象徴する一大国家」に似つかわしくないスラムを形成してしまっているという訳である。

 王都奪還以降、私たちは定期的に戻ってきているが、その度にかつての風景とのギャップを感じている。無論、王都に定住している者たちはとっくに適応しているのだろうけれど。


「やれやれ、まさか王都がこんなになっちまうとはな。未だに慣れないぜ」

「魔族と他の種族の子供……いわゆる『半魔』まで居るもんねぇ。あんなの昔だったら街歩いてただけで捕まって処刑だったよ。どっちの時代が良いのかはさておき、ね」


 とりとめのない話をしつつもしばらく進むと、隣を歩いていたライルが、ため息を吐きながら私の肩をぽんと叩いた。

 意図は分かっている。昔の私ならば慌てていただろうが、今はもう慣れている。

 後ろから足音。一人。悪意がダダ漏れだ。

 私は振り向きざまに腕を振り上げ、こちらの背中をダガーで狙っていた男の手を打った。衝撃で彼の手から武器が離れ、空を舞う。

 それをキャッチすると、私はそのまま何の躊躇いもなく正確に、男の片手の小指に向かって振るった。


「ぐ、ぎゃあああああああッッッ!!!」


 指から血を流し、悲鳴を上げてどこかに逃げ去っていく男。

 ボロボロな服装からしてこの辺りに住んでいる浮浪者であり、こちらを世間知らずな旅行者か新人冒険者か何かだと勘違いして金品目的の殺しを行おうとしたのだろう。

 ダガーをぽいっと放ると、ライルは呆れ顔でこちらを見た。


「リア……何もそこまでやらなくても。あの雰囲気からして相当、生活に困ってただろうし」

「どんな理由であれ私を傷つけようとしたんだから、これくらいの報いは受けてもらわないと。むしろ殺さなかっただけ優しいと思って欲しいな」

「はぁ……全く、あの大人しい美少女がどうしてこうなっちまったんだか」


 冒険者を始めて以降、何度か窃盗や暴行の被害に遭いそうになっては撃退したことがあるが、私はその際に必ず犯人に代償を支払わせてきている。

 無益な殺しはしないけれど、ひとまず幾らかの報いを受けさせるくらいの権利は与えられていると考えている。

「奪う・奪われる」の関係が成立した以上、あとは自己責任の実力勝負なのだ。上手く奇襲出来ない方が悪い。こちらの攻撃を回避出来ない方が悪い。ただそれだけ。

 それに、飽くまで自分自身のための流儀とはいえ、手を出してはいけない相手を覚えることは本人らの為にもなるだろう。人を襲うことを生業にするなら、勝てるヤツを見分ける嗅覚は必要という訳だ。

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