0章3節【0章完結】:王都脱出、そして――

 一旦、王宮の上階に上がって外を見下ろすと、既にこの場所は魔族に包囲されていることが察せられた。騎士たちも頑張ってくれていたのだろうが、どれだけ殺してもその数の多さゆえに殺し切れず、幾らかはここに到達してしまうのだろう。

 今の私がすべきことは「魔族共を一体でも多く殺すこと」ではなく「お母様を守ること」である。敵との遭遇は避けられないとはいえ、可能な限り安全な道を行くべきだ。

 それを確認すると、私はすぐに一階に降りてお母様の手を引きながら裏手の出口に向かった。

 そこにはさっき見かけた騎士のうちの三人の死体が転がっていた。そして、それを貪る二十体ほどのゴブリンも。

 どれも十二歳の女である私よりも小柄だが、血まみれの口と棍棒、大きく飛び出た目は私を威圧させるのに充分であった。

 ゴブリンの集団の更に向こうに目をやると、血で赤く染まった木製の扉は粉砕されていた。恐らく騎士たちは、ちょうどこいつらが内部に押し入るタイミングに出くわしてしまい、敗北してこのように変わり果てたのだろう。残りの者はなんとか逃げおおせたみたいだが。

 私はお母様を連れていかなければならないので、逃げる訳にはいかない。

 精一杯の勇気を振り絞って両手で剣を構える。同時、ゴブリンたちの赤い瞳が一斉にこちらを向く。


「オンナ、二人……! 犯ス!! 喰ウ!!」


 ゴブリンが下劣な言葉を発し、唾液を垂らしながら飛びかかってくる。


「来ますっ! 下がっていてください!」

「え、ええっ!」


 お母様の声色には不安が感じられるも、「戦闘能力のない自分が前に出ても邪魔になる」と理解しているのか、少しだけ距離を置いて物陰に隠れる。

 私は一歩だけ下がり、今にも棍棒を振り下ろそうとしているゴブリンに先制して刃を喉に突き入れた。

 肉を引き裂き、紫色のグロテスクな血液が顔に掛かる不快感。

 だが、それに構っている暇はない。怒りで顔を歪ませる残りのゴブリンがそれなりに広い通路を目一杯使って散開し、バラバラに迫ってくる。

 その様に動揺し、焦って剣を思い切り横薙ぎに振るった。

 最前列に居たゴブリンの首を斬り飛ばすが、恐怖ゆえに誤った剣の振り方をした為か、右腕に痺れが走る。

 そんな私に一切遠慮することなく、更に敵は迫ってくる。


 やむを得ないか。

 私は覚悟を決め、叫んだ。


「《強健フォース》ッ!」


 瞬間、脱力した腕にこれまで以上の力が入るようになる。

 私は本来ならば両手持ちで使うものであるロングソードを左手だけで握った。そして、背中にもう一本背負っていた予備の剣――こちらは左手のものより短く軽量である――を抜いて右手で持つ。

 十二歳の少女、いや、大の男ですら相当に鍛えていないと困難であろう、二つの剣を同時に使用する構えだ。


――《術式》。

 エルフや一部の魔族など、素で魔法が使える種族でなくとも一定の魔法効果を発動させられる技術であり、適性の差こそあれ、訓練を積めば概ね誰でも使用することが出来るものだ。

 私が使用した《強健フォース》は、短時間、肉体を概念的に強化して膂力を増大させる効果を持つ。

 《術式》の使用は体力の大幅な消耗を招く為、この先どれだけ戦うことになるか読めない状況では出来れば控えたかったのだが、出し惜しみして死んでしまっては意味がない。


 《強健フォース》によって強化された斬撃は、それがたとえ華奢な少女の腕から繰り出されたものであっても充分な重さを持つ。

 私は迫りくるゴブリンの首を飛ばし、腕を斬り落とし、腹を斬り裂き、頭を叩き割っていった。

 凌ぎ切ったと思ったのも束の間、後方に居た最後の一体が死んでいった仲間を囮にして前進、私を無視してお母様の方へ駆けていく。

 全力で走っても絶対に間に合わない。


「くっ……《加速アクセル》!!」


 やむを得ず、《術式》の適用下で更に別の《術式》を重ねる。

 こちらは超高速で一定距離を直進する技である。

「二重に《術式》を使う」という今までの訓練でやらなかった挑戦をした為、負荷によって酷い頭痛と吐き気がしてくるが、唇を噛んで無理やり堪える。

 術式名を詠唱すると同時に、私は両手の剣をゴブリンの位置――正確には、その進行方向の少し前に向ける。

 直後、私の身体がその地点まで一気に吹き飛んだ。

 体重と猛烈な速度を乗せた刃が緑色の肉体に突き刺さり、そのまま壁に激突。

 私はまるで壁面に着地しているかのような姿勢を取って衝撃を受け流し、飛んで床に降り立った。

 ずり落ちていく死骸には目もくれず、ふらついた身体で愛する人のもとへ歩く。


「アステリア! 無茶しないで……!」

 

 お母様も、ボロボロと涙を流しながら駆け寄ってきてくれる。

 温かい腕に抱きしめられて同じように泣きそうになるが、頑張って作り笑いを浮かべた。


「はぁ……はぁ……無茶、しないと……生き残れませんよ……」


 ああ、そうだ。私が無理をしなければどうにもならない。信じられるのはもはや自分自身の力だけなのだから。

 私は少しのあいだ休憩して息を整えた後、不安に満ちた表情で何か言いたげにしているお母様の手を引いて王宮の外に出た。


***


 王都は血に染まっていた。

 あちこちに肉体の一部が転がっていて、ゴブリン共がそれを投げ合って遊んでいる。

 どこからともなく人々の絶叫が飛び込んでくる。

 まだ戦いの気配は収まっていないが、確実に終息しかかっているようだ――ラトリア王国の敗北という形で。

 この国にあまり良い印象は無かったけれど、ここに住む人々に罪など無い筈だ。それなのに、「人類が魔族の敵だから」というだけであんなにも惨たらしい姿にされてしまっている。

 苦しみを叫びたい気持ちを抑えながら、魔族たちに発見されないよう静かに街を潜り抜けていく。

「こんなことならばお忍びで王宮を出て、王都の細かい構造まで頭に叩き込んでおけば良かった」と後悔しつつ、何とか外に繋がる門のある城壁にたどり着く。

 物陰になっている路地裏から破壊された城門の周辺を窺うと、当然と言うべきか、そこには多数の魔族が居た。

 城門の残骸の前で周囲を警戒しているオークが五体ほど。

 死体を弄んでいるゴブリンや、オーク以上の巨躯を有するトロールも居る。

 心が折れそうになった。消耗した身体でこの数を相手にするのは不可能だし、戦わずに二人でやり過ごすのはもっと不可能だ。

 でも、やるしかない。ここで立ち止まっていても待っているのは死だけだ。


「道を切り開きます。門の前に居る奴らを引きつけるので、そうしたらお母様は全力で走って下さい。私もすぐに追いかけます」

「そ、そんなの危険だし、無謀過ぎるわ……!」

「不可能でもやるしかありません」


 お母様もそれをよく理解しているのか、それ以上は食い下がらず、代わりに私をぎゅっと抱きしめた。


「……アステリア、本当にごめんね。まだ十二歳の娘にこんな負担を掛けて……」

「私は恩を返しているだけです。お母様だけは私を愛してくださいましたから」

「ええ、愛しているわ。これまでも、これからもずっと」


 短い会話を終えると、私は小さく「《強健フォース》」と唱え、膂力増強の効果を掛け直した。


「お、うげええええッ……!」


 《術式》の負荷によって嘔吐感がこみ上げ、血の混じった吐瀉物を床にぶち撒けた。

 こんなことならば剣術だけでなく《術式》の鍛錬も更に積んでおくべきだった。

「自分は強くなった」と思い込んでいたが、所詮は実戦を想定していない児戯だったか。

 まあ、今になって後悔したって仕方がない。持てる技術の全てを注ぎ込んで戦うだけだ。

 意を決し、両手に剣を持って路地裏から大通りに飛び出た。

 魔族共は私の容姿を見て完全に油断している。


「まだこの辺りに生き残りが居たか」

「ちっ、ガキか。こりゃ使い甲斐も食いごたえも無――


 一歩踏み込み、《加速アクセル》を詠唱して飛び上がる。

 ニヤニヤしながら悠長に会話していたオークの首を、上昇しながら斬り飛ばした。

 そのまま即座にもういちど詠唱を重ね、空中で急速に方向転換して隣の会話相手の頭に剣を突き刺す。

 強化された膂力でもオークの強固な頭蓋骨を貫くのは容易ではない筈だが、そこに加速が乗っていれば話は変わってくる。

 柔らかい肉を掻き分けるような感触にぞっとしながら刃を抜いて着地すると、すぐそこに数体のゴブリンとオークが迫っていた。

 私は舞うように回転しながら剣を振るいゴブリンを弾き飛ばす。続いてオークが振り下ろした大剣をすんでのところで回避。そのまま重心を落として持ち主の方へ飛び、足の腱を斬り裂いた。

 致命傷は負わせられなかったが、追撃している余裕はない。

 前後からオークとトロールが迫ってきている。

 あのクラスの魔族に挟まれてはひとたまりもないので、すぐに《加速アクセル》を詠唱し、一方を迅速に潰した。


 潰そうとしたのだが、何も起こらなかった。

 身体に加速が掛からない。代わりに全身を痛みが駆け巡る。

 体力が限界に達し、《術式》の使用に失敗してしまったのである。

 剣を支えに立っているが、今にも崩れ落ちそうだ。

 もう限界なのか。ここで終わりなのか。私は終わってもいいけれど、せめてお母様だけは。

 まだ安全を確保出来ているとは言い難いが、最初の状態に比べれば逃げ切れる可能性は充分にあるだろう。


「はぁ……はぁ……お、お母様ぁ……走って……走って下さい!」


 気力を残り滓まで振り絞りながら叫ぶ。

 ああ、こんな形で私の人生は終わるのか。

 でも、誇りを抱いたまま戦いの中で死ねるのならばそう悪くはないかも知れないな。

 目を閉じ、しかし決して崩れ落ちることはなく、私は死を受け入れた。


――だが、その時は来なかった。


「お願いします! 私はどうなってもいいので、せめてこの子だけは見逃して下さい!」


 見ると、お母様が私を抱きしめ、精一杯の気迫を込めて魔族たちに語りかけていた。

「やめてください」と叫びたいのに、もはや声も出せない。

 どうしてこんなことに。私はあなたを守る為に戦っていたのに。


「へぇ、ガキだけじゃなくて良い女もちゃんと居るじゃねぇか」

「グヒヒッ……コイツ壊ス! 壊シタイ!」

 

 オークが下卑た目でお母様の身体を眺め、トロールが知性を感じさせない言葉を放ちながら舌なめずりをしている。


 やめろ。やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろ。


 私は膝から崩れ落ちた。目をそらしたかったが、それすら出来ないほどに私の身体は凍りついていた。

 トロールが巨大な腕を伸ばしてお母様を掴むと、その服を引き裂いていく。

 悲痛な叫び。なんだかよく分からないグチャグチャとした音。

 それがしばらく続くと、段々と悲鳴は収まっていた。

 お母様が何も言わなくなると、魔族たちは飽きたのか、四肢を引きちぎっていった。

 血液と、それ以外の液体が私の顔にかかる。

 少し経った後、オークが動かなくなった私の首を掴んで持ち上げた。

 

「……なあ、コイツどうする? ガキ過ぎてオレの好みじゃねえが」

「俺ガ使ウ! 喰ウ!」

「そうか、全く……ゴブリン共は使えれば何でもいいのかよ。興味ねえから好きにしろ」


 傍らに居た一匹のゴブリンの下へ投げ飛ばされた。

 痛い。でも、もうどうでもいいや。

 仰向けになって横たわっていると、小柄な緑肌の魔族が迫ってくる。

 今からお母様みたいに玩具にされるんだろうな。それすらもどうでもいい。

 全てを諦め、伸ばされた手を黙って受け入れようとした。


 だが、ゴブリンは私を弄ぶどころか、紫色の血を吹き出して後ろに倒れていった。

 どこからか飛来した剣に頭部を貫かれたのだ。

 

――そんな、まさか。

 金髪の少年が「アステリア殿下、今お助けします!」と語りかけながら私を抱きかかえ、物陰に連れていく。

 少女が左右に束ねた赤い髪を派手になびかせながら大通りを駆け巡り、魔族を斬っていく。

 そして白髪を後ろで束ねた六十歳ほどの男性が、それ以上のパワーとスピードを発揮して死体の山を築き上げる。

 三人とも血まみれで息も絶え絶えだが、瞳にはまだ意志の炎を宿している。

 やがて周囲の魔族を一掃すると、戦っていた二人は地に横たわる私の傍に駆け寄ってきた。

 不安そうな顔で私を介抱していた少年に、男性が話しかける。


「ライル、アステリア殿下は!?」

「ひどく憔悴していますが、傷は殆ど見られません。命に別状はないようです」

「そうか……」

「でもウォルフガング団長、本当に良いんですか。陛下の命令違反ですよ、これ……もう戻れませんよ!」

「エルミア陛下もアステリア殿下も、この国の王族だ。『二人を見捨てろ』などという指示はたとえ王と王妃のものであっても受け入れられん。お前もそう思ったからついて来たんだろう、ライル」

「そりゃそうですけど……!」


 俯く少年、ライルの胸に指をつきつける赤髪の少女、リーズ。


「ほら、今考えるべきはお二人のことでしょう! アステリア様、ご安心下さい。私たちが必ずあなた方をここから脱出させてみせます……それで、エルミア陛下は?」


 私は何も言わず、通りに転がっている手足も頭もない肉塊の方を見た。

 三人の騎士が同じようにそちらを見つめて、少し経った後、肉塊にまとわりついている僅かに残された服の切れ端に目が行った。

 少年が泣きそうな顔をして視線をそらし、少女がぎょっとして自らの口を隠し、男性は眉をひそめた。どうやら全てを察したらしい。

 そんな様子を眺めながら、限界を迎えた私の意識は落ちていくのであった。



――白い世界。何もない、美しい世界。

 返り血に塗れていた筈のドレスは、私の努力を否定するみたいに綺麗になっていた。

 喜ぶべきことすら何もかもが不快に思えて、膝を抱えて座り込む。


「……ごめんなさい。こんなにも弱い私で」


 出てきたのは、自己否定の言葉。

 胸の内は後悔でいっぱいだった。

「私たちを見捨てる」という王室の意向に背いてでも助けに来てくれた三人の騎士への感謝以上に。

 お母様が命を奪われる前に彼らがここに辿り着けなかったことへの怒り以上に。

「せめて彼らだけは信用し、王宮を離れる前に探し出して頼る」という選択をしなかった後悔で満ちていた。

 私は、ずっと前から親しくしてくれた三人のことすら信じていなかったのだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ずっと我慢していた涙が溢れ出てくる。私はなんて愚かだったのだろう。

 もう生きていたくない。もしここに剣があれば、今すぐこの命を絶ったのに。こんなにも救いのない運命を終わらせたのに。


 そんなことを思っていると、私の目の前に、見知らぬ女の子が現れた。


「アステリア、どうしてきみは自分を責めるの?」

「あなたは?」

「きみ自身だよ……いや、この十二年間、きみは私の記憶を持っていなかったから別人ってことになるのかな? まぁいいや」

「意味が分かりません、なんなのですか。何をしに来たのですか」

「きみの勘違いを正しに来たよ。きみは『何もかも自分のせいだ』と思ってるでしょ? でもね、それは違う」

「そんなことありません、全ては私の無能が招いたことです。私がもっと強ければ……そして、もっと他人を信じていれば……」


 どんどん気持ちが沈んでいく。女の子の顔を直視出来ない。

 そんな私を見かねたのか、彼女は私の顎を掴んで、無理やり向き合わせる。


「本質から目を背けないで。きみは弱くない。それに、他人なんていつ裏切るか分からない。利用はしても信頼しちゃいけない」

「でも……」

「そもそもさぁ、王室の連中がきみ達を見捨てたのが悪いよ。あと、魔族なんて連中が居るのが悪い。そして、そんな理不尽が蔓延っている世界そのものが悪いんだよ」

「そんなこと言ったって、どうしようもなくて……!」


 感情を昂ぶらせる。私はこんなにも絶望しているのに、こんなにも苦しんでいるのに、目の前の女の子は微笑んでいた。


「じゃあ、これからどうにかすればいい。失ったものは返ってこないけれど、失わせた代償を支払わせることは出来るんだよ?」

「……それって、つまり」

「復讐しようよ、この世の気に入らないもの全てに! この世の理不尽全てに! さあ、この手を取って!」


 世界への復讐、か。

 そうすればこの胸の苦しみは消えて無くなるのだろうか。


「良いのですか? 私は、復讐をして良いのですか?」

「当然だよ。きみにはその権利がある。誰にも否定出来やしないし、否定するヤツはきみの得意な剣術で斬っちゃえばいい。その技は元々、自分自身まもるべきものを守る為に磨いたんでしょ?」


 ああ、そうか。私のすべきことって、そんなにシンプルなことだったんだ。

 私は、怒ってもいいんだ!

 もう何もかも諦めようと思っていたけれど、それを選んで良いのであれば、私はまだ生きていられる!


「……分かりました。あなたを受け入れます。共に地獄への道を歩みましょう」


 そうして少女の手を取った時、アステリア・ブレイドワース・ラトリアは御剣星名と一つになった。

 あの日、全てを憎んで死に向かった私は、十二年の時を経てようやく再誕したのである。



――これは、不遇の果てに絶望に至った哀れな王女が、怒りに満ちた前世を取り戻すまでの物語プロローグ

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