0章2節:呪われし生誕

 私が転生を果たし二度目の生を送ることになったのは、現代社会とは大きく異なる未知の世界だった。

「神の住まう楽園」と呼ばれているが何があるのかは誰も知らない地表――その遙か上空に浮かんでいる巨大な天上大陸に、大別して四つの種族が混在している。

 最も数が多い人間。

 魔法を操る能力に長けたエルフ。

 獣の耳や尻尾など、動物的特徴を宿した人間である獣人。

 そして、異形化した動物である「魔物」のように特異な形質を持ってはいるが人格を有している知的生命――魔族。一言で「魔族」と言っても、オークやオーガ、ゴブリン、トロール、淫魔や竜などが存在しており、多様性に溢れているのだが。

 ともかく、彼らは時に共存し、時に互いに対する差別と攻撃を繰り返しながら、混沌とした社会を形成していた。


 そのような「剣と魔法のファンタジー作品」的社会の中心には、人間族が支配している一大国家「ラトリア王国」というものがある。

 私はその国の第三王女「アステリア・ブレイドワース・ラトリア」として生まれることになった。

 とは言っても、十二歳になってから「とある事件」を迎えるまで、前世の記憶は覚醒していなかったのだけれど。

 その為、二次元の中でしか見かけなかったような「桃色の長い髪を持つ可憐な美少女」の肉体を得ても、特に違和感は覚えなかった。

 少なくとも幼い頃の私は「いじめを苦に自殺した少女が異世界に転生した姿」ではない、単なる王女だった筈なのである。

 しかし、不運かそれとも「御剣星名わたし」が自ら死を選んだことに対する天罰なのか分からないが、王家における「アステリア王女わたし」の扱いは初めから最悪なものであった。

 これは、そんな不遇の果てに絶望に至った哀れな王女が、怒りに満ちた前世を取り戻すまでの物語プロローグ



 私はラトリア王国国王の子供の中で唯一の庶子だ。

 お母様――「エルミア・ブレイドワース」は平民上がりの宮廷侍女だった。ちなみに「ブレイドワース」という家名だが、王室入りに際して平民である彼女に与えられた仮の名だ。我が国の王族の名には母方の家名を含める習慣があるが、お母様は家名を持たなかったので特別な対応を迫られたという訳である。平民が王族に加わることなど想定されていなかったのだ。

 そんな彼女になぜ父が手を出してしまったのかは娘の立場から根掘り葉掘り質問出来るようなことじゃないので分からない。まあ恐らく、お母様は娘の私から見ても物凄く美人だったので、男として我慢出来なくなったのだろう。

 衝動的に抱いた侍女の妊娠を知った父は、ここ数百年の王国史には存在しなかったらしい側室制度を唐突に復活させ、お母様を側室とした。

 そんなことがあったので、半分は平民の血を継いでいる私が王女として生まれることになったのだ。

 とはいえお母様と私は、世間体を保ちつつ「将来的に政略結婚に使える駒」を確保しておく目的で王室入りさせられただけで、内部では常に「劣った存在」として見られ続けていた。

 お母様は頻繁に王妃から罵られ、私は三人の兄と二人の姉からいじめを受ける毎日だった。

 父も父で私が物心ついた頃には既にお母様に個人的興味を失っていたのか、それとも王妃に気を使ったのかは分からないが、嫌がらせを止めようともしない。

 たとえば皆で食事をしている時、明らかに私たちに用意された料理だけが少ないのに、それに一切疑問を呈さない。

 社交ダンスで私が兄に足を引っ掛けられて転んだとき、王妃は「王家の恥晒しめ!」と言って私だけを叱ったが、父もそれに合わせて私を非難してきたことがある。

 前世の記憶を取り戻した後ならばまた違った反応をしたのだろうけれど、当時の「アステリア王女」は内気な少女で、このように横暴な振る舞いをする彼らに対して強く出ることが出来ずにいた。

 何か不快なことをされたら、いつでも私は「ああ、自分が悪いのか。自分が悪いからこんな目に遭っているのか」と思わされていた。


 そんな私にとって心の支えとなっていたのが、優しいお母様と触れ合う時間。

 そして、王室に関わる大抵の人物から避けられていた私たちにちゃんと真正面から向き合ってくれた、近衛騎士団の一部の面々との時間。

 王子・王女に対する剣術指南を担当していた騎士団長「ウォルフガング」は、庶子である私も区別せず真剣に鍛えてくれた。

 私も私でお母様を守れる強さが欲しかったし、何かに自分自身の存在理由を見出すとしたら「剣」をおいて他にはないと感じたから、誰よりも全力で鍛錬に打ち込むのである。

 

「ウォルフガング……私は、強くなりたいんです。誰にも必要とされない人間では居たくない。血筋や階級などといったものを超越して私の存在を認めさせるような、絶対的な強さが欲しいんです」


 ある日、ウォルフガングに自らの想いを打ち明けたら、彼は貴重な休息時間の全てを投げ打って私の剣術修行に付き合ってくれるようになった。

 彼は《剣神》などと呼ばれている、天才的な剣士である。実際、当時すでに六十歳を超えていた筈なのに全く衰えを感じさせなくて、その異名は伊達ではないなと思った。

 そんな師に全力でついていったものだから、私の技術もめきめきと向上していく。

 本気の殺し合いではなく試合だったとはいえ、十歳の頃には騎士団の副長を負かすことに成功し「ウォルフガングさんの再来かも知れない」などと言われたものだ。

 なお、兄や姉たちに関してはウォルフガングが提供する過酷な訓練メニューを完遂出来る者が一人も居なかった為、戦闘技術は「推して知るべし」といった具合である。


 剣の技量は、内気ですぐに自己否定に走っていた私に自信をもたらした。

 勿論、王妃や兄、姉の嫌がらせに対して暴力で対抗する訳ではない。ただ、何をされても毅然とした態度を取って「その気になればあなたなんていつでも斬れる」という無言の圧力を与えてやるだけだ。

 やがてお母様も私も、少なくとも分かりやすい嫌がらせを受けることは減っていった。

 ずっと私たちの味方で居てくれるウォルフガングや一部の騎士団員を恐れた面もあるとは思うけれど、やはり私自身が強くなった影響は大きいだろう。


 そうして一年ほど、比較的平穏な日々を過ごした。

 私が寂しくなったらいつでも抱きしめてくれて、「愛してるわ」と言ってくれて、幼心を取り戻す時間を与えてくれる母、エルミア。

 私やお母様を差別せずに主君として尊重してくれるウォルフガング。

 それと、近衛騎士団に所属する騎士である「リーズ」という勝ち気な赤髪の女の子と、「ライル」という気弱な金髪の男の子。二人は他の騎士団員に馴染めなかった分、なんとなく私と仲良くなっていった。

 決して多くの人が私に味方してくれた訳ではないけれど、それでも昔を思えば充分に幸せだったと思う。


――でも。私が十二歳の誕生日を迎えてから少し経った、ある日。

 やっと掴んだ小さな幸せすらも否定される事件が起きた。


 実のところ、私が生まれるずっと前から、ラトリア王国を含む人間族が支配的な勢力圏は戦争状態にあった。

 戦の相手は《魔王軍》と呼ばれる、大量の魔族で構成された軍勢だ。この浮遊大陸を制覇し、魔族の為の社会を形成するのが目的らしい。

 魔族という種はかつてこの世に殆ど存在しなかったようで、歴史の表舞台に現れ始めたのは《魔王軍》襲来以降だといわれている。どこからか突然やってきて「この世界を寄越せ」と叫び始めた、傍迷惑な連中という訳である。

 彼らは以前から脅しによって国や村を制圧し、抵抗するならば略奪、陵辱、虐殺によって完膚なきまでに叩き潰す――といったことを繰り返して勢力圏を広げ続けていたが、その勢いがここ数年で急激に増しているようだ。

 私は王宮から外に出たことなんて殆どなかったけれど、状況がどんどん悪化していることは周囲の人間の話から何となく察していた。

 それでも、心のどこかでは「きっと、どこかのタイミングで人間側が逆転勝利して《魔王軍》を駆逐するだろう」と希望的観測を抱いていたのである。

 だが現実はそれほど甘くなく、各地で展開された戦闘において人間側は敗北し続けた。我が国の対外的戦力である常備軍「王国正規軍」も、民の期待に反して連戦連敗のようだ。

 そして最終的には、魔族共が私たちの住んでいる王都まで侵攻する事態となってしまった。

 後に「王都占領」と呼ばれる、私の人生を狂わせた出来事の始まりである。


 冒険者や傭兵、そして敗走を繰り返し王都まで後退してきた正規軍は国と人々を守るため、なだれ込んでくる魔族に対して必死に抵抗していた。

 近衛騎士団も一部を王族の傍に置き、他は王宮の外で戦っている。

 王都が抱えている戦力の全てが死力を尽くしているが、それでも足りていない。いかんせん相手の数が多すぎるのである。

 不安になって王宮のバルコニーから街を見下ろしてみると、一人の冒険者に二十か三十の魔族――オークやゴブリンなどが集っている。やがてその冒険者の青年は首だけ切り取られ、血まみれの身体は魔族に連れられている犬型の魔物の餌になった。

 そのすぐ近くで戦っていたが敗北した女騎士は鎧を外され、服を脱がされ、死ぬよりも苦しそうな目に遭っている。しばらくするとその者はやはり首を斬られ、自身が持っていた剣で串刺しにされて投げ捨てられる。

「地獄」。そう形容することしか私には出来なかった。

 酷い吐き気を催し、床に座り込む。

 目の前の光景のおぞましさも苦痛だったが、何より、戦いに参加出来ない自分の無力さが悔しかった。

 ウォルフガングらに「生き延びることも王族の仕事です、アステリア殿下」なんて言われてしまったから。

 実戦に対する恐怖のあまり、つい、それを受け入れて引き下がってしまったから。

 私は何の為に強くなってきたのだ。こんなところで汚れ一つない戦闘用ドレスを着て、一体何をやっているんだ。

 何の為に必死に努力して「自分」を確立してきたんだ。これではまた、虚ろな自分に戻ってしまう。

 そんな失望に苛まれる私のもとに、お母様がやって来る。

 王宮に隠された地下通路から脱出する予定であったのに私がこうして外を見ていたので、探しに来たのだろう。


「ここに居たのね、アステリア! ほら、早く脱出しましょ」


 きっと自分も不安だろうに、それでも彼女は不器用に笑みを浮かべて私を抱きしめ、頭を撫でてくれる。


「ごめんなさい……そうするべきなのは分かっていたのですが、騎士団の皆が心配で」

「ウォルフガングたちは強い。きっと無事に追いついてくれる。それに彼がこの場に居たら『自身の安全を最優先してください』なんて言う筈よ」

「う、うう……分かりました……」


 沈んだ心を強引に奮い立たせ、立ち上がってお母様に手を引かれていく。

 そうして辿り着いた王宮の緊急用脱出経路の入り口には、ちょうど大量の荷物を持った父や王妃、兄や姉、数人の使用人と騎士が居た。

 彼らは箱詰めされた金品を通路の向こうに運んでいる。積み込みにはまだ時間が掛かりそうだ。

 それを見たお母様が、珍しく怒りを露わにする。


「皆様、今はそのようなものを持ち出している余裕はありません! 今でも騎士の方々がわれわれ王族や民を守る為、外で必死に戦って下さっているのです!」


 正論だと思ったし、同時に、「出来るだけ多くの財産を持ち出したい」という愚かな理由でなくともすぐに「逃亡」という行動を取れなかった自らを恥じた。

 だがお母様の想いは他の王族たちには通じていなかったようで、彼らは苛立った顔をこちらに向ける。

 そして王妃と父はこんなことを言うのである。


「そうねぇ……じゃ、騎士たちを呼び戻して私たちの護衛をさせましょ! "近衛騎士団"なのだから王族である私たちの命を最優先するのは当然でしょ! 平民や他の貴族や使用人たちの命? 知ったことじゃないわ」

「ああ……確かにそうだ。全く、自分らの存在意義を勘違いしている無能共め。私や妻、子供たちの命を守ることだけを考えておればよいものを」

「あと、あなたたち二人は王室にとって飽くまで『予備』なのだから、ここを使うことは許されないわ。生意気にも同行しようと思っているのであれば、後に待っているのは処刑だけでしょう。ねぇ、あなた?」

「ふむ……そうだな。エルミア、アステリア、お前たちは何とか自力で王都を脱出してくれ。人数が増えるとそのぶん馬車での脱出が難しくなるし、魔族共の攻撃の矛先も集中することになる。なに、お前たちなら上手くやれるだろう」

「そういうことよ。それじゃあ、『さようなら』」


――え?

 お母様が彼らを強く睨みつけている隣で、私は唖然としていた。

 少しのあいだ思考が停止していたが、やがて彼らの意図に気づいた私の感情は憤怒に染まった。

 そうか、「自分たちが生き残る為の囮になれ」と。「『予備』はもう要らないから最期に役に立て」と。

 王妃の命令によって五人ほどの騎士が他の者を呼びに行くのを見送りつつ、決心した。

 もはや私とお母様は王族とは言えない。騎士たちは父や王妃の指示に従い、私たちを見捨てることだろう。それはきっと、私に優しくしてくれた者たちも同じだ。騎士として王の命令に従うのは当然のことなのだから。

 ならば、やるべきことは一つしかない。


「王都を出ましょう。私がお守り致します」

「……ええ、アステリア。ごめんね、無力なお母さんで」

「いいえ、お母様は何も悪くありません! さあ、今度は私が手を引く番です!」


 兄や姉が「失せろ下民共」「下賤な者が卑しくも助かろうとするな」などと罵ってくる。

 持っているロングソードで彼ら全員を斬り殺して通路の先に存在するであろう馬車を奪い、お母様と逃げ延びたい衝動を抑えながらこの場を後にした。

「現在の私」ならば間違いなくその発想を現実にしていたのだが、この頃の「御剣星名」の記憶を持たないアステリアにはまだ良心があったから、到底選べない選択肢であった。

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