~ふたたび、春~

『いつか、春がまた来るなら』

「春がまた来るなら」


 お前は最後に振り返った。そのことを奇跡的に思ってしまうのは、俺が拙いからだろうか。解らない。無意味に口にするための時間はもう、残されてなどいないのだけど。


「いつか、——」


 花が咲く。一瞬で散っていくほどに美しい光の乱舞。いつものように笑う顔が、俺を見ることはない。だからこそもう、手を伸ばさない。伸ばすことは、出来なかった——。


 終章「君を想う」もう痛まない


 それが最後だったのだとしたら、俺は何を言えばよかったのだろう?


 今でも思い出すことがある。季節が巡って、何度も繰り返されると思っていた時間。永遠でないにしろ、俺が望んでいた時間はまだ続くと思っていた。


 けれどあの春の日。過ぎ去っていく季節の最後の瞬間。振り返ったお前が告げた言葉。流れていた花の甘い香り。思い出すたびに、胸が痛くなる。悲しいと、今は思える。


 だけどどうしてだろう? お前がその道を選んだことを、俺は否定できないんだ。


 お前が生き続けたいと願ったこと。それはとても嬉しいことのはずなのに、どうしようもないほどに悲しいとも思う。


 生きることを望む限り、お前は「幸せ」になれない。

 お前——リンドウは、石喰いだから。石に花が咲いた時、それは——



 ※


「ねえ、カナン」


 とある村の近くに差し掛かった頃のことだった。道端に咲く花を無闇に眺めて、リンドウは俺を振り返る。ぼんやりとした瞳に込められた感情が、立ち尽くす俺に突き刺さった。


 冬が過ぎ去り、春の暖かさを感じられる季節は、一年の中でも好きな時期だった。冬が厳しかったぶん、少し早い春の訪れは歓迎するべきものだ。そのはず、なのだが。


「……花って食べられるのかな」

「食べられるものもあるというが、俺には判断つかない」

「じゃあ、とりあえず食べればわかるんだね」

「極論だな。食べて腹を壊しても、俺は責任は取れんぞ」

「別にいいよ。どうせ食べるのはカナンだけだしね」

「…………、……」


 何故だ。顔がひきつるのを感じても、俺に何ができるわけではない。何故も何も答えは明白なのだが、事実を口にしたところで俺の立場が悪くなるだけだ。


 田舎道。水の張られていない田んぼは、春の草花に彩られている。新緑の草と淡い色彩の花々が揺れる様に、心和むところだった。しかしながら現実は、目の前の石喰いが放つ暗澹とした空気に立ち向かわなければならない。


「怒るな。先程から謝っているだろう」

「怒ってないよ。機嫌が悪いのは否定しないけれど」

「……それは怒っているうちに入るのでは……」

「カナン。とりあえず、昼ご飯は草でいいよね」

「俺は牛ではないんだが……だから悪かったよ。路銀はともかくとして、お前の石まで落としたのは俺の失態だ」


 俺が平謝りすれば、リンドウの目つきが明らかにおかしくなった。まずい。そう思ったところで、空腹で我を忘れている石喰いには通用しない。


 こんな事態に陥ったのはそもそも、俺が路銀とリンドウの石を同じ袋に入れてしまったことが発端だった。良かれと思い、路銀と石を同じ袋に入れ——俺はそれを落とした。


 こんな田舎道でスリなど出るはずもないから、どう考えても俺の失態だ。事実、路銀と石を入れていた袋の底が破れていた。つまり、路銀と石を撒きながら歩いていたことになる。どうあっても言い逃れできそうもないが、問題はそこではない。


「……謝られても、私が飢えていることには変わりないんだけど」


 やさぐれている。足元の草をぶちぶちと引き抜く姿は、すでに石喰いではない。俺にしたところで、路銀がなければ飯も食えないのだが。少なくとも人間である俺は、リンドウと違い石以外も食べられるので強くも言えない。


「ならどうする。ここに居ても石は降ってこないだろう」

「……どうせだから、カナンを非常食に……」

「不吉なことを言うな。俺はお前の腹を満たすような痛みはないぞ」

「うん。だから」

「だからとか言うな。とにかく近くに村があったはずだ。そこに行けば何かしらありつけるはず」


 俺の言うことに間違いはないはずだった。未だ草をちぎっている石喰いを立ち上がらせると、田舎道を引きずって歩き出す。無駄な体力を使わされている。それ以前におかしすぎる姿を、見られないだけマシと考えるべきか。


「……おや……見ないお方たちだねぇ」


 見られたくない時に限って誰かに出会うというのは、何かのイタズラなのだろうか。


 振り返ると、田舎道にカゴを背負った小さな人影が立っていた。石喰いの襟首をつかんでいる俺を見つめる瞳。小さくてしわくちゃで、それでも人の良さそうな老女は、固まる俺に柔らかい笑みを向けてきた——。

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