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右パドルウィールが無事に発見され、修理された。左パドルウィールを点検した機関士たちの予想通り、巻き込んだ牧草の根が蝶番に負荷をかけていたことが分かると、牧草の残骸を取り除く作業に半日が費やされた。だが、ついにサンレザー号は再び動けるようになったのだ。
「航陸術式を再始動だ!」船長が号令をかけた。船員たちは、待ってましたと言わんばかりに奮って働き、サンレザー号はあっという間にその歩みを再開した。それからは塵旋風や踏み抜きもなく、波も穏やかな航海日和が続いた。そしてどういうわけか、冒険者の間で話題だった幽霊のうわさもはたと消えてしまった。ローダーの持論では、「悲鳴のような音の正体は、パドルウィールの蝶番が軋む音だったんだ!」とのことだ。
その後もウィントとローダーは、リエナと一緒の船室で過ごす日々を続けていた。彼女は相変わらず無口だったが、少しずつキド語──地上での公用語──で会話ができるようになっていった。
その日、サンレザー号の眼前には大穴があった。
「貨物船の航跡が途切れているな……最近できたもので間違いなさそうだ。」と副長が言った。
「件の超魔法と関係があるのかもしれん。用心するに越したことはないだろう……」船長は険しい表情を露わにして、クレーターを眺めていた。ウィントは、船室の窓からその光景を見て胸騒ぎを覚えた。あの時の魔法と同じなら、このクレーターを作った魔法であれば大抵の船など跡形もなく消し去ってしまうのではないか。「ウィント、どう思う?」ローダーが小声で尋ねてきた。
「分からない。でも、この規模の魔法なんて……いや、魔法じゃなくてもか。誰がこんな──」そこまで言いかけてウィントの言葉は止まった。リエナが震えていることに気づいたからだ。彼女の顔は恐怖に引きつっていた。
「大丈夫か?」ローダーがリエナに声をかけた。
「ええ、ちょっと……驚いただけ。」リエナはそう言いながらも、まだ体がこわばっているようだった。
冒険者たちは探索に行きたがったが、パドルウィールの故障で二日遅れた航海をこれ以上遅らせるわけにはいかないと、船長が却下した。サンレザー号はクレーターを西からぐるりと回りこむと、再びキロ市島へと舳先を向けた。その日の昼過ぎ、船室に居たウィントの元へゼレがやってきた。彼はリエナのことを気にかけている様子だった。
「リエナの具合はどうだい?」ゼレが尋ねた。
「身体のほうはもう大丈夫だと思います。」とウィントは答える。
「あとは記憶か。」ゼレはそう言って腕を組んだ。
*
二日後、一行はキレ市島に錨を下ろした。港に着いた途端に冒険者は散り散りになり、船内は以前の広さを取り戻していた。
「本当に行くのか?」ウィントは名残惜しそうに言った。
「ええ、行くあてがあるわけじゃないけど、ここにいても役に立てないから。」とリエナ。
ウィントは何と言葉を返したらいいか分からなかった。見かねたローダーが、ウィントを小突いた。「おい、渡したいものがあるんじゃなかったのか。」
「そうだった。これ、飛手紙の宛名スタンプ……僕のやつだ。」
ウィントは、冷静に考えたらとても恥ずかしいことをしているのではないかと不安になった。
「えっと……何かあったら連絡してほしい……かな……」顔から火が出る思いでそれだけ言うと、もう声が出なくなった。
無限にも思えた一瞬の後、リエナはそれを受け取ると言った。
「ありがとう、ウィント。」
「頼りにしてるわ。」リエナは微笑むと、ローダーやゼレや船長にもお辞儀をしてその場を離れていった。
*
「行っちまったな。」船室に戻ったローダーが、ウィントに話しかけた。「うん。」ウィントは窓の外を見つめながら答えた。「寂しくなるな。」とローダーが聞くと、ウィントは黙ってうなずいた。思えば彼女とは、一か月弱の短い付き合いだった。
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