間話「帝の苦悩」

「陛下。ニコラ殿下の診察が終わりましたので、ご報告申し上げます」


 執務を行っていたヴィクテン帝国の帝ウィラールの下に、フラマー子爵が報告に訪れる。

 ウィラールはペンを置き、フラマー子爵に問いかけた。


「二コラの容態はどうであった?」

「はい、体調そのものは安定しております」


 フラマー子爵の返答に安堵する様子を見せたウィラールであったが、すぐさまその言い様に含みがあったのを見て取ると、表情を引き締めなおし、再度問いかける。


「体調そのものは、とな?」


 ウィラールの察しの良さに、フラマー子爵はなんと伝えるべきか一瞬逡巡する。

 しかし、はぐらかしても意味のないことだと思い、決心して口を開いた。


「はい。ただし、その前に人払いの方を」


 フラマー子爵のただならぬ表情を見て、すぐさまウィラールは部下を下がらせた。



 執務室に二人きりになり、ウィラールはフラマー子爵に顔を向ける。


「して、何があった?」

「陛下。我が国に、幸と不幸が同時に訪れました」


 フラマー子爵の返答にウィラールはわけも分からず、ポカンとした表情を浮かべた。


「待て待て。一体なんの話をしている?」


 突然の抽象的な言葉にウィラールは困惑を隠しきれない。

 しかし、フラマー子爵はそんな主君の反応を気にすることなく続ける。


「まず不幸の方から。殿下が魔法を使えなくなりました」

「何!?」


 一気に困惑の表情を取り去り、ウィラールの表情が険しいものと変わる。

 ウィラールの大声が聴こえたのか、一瞬部屋の外からも緊張が伝わってきた。


「今まで魔法を使えるようになったという話は聞いても、使えなくなるというのは聞いたことも無いぞ」

「私も長年医療を行ってきましたが、こんなことは初めてですな」

「少々まずいことになったな……」


 ヴィクテンにおける魔法は常に歴史の中で重要な位置を占めてきた。

 その中でもウェレクス=マギスター家は絶大な魔法の力で植民地を増やし、ヴィクテンを王国から帝国にまで押し上げたという過去がある。

 ウェレクス=マギスター家の治めるヴィクテン帝国は、その功績ゆえに魔法朝とまで言われるようになり、魔法が帝の権威として成立していたのであった。

 つまり、その魔法を司る帝の親族が魔法を使えなくなるというのは大問題なのだ。

そして、問題はそれだけではなかった。


「教会にもどう説明しようか」


 ヴィクテン帝国において、宗教はロエグランド魔法教会というもののみが認められている。

 帝は教会をも統べる存在であったが、魔法を神より与えられし能力だと説いている教会にとって、魔法を使えなくなったニコラがどういう扱いになるのかまでは制御はできない。

 そして、教会がニコラを背教者だと言ってくるのも容易に想像ができた。

 帝の親族が背教者であったということになってしまうと、帝の権威にも関わってくる。

 議会の勢力が増している現状でそうなることはウィラールにとって受け入れがたいことだった。


「次の帝位の問題も大きくなったな」


 ウィラールから見て、ニコラはかなり優秀な甥だった。

 他の甥たちが年齢相応、もしくはそれ以下の振る舞いをしているのに対し、ニコラは確実に年齢以上の思慮深い振る舞いを見せていた。

 しかし、すぐさま帝太子にしてしまうのは長子相続を基本とする帝国の掟に背いてしまう。

 そして、ニコラ自身が帝位に興味無さそうな振る舞いをしているのもウィラールにとっては懸念材料であった。

 かといっていかにも貴族に担がれて帝王学をないがしろにしてきたのが見て取れるような長男のエルドに継がせると、帝の権威が落ちるのは目に見えていた。


 だからこそ帝位は一旦白紙としていたのだ。

 ここでニコラが脱落となると、余計に誰を帝位に付けるべきかという悩みが大きくなってしまう。

 どうしたものかと悩むウィラールの視界に、飄々としているフラマー子爵が映り込んだ。

 他人事だと思っているのかと一瞬怒りを覚えたウィラールだったが、まだ聞いていないことがあると思い、口を開いた。


「幸も訪れたと言ったな。そっちも聞かせてもらおう」

「はい。ニコラ殿下は、おそらく魔力が見えるようになりました」

「そうかそうか、魔力が見えるようになったか。それはめでた…………は?」


 ウィラールが固まる。

 執務室に静寂が訪れた。


「……それはまことの話なのか?」

「ええ。断定はできませんが、そうでないと説明が付かないものが殿下には見えているようですな」


 フリーズから立ち直ったウィラールにフラマー子爵は説明をする。


「殿下は靄みたいなのが見えるとおっしゃっていましたが、私が試しに魔法を使ってみたところ、それが動いたとのことでした。人の周りに靄が濃くなっているという話もされていたので、検証はまだ必要でしょうが、私は殿下には魔力が見えていると判断致しました」

「にわかには信じられんような話だな……」

「私も自分で判断したことですが、未だに受け入れられていませんな」

「その割には落ち着いているように見えるが?」

「ええ、驚いている暇などありませんからな。陛下、殿下は魔法の歴史を大きく変えますぞ」

「……ほう?」

「今まで、魔法がどのように起きているのかということは朧げにしか分かっていなかったことですが、魔力が見えるとなるとそれらの仮説を一気に検証できることになっていきます。もしかすると、科学の進歩に追いつけるやもしれません」

「産業革命から100年が経ったが、次は魔法革命が起こる。そしてその中心にはニコラがいるということか」

「陛下、革命という言葉を使ってもよろしいので? 私は先ほどセーラ殿に叱られましたが」

「確かに社会主義者の使う言葉だが(*1)、産業革命は我が帝国の偉業だ。革命という言葉自体は我々にとっては忌むべきイメージこそあるが、その意味自体は急速な変革や革新のことであり、産業革命という言葉自体は何らおかしいことは言っていない。セーラは頭が固いからそう言うのだろうがな。合理的であり、そちらの方が意味が通じるというならば、使うべきだろう。それよりもニコラのことだ」


 ウィラールは一呼吸置き、話題を戻した。


「ニコラをどうすべきかはまだ決められない。5人の中では飛びぬけて優秀だが、帝位に対して一番興味の無い奴だ。無理矢理帝太子にして次期帝としての自覚が生まれるかどうかはまだ判断のつけようがないからな」


 最優先で考えるべきことは、ニコラが帝位に相応しいのか否かということにあった。

 ニコラは明らかに帝位に興味は無く、優秀ではあるものの、そのような者を帝位に付けても帝国は上手くやっていけるのだろうかという不安が以前からあったからだ。

 やる気の無さをカバーできるほどの優秀さなのかという疑問に関しては、まだ12歳だから判断するには早計だというしかなかった。

 しかし、今回のことで新たな悩みの種が加わった。


「魔法とニコラの関係をどうするかが一番の問題だな……」


 魔法を使えないのは問題だが、魔力を見ることができるという能力はそれを補って余りあるほどに極めて貴重な能力だということは間違いない。

 これは多くの問題を生むだろうということが容易に想像できた。


「まずは教会との問題ですな」


 フラマー子爵の言う通り、教会がどのようにニコラを扱うかだ。

 帝が教会を統治しているとはいえ、大規模に反発されたのではどうしようもなくなる。

 魔法が使えないということのみであれば、それが実際のものとなったであろう。

 だが、幸いニコラは魔力を見ることができるという特殊な能力を得た。

 これのために魔法を失ったとかなんとか理由をこじつければ、ある程度はなんとかなるだろう。

 ニコラの魔力自体は失われていないと言うし、まだ帝位継承権を失わせるわけにはいかなかった。

 光明を見出したウィラールは、ここまで考え、気付く。


「そういえば、ニコラは魔法を取り戻せる見込みはあるのか?」


 何気なく発したウィラールの言葉にフラマー子爵は苦い顔をする。

 それを絶望的と受け取ったウィラールだったが、それはフラマー子爵の言葉によって否定された。


「分かりませんとしか言いようがありません。殿下には魔力視があれば魔法を取り戻せる手がかりも見つかるでしょうとは申しましたが、それもただの勘でしかありません」


 ウィラールはなるほど、フラマー子爵はニコラとのやり取りを思い出してあの表情をしたのかと思いつつ、魔力視が魔法を取り戻せる可能性について考える。


「自分の魔力がどう動いているか把握できれば、魔法を発動させられない理由も分かるということか?」

「はい。ただ、殿下は魔力の動かし方は問題なさそうだと仰っていたので、脳の病によって魔法が発動できないと推測しました。それが本当であると治療方法も分かりませんし、原因をどうやって探るかも分からないといった状況です」

「現状ニコラ自身が治療法を見つけられる可能性が高いということか」

「ええ。より理解を深めていけば、魔力視で見えるものから原因を探っていけるやもしれません」

「ふむ……」


 ウィラールはしばらく考える。

 そして結論を出した。


「そろそろニコラも学院に入る年だ。入学までの一年間に帝室教師をつけることにする」


 学院とは帝立学院サストン校のことであり、将来要人になる可能性を持つ子供への教育を行う学校である。13歳になる年の子供が入学でき、3年間そこで勉学に励む。

 帝子たちはもともと帝室教師の下で学ぶのみで、教育機関に通うことは無かったが、ウィラールは帝位争いのこともあり、サストン校に全員入学させ、そこでの成績も帝太子の指名にあたって考慮する材料にしようと考えていた。


「帝室教師はフラマー子爵、お前とコンウェル伯がそれぞれ時間のある時に務めろ。コンウェル伯には私から言っておく」

「謹んで承ります」

「では、下がっていいぞ」


 フラマー子爵が出ていくのを横目に、ウィラールは考え込む。

 ウィラールにはもう一つ、ニコラを治療できる心当たりがあった。


「だが、会わせるにはニコラが帝太子となるしかない」


 帝だけが知る存在。

 それをおいそれと紹介するわけにはいかなかった。

 そして同情でニコラを帝太子にするわけにもいかない。


「帝太子にふさわしいと思わせてくれる器となるか」


 帝国を導ける君主となれる人物となることをニコラに期待する。

 ただ、もう暗殺を謀られるようなことがあってはならない。


「こちらも準備を急がないとな」


 ウィラールは密かな決意を口にした。




*注

1)1840年代からエンゲルスやマルクスによって産業革命論は発展し、1867年から出版された『資本論』にも取り入れられているが、今日我々が使うイメージに近いのはアーノルド・トインビーが1884年に出版した『イギリス産業革命史』によるものであり、歴史的な視点の一つとなっている。

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