最終話・プロポーズの想定外

 土曜日。あらかじめチェックしておいたジュエリーショップで、婚約指輪を爽真に買ってもらった。常につけていてほしいと爽真がねだるから、邪魔にならないようダイヤが埋め込み式のものを選んだ。


 いずれ結婚指輪を買うのだから婚約指輪はいらないと私は思うのだけど、爽真は違うらしい。一緒に選ぶのも楽しいんだと無邪気に言うから、きゅんとしてしまった。一年前の私が知ったら驚くこと間違いなしだ。


 刻印を頼んで、手元にくるのはもう少し先。これから少しずつ結婚に向けての行動が増えていくのだろう。今日はそのスタートの日なのかもしれない。


 次のデートではお返しの時計を見に行く予定。爽真はなにもいらないと言ったけど、自分だってどうしても婚約指輪を贈りたいと譲らなかったのだから、私の意見を聞けと迫って了承させた。こういうとき爽真は嬉しそうな顔をする。どれだけ私を好きなんだ。これじゃただのバカップル……。

 いや、そんなことはないはず。


 ジュエリーショップを出た私たちが向かったのは水族館。バッティングセンターだとディナーの前に着替えが必要になるから、今回は指輪選びを優先してそちらは次回にすることにした。


 高層ビルに入る、爽真と私の関係が変わるきっかけとなった水族館は、土曜の夕方ということもあってだいぶ混雑していた。それでも大水槽の前でタイミングよく席があいたので、ふたりで並んで座る。階段状になっている一番後ろの隅。目の前の白い砂が敷き詰められた海には、多種多様な魚が気ままに泳いでいる。


「そういえば」と爽真。声をひそめている。「ここで挙式ができると言ってたな」

「そうだね」

「候補にいれるか」

「うん」

 繋いだ手から爽真の体温が感じられる。第一営業部のトップはやることが早い。彼はもう人気の式場のピックアップを始めている。入籍に良い日もだ。私は日にちにこだわりはなく大安がいいのかなくらいの考えだったけど、もっと良い日があるらしい。

 

 これだけ行動力のある爽真がプロポーズをもだもだしていたというのが、なぜなのか分からない。今夜の五ツ星ディナーがその場の予定だったのではと思うけど、なんて切り出すのがよいか迷っているうちに数日経ってしました。


 ゆったり優雅に泳ぐエイを目で追う。弾丸のように飛ぶペンギンとはことなる良さがある。体の両側の波打つような動き。長くのびる尾びれもいい。癒される。


「今夜のレストラン」爽真の静かな声。「予約するときに、プロポーズをするから夜景が見える窓際がいいって頼んだんだよ」

「えっ」

 慌てて顔を見ると爽真は笑っていた。

「今日の俺は、これからプロポーズをする男だ。ちなみにプロポーズにオススメのレストランがどこも全然予約が取れなくて、キャンセル待ちをしてた」


 なにそれ? もしかして最近思い立ったことではないの?

 身体を寄せる。周囲のざわめきから距離を置くように。こちらの声が聞かれないように。


「前から計画してた?」

「ああ。莉音は恋愛ゲームが好きだろ。プロポーズはずぶずぶの定番とか、ロマンチックなのがいいんだろうと思ってあれこれ策を練ってたんだよ」と爽真。

 私の好みを踏まえてプロポーズしようとしてたわけ?

 胸がいっぱいになる。以前の私は、爽真は自己チューな男だと思っていた。


「まさか俺のほうが結婚を提案されるとは思わなかった。しかもキッチンで」

「気がついたら、すぐに伝えたくなったの」

 繋いだ手を強く握られる。

「最高」との囁き声。

 それは私のセリフだよ。


 そう返そうとしたとき大水槽の前にスタッフがやって来て、解説始まった。喋るのをやめて耳を傾ける。

 ふと、水族館での結婚式というのは貸し切りをするのだろうか、と思い付く。ものすごく高そうだ。いや、閉館後かもしれない。


 きのうの夜、『結婚式・準備』で検索しようとしたら、上位の候補に『ケンカ』というものがあった。そういえば準備でケンカになると、昔友達が言っていた。

 だけど私たちの場合は、夫側がやらなくて、というケンカはなさそう。爽真のほうが準備が早い。早々に結婚情報誌を買って、入籍から新婚旅行までにやらなければならないことのフローチャートを作っていた。私の両親に会いに行く日も決まっている。


 紗英子さんには爽真がメッセージアプリで報告。すぐに彼女から私に電話がかかってきて(翔太と寛太をお預りするときに連絡先交換をしたばかり)、

『莉音ちゃん、爽真をもらってくれてありがとう!』

 と感謝された。

 その後ろで翔太と寛太が

『お祝いするの? ねえ、お祝い! ケーキ食べる?』

 とはしゃいでいて可愛かった。


 スタッフによる解説が終わり、席に座っていた人たちが三々五々立ち上がる。

 私たちもそれに続き、次の人に席を譲ろうとしたら

「莉音」

 と声をかけられた。

 かつてのサークル仲間で、居酒屋で修斗と鉢合わせしたときに一緒に飲んでいたヤツだ。彼もデート中らしく女性と手を繋いでいる。


 彼は爽真を見て『あ』という顔をするとペコリと頭を下げ、再び私を見た。

「この前はごめん。修斗を止められなくて」

「もう忘れたよ」

「あれから俺たちも修斗から距離を置いてたんだけど、この前謝罪されてさ。なんかあの頃、職場で仕事も人間関係も上手くいってなかったうえに、嫁ともケンカばかりだったらしくて」


 だから?と言いたいのをぐっとガマンする。彼に八つ当たりしても私の気分が悪くなるだけだ。


「それで充実してそうな莉音が妬ましかったんだって」

「だから?」

 そう言ったのは私ではなく爽真だった。不機嫌丸出しの声。人相がめちゃくちゃ悪くなっている。サークル仲間は

「擁護してるわけじゃないですよ」と慌てる。

「分かった」と私はサークル仲間に答えた。「機会があったら修斗に伝えておいて。おかげさまで仕事より優先したくなるほどのいい男をみつけたって。しかも優先する必要もないの。どちらも私の一番で、差し支えもないから」

 爽真の表情がやわらぐ。


『じゃあ』と、かつての仲間に別れを告げてその場を離れる。彼は悪くないけど、せっかくのデートに水を差された気分だ。


「仕事しかしてこなかった宮本が、仕事より俺を優先か」爽真がニヤニヤしている。「気分がいいな」

「あの木崎が私のために、せっせと結婚の準備をしているなんて、勝った気分」

 自然と顔を見合わせる。


「せっかくの日だから趣向を変えよう」と爽真。「ペンギンだけ見て、展望台に行かないか」

「いいね。リニューアルしてから行ってない。――ねえ。初めてここに仕事で来たときも、急にバッティングセンターを誘ってきたよね」

「そうだな」

「私を気遣ってくれた?」

「俺がやりたかったんだよ。莉音を気遣わなくちゃならないようなことなんて、あったか?」

「ないよ」と答えて心持ち、爽真に体を寄せる。「――いや、この答えはちがうな。あったよ。爽真の気遣いだったって気がついたのはだいぶ後だったけど。助かった。あのときはありがと」

「ん。――俺もかなり後で気付いたんだが。もっと莉音と一緒にいたかったらしい」

「そういうことは早く言ってよね」

「莉音は俺をキライだったじゃん。まずはそこをなんとかしてからだと思ってたんだよ。藤野で惨敗したんだぞ。俺が闇雲に告白しても勝算ねえじゃん」

「そうだったんだ」

 私はフラれる前提だったのに。

「俺は誰かさんとは違って、フラれる気はなかったからな」

「ものすごく私を好きじゃない!」

「いけねえかよ」

 笑いを含んだ声。


 屋外エリアに出る。空は一面、茜色になっていた。



 ◇◇



 空の色がロマンチックなせいか展望台には距離が近いカップルが多い。……うん、まあ、爽真と私もだ。

 定番の東京タワーやスカイツリー、富士山、自宅方面を軽く見て、あとは刻一刻と変わる空を人混みから離れた場所で観賞。


 プロポーズのこと、水を向けるなら今じゃない?


「爽真」

「ん?」

 振り向いた爽真が私の顔を見てなぜか、口の端を上げた。

「爽真のプロポーズの計画を台無しにしたのは、ごめん」

「言うと思った。今、そんな顔をしてた」

「ひとの表情を読むな」

「ていうか、莉音がそう言うかもしれないと思って、今夜プロポーズする予定だったと話したんだよ。俺なりの反撃」

「反撃?」

「そ」


 爽真が空に顔を向ける。忍び寄ってくる藍色と去り行く茜色のコントラストが美しい。キッチンよりもプロポーズ向きだ。


「なんて言うつもりだったの? 聞きたい」

「言うかよ」

「なんで!?」

 私を見た爽真は笑っている。

「カッコ悪い」

「そんなこと――」

「俺は莉音の後塵を拝したの。負けたんだよ」

 負け?

「使うべきときに使えなかった言葉なんて、意味はない」

 なにそれ、カッコいい。


「謝罪を仕向けたのは俺だけど、『計画を壊した』だなんて莉音が考える必要はない」と爽真。「俺たちは入社以来のライバルだろ。ずっと勝ちを争ってきた。プロポーズの勝者は莉音。で、俺は、俺を負かすことができる莉音が好きなんだ」


 激しい感情が胸にこみ上げる。うつむき顔を隠す。それを補うかのように爽真が恋人つなぎした手に力を込めた。手が熱い。胸の中も。目頭も。


「……負けず嫌いのくせに」

「そう。俺は負けることは死ぬほど嫌い。――これが俺の反撃」

「……爽真にはかなわないよ。すごく、嬉しい」

「だろ?」

 爽真の手が私の頬をなでる。顔を上げて視線を合わせる。

「負けず嫌い」

「莉音もな」

 優しい声音。



 ――キスしたい。今すぐ爽真に。

 でもここ、外! 公共の場!

 私たちはバカップルじゃない。

 でもでも今、ものすごくしたい。

 どうせみんな外を見てる。私たちは隅にいる。


 どうする? しちゃう? しちゃっていいかな? イタイかな?



 ――こんなところで、最高に嬉しい言葉をくれる爽真が悪いよね?



 《終わり》


 ◇◇


 《おまけ》


 展望台の出口に向かいながら、

「ひとつだけ想定外があった」と爽真。

「なに?」

「あの男との遭遇」

「サークル仲間?」

「そう。あいつに悪気はないのは分かる。でもなんでよりによって今日なんだよ」


『だから?』と言った爽真が不機嫌マックスだったのは、反撃予定のせいもあったのかも。


「本当はペンギン前で言うつもりだったんだ。でもまた会ったら最悪じゃん」

「そうだね」

「とっさに展望台に変更したんだが――」


 視線を外に向ける。 藍色の空、瞬く星、色とりどりに輝く光。


「最高にロマンチックじゃない?」

「反撃大成功」嬉しそうに笑う爽真。

「プロポーズされて反撃を考えるなんて爽真くらいだよ。佐原係長がまた爆笑するな」

「莉音は佐原さんに話しすぎじゃね?」

「結婚式でスピーチしたいって。でも爽真は藤野に話しすぎだよね?」

「藤野は同期たちと余興するとか言ってたな。笑顔が胡散臭すぎたから断ったけど」

「胡散臭いってひどいなあ。だけど最近ちょっと分かる。でも結局は藤野は人がいいの」


 爽真がかすかな笑みを浮かべる。その顔から、口では悪く言っても大切な友達なんだなと分かる。


「みんな張り切りすぎ。やっぱ俺たちが第一と第二のエースだからだな」

「結婚式に綾瀬も乗り込んで来たりして」

「あり得るな。カオスになりそうだ」

「楽しみだね」

「ああ。――一年前の俺に教えてやりたいな」

 うん、とうなずく。私も同じようなことを考えた。まさか木崎と結婚することになるなんて、以前の私は微塵も思っていなかった。

「莉音は俺にべた惚れになるぞって」


 ニヤニヤ爽真。


「は? 自分こそ私にぞっこんじゃない」

「『好きになっちゃった、どうしてくれるの』と泣いた莉音は可愛かったな」

 カッと頬が熱くなる。

「性格悪い!」

「褒めているんだが?」


 言い合いをしながら展望台を出る。

 あのとき私が好きと言わなかったら、爽真はどうアプローチするつもりだったのだろう。

 そんな考えが頭をよぎったけど、きっと教えてくれないだろう。カッコ悪いと言って。


 そういえばあの日の飲み会。爽真を避けて遠くに座ったはずなのに、いつの間にか近くにいたっけ。あれはきっとわざとだったんだ。

 爽真ってば、私を好きすぎるんじゃないかな?



 《終わり》

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入社以来8年も犬猿の仲だったアイツを、好きになるはずがない 新 星緒 @nbtv

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