番外編SS『猫の日』

「今日は猫の日か」

 隣でスマホを見ていた藤野が呟いた。

「猫。ネコ。猫。……駄目だ、何も思い浮かばない」

 藤野は新しい企画を上げなければいけないらしい。だが上手くいっていないのは一目瞭然。だからといって俺の仕事の邪魔をするな。


 昼休みのオフィスは閑散としている。第二のほうも人はまばらで宮本もいない。藤野と俺は外回り帰りにちょっと早い昼飯を食ってきた。今日は予定も仕事もつまっていないから、さくっと定時で帰りたい。




「お、いたいた木崎!」

 そんな声に振り返ると、こっちにやって来る男がいた。同期で、まあまあ親しい井上だ。

「知ってるか、今日は猫の日だ」と井上。

「らしいな」

「これをやる」井上は持っていた紙袋を差し出した。「土曜に友達の結婚式があってさ。二次会のビンゴで当たったんだよ。俺には使い道がないから。宮本と楽しめよ!」


 じゃあなと言って同期は素晴らしい笑顔で去って行った。


「『楽しめ』って、何だ? ボードゲームか?」

 それにしては軽いが。紙袋の口をとめていたテープをはがして中身を取り出す。

「……」

「……」

 俺の手が掴んでいたのはネコのコスプレ衣裳だった。ちょいセクシーめの。


「そういやあいつ、離婚したばかりだな」と藤野。「着せる相手がいないってことか。み、」

「想像すんなよ!」

 急いで藤野の足を蹴る。宮本は俺の彼女だ。藤野には妄想の中だろうが貸さん!


「痛いぞ、アホが」と、藤野に蹴り返される。「宮本が絡むと途端にバカになるの、そろそろ止めろ」

「バカになんてなってねえし」

 お互い座ったままで、ゲシゲシと蹴りあいをする。


「何をやってるんだ。ここは小学校か」

 そんな声と共に課長が寄ってきた。

「木崎がアホすぎるんですよ。宮本にってネココスプレをもらったもんだから、煩悩まみれで」

「まみれてねえよ! こんなのいらねえ。ほら藤野。彼女予定の子と楽しめ」

 袋を藤野に押し付ける。

「木崎、そういうのが好きそうなのに」と課長。

「俺もいらないに決まってるだろ。彼女でもないのに渡せるか。そもそも趣味じゃない」

 袋が押し戻される。

「それなら俺にくれ」と課長が手を出した。

「……どうぞ」


 コスプレグッズを紙袋に戻して渡す。課長は抱き抱えるとほくほく顔で去って行った。



 ◇◇



「今日って猫の日なんだって」

 夕飯も入浴も済ませての、まったり時間。ソファの上で体育座りをして俺にもたれかかっている宮本が、スマホをいじりながら言う。

「佐原係長が可愛いのを教えてくれたんだ」

 宮本はほら、とスマホの画面を俺に向けた。猫のほのぼの動画だ。確かに可愛い。

 だが『可愛いでしょ』と相好を崩している宮本のほうがずっと可愛い。


「あとね」

 と、新たな動画を選ぶ宮本。

「猫が好きなのか?」

「そうだね。飼ったことはないけど」

「飼いたい?」

「うぅん、お世話がね。出張のときとか……あ、そうか。木崎がいるから大丈夫なのか」

「俺は今は飼いたくねえな」


 猫を愛でてる宮本も可愛いだろうが、はっきり言って邪魔だ。


「今? いずれはいいの?」

「世話できる自信がねえもん。宮本で手一杯」

 ちゅと首筋にキスを落とす。

「わ……私はお世話されてないし!」

「そうか?」


 ま、世話はしていないか。構っているだけで。


「そ、そういえばね」顔をほんのり赤らめた宮本が、話を続ける。「夕方、井上が『今日は絶対に早く帰れよ』って言ってきたんだよね。『何で?』って聞いたら、『帰れば分かる』って。アレは何だったんだろう。帰っても分からない」

「井上か」宮本にちょっかいを出しながら、昼間のことを思い出す。「景品で当たったっていう猫コスプレをくれた。セクシーめのやつ。『宮本と楽しめ』ってな」

「セクシー!? 着ないよ!」

「そう思って課長に譲った」


 それに、だ。着てもらうなら俺好みのがいい。他の男がくれたものなんて絶対に着させたくない。


「男どもめ、猫の日を履き違えているよね。今日は猫を堪能しつつ愛情をがっと注ぐ日!」

 そう言いながら、まだ猫動画を見ている宮本。

「はいはい、そうだな」宮本のスマホに手を伸ばして、取り上げる。「莉音。猫もいいが俺にも愛情注いだら?」


 真っ赤になる宮本。まだ俺に慣れないのだ。可愛すぎる。こんなアホ可愛い宮本に八年も気づかなかった俺はマヌケだ。


 ようやく俺を見た宮本に顔を近づける。

 と、逃げられた。なんでだ。

「……というか」と宮本。「井上、何で『帰れば分かる』って言ったの?」

「だから猫コス」

「待って! それって私が木崎と一緒に住んでいるって知っているってことだよね!」

「……そうだな」

「木崎、話したの!?」

「いや」


 宮本は同棲していることを社の人間に知られたくないらしい。仲の悪かった俺と、というのが恥ずかしいとほざく。付き合っているとみんな知っているのに何を今更と思う。が、彼女の気持ちを尊重して、許可を得た藤野にしか話していない。だが――。


「じゃあなんで知っているの? 佐原係長が他言するはずないし、まさか私の個人情報が漏れたの?」

「んな訳あるか」

「でも」


 仕方ない。宮本に伝えていなかったことを話すか。事前に言ったら引っ越して来ないと思って黙っていたこと――。


「このマンション、俺が知っているだけで社の人間がふたり住んでいる。情報源はそいつらだろ」

 これだけ社に近いんだ。いて当然なのに気づかない宮本はアホすぎる。


「聞いてない!」

「言っていないからな」


 宮本がぽすんと俺の肩に額を当てる。顔が見えなくなった。


「……何で知られるのがそんなに嫌なんだよ」

 正直、俺は面白くない。

「だって。まだ付き合い始めてから日が浅いし」

「関係ねえだろ」

「……木崎の家に転がりこむなんて、どれだけ好きなんだと思われそうじゃない」

「事実だろ」


 まだちょっと自信はないが、強気に言いきる。他人に知られたくないっていうのは、宮本がこの関係にいつか終わりがあると考えているからかもしれない。俺は考えてないが。


 宮本を失くさないよう、彼女の体に腕を回そうとしたら。

「……まあね」

 聞き取れるギリギリの声がした。


「……ほんと、莉音はアホ可愛いな」

 そう言って宮本を抱き寄せる。

「アホは余計」

「可愛いって言うと照れてつんけんするくせに」

「うるさい」



 猫コスなんてなくても俺たちは楽しい時間を過ごすし、実際に猫がいたら自分より可愛がられる宮本に嫉妬するだろう。

 俺には猫の日なんてどうでもいい記念日だ。だけど宮本が猫が好きならば、明日は猫カフェに行こう。宮本を堪能しきったらネットで店を探して。



 いや。『まあね』を聞いた今、堪能に終わりは来ないかもしれない。明日の状況次第だな。




 ◇End◇



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