番外編SS『憂鬱バレンタイン』
(藤野のお話です)
朝からしとつく雨が降っている。レイニーバレンタインかよ。ああ、鬱陶しい。
出勤するビジネスマンの人波に乗って歩いていると、社の手前でコンビニから出て来た高橋に出くわした。
「あ。藤野主任。おはようございます」
「……おはよう」
「あれ。今日も不機嫌ですか。眉間にシワが寄ってます」
マジか。手でそこをぐいぐいと押す。
「今日はバレンタインですねえ」
高橋は当然かのように、隣を歩く。こいつは俺になついてしまった。どうやら失恋仲間と認定されているらしい。腹立たしいが鬱憤を晴らすには丁度いい。
「賭けてもいい。100パー、木崎が自慢してくる」
「宮本先輩からのチョコをですか? だったら明日あたりじゃないですか? あ、でも、甘々な週末を送ってそうだな。くそっ」
宮本を手に入れた木崎は歴代の彼女には見せたことのない執着を発揮して、高橋のことを嫌っている。今の彼は彼女と適度な距離を保っているというのに。木崎が特に何かアクションを起こしている訳ではないが、その鋭い視線に気づかないほど高橋は鈍くない。宮本と違って。
「昨日はお互いにチョコを作り合ったはずだ」
木崎の甥にそれぞれ送り、どちらがより喜ばれるかの勝負をすると聞いている。そう説明すると高橋は、
「もう身内に紹介してるんですか。早っ」
と言って、深いため息をついた。
「俺に足りなかったのは、そのスピードですかね」
「それだけじゃないだろうが、高橋が時間を掛けすぎたのは敗因のひとつだな」
「だって宮本先輩、難攻不落すぎて」
それは賛同できる。だけど最近思う。もしかしたら、俺が眼中になかったから 何も気づかなかったんじゃないか、と。まあいい。もう終わったことだ。
だが木崎はムカつく。
「どうせ今日の木崎は惚気まくりだ。勝負の行方なんて聞きたくもないのに」
「……容赦ないっすね、あの人。俺、違う部で良かった」
「今度から高橋に話すように言っておく」
「やめて下さいよ。俺は藤野主任ほど神経図太くないですから」
ちらりと視線が寄越された。
「……自爆する覚悟も勇気もないヘタレなんで」
「……俺は自爆なんてしてない」
「そうっすか」
高橋は肩をすくめ、『もう、なんでもいいですけどね』と呟いた。
◇◇
席について始業までの時間を適当に潰していると、
「はよ」
との声と共に机に小箱が置かれた。
「……なんだよ、これ」
置いた犯人、木崎に問う。
「友チョコ。俺お手製」
「いらん」
「甥っ子に作ったのが余った」
「そう」
「力作だぞ?」
「……お前、変なところで完璧主義だからな」
中身は、木崎の言うとおりに力作なのは確かだろう。
「宮本のは残らなかったのか」
「俺が全部食った」
「だと思った」
「藤野には俺ので十分だろ」
「なんで男が作ったチョコを食べなきゃいけないんだ」
「主任がいらないなら私、食べてみたいです」
そう言ったのは若い女性社員だ。深い意図はないだろう。単純に、一見ガサツに見える木崎がどんなものを作ったかに、興味があるに違いない。
だが
「悪いな、これは藤野用だから唐辛子が入っているんだ」
木崎はそう断った。
なんだあと去っていく社員。
「本当に唐辛子入りか?」
と木崎に小声で尋ねる。
「入ってねえよ。間違って甥っ子にやったら大変だからな」
やっぱり。宮本に執着している木崎はその分、自分も異性との付き合い方に慎重だ。宮本に不快な思いをさせないように。どれだけ彼女が好きなんだ。
「これは」と木崎。「淋しいバレンタインを送る友人へ、俺からのプレゼント」
「俺は淋しいバレンタインなんて送ってないが?」
「何?」
「昨日も今日もデートだ」
木崎がアホ面で瞬く。それから表情が変わった。
「いつの間に彼女ができたんだよ」
心の底からほっとしたような顔だ。
――本当に、腹が立つ。
「まだだ」
「へえ。詳しく」
「教えないね」
「何でだよ」
「また横取りされかねない」
「しねえよ!」
不快そうに目を細める木崎。
「信用できるか」
なんて言いつつも、こいつに恋路を邪魔されるなんて二度とないだろうとは思っている。
と、木崎の表情が緩んだ。視線が第二のほうへ向けられている。なんだその顔。デレやがって。
ヤツの視線を辿ると、第二の女子たちが集まって、何やら盛り上がっている。その中で楽しそうに笑っている宮本。――ものすごく可愛い。
俺はスマホを取り出すと、昨日撮った写真を画面に出した。
写っているのは、パティシエが作ったような仕上がりの立派なチョコケーキと、それを持つ俺の手。
「ほら」
と、木崎に見せる。
「お、すげえ。これでまだなのか?」
「そう」
正確には『まだ』じゃない。『いずれ』もないからだ。頼まれてネット上での彼氏を演じただけなのだ。
「旨かった?」と木崎。
「旨かったが四分の一でギブ。これ以上チョコは食えない」
と、視界の端になにやらうるさい動きが目に入った。綾瀬だ。バタバタとこちらに向かって駆けてくる。
「あいつにやれば」
「洒落にならなさそうじゃん」
「だな」
特に用もないのにやって来た綾瀬のおかげで、木崎の惚気を聞く間もなく始業時間となった。もっとも今日一日油断は出来ないが。
自席に向かう友人を横目で見ながら、置きっぱなしにされた小箱のフタを開けた。中に入っていたのは、全くタイプの違う二種類のチョコだった。
これ。両方ともあいつが?
木崎はと見ると、パソコンに向かっている。
もし違うとしても。木崎に腹は立ってはいるが、本当に終わったことなのだ。
ひとつを摘まんで口に入れる。
当然ながら、チョコの味がした。
《End》
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