最終話 想定外の計略

 半個室に戻ると、それまでの騒がしさが一瞬にして消えて、全員の視線が私たちに向けられた。

 何だか変。


「買えたか?」

 と、今度は木崎の席に座った藤野が笑顔で尋ねる。

「買えた。会計の時に渡そう」

 そう私が答えると、またざわめきが戻り、『木崎が酒で失態だなんて初めてじやないか』と盛り上がる。


「藤野」と木崎が声を掛ける。「俺たち付き合うから」

 途端に二度目の静寂が訪れる。


「木崎!?」

 いや待って、今ここでその話!?

 みんなのこの反応を見て、木崎!


「祝ってくれよ」と木崎が言葉を継ぐ。

 と、同時に

「ふざけんな!」

「負けた!」

「宮本、今すぐにフれ」

 なんて叫び声が上がる。

 そして目の前を紙幣が飛び交い、藤野の元に集まる。


「え、何事?」と私。

「お前、俺で賭けをしたのか」と木崎。


「いやさ」と、ひとりが声を上げる。「木崎と宮本を一緒に行かせるのはまずいんじゃないかって言ったら、藤野が木崎は宮本狙いだから問題ないって」

「それなら次の同期会までに木崎が宮本を落とせるかを賭けることにしたんだけど」と別の同期。「瞬殺すぎるだろ、藤野、こうなることを分かってただろ!」

「分かるはずないだろ」と笑顔の藤野。

「ちょっと待て」と木崎が藤野が集める紙幣を見て、それから同期の面々を見渡した。「集まる金が多過ぎじゃねえか? お前ら俺がフラれると思ったのか!」


 笑い声やら非難やら、はたまたお祝いの言葉が溢れかえる。その中で藤野は最後まで笑顔を崩さなかったけど、木崎と言葉を交わすこともなかった。




 ◇◇




「――で、 藤野の独り勝ちだったの?」

 週が明けての月曜日。昼休みに佐原係長にいつもの定食屋に連れ出された。木崎とのことはすでに社内に知れ渡り、朝から私の周囲はおかしな雰囲気になっている。

 高橋は諦めます宣言をしてくれたけど、第三の綾瀬は改めての敵対宣言。綾瀬の怒りっぷりが不思議になって、木崎の恋人になりたいのかと尋ねたけどそうではないらしい。なんと彼女もいるという。信者の心理はよく分からない。


 そんなおかしな騒乱から私を守るという名目を口にしていた佐原係長だけど、本心がそうでないことは明らかな表情だったし、実際そうだった。

 金曜のことは一部を除いて洗いざらい白状させられた。


「いえ、他にもいましたよ。圧倒的に数は少なかったですけど」

 掛け金はその場で山分けされ、結構な額になったらしい。

 誰かが次の同期会までに私たちが別れているかを賭けようと提案したけど、木崎が

「絶対にない!」

 と断言して、冷やかしの嵐になったのだった。


「それで、藤野はどう?」

 と佐原係長が相変わらずご飯をもりもり食べながら訊く。


 藤野は結局、あの日最後まで木崎と話さなかった。私とは喋ったし笑顔でいたけど、何を考えているのかはよく分からなかった。


 だけど翌日、木崎の家に着払いの荷物やらデリバリーフードが山と届き、彼から木崎と私の両方にメッセージが来た。

『これでチャラにしてやる』って。


 それを聞いた佐原係長は

「案外、陰険!」

 と笑い転げた。


 本当にその通りだ。次から次にとドアチャイムが鳴らされるものだから、ちっとも落ち着けなかった。――というか木崎が『いちゃいちゃ出来ない!』と怒りまくっていた。


 でもそれで気持ちを整理してくれたのだろう。今日はまだ、私は藤野に会っていないけど、第一のほうで木崎といつも通りに話している姿は見た。仲直りをしたようだ。


「ところで佐原係長」

「ん?」

「前に木崎のことを『大穴は彼』って言いましたよね。知って、いや、分かっていたんですか?」


 藤野とフレンチレストランに行った日、彼女はそう言った。冗談ですよねと尋ねたかったのにそうできなかった私は、その時すでに木崎に惹かれていたのだと思う。


「何も」と佐原係長は否定した。「ただ、昔から宮本がムキになるのは木崎だけだったし、木崎が楽しそうに意地悪をするのは宮本にだけみたいだったから」

「……楽しそうに意地悪って」

「小学生男子だね」佐原係長が笑う。「でも仕事で組んだら、いい感じだし。これはアリかもって思うじゃない。私、大当たり。木崎の元カノの多さが心配だけど。宮本、刺されないように気をつけてね」

「怖いことを言わないで下さい」


 正直なところ、そこは心配ではある。木崎は彼女を途切れさせないことで有名なモテ男だ。

 私にすぐ飽きてしまうのではとか、やっぱり可愛くないからいらないと思うのではとか、考えてしまう。

 不確かな未来を不安がっても無意味だとは分かっているのだけど……。




 ◇◇




 木崎と付き合いだして二度目の週末。初めてのデート場所にヤツが提案したのは、例の水族館だった。前回は仕事だったから、ちゃんとデートとして行きたいと言うのだ。

『仕事の担当者に鉢合わせしたら恥ずかしくない?』と難色を示した私に、木崎は『そうそう館内にいねえよ』と返してきた。確かにそれはある。

 それに実は私は前回、クラゲのエリアで写真を撮りたかったのに木崎の前だからと変な見栄を張って我慢していた。だから水族館を了承したのだけど、甘かった。


『ちゃんとデート』の意味は木崎の家を共に出た途端に判明した。手を繋いできたのだ。


「三十路がこれはイタくない!?」

「知るか。俺がしたいからいいんだよ。馴れろ」

 木崎はそう言って更に、指を絡める恋人繋ぎにしてきたのだった。

 それで地下鉄に乗って、繁華街を歩いて。

 いや、これはどうなのと思いながらも、喜んでいる自分もいたりする。我ながらチョロすぎる。


 木崎は意外にも、彼女にデレるタイプらしい。今まで通りのときもあるけど、異様に甘々な雰囲気を出してくるときもあるのだ。そんな時の木崎は普段とのギャップがありすぎて、可愛い。


 歴代の彼女たちにもそうだったのかなと思うと、モヤモヤしてしまうけど。


 ただ。昨日、一週間ぶりに藤野と話した。彼の話術に乗せられて、つい、抱える不安を口にしてしまった。そうしたら藤野は、

「同期会でどうして木崎が交際宣言をしたと思う?」

 と尋ねた。

「友人に義理を通したんでしょ?」

「んな訳あるか」と藤野は笑った。「みんなの前で宮本は自分の彼女だと知らしめて、俺が横取りしないよう牽制したんだよ。略奪は俺のイメージじゃないだろ?」

 にわかには信じがたいことだった。

「でも藤野だって、」

「俺のことはノーコメント。とにかく木崎は宮本が思っている以上に、宮本への独占欲が強いぞ」

「まさか」

 私がそう否定すると藤野は、

「ま、本人も気付いていない」

 と、笑った。

「あいつ、自分以外の人間が宮本の悪口を言うと激怒するんだ。いつだったかカフェで聞いただろ。

 八年来の友人だから分かる。木崎にとって宮本は特別だよ。だから安心して大丈夫」

 藤野は笑顔で、そう励ましてくれたのだった。




 ◇◇




 念願のクラゲの写真を撮っていると、横からの視線を感じた。見ると木崎が私を見ながらニヤニヤしている。顔の横の下ろした髪に触れられる。

「……なに?」

 なんだかものすごく恥ずかしいのだけど!

「難色示したわりには、ノリノリ」

「いけない?」

「アホ可愛い」

「アホは余計。褒めるならちゃんと褒めなさいよ」

「俺のことを褒めてもいいんだぞ?」

「……今日の靴も高そう」

「そこかよ!」

 いや。私服の木崎もカッコいい。さすがモテるだけある。恥ずかしいから言わないけど。


「宮本」

「なに?」

「この格好で会社に行くなよ」

 今日の私はゆるふわではないけど、そこそこ可愛くしていると思う。髪もおろして、きちんとヘアアイロンもかけたし。でも木崎的にはアウトなのだろうか。結構ショック。


「こんな可愛い宮本を藤野と高橋には見せたくない。再燃しかねないだろ」


 何それ!

 急なデレなの?

 やめてよ、心臓に悪い!


 何か上手い返しをと思ったとき、バックが振動した。中に社用スマホが入っている。

 初デート中なのに、と思いながら取り出すと、メッセージが一件届いていた。


「部長からだ」

 滅多にないことに慌てて人のいない隅に移動して、アプリを開く。すると――


『まさか木崎と結婚するとはな。おめでとう。そして喜べ。主賓の挨拶は私が勝ち取った。第一部長は乾杯の挨拶だ』


「……どういう事?」

 木崎が私のスマホを覗き込む。それから、ああ、と呟いた。

「昨日、うちの部長に確かめたんだよ」

「何を?」

「うちの社、夫婦で同じ部にはいられないって噂があるじゃん。第一と第二で違うけど、俺たち同じ営業だろ。問題ないかって。で、部長が人事に確認してくれたんだけど、大丈夫だそうだ」

「ふ……」


 夫婦? それはまた、ずいぶん先走った質問ではと思いつつ、言葉にならない。

 それが頭をよぎったことは何度かあるけど、まだ付き合い始めて一週間だし、私は木崎の好みじゃないからいつ飽きられるか分からないし、と頭の中がぐるぐる回る。


「……気が早くない?」

 ようやく、それだけを言う。

「だって宮本だぞ? 営業にいられなくなると困るからって理由で、別れ話を切り出しかねないじゃん。確認しておくにこしたことはねえだろ」


 何その心配! 我ながらあり得そうだとは思うけど、木崎に対してだけはない……気がする。というか、木崎、そんなことまで考えているの?


「ちゃんとただの確認って言ったんだが。うちの部長が話を盛っちまったみたいだな」

 嬉し恥ずかしい気分だ。だけど。

「まずいよね、それ。そんな予定はないですって送るね」

「……送ってもいいけど」


『けど』?

 スマホに落としていた視線を木崎に向ける。


「俺はわりと真面目に考えてるから。三十だし。子供欲しいし。育休のタイミングとか昇進とか、色々あるだろ」

「……彼女ができるたびに、そんなことを考えているの?」

「そんな訳ねえだろ。宮本だからだよ。俺のライバルはお前しかいねえの。途中離脱されたら困るんだよ」


 館内は薄暗いのに、木崎の顔が赤くなっているのが分かる。

 鼓動が早い。好きと告げられたときよりも嬉しいかもしれない。


「……じゃあ、私も真面目に考える」


 木崎が破顔する。

 これはもしかして藤野の言う通り、木崎は相当、私を好きなのではないだろうか。

不確定な未来に対する不安が遠退いてゆく。



 ◇◇



 外に出て、手を繋いで泳ぎ回るペンギンを見ていると、

「木崎さん?」

 と声がした。

 振り返ると、水族館側の担当者だった。

「ああ、やっぱり、木崎さんと宮本さんだ」

 バインダー片手にスーツ姿の彼は、営業用には見えない笑顔を浮かべた。

「わざわざ休日に来て下さったんですか。ありがとうございます」


 なんでこんなときに限って遭遇するのだ。

 慌てて手を離そうとする。だけど木崎ががっしり握っていて離してくれない。


「やっぱりお付き合いしてたんですね」と担当者。「正直に言ってくれればいいのに」

『やっぱり』? 彼にはそういう風に見えていたのだろうか。そんなはずはないと思うのだけど。でも万が一、仕事に差し支えたら大変だ。誤解は一応、解いておこう。


「いえ、最近の話なんです」

 私がそう言うと担当者は瞬きをしたあとに、木崎を見てニヤリとした。

「なるほどです。そういう訳でしたか」

 木崎は

「まあね」

 と返す。何なんだ。意味が全く分からない。

「うちはブライダルにも使えますよ。ぜひご検討を」

 担当者はそう言って、では、と足早に去って行った。


「何の話?」

「何でもねえよ」

「分かった。直接聞いてみる」

 彼の連絡先は知っているので、空いた手でバックから社用スマホを取り出す。

 木崎が小声でクソっと悪態をついた。


「あいつに頼んだんだよ」

「何を?」

「永井の代役に宮本を推してくれって」

「え?」

 木崎の顔がまたも真っ赤になっている。

「その時は下心はなかったぞ。単純に宮本との仕事の感触が良かったからだ。あれには力を入れてて、変なヤツに代役につかれるのはイヤだった。他部署でデカい仕事をいくつも抱えている宮本を引き込むには、外部の声が必要だったんだよ」

「……私の代役、渋々折れたんじゃなかったの?」

「社の人間はみんなそう思ってる」


 じっと木崎の顔を見る。


「まさか怒ったのか? あ、あいつは、頼まれなくても宮本がいいと考えていたって言っているぞ」

「違う。怒ってないよ。ありがと、木崎。木崎に仕事を認められるの、ものすごく嬉しい」

「そうか。宮本に嬉しく思われて、俺も嬉しいらしい」

 繋いだ手に力が込められる。

「だが今になってみると、下心もあったかもしれない」

「……それも込みで嬉しい」



 木崎は顔をくしゃりとさせると繋いだ手を持ち上げて、私の手の甲にキスをした。

 それが信じられないほど幸せに感じる。


 おかしいな。木崎のことは大嫌いだったはずなんだけど。

 でもそれはきっと、お互い様。


 私も木崎の手の甲にキスをして。

 再びペンギンの水槽を見た。


 都会の空を、泡の航跡を描いて飛ぶペンギン。カッコいい。


「俺、本当は」と木崎が言う。「ここのペンギンがめちゃくちゃ好きなんだ」

「私も。前回でファンになったよ」

「年パス、ありがたいな」

「ほんと」


 しばらく黙ってペンギンを見ていたけど、解説時間が近づいて人が集まってきたので、その場を離れた。


 木崎がいつものニヤニヤ顔で私を見る。

「このあとはバッティングセンターに行かないか?」

「賛成。今日こそ勝負をつけよう」

「俺が勝つに決まってる」

「私に決まってるでしょ」

「初デートだぞ。彼女にいいとこを見せたいんだよ、察しろ、鈍感」

「初デートだろうが得意分野で負けるなんて、我慢ならない。気づきなさいよ、自己チュー」

「負けねえから」

「それはこっちのセリフ」

 木崎が楽しそうに笑い、私の胸がキュンとした。


 参った。私は相当、木崎が好きみたい。



《End》

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