5・《幕間》藤野

 エレベーターを降りる。足は第一でなく、第二に向かう。

 高橋はデスクでパソコンに向かっているが、見るからに辛気臭い。フラれて落ち込んでいる。


「高橋」

 と声を掛けると、ビクリとして振り返った。

「ちょっと顔を貸せ」

 一瞬の躊躇のあと、ヤツは立ち上がった。

 人気のない、会議室のほうへ行く。


「何の用です?」

 背後から不機嫌な声。

「お前、サンドバッグな」

「は?」

「しくじった」

「何の話です?」

「しくじったんだよ、くそっ」

「あなたも宮本先輩にフラれたことですか? 佐原係長に聞き出してもらいましたよ」

「違うわ、能天気」

「酷いな、さっきから。人相が悪くなってますよ。自慢の爽やかさが台無し」

「うるさい、しくじったんだ、二度も。八つ当たりさせろ」

「うわ、最低――で? どうしたんです? サンドバッグにするならするで、ちゃんと説明して下さいよ」


 つきたくなくとも大きなため息が出る。廊下の壁にもたれかかった。


「木崎を自覚させちまった」

「――なるほど」


 犬猿の仲のはずの宮本が、木崎の中で特別な存在だと気付いたのは木崎本人より俺が先だった。あいつは無意識に宮本と競い合えるのは自分、貶していいのも対等である自分と考えている。その役を他人に譲る気はこれっぽっちもない。


 そんな木崎の宮本に対する思いがいつ変質したのか、それとも最初からそうだったのかは、俺は知らない。だが今のあいつのそれは、恋情だ。マヌケなことに、自分で気付いていなかったが。


 あいつは俺が話す宮本の鈍感ネタが好きだが、それは全て、俺が失敗している話だからだ。


 俺は、このまま気付かないでほしいとい願いながらも、抜け駆けをしているという多少の引け目もあった。木崎は気の合う友人だ。今や学生時代の友人より長く一緒にいる。


 だが。


 木崎に、宮本に告白すると宣言したときに返された言葉に、怒りが湧いた。あいつは『当日中に結果を知らせろ』と言ったのだ。


 彼女を途切れさせない合コン好きの木崎は、手も早い。なのに俺の告白にそれを結びつけて考えなかった。はなからフラれると思っているからだ。だから。


 予想を上回る惨敗を喫したあの晩、約束を破り、木崎に連絡を入れなかった。


 宮本が、あまりに俺への関心がなさすぎること。木崎エピソードならいくらでも出てくること。それも腹立たしかった。


 連絡が来ないことで、木崎が俺と宮本が朝まで共に過ごす仲になったと誤解し、苦しめばいいと思ったのだ。

 そんなことをすれば、木崎は自覚するだろうとの予測はしていた。それでも、やめられなかった。わずかな時間だけでも、あいつに勝ちたかったのかもしれない。


「つまり」と高橋。「三つ巴戦が始まったって訳ですね。そしてあなたは、あなたと俺が不利だと考えている」

 高橋を見る。

「――思ったより、頭が回るんだな」

「あなたこそ。思っていた以上に性格が悪い。俺と共闘するつもりですか? 友人を裏切って、どうしたいんです?」

「裏切っていない。絶交しただけだ」

「『絶交』」


 昨日、木崎は電話を一本寄越したあと、うちにやって来て宮本との顛末を根掘り葉掘り、真顔で訊いた。その締めにヤツは、『今更で悪いが、宮本は藤野にも高橋にも渡さない』なんて言ってきたのだ。俺は余計なことは一切言わずにショックを受けたふりをして、絶交を言い渡した。


「下でふたりが話している。反吐が出るほど、いい雰囲気だ」

「まさか」

「木崎のヤツ、めちゃくちゃ楽しそうにしていた」

「でも宮本先輩はあの人を嫌っていますよね」

「お前、ほんとに能天気だな」


 宮本は仕事好き。他にろくな趣味もない。気分転換にゲームをするとのことだが、それで繋がっている友人はいないらしい。

 仕事しかない彼女の関心がある男はただひとり、木崎だけ。


 高橋にそう説明する。


「木崎と張り合って、負けまいと努力して。マイナスの感情に起因するとはいえ、宮本の眼中にあるのは木崎だけなんだよ」

 前から察していたことだが、口に出して改めてみじめになった。

「そんなことは……」高橋の顔が歪む。「ない、と思いたい」


 なんとか宮本を木崎を引き離したくて。あいつの元カノ情報をぶつけてみたが、失敗だった。何の効果もなかった。それどころか、俺の評価を下げたのかもしれない。


 宮本に『一緒に戻ろう』と声をかけたら彼女は『私たちはまだ話がある』と拒否した。俺が声を掛ける前、重要な話をしている様子はなかった。単純に俺を拒み、木崎を選んだのだ。


 それに『私たち』だと! あれほど嫌っていた木崎との連帯感を匂わせた。きっと意図したものじゃない。だからこそ、その些細な言葉に衝撃を受けた。


 元カノだなんて余計なことを言うべきじゃなかった。むしろ『そうでもない』と否定するべきだった。

 そのほうが、ひいては俺のためになっただろう。




「絶交」と高橋が言う。「俺は木崎係長をよく知らないですけど、絶交されたからって友人を傷つけて悪かったっておとなしくしてる人じゃないと思うんですよね。実際、宮本先輩と楽しそうにしてるらしいし」

「……」

「むしろ好機と捉えて、遠慮なく口説きまくるタイプじゃないですか? 考えるだけでムカつくけど」

「……そうかもな。失敗した。しくじりまくりだ」

「どうなんでしょう」と高橋。「そこまで考えが回らないほどあなたは焦っていたのか、分かった上で絶交を告げたのか」

「……考えつかなかった。焦っていたようだな」

「そうですか。――自爆をするなら勝手にどうぞ。俺は捨てられた子猫に擬態して、先輩の良心に訴える作戦です。なんで、あんまり無意味に席を外していたくないんですよ」


 『サンドバッグになる気は失せたから、これで』と言って高橋は去って行った。

 生意気な男だ。全然可愛い後輩じゃない。



 絶交を申し渡したことに、深い意味なんてない。穿った見方をしやがって――。

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