5・2 想定外の気持ち

 ランチを終えて佐原係長と社に戻ると、そのビルの前に立つ木崎を見つけた。鞄を片手に第三営業部の間宮さんと話している。


 彼女は綾瀬と同期で入社二年目。我が社の営業には珍しい、ふわふわして可愛らしい女の子だ。いつも髪を、どういう構造になっているのか見当もつかない、ゆるふわに結っている。服装もフェミニンなスカートにブラウス。今日は襟付きジャケットを合わせて雰囲気を引き締めている。おしゃれが好きなのだろう。


 あの子、木崎の好みど真ん中なんじゃないだろうか。


 そう思って見ていたら木崎がこちらを見た。目が合う。間を置かず、大股でこちらに歩いてくる。

「宮本、ちょっといいか。水族館の件」

「じゃあ私は先に戻るね」と佐原係長が社の中に入ってゆく。


「宮本、こっち」

 と木崎が顎をくいっとして方向を指し示すと、エントランスから離れる。こちらを見ている間宮さんがにこりとして首を可愛らしくかしげて挨拶をし、彼女も中に入っていった。


「どうしたの? トラブルでもあった?」

 後をついて行きながら尋ねる。だけどそれなら電話をくれればいいことだ。

 木崎は人波から距離を置くと、

「高橋はどうした」

 と声を低くして言った。用件は水族館ではなかったらしい。


「改めてお断りした。アドバイス通りにできたと思う。けど、」

「『けど』?」

「佐原係長に助けを求めたみたい。彼女は望みはないと答えてくれるって約束してくれたけど、どうなるかは分からない」

「そうか」

「ふじ……」

『藤野は』と尋ねようとしたとき、


「あ、先輩!」

 と大声がした。続いて駆けてくる足音。

「ラッキー! こんなところで会えるなんて」

 満面の笑みの綾瀬が、ご主人様に駆け寄る大型犬のような様子で走って来た。

「うるせえ、叫ぶな」

「お礼を言いたくて」

 綾瀬はちらりと私を真顔で見たものの、すぐに笑顔で木崎に向き直った。


「彼ら、飛ばされることになりそうです」

 低く抑えられた声。

 木崎が私を一瞥する。

「外すね」

「構わねえよ」と木崎。「『お荷物』の話。宮本も迷惑被っていただろ。綾瀬はもっとやられてたんだよ。仕事に支障をきたすくらい」

「小さいヤツらですよ」と綾瀬。「先輩の爪の垢を飲ませたほうがいい。5トンくらい」

「そんなに出ねえよ」


 エヘっとする綾瀬。


「予定通り、先に人事部のお姉さま方に根回ししてから、集めた証拠を課長と一緒に部長に提出しました。さすがに部長も隠蔽できないと判断したようで。対処を確約してくれました」


『お姉さま方』って。部内のことだけで済まされないように、綾瀬は年上受けする利点を使ったのか。


「さすが木崎先輩。目論見通りですね」

「自称とはいえ、俺の弟分だからな」

「目論見?」

 ふたりが私を見る。

「宮本先輩は知らなくていいことです」と冷たい目をした綾瀬。

「ん。俺の指示」と飄々とした木崎。

「僕たちだけの秘密です!」

「なら宮本の前で話すなよ」

「木崎先輩は僕の味方だって、自慢はしたいっ!」

「めんどくさいヤツ」

 木崎はそう言って笑っている。楽しそうだ。


『先輩、一緒に戻りましょう』『俺はこれから外回り』なんて会話を経て、渋々綾瀬が去っていくと、急に静かになった気がした。若さなのか綾瀬だからなのか、元気の塊みたいなヤツだ。それにしても――


「さっきの話。木崎が指示を出したの?」

「そう」木崎がニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。「綾瀬がイジメられてすぐに相談してくれたからな。わざと放置して罠張って、証拠が大量に集まるのを待った」

「え」

 わざと? 罠?

「あいつらは無能なくせに部長にはうまく取り入ってるからな。部長でも庇えなくなる事例が必要だったんだよ」

「だからって罠だなんて。バレたらまずいんじゃないの?」

「だから?」

「正攻法にしなよ。敵ばかり作っているし。いつか足元をすくわれかねないよ」

「心配してくれるのか?」

「木崎を蹴落とすのは私なの! 仕事とは関係ないことで戦線離脱されたら困る」


 木崎は目をみはり、それから顔をくしゃりとした。実に嬉しそうに。


「俺がそんなミスをするかよ! 心配しなくても離脱する気はねえ。宮本のライバルはずっと俺だ」

「別に心配はしてない」


 なんでそんなに嬉しそうなんだ。調子が狂うじゃないか。


「それよりさ」と話を変える。「藤野はどうだった?」

「――ああ」木崎は急激に真顔になった。「諦める気はないな。俺は藤野の件は関与しねえけど、宮本」

「うん?」

「誘われてもノコノコついて行くなよ」

「もう行かないよ」


 ノコノコって。幼児じゃないんだからと言い返したいけど、何も気づかずフレンチレストランに行ったのは事実だし。


「ならいいけど、宮本だからな」

「何よ、私だからって」

「アホ喪女で天然激ニブ鈍感」

「ひどい」

 ……どこかで聞いたことのあるようなフレーズだけど。まあ、いいや。


「それよりうっかりしていたんだけど、来週の同期会。私も幹事なの」

 藤野が引き受けてくれて、出欠の取りまとめやお店の予約なんかは全部やってもらっている。だけど言い出した私が何もしないのは悪いから、当日だけはサポートをする約束をしてしまっているのだ。


「木崎、代わってもらえないかな。もちろんお礼はする」

「――ムリだな。藤野が聞かねえよ」

「そう?」

「もしかしたら、そこまで読んで告白をしたかもな。宮本が距離をおこうとしても、幹事で顔を合わせられる。あいつ、お前が思ってるより、ずっとしたたかだぞ。高橋のメールにも気付いてた」

「うそっ!」

「オーケーをしないって見越して、気付かないふりをしてたらしい」

「……藤野、上手?」

「上手だよ。なんで営業に回されたんだと思ってるんだ」

「木崎にない人の良さと爽やかさが武器になるから」

「俺もいい男だぞ?」

「聞き飽きた」


 なぜか木崎が口を閉じ、私をじっと見る。視線が居心地悪い。


「なに?」

「何で、いつも黒いパンツスーツなんだ? 昨日のウェアは可愛かったじゃん」


 と、突然なに?

 可愛い!?

 木崎が私に向かって!?


 ……いや、落ち着け。違う。私じゃない。『ウェア』と言った。服装の話だ。


「私服と仕事用は別」

「そうだけど。昔はもっと色々着てただろ」


 そんなこと、よく覚えているな。


「同じパターンの服ばっかりで飽きねえの?」

「いいの。 男だってみんな代わりばえしないスーツじゃない」

「宮本よりは変化がある」

「……面倒なの。いけない? 朝から服を考えて髪をセットしてって。そんな時間があったら、寝る」

 木崎がぶふっと吹き出す。

「ほんと、枯れすぎにもほどがある」

「悪い? 誰にも迷惑は掛けてない」


 ビルに吸い込まれて行く人たちを見る。だいぶ減った。もう昼休みが終わる頃合いなのだろう。

 ――彼女はいつも、ザ・女子って感じだ。


「……さっきの第三の間宮さん」

「……」

「木崎の好みなんじゃない? ゆるふわで可愛いよね」

「宮本、正解」藤野の声がした。

 振り返るといつの間にそばに来たのか、笑顔の藤野がいた。

「……やっぱり? そうなんじゃないかと思ったんだ」

「元カノだよ。最新の」

「藤野!」

 木崎が珍しく不機嫌な顔と声で友人を睨んだ。

「構わないだろ。復縁を考えて、」

「ねえよ!」

「そうだっけ?」


 藤野が笑顔を私に向ける。

「宮本、戻るところだろ? 一緒に行こう。木崎は外回り、早く行けよ。時間が押してるんじゃなかったか?」

「藤野、先に戻って。私たちはまだ話が終わってないの」

「――そうか。じゃ、お先に」

 そう言って藤野は微笑んだまま、去って行った。その背を見送る。



「やっぱり若い子をだまくらかしているんじゃない」

「……俺はいい男だから老若男女にモテるんだよ」と木崎。

「範囲広すぎ」

 ハハハと笑い、だけど胸の奥が痛かった。



 元カノ。

 ゆるふわで可愛い、若い女の子。

 復縁。

 


 それらが胸にグサグサと刺さる。

 どうして私はこんなにショックを受けているんだ。

 これではまるで、木崎のことが――。

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