3・2 想定外エレベーター

 ギャラリーを出るとき大学生の女の子がひとり見送りに出て、丁寧に頭を下げてくれた。五人いた全員が作品の制作者だと思っていたのだけど違ったらしい。実際はひとりだけで他四人はお友達。部長子息はいなかった。


 それでも木崎はオブジェを買った。学生への説明では、デザインの仕事をしているお姉さんへのプレゼントということだった。作品は会期中は展示を続け、終了したら配送してくれるのだそう。


 エレベーターを呼ぶボタンを押し、到着を待つ。

「――今日はカフェに寄るのか?」

 木崎が腕時計を見ながら言う。

「カフェ?」

「いつも高橋に頼まれるんだろ? 藤野が話していた」

「ああ。毎回じゃないし、今日は頼まれてない。高橋、外に出てるはずだし」

「ふうん」


 エレベーターが到着して扉が開く。乗り込むと床がわずかに揺れる。古いからなのだろうか。ゆっくり扉が閉まり、ぎこちない動きで下降が始まる。ある意味ジェットコースターよりも怖い。


「なかなかレトロだよね、このエレベーター」

 狭いせいで木崎との距離も近い。

「今にも止まりそうだよな」

「やめてよ」

「怖いのか?」

 木崎が意地の悪い笑みを浮かべている。

「会議があるから。木崎だって来客なんでしょ。止まったら困るじゃない」

「そうそうねえよ、そんなマンガみたいなこと」

「まあね」


 表示階数はようやく六階。


「そういやお前、俺抜きで同期会をやろうとしただろ」

「あ。藤野、なんで言っちゃうかな」

「陰険」

「でも、してないじゃ――」


 突然、スマホの緊急アラームが鳴りだした。狭いエレベーター内に響き渡る。

「地震!?」

 木崎が素早くパネルに手を伸ばす――と、揺れが来た。大きい。ガタン、とエレベーターが音を立てて揺れた。

「やべえ!」

 木崎が階数ボタンを押しまくる。すべての階を押したようだ。だけど――。


 エレベーターは揺れている以外は動かず、扉も開かない。

 アラーム音が鳴り続けている。


 まさか、閉じ込められた? いや、揺れが収まれば動くかも。 まずは落ち着かないと。

 スマホを取り出し、アラームを切る。木崎も切って、静けさが戻る。それだけでほっと息がつけた。

 アプリを開きニュースサイトを見る。だけどまだ地震のことは出ていない。


「繋がらねえ」


 その言葉に目を上げる。木崎は緊急連絡のボタンを押していた。


「壊れているの?」

「いや、連絡が殺到してるんだろ。いくら古くても点検はしてるはずだからな」

  数分待ってみたものの、エレベーターは止まったままで、緊急連絡先にはボタンでも電話でも繋がることはなかった。

 これはもうダメだろう。


「社に電話を入れるね」

「頼む」


 かけられるか心配をしたけど、普通にコール音が鳴りすぐに繋がった。電話口の社員に木崎とエレベーターに閉じ込められたと伝える。傍らで木崎が水族館の部長がくれたポストカードを写真にとっている。幸いなことにビルの名前と住所が書かれてあるのだ。


 通話を終えると、木崎が

「住所は送った」と言う。

「ありがと。――聞こえた? 外はたいした揺れじゃなかったって。社のエレベーターは普通に動いてるみたい」

 木崎が舌打ちする。

「このビルが古いせいか」


 だけど緊急のボタンだけでなく電話も通じないのだ。止まっているエレベーターは沢山あるのだろう。


「長期戦かな」

「かもな」


 木崎は素早くメールを打っている。予定している来客へだろう。

 と、ドンドンとどこかから何かを叩くような音がした。


「木崎さん! もしかしていますか」

 そんな声がする。

「さっきの大学生だ」と木崎。「ああ、いる!」と声を張り上げる。

「大丈夫ですか!」


 どうやら気にして様子を見に来てくれたらしい。といっても彼らにできることはないから木崎が状況を話し、今のところ問題ないと伝えて戻ってもらった。


「助けが来るまでは、仕方ねえな」

 木崎はそう言って鞄を開けるとノートパソコンを取り出し脇に抱えた。次に屈んで鞄を平置きに。それをパンパンと叩く。

「座れば?」

 自分は離れた床に直に座りあぐらをかく。足の上に開いたパソコン。


 ……気遣い? 木崎が? 私に? まさか!


 脳内に藤野が言った『木崎は案外、気遣いの鬼』という言葉が浮かぶ。


 だけど私に?


「……爆弾でも仕込まれている?」

 木崎がぷはっと吹き出す。

「俺も死ぬじゃん!」

「じゃあ、ブーブークッション」

「どこの会社員がそんなもんを鞄に入れてるんだよ!」

「安全?」

「書類しか入ってねえよ。長期戦に備えろ」

「……私も鞄はあるけど」

「それ、座ったら筋がつきそうじゃん」

「……じゃあ。ありがと」


 なんだか違和感だらけだけど、素直に座る。体育座り。パンツスーツで良かった。木崎は離れてはいるけど、何しろ狭いから足が当たってしまいそうだ。向きを調節してから私もノートパソコンを出す。


「あ、チョコがあった」

 鞄のポケットに個包装になっているものが三個。

「長期戦に備えて。仕方ない、木崎にふたつあげるよ。鞄の借り」

 手を伸ばし合い、チョコを渡す。 『どうも』と木崎。またレアなお礼を聞いてしまった。


「お前、チョコが好きなの?」

「ふつう。これは高橋がくれたやつ。新製品を見るとすぐ買うんだって。いつもお裾分けをくれるの」

「……餌付けじゃん」

「私は食いしん坊じゃないけど? 面倒を見てるから、そのお礼なんだって」


 木崎は鼻を鳴らしてパソコンに向き直った。

 私も仕事をしよう。まずはメールチェックだ。





 ――だけど、全然頭に入って来ない。目はすぐそばに置いたスマホを横目で見てばかりいる。

 私は落ち着かないらしい。

 何が原因?

 多分、このエレベーターだ。狭い上に壁はダークブラウンで圧迫感がある。閉所恐怖症ではないはずだけど、最初にこれに乗ったときからイヤな気分はした。古くて動きがなめらかではないせいもあったかもしれない。

 不安がずっと渦巻いている。


 ふうと息をついて気を落ち着けさせる。


「連絡、来ねえな」と木崎が言った。

「だね」

 社のほうでエレベーター会社に電話が通じたら連絡をもらえることになっているけど、まだ来ない。

 立ち上がった木崎が緊急通話のボタンを押す。だけどやはり繋がらない。


「高橋は」と座った木崎。「宮本の直属じゃねえだろ。なんで面倒を見ているんだ?」

「頼ってくるから?かな。高橋はもう、私なんて全然必要ないはずなんだけどね」

「頭に花が咲いてんな」

「高橋の頭?」

「宮本の」

「何でよ!」

「アホだから」

「私がアホならライバルと言われている木崎も、同等のアホだということになるね」

「仕事の話じゃねえし」


 木崎は壁にもたれ掛かった。パソコンは傍らに置いたまま。


「宮本、どのくらい彼氏いねえの?」

「木崎には関係ないよね」

「俺にはな」

「このやり取り、前にもしたような。とにかくノーコメント」

「あのクズが最後?」

「……クズって言わないでくれる?」

 修斗も昔は優しかったのだ。

「未練があるのか? あんなヤツに」

「ない。でも木崎に口出しされることじゃないもん。他人のことより自分はどうなの? 無事に合コンで彼女はできたの?」

「接待がかぶって行けなかった」

「天誅だね」

「いいんだよ、俺はその気になればいつでもできる」

「騙されてる女子が多すぎ」

「俺は宮本の元カレの百倍はいい男だぞ?」

「それはない」


 と、スマホが鳴った。私の社用のだ。高橋だ。出ると途端に

『大丈夫ですかっ!』

 との焦り声が聞こえてきた。

「ありがと、大丈夫だよ」

『怖くないですか? 体調は?』

「平気だって。それだけなら切るよ。電池を持たせたいから」


 すっと木崎が体を寄せてきた。

「な、何?」

 顔がスマホを見ている。

「頼れる木崎サマが一緒だから心配すんな」

 木崎は真顔でスマホに向かって、そう言った。

『だから不安なんです! うちの宮本先輩に意地悪しないで下さいよ!』

 高橋の叫び声。

「そりゃ期待に応えないといけないな。意地悪ってどんなのだ? シチュエーション的にはエロマンガみたいのがいいか?」

『ふざけんな!』


「ちょっと木崎!」

「こいつ最近、藤野にケンカを売ってんだよ」

「え?」

「な?」

『藤野主任が俺に売ってるんですよ』

「何で?」

「充電、温存しないと」と木崎。

「乱入しておいて? まあ、いいや――高橋、切るよ。詳しくは明日教えて」


 切ったスマホを床に置く。木崎はもう元の位置だ。

「どういうことなの?」

「俺も詳しくは知らない」

「藤野も高橋も意味なくケンカなんてしないと思うんだけど」

「だから理由があるんだろ」


 木崎はスマホを取って、何やら操作をしている。

『エロマンガみたいな意地悪って、誰得なの』とツッコミそびれてしまった。


「宮本さあ」と手を止めずに木崎。「喪女で男に興味なくて、」

「余計なお世話」

「何か力を入れてる趣味があんの? それとも見たまんま、仕事だけに全力投球?」


 うっと言葉につまる。趣味はある。ゲーム。ただし確実に木崎にバカにされる乙女ゲームだ。

 どう答えるか考え、素早く無難な返答を組み立てる。


「ゲーム。でも詳しくは話さない。リアルな知り合いとは共有したくないの」

「ふうん。エグいヤツなのか?」

「だから教えないって」

「宮本、銃を撃ちまくって大殺戮してそう」

 木崎が目をあげニヤニヤとする。

 うん、大誤解をありがとう。

「秘密。そういう木崎は?」

「俺? ランニング」

「嘘でしょ、なにを爽やかぶって……」


 そういえば。藤野が木崎は陸上のトラック競技でインターハイに出たと話していた。


「そうだ、選手だったんだっけ。藤野に聞いた」

「部活のな。それだけ。今はただの趣味」

「大会とか出てるの? 流行っているんでしょ?」

「マラソン大会か? そういうのは出ない」

「ふうん」


 実は週末にジョギングデビューをしたばかりだ。先日行ったバッティングセンター。あれで体を動かす気持ち良さを思い出したから。

 かといって野球もテニスもひとりではできないから、お手軽に始められるジョギングにしたのだけど。まさか木崎も走っているとは。彼女を途切れさせないくせに、よくそんな時間があるものだ。


 と、私のスマホがメッセージを知らせる。佐原係長からだ。私を案ずる内容と――


「エレベーター会社に連絡ついたって。でもかなりの件数があるから、救助がいつになるかは分からないみたい」

「一歩前進」と木崎。


 助けが来る時間が未定でも、エレベーター会社は私たちのことを把握している。確かに当初より、一歩進んだ。


「そうだね」

 目をつむり、そっと息を吐く。

 大丈夫、私は落ち着いている。少し前より不安が和らいでいる。木崎と話しているからかもしれない。


 目を開く。と、木崎の靴が目に入った。八万もするという靴。見るからにお高そうな色艶デザイン。


「高価な靴も趣味?」

「いいや。足の形が特殊なんだよ。市販の革靴じゃ合うのを探すのが大変だから、オーダーメイドにしてんの。値段は張るけど一日中履くもんだからな。アフターケアはしっかりやってくれるし」


 なんだ。見栄とか意識高い系だからとかではなかったんだ。木崎だからって、色眼鏡で見ていた。これはちょっと反省案件かも。


 ――というか。木崎とこんな風に普通に話すのは初めてかもしれない。

 天変地異の……って、今まさしく起こっているか。エレベーターに閉じ込められるなんてことは、そうそうないはず。経験したことのある人は、いったいどれくらいいるのだろう。



「高橋に期待されてるし、エロい展開でもしとくか?」

「は?」

 アホなことを言い出した木崎を睨む。

「珍しくまともな木崎だと思っていたのに、やっぱり最低か」

「俺はいつだって、まともだが?」

「胸に手を当ててみなよ」

「宮本の?」

「セクハラ」

「俺だって、ゆるふわな可愛い子以外は遠慮する」

「うわぁ。いかにもだね。そういう若い子を口八丁でだまくらかして、捕まえていそう」

「『若い子』」木崎がおかしそうに笑う。「確かに俺らは若くはないが、宮本の言い方、完全にオバサンじゃん」

「木崎がこの前私のことを『女子じゃない』ってディスったんじゃない。いいの、三十路だもん。オバサンだよ」

「三十路でも俺はオジサンじゃねえ」

「ムダな抵抗はやめたほうがいいよ」

「枯れてる喪女の三十路とは、レベルが違うんだよ」

「おひとり様、万歳」

「男、紹介してやろうか?」

「結構」

「藤野」

「可哀想だから、やめてあげて」

「……本当、可哀想だわ」


 ため息をつく木崎。


「藤野は落ち着いた恋愛をしたいと言ってたよ」

「……ムリ。あいつの好みはど天然の激ニブ鈍感だから」

「すごいね、それ。そんなタイプを見つけるのは難しそう」

「まあな。――宮本はどんな男が好みだ?」

 私? すぐに今夢中の乙女ゲームの最推しキャラが思い浮かぶ。

「真面目で誠実。頼もしくて守ってくれる人」

「……欲張りじゃね?」

「うるさい」


 社用スマホがまたメッセージを告げる。今度は高橋だ。

『無事ですか?』との一言だけ。

 救助はまだ、と送り返す。すぐに新しいメッセージが来る。

『明日、ランチに何でも奢りますから、頑張って乗りきって下さい!』


「何をニヤついているんだ?」

「高橋が明日、何でも奢ってくれるって」

 いつも他人をバカにしたような笑みを浮かべているか不遜な表情をしている木崎が、一瞬だけ真顔になった。そうだ、高橋と藤野との仲が悪化中なのだった。

「じゃあ俺は鰻の特上な」と普段の顔に戻った木崎。

「お断りします」

「あと肝吸い」

「藤野とどうぞ――」





 ◇◇




 木崎と私がエレベーターを出られたのは、閉じ込められてから実に二時間後だった。

 ホールには例の大学生がいて、『なんか、すみません』と言いながら飲み物と軽食をくれたのだった。


「全然何ともなかったし、大丈夫」と答えながら、何ともなかったのは木崎のおかげだと気づいていた。二時間ほとんど木崎と喋っていた。それで気を紛らわせることができたのだ。





 木崎は、私の不安を察して喋り続けていたのだろうか。

 いや、まさか。

 犬猿の仲なのだ。いくら緊急事態だからって、そんな気遣いを私にするはずがない……。

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