3・《幕間》藤野

 木崎が宮本とエレベーターに閉じ込められた。


 それを知ったときに最初に浮かんだことは、『なんだ、その羨ましい状況は!』だった。

 そんなことを言っている場合じゃないとすぐに反省したが、でもやっぱり、羨ましい。

 密室に宮本とふたりきり。男心をくすぐるシチュエーションじゃないか。それを木崎が――。


 木崎は他人に厳しいし、無能と判断した相手はばっさり切り捨てる。だから薄情な人間だと思われがちだが、認めた相手にはそうではない。むしろ気が回るぶん、配慮が行き届いている。




 とうに終業時間が過ぎた社内のカフェコーナー。その片隅で、コーヒー片手にスマホを見る。画面には木崎からのメッセージ。

『宮本とエレベーターに閉じ込められた。長時間になりそうだ。お前が訊きづらいことを訊いてやるから、何かあるなら連絡しろ』

 泣かせるくらいの友達思いだ。


 もっとも『訊きづらい』ことを俺をダシにして自分が知りたい、というのが木崎の深層心理じゃないかと思う。


 あいつは今日の宮本との外出を、楽しみにしていた。はっきりそう言った訳ではないが、俺には分かる。木崎も宮本も別の仕事があるのだから外回りしてからの現地集合にしたっていいのに、あいつはわざわざ社から彼女と一緒に出て行ったのだ。


 先方まで地下鉄で三十分程度の所要時間。往復一時間。余計な邪魔は入らない。どうせ意味のない嫌みの応酬しかしなかっただろうが、さぞかし楽しかったに違いない。

 その終わりに一緒にエレベーターに閉じ込められるなんて。


 その状況なら、さすがに木崎も宮本を気遣う言動をするだろう。宮本は戸惑うはずだ。普段とのギャップに胸を打たれるかもしれない。


 ため息がこぼれる。


 最初木崎には『何もない』とメッセージを返そうと思った。訊きたいことは自分で訊く。だが俺が質問を望まない以上、木崎は何も訊けない。訊くとしたらそれは、己が関心があるからだ。

 もしそのことを木崎が自覚したら、まずい。

 だから『ありすぎて分からない。適当にあれこれ訊いておいてくれ』と返事をしておいた。



 ――こんなんで、いつまで誤魔化せるのか。宮本を先に好きになったのは俺のほうなのに。いや、違うか。好きと自覚したのは、だ。


 木崎からの返事は来ていない。だが俺のメッセージは既読になっているから、見ているはずだ。今頃ふたりは、どうしているだろう。急接近していなければ、いいんだが。



 ふと人の気配がして目を上げる。と、こちらに歩いてくる高橋と目があった。

「……お疲れ様です」と高橋。

「お疲れ様」

 いつの間にか周りに他の社員はいなくなっていた。高橋と俺だけ。ヤツはコーヒーメーカーに向かい、何やら淹れている。

『フラペチーノ以外も飲むのか』という嫌みが頭に浮かんだが、口にするのはやめた。


 席に戻って仕事をするか。

 もたれていた壁から背を起こす。と、高橋が振り返って俺を見た。


「宮本先輩と木崎係長、エレベーターに閉じ込められたそうで」

「らしいな」

「俺、直帰だったんですけど、心配で戻ってきましたよ。仕事、巻きで終わりにして」

「宮本は手を抜くヤツは嫌いだな」

「抜いてません。スピードアップしただけです」


 高橋は淹れ終わったカップを手に取り口に運んだ。ホットのブラックコーヒーだ。


「電話で木崎係長に煽られましたよ」

「煽られた?」

「そう。宮本先輩と話していたのに突然木崎係長が割り込んできて。あれ、宮本先輩にくっついて話したんじゃないかと思うんですよね。離れたところから大声を出した、って感じじゃなかった」

「……へえ」

「宮本先輩には、藤野主任のために俺をいじったみたいなことを説明してましたけど」


 どんな状況だよ。これは、木崎が戻ってきたら、きっちり吐かせないと。


「最近、分からないんですよね」と高橋。

「何が?」

「俺が警戒しなくちゃならないのは、ひとりなのか、ふたりなのか」


 俺は残っていたコーヒーを飲み干し、カップをゴミ箱に放り投げた。

「ゼロだよ。高橋に望みはないから、悪あがきはやめてさっさと降りろ」

 高橋に背を向け歩き出す。


「なるほど、ふたりですか」と背後から声がした。「藤野主任ってまあまあ性格、悪いですよね。宮本先輩は良い人だと思っているみたいですけど」


 振り向いて高橋を見る。


「お前こそ。可愛い後輩の猫をかぶってるじゃないか」

「かぶり続けたおかげで、ここまで距離が縮まったんです。後から湧いて出てきた人に邪魔されたくありませんね」

「高橋が不甲斐ないだけだろうが」


 踵を返し、カフェコーナーを離れる。


 ――自分の放った言葉がブーメランになって俺に刺さる。不甲斐ないのは俺もだ。そして木崎に順番を言うのならば、俺も言われるということだ。




 いつまでも誤魔化して、中途半端な状態でいる訳にはいかない。

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