第4話 追われる女


 達也は、明日香の空白の2年間を埋めるため、早朝から再び『貴船』を訪れた。

元妻に、自分の知らない空白な期間があったとしても、それが大した意味を含んでいない可能性もあった。誰もが経験する平凡な日常であったかも知れない。                             しかし、あえて意識して過去の男女関係をあからさまに語らないこともあり得る。

 お互いが自分の隠されていた過去のすべてをさらけ出し、それでも愛を失ってしまう可能性を否定する人間がいるとは、到底考えられない事である。


 相手のすべてを知っていることなど、考えてみればそんなことはあり得ないのだ。かえって、知られなくて良かったと、安堵する男女もいるのではないのか。

しかし、達也は、捜査官なのだ。元妻の隠された過去を掘り起こし、その真実を知ってしまったとしても、甘んじて受け入れなければならないのである。


「お義母さん、この写真に写っている女性の名前分かりませんか?」

「どなたかしら? あら、紗月ちゃんね。明日香ととても仲が良かった娘ね」

「青山紗月という名前で、間違いないですか?」

「あら、どうして紗月ちゃんの名字を?……」

「年賀状が来ていたので、何となくですが・・・」

「あなたもやっぱり、本物の刑事さんなのね」

「お義母さん、こっちの二人で写っている灯台の場所に、覚えは・・・?」

「……、確か…、ほら、能登の先端にある…、禄剛崎灯台って、言ったかしら…」

「では、狼煙町にある灯台で間違いないと・・・」

達也には、狼煙を訪れた経験はなく、灯台に見覚えもなかったのである。


「でも、それがどうして明日香の失踪に繋がるのかしら…」

「それは、僕にもまだ分かりませんが、なぜか気になるんです」

「それと、明日香は短大を卒業して、すぐ鎌倉に行ったというわけではなかったんですよね・・・」

「……、ええ。確かにそうよ」

「この二年間の間に、何があったのです?・・・」


「もう、20年も前のことですよ。今さらこれが明日香の失踪に繋がるなんて……」

「それは僕にもどうかは分かりませんが、小さな糸口でも見つかればと・・・」

「今更思い出したくもないんです……」

「お義母さん、だからこそ、何があったのか話してもらいたいんだけど・・・」



「…………勤め先で、厭なことがあったらしくて、明日香が『被害届』を東署に出したらしいの。今でこそ違うけど、当時は金沢も閉鎖的な街で…、働かせてもらっているお店の人を訴えるなんて…、私達は、もちろん反対したのよ……」

「その後、どうなったんですか?」

「その男と、明日香の間にお店の社長さんが入ってくれてね。結局は、『被害届』を取り下げることで話が着いたの」

「想像はつきますけど、厭な事とはなんだったのです?」

「ごめんなさい。わたしも、明日香から詳しい話は聞いていなくて………」

「分かりました、お義母さん。事情がありそうだからこのあと東署に行って調べて来ますので・・・」

「捜査の役に立つのなら、調べてみて下さい。資料が残っていると良いんだけど」

達也は、一枚の写真と、青山紗月からの葉書を携えて東署の生活安全課課長一ノ瀬真由美を再び訪ねた。


「あら、上条警部補、今日は早々と、何か進展はありましたか?」

一ノ瀬は、上条の真剣な表情を見て、何かを掴んだ様子であると推測をしていた。

「実は、約20年前に貴船明日香さんが東署に、『被害届』を出したという話を母親から聞いたものですから、当時の資料がまだこちらに残ってはいないかと思いまして・・・」

「……、20年も前ですか、私が東署に新人として配属された頃ね。資料が残っていれば、私も何か思い出すかも知れませんね。捜して見ますけど、少し、時間がかかるかも知れません。午後にでも、またいらして頂いた方が良いかと思いますが………」

「いえ、待たせてもらいます」

「そうですか……、電子化されていれば、いいのだけれど………」



 一ノ瀬の期待とは裏腹に電子化はされていなかった。三人の署員の手を煩わせ、結局生活安全課から声が掛かるまで小一時間は待つことになった。

「お待たせして、申し訳ありません」

「いいえ、私の方こそ急なお願いで・・・」

「資料によりますと、今から22年前に貴船明日香さんから、被害届が出されていますね。私が配属される2年前のことですから、私に記憶がなかったのも当然ですね。

受けた被害の内容ですが…、性的暴力となっています。対象者は、当時勤めていた会社経営者の次男金村蓮司28歳です。最終的には、示談となっておりまして、被害届は、取り下げられたと記録に残っています。でも、この後も明日香さんは度々相談に来られてますね…。資料によると…、3回ほどですか。12月が最後ですね」


「そう・・、ですか・・・」

上条は、淡々と事実を話す一ノ瀬の言葉に、対応することが出来ないでいた。

「上条警部補にとっては、残念な資料となりましたね…」

「・・・、示談の後も相談が続いたという事は・・・」

「ええ、今でいうストーカー規制法がなかった頃ですから、『つきまとい』が続いていたのではと、推測されます」

「明日香が勤めていた会社というのは・・・?」

「……、私がここまで情報を開示してしまうのも問題があると思いますが、警部補が調べればすぐ分かることなので、あえてお話しますが、……『和菓子金村』ですね」

「『かなむら』ですか・・・、一ノ瀬課長、ありがとうございます。少しは捜査の足がかりが見えて来たような気がします」

「我々も、一刻でも早く明日香さんを発見できるよう、引き続き捜査をいたしますので……」

一ノ瀬の言った言葉の意味は、自力で家に戻ることを願っている。または、身元不明遺体が発見されれば、いち早く知らせるという意味であった。上条は丁寧に頭を下げると、一ノ瀬の労を労った。



 『金村』は、金沢市内に5店舗ほどを展開する江戸時代から続く伝統的な和菓子店であり、本店を市内の大手町に構えていた。大手町は、金沢城公園に隣接する地域であり、明日香の住む実家から徒歩で通っても10分と掛からない距離である。

短大を卒業した明日香が家業を継ぐ前に勤めていたとしても不思議ではない。

達也は歩いて、『金村本店』に向かうことにした。明日香が、歩いたであろうこの道を実感として感じたかったのだ。

 浅野川大橋を渡り、百万石通りを歩くとすでに右側一帯が大手町である。

『金村本店』は、建物全体が千本格子で囲まれた二階建ての木造建築物であった。

和モダンを取り入れたセンスの良さが感じられる。一階にショーケースが並び、二階が飲食スペースであるらしい。達也は、加賀藩献上品と書かれた暖簾をくぐると、店長らしい男に手帳を見せた。

「オーナーにお会いしたい」達也は、あえて無表情な面構えで言った。仮に目の前に、金村蓮司が現れたとしたら、自制の出来る自信はなかったのだ。

「社長がお会いするそうです。どうぞ二階の社長室の方へ・・・」

店長は、達也に気後れしたのか、丁寧な応対である。


「突然の刑事さんのご訪問ですが、どういった御用件でしょうか?」

男は、60の少し手前であろうか。穏やかさの中にも男らしい強さを感じさせる。 陽に焼けた精悍な顔は、若々しい。この男が蓮司であるのか?・・・。


「私は、20年前の『金村』さんに関係する事件を改めて調べているのですが・・、社長は、金村蓮司さんでしょうか?」達也は、単刀直入に聞いた。

「その件でしたか・・・、私は、蓮司の兄の金村翔一です。蓮司は、義理の弟になりますが・・・」

「そうですか・・・、失礼しました。では弟さんは、いま何方に?」

「あの事件後しばらく金沢にいて大人しくしていたのですが、10年前にまた事件を起こしましてね。父と私で引導を渡したのです。蓮司が金沢を離れてからは、一度も会っておりませんので、今頃どこでどうしているのか・・・」

「という事は、金沢にはいないという事で、間違いはないと・・・」

「確かなことは分かりませんが、普通の感覚の持ち主であれば、もう戻れないとは思いますよ」

「そういう事になりますか・・・」

「大分がっかりされているようですが、刑事さんは、今頃何を調べようとしているのですか?」


「実は、すでに離婚をしているので、元妻という事になるのですが・・・、現在その妻の行方が分からず、捜査している中で、20年前に暴行による『被害届』が東署に出されていた事実を偶然知ったという訳でして・・・。被害者は、金村さんも良くご存じだと思いますが、貴船明日香。加害者は、金村蓮司です」

「あなたが、明日香の・・・? いや失礼、明日香さんの・・・」

「元夫という事で、気を使われなくても結構ですから・・・」

「いや、明日香さんが、金沢に戻られていることは噂で聞いておりましたが、

・・・まさか? 失踪を・・・」

「そこで、わたしは、今回の失踪の原因は、20年前に金村蓮司さんが起こした事件が遠縁にあるのではと考えたのですが、金村さんに思い当たることは・・・?」

「それは、弟が起こしたこととはいえ、明日香さんには本当に申し訳ないことをしたと思っているのです。私には、兄として今でも償いたい気持ちがありまして・・・

しかし、明日香さんが失踪しているとは・・・、知らなかった・・・」


「そうですか・・・、ありがとうございます。明日香が戻れば、真っ先に金村さんの気持ちを伝えてあげたいと思います」

「本当に残念です。無事でいてくれればいいが、どうか、見つけてやって下さい」

金村は、身内のような優しさで明日香を心配しているようであった。


「最後にお聞きしますが、その後も蓮司が明日香に付きまとったのは、事実なんですね?」                               

「ええ、蓮司は、粘着質な性格と言いますか・・・、蓮司はその後も色々と問題を起こしましてね。この金沢から出て行った時には、私も正直心の内では喜んだものです。これは、父も同じ気持ちだったと思いますよ。蓮司のためにと、周りが反対する中で無理やり示談に持って行ったのですが、それを、仇で返されたのですからね」


「・・・金村さん、妻の明日香が短大を卒業と同時にこちらにお世話になったとは聞いているのですが、同じ頃入社した女性の記憶はありませんか? 仮にですが、青山紗月さんとか・・・、山崎直美さんですが・・・」

「やまざき・・・なおみさん・・・? ・・・山崎直美さんは、よく覚えています。私が、人事をやっていた時に、入社してもらった娘さんですから。利発で良く仕事の出来る娘でしたよ。今では、立派な事業をされているとか・・・」

「という事は、仲の良かった二人が同じ職場に採用されたという事ですね。当然蓮司とも面識があったと・・・」

「はい、確かに。そういうことになります」


「金村さん、あなたのお話を伺って、少しは心の整理がついたような気がします。

突然伺って申し訳ありません。ありがとうございました」

「上条さん、明日香さんがなぜ、あなたとの別れを選んだのか、理解に苦しむところですね。あなたは、仕事に熱心だが、同時に人の心に寄り添おうとしている」

「いえ、それは買いかぶりというものです。それに気付かされたのは、明日香との離婚がきっかけだったのですから」

「とにかく、二人で明日香さんの無事を祈ることにしましょう」

金村の言葉には、感謝しかなかった。


達也は、丁寧に礼を言うと本社を後にした。暖簾を大事にする経営者の話である。

そこに嘘はないであろうと、達也は思った。

しかし、明日香の行方を捜し出す糸口を見失ってしまったと言っていい。残された時間も迫って来ている。達也は手づまりの中、再び『貴船』に戻り少しでも休憩を取ることにした。


 *


「お義母さんが、話したくなかった理由というのが分かりましたよ。結果的には、直接聞かなくて良かった。。話すことで、お母さんが再び苦しみを味わうところでしたから・・・」

「ごめんなさいね。どうしても話すことが出来なかったのよ」

「いえ、逆にいろんな事情が見えてきましたから・・・」

しかし、蓮司がこの街を離れていることは、被害者家族にも知らされていない様子であった。ここには、警察と地元の権力者であった蓮司の父との何らかの取引があったことが推測された。警察でさえ、絶対的正義は存在しないものである。刑事である達也には、その辺の事情はよく分かっていたのだ。



「次のニュースです」

気が付くと、すでに正午を迎えていた。

テレビのアナウンサーが昼のニュースを伝えている。


「昨夜、横浜市都築区中川中央に住む新横浜信用金庫都築支店長萩原昭彦さんが出社しないことを不審に思った社員が自宅を訪ねたところ、何者かに鋭利な刃物で刺され死亡しているところを発見したという事です。都築中央警察署によりますと、死亡時刻は、昨日の正午ごろ。なお、妻の姿が見えないことから、萩原さんが殺された事情を良く知っていると思われる妻の紗月さんを重要参考人として、警察は行方を追っている模様です・・・。                          なお、紗月さんからは、夫の昭彦さんの暴力行為に対しての『被害届』が出されており、警察に対しても慎重な捜査が望まれるところであります。

では、次のニュースです」 

 

「お義母さん、いまテレビで萩原紗月って言ってませんでした?」

「ごめんなさい。私はほかのことを考えていたから、良く分からないわ」

名前も名字も同じであった。

まさか、『ひすいライン』の中で偶然出逢った紗月であるはずはないのだ。

信じたくもない。

しかし、犯行時刻を正午の12時として、東京駅を13時に出発すれば十分糸魚川で乗り換え、『ひすいライン』に乗ることは可能なのだ。

刑事としての冷静な目が、紗月のアリバイを崩している。

だが、愛する女を信じたい気持ちが勝っていた。

「逢いたい。逢って、列車の中の紗月が何者であったのか?知りたいんだ!」

達也は、心の中で叫びながら、いつまでもテレビの画面から目を離せないでいたのであった。




第5話に続く  

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